第51話 保住パイセンと野球部の行方
詩依を花火大会に誘ってから間もなくして、期末テストの試験期間に入った。
一部の公式戦がある部活を除けば、部活も休み。この期末テストが終われば、いよいよ夏休みも目の前となって、浮足立つ連中も出てくる。
そして……その浮足立つ連中の中に、俺も入っていた。
期末テストが終われば、例の花火大会がある。さすがにこの歳にもなれば、異性とふたりで行く花火大会にどういった意味があるのかもわかっているつもりで……小学生の頃に行った花火大会とは、質も意味も何もかもが異なってくる。
きっと、俺たちの関係もそこで変わるのだろう。いや、変えてみせる。
そうした意気込みが自然と生活にも出ていて、勉強にも身が入った。
もちろん、詩依とは気まずくなるということもなくて、俺たちは普段通り。いや、少しの気恥ずかしさは、お互いあったのかもしれない。
体育祭の日を境に、学校でも俺と詩依は『そういう空気感があるふたり』として認識されるようになってしまったし、コソコソ噂話をされるようなこともあった。
やっぱりそれはこれまでの俺たちとは明確に変わるもので、どこかしらそわそわしてしまう。
もちろん男子から嫉妬や恨みは買う羽目にはなったけれど、体育祭の種目決めの時のような露骨な行動には移されることはなかった。それは、正しくあの借り物競争効果だ。
詩依はあの借り物競争で俺を選ぶことで、『理由はよくわからないがなんとなしに仲が良いふたり』ではなくて『詩依が三浦桃真を選んでいる』ということを知らしめた。ここで俺を攻撃しようものなら、それは詩依の選択を攻撃することになる──ということで、彼らはハンカチを噛んで俺を睨み付けるしかなくなってしまったらしい。詩依も体育祭の種目決めを見て、何かを思うところがあったのだろう。あの場でどうこう反論するのではなくて、行動で示すところが、何とも詩依らしかった。とりあえず……夜道には気をつけよう。うん。
色々ありつつも、そうした経緯を経て迎える花火大会。
その日に俺が何をする気なのかはおそらく詩依もわかっていて。何かが変わることはわかっているけれど、実際変われば何が変わるのかということまではまだ想像の範疇で。その日を心待ちにしつつも、でもまだこれまで通りに接さなければならない。そんな変な気恥ずかしさが、俺たちの間にはあった。
まあ、何というか……わかりやすく言うと、とにかくドキドキワクワクしている、ということだ。
そんなこんなで瞬く間に六月の下旬になった頃。信一の委員会仕事に付き合うため特別棟に向かっていると、保住の野郎がふと視界の片隅に入る。認識するだけで不快になる存在なので、普段は意識しないようにするのだけれど、今日は何となく見てしまった。
保住の野郎は、珍しくぽつんとひとりで昼飯を食っていた。それも、ただ偶然ひとりでいるわけではなくて、何となく居場所がなくてそこに身を収めている、という感じで。
いつもなら、〝野球部の天使様〟こと粗野美海だったり、部活仲間だったりと誰かしら周囲に取り囲まれているので、そうして独りでいる様が妙に目立ったというのもある。保住は、見るからに落ち込んでいた。
「野球部、一回戦敗退だってな」
俺の視線の先に気付いた信一が言った。
「あ、そうなん? それで落ち込んでんのか」
部活の実績になんて何ら興味がなかったので、初耳だった。
うちの高校は一応毎年地方大会で三回戦くらいまでは上がっていると聞いたのだけれど、今年は無念の一回戦敗退。エースとして責任を感じている部分もあるのだろうか。
そう納得しかけたのだが、信一は首を横に振った。
「いんや、違うぜ。正確に言うと、エースが出場できなかったから一回戦敗退だったんだとよ」
「出場できなかった? 怪我したとか?」
「だったら、保住パイセンのメンツも守られたんだろうけどなぁ……そんなかっこいいもんじゃないんだよ。桃真、ちょっと」
信一が俺に手で近づくよう指示してくる。
耳だけ少し寄せると、彼は声を潜めて続けた。
「例の粗野美海をラブホに連れ込もうとしたところでひと悶着あったんだとよ。で、そっから学校側に通報が入って……まあ、後はお察しってこった」
「え、マジ?」
「マジ。野球部のダチがブチ切れてた」
「そりゃあ、キレるよな……」
さすがに野球部が可哀想過ぎる。強豪校ではないなりにできるだけのことをやって挑む夏の大会の結末がそれではあまりに不本意だろう。
それに、三年生にとっては引退試合でもある。部内の痴情の縺れでエースが謹慎処分、そんな状態で最後の試合を迎えてまともに戦えるはずがない。
最悪な空気のまま敗北したせいで、エースピッチャーは一気に部員たちから見放されたということか。ざまぁないな。
「で、その〝野球部の天使様〟はどうなったん?」
粗野美海がひと悶着起こしたのは、少し意外だった。保住みたいなのと付き合うのだから、そっち方面に関しても明け透けだと思っていたのだけれど、案外ガードが固かったのだろうか?
でも、かるびの話からすると、中学の頃から男をとっかえひっかえしていたそうだし、そういう子のガードが固いとはあまり思えない。何だか違和感のある流れだった。
「責任取って退部……なんだけど、実は粗野さんの本命は大学生の彼氏らしくて実質ノーダメみたいだぜ。パイセンも何もさせてもらえてなくて、それに痺れ切らしてホテル連れ込もうとしたら拒否られてえらい騒ぎになった、って話らしい。付き合ってると思ってたのはパイセンだけで、実際はただのキープだったんだろうなぁ」
「かーッ。なんだそのミナトクジョシみたいな恋愛事情は。自分らが高校生だってこと忘れてんじゃねえの?」
理解ができなかった。保住の野郎や莉音もそうだけど、こう、何でもっとまともな付き合いができないんだか。他にやることあるだろうが。
というか、盛るにしてもせめて部活引退するまで待てよ……と思うものの、案外あいつにとってはそれが普通だったのかもしれない。莉音の時にも平然とホテルに入ってたわけだし。
「ほんとそれなぁ。痴情の縺れで部内掻き回されてエース謹慎で一回戦敗退。そりゃあ、保住パイセンは肩身ないだろうな」
「保住の野郎もだけど、〝野球部の天使様〟の名付け親にも責任を取らせた方がいい。どう見ても疫病神だろ、その子」
「言えてる。今度野球部の奴に言っとくわ」
俺たちはそこまで話してから、互いにぷっと吹き出した。
信一が呆れたように言った。
「実際こんなもんなんじゃねーの?」
「何が?」
「因果応報っていうかさ。保住パイセンも莉音嬢も、そんできっと粗野美海嬢も、たぶん皆同じようなことやって結局自分に同じようなものが返ってくるんじゃないか? 本人がそれに気付いてるかどうかはわからないけどな」
「あー……まあ、そうなのかも」
俺は小さく溜め息を吐くと、保住から視線を逸らした。
こうなってしまうと、あいつも憐れなもんだ。
高校生活で苦楽を共にした仲間たちからは忌み嫌われ、恋人には本命のオトコが別にいて、結局最後に全部失った。終わり良ければ総て良し、はその逆も然り。終わりが悪ければ、途中どれだけ楽しくても、それはきっと、良い記憶にはならない。
「そういう意味で桃真は凄いよな。莉音ちゃんのこととか保住パイセンのこととか、もっと相手を貶めて自分は潔白だって言えたのに、因果そのものを作らないために何も言わない、みたいな。こうして見てみると、それが正しかったんだって思わされるよ」
「まー、頭悪い奴にはその意味すらわかんないだろうけどな」
目の前の気持ちいいことだけを追って視野が狭い行動を取っていれば、良くない因果を量産してしまうわけで。世の中にはそれに気付かないで、恨み辛みで攻撃する人が結構いるらしい。
たとえば、俺が保住の野郎や莉音を貶めていればその一瞬は気持ちいいのだろうけど、それで得られるものはその刹那的な気持ちよさだけだ。代わりに、良くない因果や恨みが生じてしまう。俺は、そんなもの欲しくない。
「ただ、あくまでも俺はそういう考えってだけで、別にそれが絶対的に正しいとは思ってないよ」
「わかんない奴は他責思考なだけじゃないか? 誰かを悪者にして怒ってなきゃ気が済まない、みたいな。一番文句を言いたいのは、うだつが上がらない自分だろうになー」
「ご多忙なこって」
俺は肩を竦めて、苦笑いを浮かべてみせた。
人を呪わば穴二つ。誰かを恨めば、自分も誰かから恨まれる。そんな連鎖に自分から参加するほど俺は暇でもないし、馬鹿でもなかった。その先に自分の人生を豊かにするものが待っているとも思えない。
じゃあ、無視だ。やばそうな連中とは一切関わらない。それがきっと、最善策なのだと思う。
「実際、そんな大層なもんじゃねーだろ。そもそも莉音の方が何も言わなかったしな。じゃあ別に俺が何か言う必要なくね、っていう。それだけだよ」
結局のところ、それが全てだったと思う。
もし莉音の方が俺や詩依に対して何かしら攻撃してきていたら、また話は変わっていた。
でも、向こうは何もしてこなかった。せいぜい体育祭の時に恨み言だか変な当てつけだかを言ってきたくらいだ。その程度なら、ただの雑音として処理してしまえばいい。
変に関わって因果を作ってしまうことの方が、後々を考えると絶対に面倒だ。
「あ、そっか。お前はお前で、今は別の因果を作るのに必死だもんな?」
そこで、信一がにやりと笑ってみせた。
この別の因果とはもちろん、詩依との云々のことで。もちろん、こいつも俺が詩依を花火大会に誘ったことは知っている。
というか、俺は何も言っていないのに、何故かあの日の夜にはかるびと信一がそれぞれ別途で親指を立てたスタンプを送ってきた。多分、詩依がかるびに言って、それが信一にも共有されたのだろう。もちろん、そのスタンプは無視してやった。
「うっさい、ほっとけ」
「ぎゃっはっは。照れんなよ、桃真!」
悪友が楽しそうに俺の背中をバシバシと叩いてくるので、ローキックで反撃してやった。
うん。俺は、こういう日常でいい。痴情に縺れた日々なんてまっぴらごめんだ。
改めて、そう思わされた瞬間だった。




