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第5話 幼馴染が、わからない。

 風呂から上がると、そこには雪村家が普段使っているであろう淡いパステルカラーのバスタオルと、比較的新し黒いシャツとトランクス、そして黒いスウェットが綺麗に畳まれていた。

 着るものは男物だというのがわかるのだけれど(たぶんおじさんのものだ)、バスタオルがどうにも女物っぽい気がしてならない。

 えっと……? まさか、詩依が普段使っているやつじゃないよな……?

 そんなことを考えながら、頭や身体を拭いていく。

 うわ、めっちゃ良い匂いするんだけど。なんだか俺なんかが使ってしまって良いのだろうか、と不安になってくる。

 ……もし、詩依が使ってるやつだったらどうしよう?

 一瞬想像して、顔が熱くなった。

 だめだ、邪な考えは捨てろ。お前今失恋したばっかなんだぞ。

 何を初恋相手のバスタオルを使ってるかもしれないだなんて理由で照れているのだ。


「……初恋、か」


 そこでふと冷静になって、傘を翳してくれていた詩依の表情を思い出す。

 あの時、詩依はとても辛そうな顔をして俺を見ていた。

 あいつはどうしてあんな顔をしていたんだろうか? どうしていきなりこうも親切にしてくれるのだろうか? さっぱりわからない。

 そもそも、俺の初恋って何で終わったんだっけ?

 今こうして思い返していても、明確にいつ終わった、という区切りはなかったように思う。

 でも、何となく……初恋が薄まっていった感覚は覚えていて。

 中学に上がってからクラスや部活が違ったことで詩依との接点が極端に減ってしまったというのもあるのだけれど、それだけが理由ではなかった。詩依が男子から急激に人気を集めるようになった、というのも大きかったと思う。

 あの通り、彼女は清楚華憐という言葉が似合う女の子だ。中学に上がってから、尋常じゃなくモテ始めた。

 それはもしかすると、近くに俺がいなくなったというのも影響していたのかもしれない。小学生の頃はずっと俺と一緒に居たし、そもそも詩依も俺以外とは話さなかったから、他の男子が寄り付くことはなかった。

 しかし、中学に上がって俺が傍にいなくなってから、急にハイエナのように男どもが詩依に群がっていっていたのは覚えている。

 同じ学年の可愛い子として名前が常に上がっていたし、所謂イケメンと呼ばれているハイスぺ男子たちが、彼女に好意を抱いているという情報が俺にも入ってくるようになっていた。

 そんな様子を遠目に見ているうちに、俺は自信を失っていった。

 自信喪失に加えて、疎遠にもなっていったこともあって……いつしか、俺は初恋を過去のものとして処理するようになったのだ。何となく詩依がその場にいれば意識はしてしまうけれど、それ以上でもそれ以下でもなく、〝昔よく遊んだ他人〟。そうカテゴライズすることで、初恋を忘れた気になっていた。

 だから……正直、二年になって同じクラスになったのはちょっとキツかった。

 今でも詩依は学年、いや学校でもトップクラスの美少女として名高い。クラス替えの際も、同じクラスの男子は皆『やった、雪村と同じクラスだ!』とはしゃぐほどだった。きっと、俺も全くの他人なら同じように喜べたのだと思う。

 でも、そうではないわけで。意識しないようにしていてもやっぱり詩依とは目が合ってしまうし、どうしても気まずいものがあった。

 ただ、その時には俺の隣には莉音がいた。莉音がいてくれたことで、そういった初恋をあまり意識せずに済んだというのもあったのだが──。


「はあ……だから、もういいって」


 莉音の名前と顔を浮かべるだけで、溜め息が漏れて気持ちも陰鬱になる。

 その莉音もいなくなってしまって、俺はどうやってこの状況と向き合えばいいのだろう?

 そんな気持ちを誤魔化すように、着替えていく。さすがに顔も知っているおじさんのパンツを履くのは抵抗があったが、直にスウェットを履くわけにもいかない。気合を入れて、一気にがばっと履いた。

 ……洗い立てなのに、何で他人のパンツってこうもむずむずするんだろうな?

 どこかの偉い人、論文に書いてくれ。そんなどうでもいいことを考えて、失恋を意識の外へと追いやっていく。

 脱衣所から出ると、台所では詩依が料理をしていた。

 制服に、髪を結んだエプロン姿。なんだその破壊力の高い組み合わせは。この姿を見てると知られたら、同じ学校の男子に殺されてしまうのではないだろうか。


「服、お父さんので大丈夫だった……?」


 こちらに気付いて詩依が振り返り、おずおずと訊いてくる。


「あ、えっと。全然大丈夫、デス。サイズもぴったりだし。ありがとう、助かりました」


 どう話せばいいのかわからなくて、よそよそしい上に何故か変な敬語になってしまった。

 昔、どうやって詩依と話してたっけ? 小学校の頃の記憶を遡ってみるも、外見が変わり過ぎてしまっていて、どうにもしっくり来ない。いや、まあそれはお互い様なのだろうけども。

 詩依がそんな俺を見て、くすっと笑った。


「……どうした?」

「ううん。お父さんの服を桃真くんが着てるって思うと、何だか可笑しくて」

「変に意識させないでくれ。今、ちょうど股間のあたりがむずむずしてるんだ」


 そう返すと、詩依は「あっ」と声を上げて、恥ずかしそうに顔を伏せた。

 あ、やべ。やらかした。ちょっとシモっぽいネタになってしまった。これはまずったかもしれない。

 そう思っていると、彼女は俺の腰あたりをちらちら見て、どこか言葉を選ぶようにして言葉を紡いでいく。


「えっと、その……パンツ、なんだけど」

「はい?」

「やっぱりまずかった……? 私、男の人の下着なんて全然わからないから、桃真くんが履いてたのと似てたやつ選んだんだけど……他にも種類あったから、不安で」

「え? あー! ごめん。全然そういう意味じゃないよ。俺もトランクス派だから、そこは全然大丈夫」


 俺がむずむずするとか言ってしまったから、別の方向に解釈されてしまったらしい。

 詩依は「そっか」と顔を赤くして、それを隠すようにまた料理を再開した。

 何だか、申し訳ないことをしてしまった。というか、この子は何でそこまで気遣ってくれるんだろう? おじさんの下着入れを開いて、どれがいいのか悩んでくれたのだろうか。その姿を想像すると、申し訳ないと同時にちょっと笑ってしまった。

 適当でいいのに、そういうところまで真面目に向き合うのは、昔からちっとも変わっていない。

 ふとリビングの窓際を見ると、俺のブレザー制服が上下別々で陰干しされており、その下には扇風機が掛けられている。水の滴り具合からして、まだまだ着れる状態ではなさそうだ。

 ドラム式洗濯機も回ったままだし、シャツや下着も返ってきそうにない。

 というか……冷静になって考えてみると、俺のパンツも洗濯機に放り込んでくれたんだよな。嫌じゃなかったのかな?

 女子って、父親とかでも同じ洗濯機で洗うの嫌がるっていうけれど。


「あ、まだ少し時間掛かるから、テレビでも見てて。サブスクも自由に見てくれていいから」


 詩依がリビングのテーブルからチャンネルを持ってきてくれた。

 まだ若干気まずいようで、その表情もどこかぎこちない。


「……お、おう。ありがとう」


 俺も相変わらずのぎこちなさでチャンネルを受け取って、テレビをつけた。

 とはいえ、テレビなんて普段から見ないし、何を見ればいいのかわからない。

 とりあえず、画面をUtubeに切り替えてみた。

 ホーム画面が表示されると、料理チャンネルやら犬猫の動画、風景やらオシャレな動画ばかりが並んでいた。

 うわー、全然俺のホーム画面と違う。他人のUtubeのホーム画面ってその人らしさが出るよなぁ。

 などと思って画面を下の方にスクロールさせていくと……何故かストリートオブファイターズ6(通称スト6)のコンボ集動画がちらりと映り込んだ。


「……あれ?」


 おじさん、ゲーマーだっけ?

 あんまりおじさんがゲームをしている印象はなかったのだけれど、この部屋にくるのも五年以上ぶりだ。おじさんの趣味が変わっていても不思議ではない。

 ストリートオブファイターズ6とは、大人気格闘ゲームの第六弾。うちの親世代の頃から続いていて、今なお世界的な人気を誇るシリーズだ。

 俺も、物心ついた頃からこのシリーズのゲームを嗜んでいる。

 どんな動画見てるんだろう? ちょっと気になる。見てみようかな?


「……いや、やめとこ」


 よくよく考えれば、Utubeのホーム画面は結構なプライベート空間だ。あんまりこうやって覗き見るのもよくない気がして、適当にニュース番組に変えておいた。

 ソファーに腰を掛けて、スマホに視線を落とす。

 LIMEを開くと、トーク一覧一番上に莉音の名前が表示されていた。

 莉音とのトーク画面を開き、メニューボタンをタップ。それから……ブロックボタンに指を伸ばした。

 ここを押してしまえば、もう莉音との関わりは終わる。

 押せ。押してしまえ。あんな浮気糞ビッチ、とっとと関係を終わらせてしまえ。

 そう思うのに──


『桃真、好きだよ』

『えへへ。ファーストキス、桃真に奪われちゃったね』

『もう一回、してみる……?』


 初めて彼女とキスをした時のことを思い出してしまって。

 思わず、目頭が熱くなってしまった。

 あー……ダメだ。これは、よくない。

 名前を見るだけで、思い出がフラッシュバックして、『なんで』という気持ちにさせられてしまう。

 結局ブロックできないままトーク一覧に戻し、母親に夕飯は外で食って帰るとだけ送ってから、電源を落とした。

 見たくもないニュースを視界の端に入れつつ、久々に入った雪村家のリビングを見回した。

 同じマンションだから、部屋の間取りは当然同じ。それなのに、まったく違う部屋にいるのだから、何だか変な感じだ。

 ……昔、よくここにも遊びに来てたっけ。うちにも来てたよな。

 小学校に上がるかどうかくらいの頃まで、おままごとに付き合わされて退屈していた記憶も微かながらに残っている。確か、部屋の隅らへんでおままごとに付き合わされていた。

 小学生に上がってからは、よく詩依ともゲームをするようになった。たまに、俺が男子の友達と遊んでいると、彼女はどこか寂しそうにしていて。そんな彼女を見ていられず、俺はいつも途中で切り上げて、一緒に帰って遊んでいたのだ。

 そうして過去に思いを馳せることで現実から逃避していると──詩依がリビングの方に戻ってきた。


「ご飯、もうちょっと待ってね。今煮込んでるから」

「あ、うん……おっけ」


 あの時の詩依とならいくらでも話せる気がするのに、高校生の彼女とは何を話せばいいのかわからなかった。

 同じ学校で、同じクラスで、共通の話題なんていくらでもあるのに。

 そう思っていると、詩依はテレビの下の棚から何かを取り出した。

 そして──


「ゲーム、する?」


 スチャッと構えるようにPS5の6ボタンゲームパッド(コントローラー)で口元を隠し、目だけこちらに向けて遠慮がちに訊いてくる。


「…………」


 ……ダメだ。

 幼馴染が何を考えているのか、本当にわからない。



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