【第10話】練習の音、鼓動の音
八月に入り、夏休みも中盤戦。太陽がじりじりと照りつける、いかにも「夏本番」といった空気が街に広がっていた。
俺───篠宮優希は、いつもより少しだけ早く目を覚ました。寝起きのままスマホを手に取り、今日の予定を確認する。
(……軽音部の練習か。午前中で終わるとはいえ、外に出るなら覚悟しといた方がいいな)
伸びをひとつしてから洗面所へ向かい、冷たい水で顔を洗う。
「……ふぅ。眠い朝はこれに限るな」
タオルで顔を拭き、鏡の前で寝癖を直しながら身支度を整える。貸出中のベースをケースに詰め、飲み物やタオルを準備してバッグに押し込んだところで、ようやく出発準備が整った。
リビングに軽く声をかけて玄関に向かうと、ちょうど妹の美晴と鉢合わせた。
「あ、優希兄ちゃん。今日も出かけるの?……あ、軽音か」
俺が背負ったベースケースを見て、美晴はすぐに察したらしい。顔を合わせた瞬間、目をぱちくりさせてそう言った。
「あぁ、午前中に部室で合わせ。昼過ぎには帰ると思う」
「ふーん……って、それなりに長くない?」
「まぁ、午前で済む分まだ楽な方かな。バスケやってたときは、一日練とか当たり前だったし」
「……え、それは無理。倒れるわ私」
「俺も最初は思ったけどな。慣れってこわいよ」
そんな他人事みたいに言いながら、俺はスニーカーの紐をきゅっと締めた。
「じゃ、行ってくる」
「んー、行ってら〜。熱中症には気をつけなよ〜」
「その言い方、ぜってぇ本気で心配してないだろ……」
「だって兄ちゃん、めちゃくちゃ元気そうだし。……ほら、遅れんようにね」
「へいへい。じゃあな」
手を軽く振って、俺は玄関のドアを開ける。真夏の朝独特の、もわっとした空気が一気に体を包んだ。
(……よし、今日もがんばるか)
ゆっくりと歩き出す足元に、蝉の声が追いかけるように響いていた。
いつものように、少し余裕を持って家を出た俺は、軽音部が練習に使っている学校近くのスタジオへと向かっていた。夏休み期間中のため、学校の施設は使えず、こうして外部のスタジオでの練習が主になっている。
スタジオの予約や鍵の受け取りは、基本的に神谷部長が手配してくれている。だから俺は特に迷うこともなく、すぐにスタジオ奥の防音室へと足を向けた。
重たいベースケースを背負いながら、静かな廊下を抜けてドアの前へ。軽くノックしてからドアを開けると、室内にはひとり、すでに誰かの姿があった。
───白銀の髪が、陽の光に反射してふわりと揺れる。
そこにいたのは、白雪優奈だった。
ギターアンプのセッティングをしていたらしく、彼女はしゃがみ込んだままこちらに気づくと、少し驚いたように顔を上げた。
「白雪さん……おはよう」
「あっ! おはよう、優希くん」
ぱっと表情が明るくなり、彼女は立ち上がって笑みを見せる。見慣れたはずのその笑顔に、なぜか少しだけ胸が鳴った。
「白雪さん、相変わらず早いんだね」
「ま、まぁね……。私、ギターボーカルだし……アンプ繋いだり、マイクのチェックとか、いろいろあるからさ」
そう言いながらも、どこか落ち着かない様子で視線を逸らす。よく見れば、アンプの電源はすでに入っていて、マイクもセット済みだった。もしかしたら、実際の準備よりも───ただ、俺より先に来たかっただけなのかもしれない。
「ふふ、今日は集合時間の30分前に来てたんだよ? ちょっと早すぎたかな」
「早すぎるくらいが白雪さんらしい気もするけど……でも、助かるよ。こうして先に準備してくれてるの、ありがたい」
「そ、そう……? うん、どういたしまして……」
優奈は少し照れくさそうに、マイクのコードを指でつまみながら笑った。その様子がどこか子どもみたいで、つい口元が緩む。
「ところで、アンプの設定、やってみたけどこれで合ってると思う?試したんだけど音がこもる気がしてて……」
「ちょっと見せて……。俺も試してみる」
ギターを抱えて近づく優奈の隣に並び、俺はアンプのツマミに手を伸ばす。自然と肩が触れ合う距離に、意識するなという方が無理だったけど───優奈は特に気にする様子もなく、真剣な顔で機材を見つめていた。
───この自然さに、慣れてきている自分が少し怖い。
「ん〜……こうかな?ちょっと弾いてみて」
「うん、わかった」
そう言って優奈がつま弾いたコードは、少しだけ、いつもより柔らかく響いた気がした。
そんな中、スタジオのドアが「ガチャッ」と開く音がした。
「おー、もう来てたのかー。ってか早っ」
姿を現したのは、俺たちの部長、神谷俊。どこか気の抜けたような口調が特徴の三年生で、ゆるく結んだ髪とジャージ姿のままギターケースを肩に下げている。
「部長、おはようございます」
「おっす、おはよう。いやー、予約の関係でちょっと時間早めにしたけど、まさかもう揃ってるとは思わなかったわ。さすが勤勉コンビだなー?」
「勤勉コンビって……」
思わず苦笑する俺の後ろから、さらにもうひとつ、元気な声が続いた。
「わぁ〜!今回のスタジオの部屋あたりじゃない?めっちゃ広〜い!」
小柄な体で元気いっぱいに飛び込んできたのは、同級生の桐島琴音。キーボード担当で、ひとつ結びにした髪を揺らしながら、テンション高く部屋の中を見渡す。
「おっはよ〜優希くん、優奈ちゃん! あ、部長もおはよ〜!」
「琴音、そんな走ると転ぶよ……。あと、マイク踏まないように」
「うわっ、やばっ、危ない危ない〜! ナイス注意!」
にこにこと笑う琴音に、部屋の空気が一気に明るくなる。
こうして、いつものメンバーが全員揃った。
(さて───今日も、いい練習になるといいな)
俺はケースからベースを取り出しながら、自然と優奈のほうに目を向けていた。彼女もまた、こちらをちらりと見て、小さく微笑んでいた。
まずは個人練習から始まる。
「じゃ、まずはアップからやりますか〜。個人練習して、20分後に合わせやるよ〜」
部長の軽めな号令と共に、各々が自分のポジションへと移動していく。
神谷部長はドラムのチューニングを始め、琴音はキーボードのセッティングに集中。優奈はマイクを手にしながら、ギターのコードをポロポロと鳴らして、軽く声出しをしていた。
そんな中、琴音の視線がふと優奈のギターに止まった。
「……あれ?優奈ちゃん、それっていつものギターじゃなくない?」
声をかけながら琴音が近づくと、優奈は少しだけバツが悪そうにギターを撫でる。
「あ、うん。……今日はこっち持ってきたの」
「待って、それ……見たことある……。いや見たことないんだけど、知ってる! それって国内で流通数ひと桁の、あの超レアモデルじゃん!?」
「まぁ……そうだね」
「すっっごー!!」
スタジオの一角に、琴音の高い声が反響する。
いやいや待て。
国内に数本しかないギターを、当然のように持ってくる白雪さん、財力バグってないか……?
琴音の興奮は止まらない。今度は優奈の耳元に目を留めた。
「てかイヤモニも変わってない?それ……めっちゃ可愛い……!」
「あぁ、これ?」
「水色とピンクのツートンで、ラメも入ってて……サインまで!?え、え、それって、既製品じゃないよね……?」
「えっと……これ、私のオーダーメイド」
「………………は?」
琴音の動きが一瞬止まる。
それもそのはず──イヤーモニターをオーダーメイドする、なんて話はプロでも限られた人しかしないレベルだ。
そういえば、初めて優奈の家に行ったとき。スタジオを貸してもらった日、あのイヤモニはオーダーメイドだと聞いていた。
ただ、正直当時の俺にはピンと来ていなかった。……でも今、琴音の反応を見る限り、かなりとんでもないことらしい。
「だ、だって……色んな楽器やる上で、しっかり遮音性があって、音の解像度も良いものが欲しくて……」
「いやいやいや!欲しくても普通は買えないって!オーダーメイドのイヤモニなんて、余裕で数十万いくでしょ!?」
「……うん。これ、これはデザインのオーダーもあったから15万くらいかな」
「じゅ、じゅうご……っ!?もう意味わかんない……」
その時だった。
ベースのフレーズを黙々と練習していた俺は、思わず手を止め、片耳からイヤホンを外す。
「……え、イヤモニってそんなに高いもんなの?」
軽い気持ちでそう尋ねると、琴音が振り返って目を丸くした。
「はぁっ!?優希くん、今の聞いてなかったの!?オーダーメイドだよ!?ライブの一発勝負とかで命綱レベルに大事なやつなんだから!」
「え、そ、そうなのか……てっきり、耳栓のすごいやつくらいに思ってた」
「それ高級料理に“ちょっと味濃いめのカップラーメン”って言ってるくらい失礼だからね!?」
「ご、ごめん……」
「大丈夫、気にしないで」
そんなやり取りに、優奈がクスッと笑う。
怒るわけでもなく、琴音のテンションを受け止めつつ、俺の反応にもほんの少し嬉しそうな顔を見せていた。
あれから個人練習を終え、一回目の合わせに入った。
正直、かなりのクオリティだ。
神谷部長のドラムはさすがというべきか、音の芯がブレずにバンド全体を引っ張ってくれていたし、琴音もミスなく安定した演奏を見せていた。
俺はというと、なるべく音を外さないように、でも自分の音で全体を支えられるように──意識して弾いた。
そして、やはり白雪優奈。
彼女の歌声は、どこまでも澄んでいて、他の誰とも違う存在感を放っていた。
夏休み前の部内ライブでも感じたが、彼女の歌は“聴かせる”というより“惹き込む”力がある。
高音域でも、落ちサビでも、一切ブレることなく──完璧に歌い切っていた。
しかも今回の曲ではギターソロもある。それすらも余裕そうにこなし、まるでそれが当たり前であるかのような演奏だった。
演奏が終わった瞬間、スタジオの空気が一気に弾ける。
「ふぅぅぅー!! さいっこーーー!!!」
真っ先に歓声を上げたのは琴音だ。
「完璧じゃん!やっぱり優奈ちゃん、歌上手いな〜」
神谷部長も、ドラムスティックをクルッと回しながら声を弾ませる。
「いえ……そんなことないです」
そう謙遜しながらも、優奈はふとこちらを向いた。
「優希くん」
「あ、俺?」
「ベース、すごく上達してたよ。前より音が安定してた」
「え、そ、そうかな……?」
「ん……」
不意に褒められて、思わず言葉に詰まる。
優奈と目が合って、互いに一瞬だけ言葉を失う。
確かにこの夏、家事サポートの合間やバンド練の時間以外でも、空き時間はほぼベースの練習に充てていた。
その成果が、少しでも出ているのだとしたら──正直、嬉しい。
「分かる分かる。めっちゃ安定してたもんな」
神谷部長も、真面目な顔で頷いてくれる。
「ありがとうございます……部長まで」
「いやいや、素直に喜べって!褒め言葉なんだからさ」
「……はい。白雪さんも、相変わらず上手──こほっ、上手だね」
つい敬語が出そうになって、慌てて言い直す。
「う……うん……ありがと」
少し顔を赤らめながら、優奈が目をそらす。いつものクールな彼女とは違う、どこか柔らかい表情だった。
「あらあら〜優奈ちゃん照れてる〜? いいなぁ〜イケメンに褒められるなんてさ。私、ちょっと嫉妬しちゃうかも〜」
「なっ!? そっ……そんなんじゃないしっ!!」
焦ったように身をよじりながら、優奈は必死に否定の声を上げた。が、その頬は完全に真っ赤で、耳の先まで染まっていた。
「えー、ほんとに〜? だって顔真っ赤だよ? これって恋のサインじゃないの〜?」
「な、なにそれ……違うしっ!」
琴音の追撃は止まらない。にやにや笑いながら、楽しそうに優奈をからかい続けていた。
そんな二人の様子を、神谷部長はスティックを肩に乗せながら、どこか保護者みたいな顔で見守っている。
「仲良いなぁ、ほんと。……いやー、青春って感じだなー」
「部長まで茶化さないでください……」
優奈はちょっと涙目で視線を落としたが、それでも口元にはわずかに笑みが浮かんでいる。
俺はといえば──その様子を見ていて、なんとなく言葉を探しながら、ふと口を開いた。
「でも……なんていうか、白雪さんの声って、聞いてると“自然に周りの音が整ってくる”みたいな感じがする…。ピッチとかテンポとか……気づいたら全員の演奏がすっとまとまってる」
「…えっ」
優奈がピタリと動きを止める。
琴音は首をかしげたまま、よく分かっていない様子。
「へぇ〜? つまり……えーと、それって……どういうこと?」
「んー……うまく言えないけどさ。単純に技術があるとかじゃなくて、音が芯になるっていうか。周りが自然と、ついて行きたくなる声っていうか……」
視線は合わせないまま、ポツリと吐いた言葉。
直接的な褒め言葉は何ひとつない。けれど、優奈だけは、その意味をはっきりと受け取っていた。
「……」
先ほどよりもさらに、頬が赤く染まる。まるで湯気が出そうなほどに。
「そ、そんなの……ずるい……」
「え?」
「な、なんでもないっ!」
ぱしっ、と勢いよくイヤモニを外して、優奈はくるっと背中を向けてしまう。
その仕草があまりにも分かりやすすぎて、琴音でさえようやく何かを察したようだった。
「……え、なに? え、いまのってもしかして──え!? なになに!? 何が起きてるの!?」
「いやいや、なんもないって」
「うっわ〜優希くん、なにそれ超自然な褒め殺しじゃん!えっ、あれってそういう意味だったの!? 私全然気づかなかったんだけど!?」
慌てて詰め寄る琴音を、神谷部長が苦笑しながら制止した。
「まあまあ、落ち着け琴音。みんな頑張ったんだし、一回休憩入れよう」
「あ、はい〜……でもちょっと気になる〜!」
わいわいと笑いながら、スタジオの空気はほんのり柔らかく、温かくなっていく。
冷房の効いた防音室の中、汗ばんだ首筋に風が心地いい。
「水分取って。熱中症になるぞ」
そう言いながら、神谷部長がペットボトルの箱をみんなの前に置いた。
「ありがとございます……ふぅ……」
「神谷部長…わざわざ用意してくれたんですね……」
俺もキャップを開けて、喉を潤す。
ふと横を見ると、優奈がちらりとこっちを見ていて──目が合った瞬間、慌てて視線を逸らした。
その耳は、まだほんのり赤いままだった。
スタジオから出て、俺は休憩時間を使って近くのコンビニへと足を運ぶことにした。
───何があったのかと言えば、アイスを買いたいと琴音が言い出したのが発端だった。
スタジオを出てすぐの場所にコンビニはあるが、「暑いから」という理由で買いに行く係をじゃんけんで決めることになり──負けたふたりがその役目を担うことになった。
その負け組のひとりが、俺というわけで。
そして、もうひとりは──
「琴音ったら、ほんと元気すぎだよね」
隣を歩く白雪優奈だった。
「白雪さんの物静かな性格とは、本当に真逆だな……」
「ふふっ。……でも、ああいう子がいると空気が明るくなるし、嫌いじゃないよ」
ゆっくりと歩幅を揃えて歩く俺たちの間には、気まずさもぎこちなさもない。
けれど──ふたりきりになった途端、やっぱり俺は少し緊張してしまう。
自然と口調も、家事サポートのときの癖が出てしまっていた。
「……アイス、何が琴音さんの好みなのでしょうか…。白雪さんは、好みのアイスとかあるんですか?」
「……ふふ」
「え?」
なぜか優奈が、少しおかしそうに笑う。
「ねえ、今って私……“家事サポートのお客さん”じゃないよ?」
「えっ……?」
「なんか……まだ“白雪さん”って呼ぶし、そんなかしこまった話し方するし。なんか、優希くんって、私に対してはたまに敬語に戻るよね」
「そ、そうか……?」
「そうだよ。さっきまで普通だったのに……不思議だなぁ。もしかして──緊張してる?」
「っ……いや、別にそういうわけじゃ……」
咄嗟に目を逸らした俺を見て、優奈は小さく肩を揺らして笑った。
「……かわいい」
「へっ?」
「……ううん、なんでもない。……でも、私はね、敬語じゃなくていいって思ってるよ。今は同じバンドメンバーだし、……友達……だし」
「……」
その“友達”という言い方に、なぜか少しだけ胸がざわついた。
けれど、優奈が照れたように微笑んでいるのを見ると、なんとなく安心もする。
「……じゃあ、なるべく頑張ってみる。……ため口」
「ふふ、頑張って」
コンビニの看板が見えてくる頃、ふと俺の方から声をかけた。
「今日の練習が終わったらさ──一緒に帰らない?」
「え?」
「別に特別な理由があるわけじゃないけど……最近、部活終わったあとはそれぞれ解散するの早かったし。たまにはさ、話しながらゆっくり歩くのもいいかなって」
「……うん。いいよ」
その答えは、あまりにも自然で、あたたかかった。
ふたりの歩幅は、気づけばぴたりと重なっていた。
「でも、琴音に言ったら絶対いじられるよね……」
「それは……覚悟しないとね」
「じゃあ、この話は秘密ね」
「……あぁ」
くすっと笑いながら、優奈はコンビニのドアを開けた。
夏の午後、涼しい冷気が二人を出迎えた。
買い物を終えてスタジオに戻ると、琴音はまるで小学生かと言わんばかりのテンションで飛びついてきた。
「おぉー!おかえり!あっ、これ好きなやつだ〜!」
「お疲れ。ふたりとも、暑い中ありがとな」
部長が手を挙げながらそう言ってくれる。
「気にしないでください、先輩」
「コンビニ、近かったですしね」
日差しはまだ本気を出しきっていない時間帯だが、それでもスタジオの空気はしっかり熱を含んでいて普通に暑い。
一応エアコンは効かせてあるのだが、どうも中にいるだけで体温が上がる気がする。……神谷部長が熱をためやすい体質なのか、彼の周囲だけ微妙に気温が違う気さえする。
「にしても、やっぱこのメンバーいいな。気張らなくて済むっていうか、リラックスできるわ」
と、部長がぽつりと呟く。
「でしょでしょー?この私、ムードメーカーの桐島琴音にかかれば〜!どんなバンドでも楽しくなるのだ〜!」
「……琴音。お前、いい加減敬語使いなさいよー」
「はーい。でも、敬語って堅苦しいじゃーん?」
「はは、そのスタンス、入部初日から変わってないよな……」
部長と琴音の軽快なやりとりを、俺たちは横から見守っていた。
自然と目が合った優奈は、少し口元を緩めていた。なんだか楽しそうで、それを見ると、こっちまで和んでしまう。
しばらくアイスを食べながら休憩していると──
「そういやさ〜みんな、夏の課題ってどれくらいやってんのー?」
不意に琴音が問いかける。
静けさが少しでも訪れようものなら、すぐさま空気を動かす。そういうところは本当に、すごいと思う。場のテンポを止めないという意味では、まさに天才だ。
「あ〜……全然やってねぇ」
「だよね!?仲間いたぁ……!」
部長はどうやら、ほとんど手をつけてないようだ。
一方、優奈は──
「半分くらいは終わったよ。あとは読書感想文と数学のプリントくらい。計画立てて進めてるから、一応あと授業開始日の一週間前くらいで全部終わる予定」
「えら〜い!さっすが優奈ちゃん!」
「ふふ……ありがとう」
ちゃんと計画を立ててコツコツやるタイプか。俺とはスタイルが違うけど、それはそれで尊敬する。
俺はというと、夏休みが始まってすぐに一気に片づけてしまったから、今はだいぶ自由時間が多い。理由は単純、時間を空けておきたかったから──バンド練とか、家の手伝いとか、バイトとか。そういうのを思いきりできるように。
「えっ、じゃあ優希くんは?課題、どれくらい終わってるの?」
「俺? 一応──全部終わってるよ」
何気なく答えると、静寂が訪れた。
顔を上げると、目の前にいた3人が揃ってポカンと口を開けていた。
「……ん?今なんて?」
「全部……って、全部!?」
「……えっ、それほんとに……?」
全員の視線が集中する中で、俺は困ったように肩をすくめる。
「まあ……早めに終わらせた方が気楽かなって」
「……マジで!?やばっ、なんでそんなできる人みたいなことするの……!」
琴音が頭を抱えながら絶望したようにうずくまる。
「いや、別にすごいことじゃないって……」
「いやすごいでしょ!?しかも、いとも当然かのように言うじゃん!?」
ワーワー騒ぐ琴音を横目に、優奈がくすっと笑って俺の方を見る。
「……優希くんらしいね、そういうところ」
その声はどこか穏やかで、少しだけ誇らしげで──
ほんの一瞬だけ、目が合ったそのとき、胸の奥がじんわりと熱くなるような気がした。
**
(課題終わらせてるんだ……)
心で呟いたその一言だけで、ふっと腑に落ちた気がした。
首席って肩書きや、テストでの学年一位っていう結果は、ただ才能があるからってだけじゃないんだ。ちゃんと努力してる。コツコツと、でも確実に。だからこそ、結果が出る。
(……なんかすごく納得)
私はスタジオの隅っこで、琴音と神谷先輩が交わすくだけた雑談を聞きながら、アイスの棒を手でくるくると回していた。
けど、耳は優希くんの声ばかり拾ってしまう。
何気ない一言一言に、妙に心が引っかかる。
(優希くん、やっぱりすごいな……)
私は計画を立てないとダメなタイプ。予定が崩れると焦ってしまって、手が止まる。
だからこそ先回りして、出来るだけ綿密に段取りを考える。
だけど優希くんは、きっとそんなことをしなくても、やるべきことをちゃんと見て、行動に移せる。
必要な分だけ自分を追い込んで、それ以上は無理をしないで、冷静に線引きができる。
(真逆だ……)
私は「弱さがあるからルールをつくる」タイプ。
でも彼は「強さがあるからルールがなくても動ける」タイプ。
「夏課題とか、一日にどれくらいやってたの?」
気づけば、自然と聞いていた。
ただの好奇心。それ以上の意味なんて、ない。……はずだった。
「一応、夏課題って休暇に入る前から配られてたものもあったから……休みに入る前までは毎日1時間目標でやって、夏休みに入れば3時間は取ってたかな」
数字だけで、驚かされる。
でも、それ以上に、その「やって当然」という風に語る姿勢に、圧倒される。
「す、すごい……疲れないの……?」
そんな私の問いにも、優希くんは飄々とした顔でこう返す。
「疲れはするけど、あまりにも疲れたらその日はすぐ辞めちゃうタイプなんだ。……それに、25分おきに小休憩を入れるんだ」
「へぇ〜……」
反射的にそう返したけど、内心はそれどころじゃなかった。
(ちゃんと自分の限界を見極めて、それに合わせて行動してるんだ……)
優秀な人って、ずっと完璧なまま走ってるイメージがあったけど、そうじゃないんだ。
無理をしないための知識もあって、それを使うことにためらいもない。
しかも、それをさらっと話すあたり、まるで特別なことじゃないみたいに思ってるんだろう。
(……すごい…かっこいい)
すごいのに、すごそうに見せない。
優しいのに、優しそうに押しつけない。
どこまでも自然体で、だけど、見れば見るほど目が離せなくなる。
(……やっぱり好きだな)
ふと、そんな言葉が胸の内に浮かぶ。
でもすぐに、その言葉はやわらかく、静かに沈んでいった。
(───ううん、ダメだよ、私)
心の中でそう呟く。
今の私は、優希くんからどのように見えてるのだろう。バンドの友達?それともお客さん?
この心地いい関係を壊したくないゆえ、どんどん慎重になっていく。
(それでも……もっと知りたいって思ってしまう)
何を考えてるのか。
なにが好きで、なにが嫌いで、どんな未来を描いてるのか。
誰にだって話すような顔じゃなくて、私にしか見せてくれない顔が──あるのなら。
ほんの少しだけでいい。
それを、私が見つけたいって思ってしまう。
「……白雪さん?」
名前を呼ばれて、我に返る。
気づけば、手にしていたアイスはとっくに食べ終えていて、棒だけを持ったままぼんやりしていた。
「あ、ごめんなさい……少し、考え事してて」
「そっか。疲れたなら、無理しなくていい」
その優しさに、また心が揺れる。
(……そういう所だよ、全く)
私は誰にも気づかれないように、小さく息をついた。
**
練習は終わった。
数時間のスタジオ練習を終えて、現在時刻は十一時半。
夏の陽射しが容赦なく地面を焼き、じんわりとした熱気が肌を包み込む。空気は重く、湿度まで纏わりついてくるようだった。
俺はというと───約束通り、白雪さんと二人で帰路についていた。
琴音と神谷部長には、「片付けしてから帰るから、先に行ってて」と軽く促して、うまく二人きりの時間を作った。
「にしても、暑いですね───」
そう言った直後、自分の口調に違和感を覚えた。
「あ、また敬語になった」
彼女が気づいて、少し口角を上げた。
指摘されて、俺も気まずそうに笑う。
「あっ……ごめん。───コホン、今日も暑いね……」
「……ん、そうだね」
柔らかく頷く彼女の横顔を見ながら、なぜか少しだけ、胸の奥がざわついた。
敬語を使ってしまうのは癖じゃない。きっとどこかで、彼女との距離を意識してしまっている証だ。
──家事サポートのバイトの時も、俺はずっと敬語を保つ。いくら同級生であろうが、お客様だから。
しかし、彼女の家に伺っている立場だから、という理由だけではない。あの形式張った喋り方の中に、俺自身の「守り」があった。
(敬語を使ってる方が、安心なんだ)
無意識のうちに作った壁。
その方が、自分を保っていられる。
惹かれてしまいそうな自分を、抑えていられる。
(……でも、それって──)
失礼だよな。
彼女は、きっと気づいてる。それでも笑って受け入れてくれる。
そう思うと、少しだけ胸が痛んだ。
俺はそっと、隣を歩く白雪さんを横目で見る。
ゆるく揺れる髪。
不意にその横顔が、少しだけ近く見えた気がした。
「優希くん、次の家事サポートさ───」
その声に、現実に引き戻される。
歩みを緩めながら、彼女の言葉に耳を傾けた。
「……あぁ」
「ちょっと、大変なお仕事になっちゃうかも」
「えっ……?いや、大変とはいえ、俺は真面目にやるだけだよ。内容によって変わることでもないし」
真剣に返したつもりだったけど、彼女は少し言いづらそうに視線を逸らした。
その仕草に、妙な予感が走る。
「その……優希くん、私の家にプールあるの、知ってる?」
「……うん。初めて行ったとき、外から少しだけ見えたけど……やっぱり、あれってプールだったんだな」
「うん」
優奈は、ほんの少しだけ恥ずかしそうに頷いた。
普段はあまり見せない、照れたような仕草に、不覚にもドキッとしてしまう。
そして──
まさかそのプールが、次の家事サポートの“現場”になるなんて。
そんな予感が、じわじわと頭をもたげてきたのだった。
「つまり、そのプールの掃除?」
「そういうこと。お父さんがそろそろプールも大掃除したいって言うから…」
「なるほど。それなら、濡れてもいい格好でいた方がいいかな」
「う、うん……それは任せる」
「……そうか」
2人で歩く帰り道に、沈黙は珍しくなかった。
いや、むしろそれが心地いいと感じるくらいには、彼女との距離が近づいてきているのかもしれない。
──でも、やはりどこかで気まずさのようなものが残っていて、つい会話の糸口を探してしまう。
もし、ここに琴音がいたら。
きっと何か適当な話題をぶん投げて、明るく場を盛り上げてくれただろう。
けれど俺たちは、そういうタイプじゃない。
だから──沈黙を破るのは、俺の役目だった。
「白雪さん……前に、水族館に行った時。次は遊園地に行ってみたいって言ってたよね」
その言葉に、優奈の肩がぴくりと揺れる。
「……えっ?う、うん……言った……」
「その……そろそろ、日程とか決めといた方がいいかなって思って」
「あ……う、うん……たしかに……」
彼女は頬をわずかに染めながら、視線を落とした。
家事サポートのバイトや、バンド練習といった予定をきっと頭の中で並べているのだろう。
俺の方は課題を終えていたし、ある程度融通は利く。だからこそ、優奈の都合を優先すべきだ。
「来週の平日で、バンド練がない日なら……いつでも」
「来週か……えっと……」
ポケットから小さな手帳を取り出して、スケジュールを確認する。
水曜はバイト、木曜は部活。……でも、金曜は空いている。
「金曜日なら……大丈夫そう」
「金曜日、ね。じゃあ……それで……決まり、かな?」
「……うん」
「……」
「……」
言葉が止まり、また静寂が訪れる。
でも、さっきよりもずっと、温度のある沈黙だった。
──ふと、ある疑問が浮かぶ。
「白雪さん」
「うん?」
「……この遊園地の予定って、悠真くんはどうするつもりだった?」
「……えっ?」
驚いたように目を見開く彼女に、俺は少し戸惑いながら言葉を続けた。
「いや、俺……もしかして、優奈さんの言っていた言葉が『家族のお出かけ』のつもりだったのかなって。本当は悠真くんも一緒に行く予定だったんじゃないかなって」
「……あぁ、そっか。そういう……こと、か」
優奈は少し頬を掻きながら、困ったように微笑んだ。
「……悠真はね、たぶん置いていったらふてくされると思う」
「だよね……」
「でも……正直、今回は2人で行きたいって気持ちもあるの」
言ったあと、彼女は一瞬だけ目を伏せた。
「もちろん、悠真に来てほしくないとか、そういう意味じゃなくて。……なんか、こういうのって、ちゃんと“2人”で過ごしてみたくて」
「それなら、なるべく悠真くんにこのことがバレない方がいいね」
「確かに。悠真ったらほんと諦めが悪い子だからね…。まぁ、今回に関しては私も諦め悪い子になろっかな」
俺はその言葉を、どう受け止めたらいいかわからず、頷くことしかできなかった。
でも、確かに今、彼女の本音を聞いた気がした。
──しかし、その“いい雰囲気”が壊されたのは、ほんの数秒後のことだった。
「あら?優奈じゃない。あら、優希くんもご一緒なのね?」
「あっ!優奈おねーちゃん!あとお兄ちゃんも!」
上品な女性の声と、甲高い小学生の声が、ほぼ同時に背後から響いた。
俺と優奈は、顔を見合わせて──
「あっ……」
「ちょっ!?ママ!?てかなんで悠真も!?」
驚きと焦りに声を裏返した優奈に、ひときわ優雅な笑みで返す女性がいた。
白雪梨花さん。優奈の母親。そして、そんな彼女の隣には──案の定、ニッコニコの弟・悠真くんがぴったりと寄り添っていた。
「えっ?ああ、悠真が買い出しに付き合うって言うから。ついでにお昼でも食べて帰ろうかな〜って思ってたのよ」
「そ、そうだとしても……そんな偶然ある!?」
優奈の隣でうろたえる様子が、ひどく新鮮だった。
彼女がこんなに取り乱すのは、かなりレアだ。
けれどその理由もわかる。駅前のスーパーの前、まさかのタイミングで母と弟にバッタリ鉢合わせるなんて──それも、“遊園地デート”の話をした直後に、だ。
俺の脳裏に、嫌な予感がチラつく。
(まさか……さっきの話、聞かれて──)
「お姉ちゃんお姉ちゃん!遊園地行くの!?僕も行きたい!!」
悠真が、勢いよく優奈に抱きついた。
その姿は無邪気で、実に子供らしくて、見ていて微笑ましい……はずなのに。
──優奈の表情は、笑顔というより“引きつった顔”に近かった。
「ち、違うの!悠真、今回はね──」
「違くないっ!僕も行くの!ジェットコースター乗りたいーっ!」
「ちょ、ちょっと!バカ!掴む場所考えなさいってば!スカートだってばスカート!」
「でも!だって!僕も──」
掴まれていたのは、よりにもよってスカートのウエスト辺り。
優奈が必死に手を振りほどこうとしているが、悠真は完全に聞く耳を持たない。
──この子…諦め悪すぎる。
優奈が「絶対バレたら譲らない」って言ってた理由が、今この瞬間で完璧に理解できた。
「ちょ……悠真!一回離れよ!?お願いだから!!」
「やだーっ!お兄ちゃんとお姉ちゃんと、みんなで行くのーっ!!」
叫びながらスカートにぶら下がる弟と、それを必死に引き剥がそうとする姉。
──俺は、もう笑うしかなかった。
(……バレたかぁ)
正直、この話をする以前、俺はこの誘いが「優奈からの個人的な誘い」と期待していたのは事実。
少しだけ、この後の計画に引っ掛かりができてしまったように感じて頭を振る。いや、期待しすぎるのは良くない。むしろ、遊園地に行くこと自体変わらないはずだ。
───そう思った。
**
もう……!悠真のバカ!
せっかく、せっかく……っ。優希くんとの、2人きりの遊園地デートが実現して日程まで決まりそうだったのに!
なんで今、出てくるのよ……!タイミングおかしすぎるってば!!
「え〜お姉ちゃん、ダメ〜?僕も遊園地行きたい〜っ」
「う、うぅ……」
その“子犬みたいな目”で見上げてくるの、ずるいって……。
ダメって言いづらいじゃん。ほんともう……。
だけど。だけど──これって、ただの「お出かけ」じゃないんだよ?
私は、優希くん「と」関わりを深めたくて……それで遊園地って選んで……!
2人で、笑って、ドキドキして、隣にいる時間を……少しでも、特別なものにしたくて……!
──あれ、なにそれ。なんか今、めっちゃ「いい雰囲気になりたい」とか思ってない、私?
そもそも、私……優希くんのこと……好きだし……。
ちゃんと自覚してる。自分の中にある、この気持ち。
でも──
『ここから先は“女の子として意識させる”フェーズに入るの』
……ひよりの言葉が頭をよぎる。
意識させるのが大事。急がないこと、焦らないこと。
分かってる。分かってるんだけど……!
(悠真が来たら、私たち、2人きりじゃなくなっちゃうじゃん……)
そんなの──嫌だ。けど……悠真の“行きたい”って気持ちを、切り捨てることなんて……私、できない……。
「あらら……悠真ったら。優希くんと優奈のデート計画、妨害しちゃったみたいね?」
「──っ!?!?」
ままま、ママああああああ!?
なんでこの状況でそんな“爆弾投下”するの!?しかもめっちゃ自然に会話に混ざってくるし!
「は、はぁっ!?で、デートじゃないしっ!!」
──って、反射的に否定しちゃう私、もう最悪。
それっぽく聞こえたらどうすんの……!
「あら、そうなの?それにしては、ずいぶん仲良さそうだったから……てっきり、付き合ったのかな〜って」
「ふぇっ!?つ、付き合っ──そ、それは違……っ!」
ママの無邪気な煽りに、思考回路がショートしそう。
ちょっと、やめてよほんとに……!
「お姉ちゃん、やっぱりこのお兄ちゃんのこと、好きなんだーっ!」
「ちょ、こらぁぁぁぁあああ!!!それ以上言ったら、遊園地、無しだからね!?悠真、ほんとに!!」
顔が熱い。全身が熱い。なんでこんなにドキドキしてるのよ、私……!
もう!やだ!!消えたいっ!!
──そんな私の混乱とは裏腹に。
「……あはは……」
隣で、優希くんが思わず苦笑していた。
さっきから続くこのドタバタ劇に、さすがの彼も反応に困ってるっぽい。けど……なんだろう。あの笑い方でさえすごく優しく見える。
変に茶化さないで、けど、ちゃんと見守っててくれる感じ───恋って怖い……何でも好きに見えちゃう魔法。……うう、だめだってば、私……!
「はぁ……分かったわよ……。悠真、遊園地ついてきたいなら良いよ」
「ほんと!?やったぁー!!お姉ちゃん大好き〜!!」
──ああ、言っちゃった。
目の前ではしゃぐ悠真の姿を見つめながら、私は心の中でしょんぼりと肩を落とす。
……そりゃね?可愛い弟だし、嬉しそうな顔を見たら断れないし。
けど……優希くんと2人きりになれるチャンスなんて、そうそうないのに……。
絶叫系でキャーって叫んで、つい腕とか掴んじゃったり、観覧車の中でぎこちない沈黙とかドキドキとか……!
そういう「意識させるポイント」、全部台無しじゃん……。
「優希くん、色々ごめんね。なんか、私の都合でゴチャゴチャしちゃって……」
「え?いやいや、気にしないで。それに、悠真くんも一緒に来てくれるなら、それはそれで盛り上がれそうだし」
──だからさ、その返事が素直すぎ。
嫌な顔一つせず、真っ直ぐな目で、笑って言うとか……ずるいってば……。
……優希くんって、鈍感なのかなぁ。
いや、絶対そうだ。私、けっこうアピールしてるつもりなんだけど……。
デートっぽい雰囲気になってるって思ってたの、私だけだったのかな。
悠真が来るって決まっても、全然ガッカリしてないし……むしろ嬉しそうにすら見えるの、なにそれ。
「あらあら、優希くんってば、本当に優しいのね」
と、ママは楽しそうに言葉を挟んできた。
「優奈が普段、あまり男の子と一緒にいるところ見ないから、新鮮だったわ。とてもお似合いだったし」
「え、そ、そうですか……?あはは……」
「ま、まだ付き合ってないからね!?」
「ふふ、そうやって焦るところがまた可愛いのよね〜」
ママ、ほんともう喋らないでほしい……!
それ以上なにか言われたら、顔から湯気出そう……!
「さ、ママたちはそろそろ帰るわね。悠真、くれぐれもお姉ちゃんの邪魔しないようにね?」
「え〜!わかってるよー!」
「ほんとに?お姉ちゃん信じていいの?ねえ?悠真?」
「なにそれぇー!お姉ちゃん、意地悪ー!」
なんて、しょうもないやり取りをしてる間に、ママと悠真は手を繋いで歩き出していた。
軽く手を振ってくれたママに頭を下げると、優希くんも笑って手を振り返す。
その横顔を見た瞬間、胸の奥がじんわり熱くなる。
さっきの返事も、今の仕草も──何気ない一言や、ちょっとした笑顔も──
全部、全部が、好き。
(なにこれ……)
たぶん、私、今すごく顔に出てる。
苦笑いすらできないくらい、たぶん変な顔してる気がする。
「……なにか、顔についてる?」
「へっ!?な、なんでもないっ!!べつに見てたわけじゃないからっ!気にしないで!」
「そ、そう?ならよかったけど……」
優希くんはちょっとだけ首をかしげて、いつも通りの柔らかい笑顔を見せてくれた。
ほんと、そういうの、反則なんだけど。
何気ない一瞬のはずなのに、私の中では時間が止まりそうになってる。
これが……ひよりが言ってた、“恋の魔法”ってやつ?
ドキドキして、胸が苦しくて、でも嬉しくて……。
──ねえ、私、どうしたらいいんだろう。
「……じゃ、そろそろ帰ろっか。今日はありがとう。いろいろ話せて、楽しかったよ」
「……うん。私も」
2人並んで歩き出す帰り道。
距離は、さっきよりもほんの少しだけ、近く感じた。
**
優奈とお別れして、俺は家に到着した。
結局、遊園地のお誘いは悠真くんを引連れる形となり、部分的に見て優奈と一緒に出かけ、別の視点で見れば家事代行役として子供の面倒を見たりする、こんな流れになりそうだ。
純粋な小学生であることは分かっているが、絶妙に悔しい感じがしてもどかしかった。
「はぁ……疲れた疲れた」
前々からこの不思議な感じに自覚はある。
何が原因なのかは分からない。それでも、優奈の事をある種「特別な人」として見るようになっている。
すると、ノックもなしに勢いよく自室のドアをこじ開ける音がした。その主は妹の美晴だ。
「おかえり〜!ん?にぃにどーした?なんか暗くない?」
「うおっ!?美晴かよ……ノックはしてくれ……」
「何よ、美晴『かよ』って?そんな嫌だった?」
「ちげぇけど……不意打ちにドアが勢いよく開いたらビビるに決まってるだろ……」
「え〜別に家族なんだしいいじゃん。てか、ほんとに暗いじゃん。何か悩み?」
「い、いや……別に」
「ふーん?私の感が言っている、この声色は悩んでるって」
「断定すな……」
「いやいや、断定じゃなくて勘だよ?あ、図星だった?」
実際、悩みがあること自体は事実。
全く……妹とは、色んな意味で長い付き合いがあるせいで、お互いの心の内を読むことは長けている。これは美晴に限らない。俺も、美晴が悩んだりしている時はすぐ分かる。こういう以心伝心という物が枷になるとは。
「で、なにかあったの?軽音のメンバーに好きな子でもできたとか?」
「……っ」
「それとも──家事サポート先の、超セクシーなお姉さんとかに恋しちゃった!?」
「ぶふっ!?」
なにその爆弾発言!
まさか全部を的確に当ててくるとは思わなかったうえに、その最後の一撃はあまりにも破壊力が高すぎて──
口に含んでた麦茶を盛大に吹き出してしまった。
「ちょ、待て待て待て!中学二年の口から“セクシーなお姉さん”は心配になるって!」
「えー?普通でしょ?だってさー、家事代行先で出会った年上のギャル系お姉さんにボディタッチ多めで迫られて、主人公がドキドキしてるうちに気づいたら付き合ってた──って漫画、この前読んだよ?」
「そんな漫画読むな!」
「なんで!あれもれっきとした純愛だし!」
「あぁいうのはただの作者の妄想だから!真に受けるな!」
「妄想でも尊いからいいんじゃん!」
「それを相談みたいなテンションで言われたら、もはや戦犯だぞお前」
とは言ったものの。
軽音部のメンバーって部分は、見事に図星だった。
美晴は、俺の家事サポート先が“あの”白雪家であることは知らない。もちろん、誰に話していい情報でもないし、それは俺自身、仕事としても守るべきラインだとわかってる。
だからこそ、口をつぐんでるわけだが──
「ふーん?でもさー、そこまで否定しないってことは……やっぱり図星なんでしょ?」
「そ、そうかもしれないし、そうでもないというか……」
「ほらねー。もう認めちゃったほうが楽だよ?」
「お前な……」
軽く溜息をついた俺に、美晴はにやにやしながら問いを重ねる。
「で?その気になってる子って、先輩?それとも同級生?」
「……同級生」
「へぇ〜。で、スペックは?」
「なにその聞き方」
「だって、優希兄ちゃんって、自分のこと棚に上げて“俺なんかじゃ釣り合わない”って思ってそうなんだもん。どんな子なのかなーって」
「……」
……こいつ、マジで鋭いな。
「同級生で、俺と同じく一般入試で受かった子。……努力家だし、音楽も本当に好きで、多分……一度好きになったものには真っ直ぐ突き進むタイプ、かな」
「ふむふむ……めっちゃ見てるじゃん、それ」
「い、いや……ほら。同じ部活だし、自然と目に入るっていうか……」
家事サポートの件や、優奈とのあれこれはまだ黙っておくに限る。
今ここで変に話したら、美晴が全力で暴走する未来しか見えない。
俺がなんとか話を切り上げようと麦茶を口に運んだとき、美晴がふと真面目な顔になる。
「でもさ、優希兄ちゃんってさ……誰かのこと“好きになる”って、どういう感じだと思ってるの?」
「ん……?」
いきなりの質問に、少し考えてから返す。
「そりゃあ……その人のことをいつも気にしてるとか、一緒にいたくなるとか……そんなんじゃないのか?」
「ふーん。じゃあさ、その同級生の子のこと──好きになりそう、とか思ったことは?」
「……」
今までなら、否定して終わらせていたかもしれない。
けど今日は、なぜかその言葉が喉の奥に引っかかったまま、うまく否定できなかった。
「……わからん。けど、確かに──最近よく、その子のことを考えてる気はする」
「へぇ〜〜?」
「な、なんだよ」
「いやー、ついに優希兄ちゃんにも春が来ちゃったか〜って思って!お姉ちゃん、応援しちゃおっかなー!」
「要らねぇよ……てか、姉じゃないだろうが」
そう言いつつも、悪くない。
誰かに背中を押される感覚って、こんなにもあたたかいんだなって、ちょっとだけ思った。
そのあとも、しばらく美晴とくだらないやりとりをして──夕方には風呂掃除をして、夕飯の下ごしらえをして。
結局、いつも通りの一日を終えて、風呂上がりに部屋のベッドに寝転がった時。
天井をぼんやり眺めながら、ふと浮かんできたのは──白雪優奈の横顔だった。
あの真剣な表情。音楽の話をしてるときの目の輝き。
口数は多くないけど、時々見せる柔らかな笑み。
そして、誰にも心を許さなかったはずの彼女が、自分にだけ少しだけ距離を縮めてくれてる、そんな気がしたあの瞬間。
「……ったく。なんで俺、こんなに考えてんだろ」
小さく苦笑しながら、枕に顔をうずめた。
彼女の声が耳に残ってる。
彼女の言葉を、ふと思い出している。
それだけで、少しだけ胸の奥がざわついて。
「───これって、恋……なんかな」
呟いた声は、部屋の中に静かに落ちていった。
答えはまだ出ない。けど、なんとなく。
その言葉が、今の気持ちに一番近いのかもしれなかった。
──そんなふうに、俺の中で。
“誰か”を想う気持ちは、少しずつ輪郭を帯び始めていた。




