プロローグ
オフィスは朝のざわめきとコーヒーの香りに満ちていた。
そのオフィスの一角、いつもの席に着き、浅見結はパソコンの画面をじっと見つめる。
彼女が入社してどれだけの月日が流れただろうか、
入社以来、ひたすら仕事に打ち込み、どんなに忙しくても、周りから暖かい支援のあれど、自分自身のミスは絶対に許さなかった。
細かい指摘や適切な注意も怠らず、真面目な彼女の仕事ぶりは上司から高く評価されている。
それが評価として開花していき、やっと自分の立場も落ち着いていた。
だが代わりにやって来たのは、自分の仕事に対する姿勢や、振る舞いに同僚たちにはどこか冷たく、距離を置かれていく感覚だ。
▼窓際で楽しげに談笑する女性社員たちがちらりとこちらを見て、スマホを隠すように囁き合う。
「浅見さんってさ、見た目は地味なのに仕事はできるからムカつく」
「化粧もおしゃれもしないくせに何様よね」
そんな声が背後から聞こえても、結は何事もなかったかのように資料を読み続ける。
彼女にとって、周囲の陰口もまた仕事の一部だった。
「(ハイハイ、いつもの。いつもの。)」
この会社に入って仕事に明け暮れて、気が付けばもう30代。恋愛経験なんてする暇もなく、結婚の話題は遠いもの。逆にアラサーになった今は開き直っている。
まるで自分の努力を無下にするように、社内では「婚期遅れのお局」と囁かれ、特に女性陣からは嘲笑と嫌味の対象となっても然程気にはしなかった。婚期遅れは事実だし。
▼その日はいつもと変わらず、社内の静かな昼休み。
浅見は自分のデスクで淡々と仕事を進めていた。
すると、近くの女子社員グループが寄ってきて、にこやかに声をかけてきた。
「ねぇ浅見さん、今度の金曜、みんなで合コンやるんですけど、女の子の数が合わなくなっちゃって…」
「良かったらどうですか?」と浅見の直属の部下である石井は、お願いするように手を合わせて懇願する。
微かに見える表情には笑みが見えていて、それには軽い嘲笑が潜んでいるように感じられた。
「浅見さんが来たら、私たち、場が盛り上がるって思ってて」
それに加勢する形で高橋がまるでとぼけたかのような口調で続ける。表情はいやらしい笑みのまま。
浅見は二人のその様子を見ながら、疑いの念を胸の内に濁した
「(盛り上がる?要は私を笑いものにする気か)」
石井と高橋の隣で、川端は愛嬌を見せるように首を傾げ、肩をすくめて言う。
「まあ、あんまり期待はしてないですよ。でも、浅見さんも息抜き必要かと思って~」
そんな彼女の言葉に思わず目を細めて一度口を閉じる。
そして瞳には疑念を宿ったまま、三人を注視する
「(いくら私が自覚あるからって最近露骨過ぎない…?)」
露骨で明らかな嫌味と珍獣を見るような視線、蔑視。
それを身体に受けながら、浅見は軽く目を閉じて深いため息をついた。
「(こっちは仕事で必死に頑張ってるのに)」
彼女たちの言動、雰囲気に頭を悩ませつつも、それを口には出さず、敢えて考えるような素振りでその心境を隠す
「(まあでもそういや…ここ最近、仕事ばかりでお酒も美味しいものもあんまり味わってなかったかもなぁ…)」
合コンは行ったことないけど、要はお食事会って事でしょ?それなら何度も取引先としてきたけど…最近はそういうの色々なご時世のせいでめっきり無くなったもんな…
「(うーん、あり寄りのあり…)」
どうせ私を数合わせや話題作り、引き立て役として連れていきたい目的が見え透いてるし、それはどうでもいい。
それならいっそ美味しいご飯食べてお腹を満足にさせて帰る…のも良いのでは?
お世辞にも浅見は料理が得意ではない。ただでさえこの歳になるまで仕事に明け暮れた女が料理に時間を裂け
る余裕はなくて。
お昼はありふれた菓子パンやエナジーバー。帰ればもっぱら好物の唐揚げと適当な弁当をスーパーで買って、自宅でそれを堪能し、ビールをあおる位だ。
そんな食生活を送っている彼女には『合コン』というより『合コンで出される料理』に興味がいった
そんなズレた事を浅見が考えてるとは露知らず、川端がもう一押し、とさらに言葉を重ねる。
「美味しいご飯も出ますし、タダですよ~」
その言葉にカッと目を見開き、浅見はキリッとした顔で三人を見やった
「わかりました。参加します」
タダで美味しいご飯、魅力的じゃない…!
***
浅見の参加が確定し、女性たちは満足げに頷き合い、そそくさとそのまま三人で化粧室へ向かう。
鏡を見ながら化粧直ししつつも、彼女達の笑みは絶えない。
「絶対面白くなるよね!」
「どんな顔するか今から楽しみ~」
ひそひそ、キャッキャっと笑いながら、浅見を合コンでどう見せしめにしてやろうかと考え色付く。
だがアラサーのキャリアウーマンとして働いている浅見が、まさかのご飯を理由に参加を決めたなど、嫌がらせで誘ってきた当の彼女たちは知らない。