恩師の死・一華
アトリエの静寂を破るように、ニュースキャスターの声が響いた。
福山の失踪が、高橋智花、小田茉莉、田島紅音のそれと結びつけられ、「連続失踪事件」として大げさに報じられている。
キャンバスに向かいながら、私は小さく笑みを漏らした。
「福山先生は……福山は、ここにいるのにね」
視線の先には、まだ形をとらないが、確かな存在感を放つ「作品」がある。
福山という「素材」を用いて、今まさに創造されようとしている、私の魂の結晶。
あれは十日前、福山と会うようになって三回目のことだった。
彼の存在は、私の精神を蝕む「毒」になりつつあった。
下劣さ、浅ましさ、そして何より、過去の私を弄んだ記憶が、心に深く根を張っていた。
――今日、この毒を剪定する。
そう決めて、私はルイに告げた。
「ルイ。今日やるから」
「わかった」
準備は、とうに整っていた。
私は福山を自宅でのディナーに誘った。学校近くの隣駅で待ち合わせ、時間になるとルイが迎えに行く。
玄関に立つ福山は、ルイの姿に戸惑いを見せたが、すぐに私の姿に目を奪われた。
「では小川様。お客様をお届けしました」
「ありがとう」
ルイが一礼して去ると、私は福山をリビングへと誘った。広い空間に、彼は目を丸くし、口を開けたまま周囲を見回す。
「す、すごい家だな」
「そうですか?」
私は内心で冷ややかに評価する。この男には、この「庭」の本当の価値は分からない。
音楽が流れる中、二人でディナーをとる。福山は料理を絶賛したが、その言葉は耳に入ってこない。食後、ワインを出した。
「シュヴァリエ・モンラッシェです。お口に合えばいいですけど」
黄金色の液体を注ぐと、柑橘の香りが立ちのぼる。
一口含めば、甘酸っぱい果実味とミネラルの塩気、蜂蜜のような甘さが絡み合う奥深い味。
しかし福山が口にしたのは、その味ではなく一言。
「これ、高いんじゃないのか?」
「こういうときにお金の話は野暮ですよ、先生」
確信した。この男にこのワインはもったいない。
早く「剪定」したくてたまらなくなった。
福山がワインを重ね、饒舌になっていく。
「お前が成功して嬉しいよ」
「ありがとうございます」
「こんな広い家に一人で住んでるのか?」
「はい」
「寂しくないのか?」
「なら先生、私と一緒に住みます?」
冗談半分の問いかけに、福山は一瞬、こちらの真意を測りかねたようだった。
「先生。私、実の父親が誰か知りません。物心ついたときには離婚していて。二番目の父は、先生もご存じのように失踪しました」
「そうだったな。今でも行方知れずなのか?」
「はい。生きているのか死んでいるのかもわかりません」
少し寂しげに笑ってみせる。それは、同情を誘うための演技だった。
「そのせいか、私は歳上の男性に惹かれるんです。中学のとき、先生のことが好きでした。包容力があって快活で。できれば在学中に伝えたかったけど、それも叶いませんでした」
「あんなことがあったからな……お母さんは本当にお気の毒だった」
「でもこうして再会して、私の気持ちも再燃してきたんです」
「小川……」
「先生さえよろしければ、私と一緒に住んで欲しいんです。失礼ですけど、今のお宅は先生には似つかわしくありませんし。私なんかと住むのは、お嫌ですか?」
「いや、嫌じゃない。嬉しいよ。ただ、おまえみたいな素敵な女性が、俺なんかに声をかけてくれるのが夢みたいで……現実味がない」
「ふふ。夢じゃありませんよ。それに、夢ならもっと素敵なものを見せて差し上げます」
私は福山のグラスに、もう一度ワインを注いだ。彼の目は、餌の前の豚のように欲望で濁っている。
「先生は性に開放的ですか? それとも保守的?」
「どちらかと言えば開放的かな……大した経験はないけど」
浮気と借金で離婚した破滅的な人間が、何を言うのか。嘲りの衝動を抑えつつ、私はワインを口に運ぶ。
「なら、経験させて差し上げます。今日は遅いし、泊まってください。準備もしてありますし。明日はお休みでしょう?」
「本当にいいのか? 俺で」
「私は先生が良いんです。さあ」
立ち上がり、福山に手を差し伸べた。
「あれ? おかしいな……立てない……」
椅子から立ち上がろうとした福山は、テーブルに手をついた瞬間、バランスを崩して床に倒れた。グラスに仕込んだ薬が効いたようだ。
「フフ……先生。夢見心地はこれからですよ」
彼が完全に眠ったのを確認すると、私はルイを呼んだ。
「よく効いてるね。どんな夢を見てるやら」
床で眠る福山を見下ろしながら、ルイが笑う。
「始めるわよ」
私の声は、儀式の開始を告げる聖歌のようだった。




