第二話「剣道だけじゃだめ!?」
「おはようございます、お母様!」
「はい、おはよう。……って、レヴィ! あなたはどこへ行くの!」
俺は庭へと続く扉に手をかけたところで、エレナに呼び止められた。
「ええと、あー。ちょっと一人でお稽古を、ね」木刀を隠すように持ちながらごまかす。
「今日からお勉強を始めると言ったでしょう!」エレナの語気には、貴族の血縁を持つ者が持つ、有無を言わせぬ響きがあった。
「あー、そうでしたっけ。あはは」
「お稽古はお勉強の後よ! お勉強が終わるまでその木刀を握るのは禁止です!」
「ええー、そんなあ……」
エレナは目を細めてじっと俺を見つめた。「何か異論があるのかしら?」
「わか……わかりました」俺は観念した。
そうなのだ。エレナは教育熱心なタイプで、マナーや言葉遣いにとても厳しい。前世ではこんな生活なかったから、めちゃくちゃ辛い。たまに言葉遣いが戻ってしまうと、その度に怒られる。本当に辛い。
「と言っても、私も急な仕事が入って今日は一緒に勉強することができないの」
(サボるなら今だ。)
「ちゃんとやるのよ! サボるなんて考えないでね!」
ギクッ。(なんでバレた!)
「セバスチャン。今日はあなたがつきっきりで見て差し上げて」
「かしこまりました、奥様。責任を持って務めさせていただきます」
「じゃあ行ってくるわねー! いい子にしてるのよ、レヴィ」
「はーい」
窓の外へエレナの馬車が出て行くのを確認し、俺はそっと書斎のドアノブに手を掛けた――その瞬間、俺の身体はフワリと宙に浮いた。
「うわぁぁ!」
「お坊っちゃま。剣のお稽古は、お勉強がお終いになってからでございますよ」
セバスチャンが、一切の足音もなく俺の胴を掴み上げている。
「ええーー、意地悪だ! 勉強なんて嫌です! 剣を振りたい!」
「わたくしに言われましても、エレナ様から厳命をいただいております。どうか、わたくしの責任を果たさせてくださいませ」
俺は不貞腐れた顔をする。
セバスチャンは俺の顔を見て、静かに言った。「では、お坊っちゃま。私と勝負をしましょう」
俺は即座に食いついた。「なんの勝負ですか、セバスチャン!」
「一対一の決闘でございます。もしレヴィ様が私に一本でも取れば、今日は好きなように遊んでいただいて結構です。しかし、私が勝った際は、大人しく私の言うことを聞いていただきます」
俺の顔は輝いた。「わかった! じゃあ早速庭でやろうよ!」
「お待ちくださいませ。一つ条件がございます」
「それはなんですか?」
「お互い素手で戦うことでございます」
「素手?」
「はい。わたくしは剣技に習熟しておりませんゆえ」
(素手か……。まあ、前世の古武術の知識もある。行けるだろう。)
「わかりました、セバスチャン。その条件、受け入れましょう」
「ありがとうございます、お坊っちゃま」
庭で向かい合った瞬間、俺は右手を広げ、指の間を無くして力を入れた。手刀の構えだ。
セバスチャンはゆっくりと両腕を上げ、流れるような、しかし奇妙な構えをとった。(なんだ? あの構えは。胴ががら空きじゃないか)
俺は一瞬で間合いを踏み込み、セバスチャンの体めがけて飛び込んだ。
「とった――!」
その確信の直後、視界が反転した。
「え……?」
頭が地面にぶつかる寸前、セバスチャンが俺の頭を手で優しく抱え、抱き上げた。(な、なにがおこったんだ??)俺はポカーンとしていた。
「お坊っちゃま、私の勝ちでございますね。では、お約束通りお勉強をいたしましょう」
訳のわからないまま、俺は机に向かい、セバスチャンと勉強をした。
三時間後。
「お疲れ様でした、お坊っちゃま。今日はこれで以上です」
「疲れたーー」
「お菓子でもご用意しましょうか?」
「たべる!! たべるたべる!」
「かしこまりました」セバスチャンは席を立つ。
(やっぱりいまだにわからない。俺はセバスチャンに何をされたんだ? 剣道なら相手の動きは手に取るようにわかる集中力だったのに。素手だから? 戻ってきたら聞いてみよう)
「お待たせいたしました、お坊っちゃま」
「うわー美味しそう! ありがとう、セバスチャン!!」
俺はクッキーを口に運びながら尋ねた。「そーいえば決闘のとき、僕をどうやって転ばせたのですか?」
「はい。わたくしはお坊っちゃまに足をかけたのでございます」
(やはり足をかけられたのか。確かに足かけは剣道にはない技だが……集中していたはずなのに、そんなヘマを……)俺は納得できない顔をした。
セバスチャンは、俺の表情を静かに見つめ、語り始めた。「お坊っちゃまは、ヴィンセント様との決闘で、相手の剣先にのみ集中しておりました。その剣の技術は、ヴィンセント様の目には追えず、たまたま勝ったとすら錯覚させるほど見事なものでした」
セバスチャンは椅子に座り、姿勢を正した。
「しかし、わたくしはあの時、確信いたしました。お坊っちゃまの集中は、相手の武器に依存している、と」
俺は身を乗り出す。「どういうことですか、セバスチャン」
「素手での勝負で、お坊っちゃまは、上の方ばかりを警戒し、攻撃が飛んでくる場所を懸命に予想していました。そこで私は、両腕を上げてその集中を腕に向けさせ、同時に足元という死角を意図的に空けたのです。お坊っちゃまは、その隙を撃とうと踏み込んできた。その時、意識は私の足元にはありませんでした。そして、足への意識が完全に途切れたところで、足をかけさせていただきました。ただ、それだけでございます」
(確かにそうだ。剣道には足技なんて存在しない。そんなところに集中なんか向けない。セバスチャンにはそれが一戦を見ただけで見抜かれていたんだ。この人、もしかしたらすごい人なのかもしれないな)
「なるほどです! 教えてくれてありがとう、セバスチャン!」
セバスチャンは微かに笑みを浮かべた。「しかし、お坊っちゃまの剣の才能は凄まじい。剣がないのに、手を剣に見立てるあの構えは、誰も思いつきませんよ。鋭い刃のように見えました」
「えへへ、そうかな」(手刀っていうのは、この世界にはないのか)
セバスチャンとそんな話をしているとき、玄関のドアが開く音がした。
「ただいまー! 帰ったわよ、レヴィ」
「お母様! お帰りなさいませ!」
「ごめんねレヴィ、今日は一緒にいられなくて。寂しくなかった?」
「いいえ、セバスチャンがいたので寂しくはありませんでしたよ!」
「あら、それならよかったわ! セバスチャン、レヴィはちゃんといい子にしてた?」
「もちろんでございます、奥様。お坊っちゃまは、驚くほど頭の回転が速く、お勉強を立派にこなされました」
「まあレヴィ! 頭もいいのね! さすがは私の息子だわ!」エレナはレヴィをぎゅっと抱きしめながら言った。
「さあさあ、じゃあ晩御飯の準備をしましょうかね!」
「はーい」
そして、こんな日々が毎日続いた。俺は、セバスチャンとの勝負で弱点を知ってからは、1日も欠かさずに剣を振った。も、もちろん勉強もね!




