第71話 妙子さんからの詮索
海の家でのアルバイトは、思った以上に忙しかった。
席に着いたお客さんのところへ注文を取りに行き、厨房に伝える。そして料理ができたらテーブルまで配膳し、食べ終えた食器は片付けて洗い場まで運ぶ。
いわゆるウェイターの仕事だが、ファミレスのようにマニュアルが厳密にあるわけじゃない。妙子さんは「明るく元気に対応してくれたらそれで充分よ」と言っていたし、客層も大学生のグループや家族連れ、カップルが中心で、全体的に和やかな雰囲気だった。
それでも、昼が近づくにつれて客の数は増えていき……店内は一気に慌ただしくなった。
俺と信一、かるびの三人でフロアを分担して回っていく。
信一は持ち前の明るさで、すぐにお客さんと打ち解けていた。注文を取りながら世間話を交えて盛り上げるし、配膳のときも「お待たせしましたー! 太陽光とうちの焼きそば、どっちが熱いっすか?」なんていう寒い冗談を飛ばしては笑いを取っていた。
いや、そのコミュ力はマジで羨ましい。俺には到底そんな言葉など出てこない。
かるびは元気いっぱいに声を張り上げて、大学生グループに笑顔で応えていた。「お姉さん、焼きそばおかわりね! まかせて!」と、まるで友達みたいなノリでやりとりする姿は、自然とその場を明るくする。あいつ、ほんと人懐っこさが武器だな。
俺も負けてられない、と張り切るものの、なかなかあのふたりのテンションにはついていけないし、真似できるものでもない。まあ、俺は俺なりに丁寧な接客で頑張るしかないだろう。
汗を拭きながらフロアを駆け回るうちに、時間はあっという間に過ぎていった。
ふと調理場の方に目をやると、詩依が一生懸命に盛り付けや皿洗いを手伝っている姿が見えた。
髪をひとつにまとめたポニーテールが揺れ、手際よく動くその姿は、見ていてなんだか微笑ましいような、眩しいような気持ちにさせられる。
詩依と目が合って、彼女がこちらににこっと笑いかけてくれた瞬間、背中にたまっていた疲労がすっと軽くなった。
そんなこんなで、海の家の仕事も昼のピークを越えつつある頃。
ようやく客足が一段落して、俺は水を飲みに厨房裏へと戻ってきていた。
「……あいつら、元気だなぁ」
俺は店先にいるかるびと信一に視線を送り、小さく息を吐く。
一段落したかと思えば、ふたりはすぐに客引きのために店先に出ていったのだ。体力が無限すぎる。
残った俺はひとり、水の入ったコップを手に座敷へ腰を下ろした。
そんなタイミングだった。
「ねえねえ、桃真くん」
妙子さんが、にこにこしながら俺の隣にすっと座ってきた。
その表情は、どこか「待ってました」とでも言いたげな雰囲気で――何となく、嫌な予感がする。
「どういう経緯で詩依ちゃんと付き合うことになったの?」
やっぱり来た。
絶対にいつか訊かれるであろうとは思っていたけれど、案外早い。というか、詩依じゃなくて俺に来るのか。
てっきり照れまくる詩依を見て楽しむものだとばかり思っていたのだけれど。
「えーっと……」
一瞬、言葉が詰まる。
別に俺と詩依の関係にやましいことはないのだけれど、どこまで説明していいのか分からない。
ちゃんと話そうと思うと、元カノの話まで出さなくてはならなくなるし。そもそも、こういうのを詩依の親族から訊かれるのは、やっぱり緊張する。
「ほら、あの子って昔から男の子がちょっと苦手だったじゃない? だから、どうやって仲良くなったのかなーって」
興味津々といった様子で妙子さんが訊いてくる。
まあ、詩依が男子苦手なのを知っていたら、興味が湧くのはわかるけれど。
「ええ、まあ……俺、幼馴染なんで。昔から知ってたから、俺のことはそんな苦手じゃないっぽいです」
俺は厨房で働く詩依にちらりと視線を送ってから、答えた。
これは言ってもいい範囲だろう。どのみち、どういう経緯で付き合ったかと訊かれたら、答えなくてはいけないことのひとつだとは思うし。それに、俺の元カノ云々を言わなくても一番納得できる理由でもある。五年くらい空白期間があった幼馴染ではあるが、そこはまあ伏せておいても良いだろう。
「あらあらあら! 幼馴染が初カレ!? やるじゃない、もうっ。詩依ちゃんったら!」
妙子さんのテンションが急上昇した。
膝をぱんぱんと叩いてひとり盛り上がっている。
お願いですから、これ以上は深掘りしないでください。
「それで? 告白はどっちから? 最初のデートは? あ、もうそういうのも済んでるのかしらぁ?」
「──いらっしゃいませー!」
ちょうどいいタイミングで表からお客さんの声が聞こえてきたので、俺は声を張り上げた。
まるで助け舟のように、かるびがお客さんを引っ張ってきたのだ。
「俺、注文聞いてきますね!」
そのまま流れでその場を抜け出し、メニュー表を持ってお客さんのもとへ行く。
背中に感じる妙子さんの「あらあら、逃げられちゃったかー」という軽やかな声が、妙にこそばゆかった。
「かるび、サンキュ。助かった」
ちょうどすれ違ったタイミングで、かるびに言った。
「ん? 何が?」と彼女は不思議そうにしていたが、まあそれはいい。
早く気持ちを接客モードに切り替えないと。
あまり詮索されたくない話は、こうして逃げるに限る。
けれど、あんな風に誰かに聞かれる度、詩依と付き合ってるんだなぁと実感させられる。不思議な気分だけど、決して悪いものではなかった。
注文を聞いたあと、食べ終えた皿を下げて厨房に戻った俺は、そのまま洗い場へと向かった。
そこには、袖を少し捲りあげた詩依が立っていて、黙々と食器を洗っていた。今は調理の方ではなく、洗い場の方らしい。髪はひとつにまとめられ、首筋に浮かんだ汗が光っている。
あの妙子さんの問いかけがなければ、ただのバイト風景としてやり過ごせたかもしれないのに。彼女の「初カレ」「そういうの」という単語が脳裏でリピートされて、無駄に意識してしまう。
そういうのって、どういうのなんだ。範囲が広すぎるだろ。
そんなことを考えているうちに、気づけば俺の手には返却皿がどんどん積み重なっていた。
「詩依、ここに置いておくよ」
声をかけて、洗い場の脇にそっと皿を置く。
詩依はちらりと俺に目を向け、柔らかく微笑んだ。
「うん、ありがとう」
その一言に、少し救われる気がした。
このまま調理場に戻ろうとして、背を向けかけたところで、詩依の声が背中にかかった。
「あ、ねえ」
思わず立ち止まって、振り返る。
「叔母さんと何話してたの?」
何気ないようで、少し警戒したような声音だった。
どうやら、話しているところをしっかりと見られていたらしい。
「さっきから叔母さんが、すごいニヤニヤして私の方見てるんだけど……」
眉を顰めて、不安そうに言う。
妙子さんめ。今度は、俺から詩依に標的を変える気満々じゃないか。
一応、ある程度は情報共有しておいた方が良さそうだ。
「えっと……どういう経緯で詩依と付き合ったか、みたいな話。詳しいことは、何も話してないよ。幼馴染ってことは言っておいたけど」
なるべく軽く言うように心がけたつもりだったけど、どこか言い訳じみて聞こえないだろうか。それがほんの少し不安だった。
詩依は小さく息を吐いて、苦笑いを浮かべた。
「もう……叔母さんったら。ごめんね? あの人、そういう話好きだから」
曰く、これまでも会うたびに叔母さんから彼氏の有無について訊かれていたらしい。妙子さんのあのテンションを見れば、何となくわからないでもなかった。
まあ、これだけ可愛い姪っ子がいれば気になるのも仕方ない。俺だって親戚にこんな子がいれば気になる。その人がどんな男を彼氏にするのか、ということも含めて。
……あっ。なるほど。
そこで、ひとつ気付いてしまう。俺って、詩依の周囲の人からすればそういう見方をされるんだ。
「大丈夫、適当に誤魔化しとくから」
俺は襟を正す気持ちでそう答えた。
詩依の恋人として、しっかりとした振る舞いをせねば。少なくとも、隆さんと妙子さんからは、こいつが姪っ子の彼氏でよかった、と思われる程度には頑張らないと。
「ありがとう。えへへ」
俺の決意など露知らず、詩依は恥ずかしそうにはにかんだ。
その笑顔は、どこかくすぐったい。
「……どうした?」
思わず訊ねると、詩依は洗っていた皿から目を離して、俺の方を見上げた。
「ううん。何だか、こうして親戚にも桃真くんのこと知ってもらえるの、嬉しいなって」
その言葉に、不意に胸がきゅっと締め付けられる。
そんな風に思ってくれていたなんて、思ってもいなかった。
もしかすると、最初から詩依は親戚に俺を紹介するつもりで、このバイトに俺たちを誘ったのかもしれない。
それを思うと、余計にしっかりしないとと思わされた。
「じゃあ、俺の親戚にも今度紹介しないとな」
「えっ!? それはちょっと……恥ずかしいかも」
詩依が少し頬を染めて、もじもじとする。
俺をこうして連れてきておいて、何で自分は恥ずかしがるんだか。
でも、そんなところも含めて、愛おしい。
「──っと。注文呼ばれたから行ってくるわ。手、怪我しないように気を付けてな」
「うん。桃真くんも」
俺は詩依に軽く手を振ってから洗い場を後にした。
さて、もういっちょ頑張りますか。