第32話 デート(?)
一夜明けて──土曜日の昼。
俺はひとり駅に向かい、電車に乗っていた。
待ち合わせ場所は、俺と詩依が住む町の最寄り駅から四駅ほど先にあるショッピングモールの入り口にある時計台。映画のチケット予約は既にネットで済ませてある。上映は十三時からなので、待ち合わせ時間は十二時四十五分とした。
同じマンションに住んでいるのに、どうしてわざわざ現地集合なのか?
これに関してはもう〝念のため〟としか言えない。
かるびの発案により〝イツメン〟が結成されて、既に二週間と少しが過ぎた。だいぶ詩依が男子──俺と信一──と一緒にいることに周囲が慣れたとはいえ、まだたった二週間だ。まだ信一なんかは『何でお前が!』と他クラスの友人からネチネチ言われているそうだし、俺も含みのある視線を受けている。
完全に受け入れられているとは言えないし、詩依に振られた連中からすれば納得できないことも多いだろう。そして、きっとそこには俺が莉音と別れたばかりという別の要素も加わっている。
今のところ、莉音が何か動いたり、例の保住から俺が何か言われたりやられたりといったことはない。意外なほどに、静かだ。
もちろん、保住と学校ですれ違うことなんかはあるのだけれど、これもまた〝イツメン〟に助けられていた。俺たちとすれ違うと、むしろ向こうの方がぎょっとしていたのだ。その理由はもちろん……学校一の美少女こと雪村詩依が一緒だからだろう。自分が女を寝取ったと思ったら別の女──しかも学校で評判の──が一緒にいるとなって、向こうも理解が追いつかないのかもしれない。
まあ、それは俺が莉音と別れたことを知っている人も全員同じなのだろうけど。あとは、夏の大会が迫っていることもあって、野球部の練習がきつくて俺にちょっかいなど出している余裕がないのかもしれない。どのみち、何もしてこないのであれば、もうそれでよかった。次はたぶん、俺も手が出てしまう。
気になっていることと言えば、その保住が莉音と付き合っているという話がないことだった。
あれから二週間経って、もう大々的に付き合っていると公言しても問題ないはずなのに、どうして伏せているのだろう? 向こうが俺たちのことをわからないように、俺も向こうのことがわからなかった。これに関してはお互い様だ。
ただ……最近ちらりと見る莉音は、どこか浮かない。付き合っていた時より独りでいる時が多いイメージだし、何だか陰鬱な雰囲気を纏っているように思えた。案外、保住の野郎と上手くいっていないのかもしれない。
いや、どうだっていいか。もう俺と莉音は終わった関係だし、それは彼女が望んだことだ。俺から追うこともなければ、関わることもない。なぜなら──
「あっ……」
待ち合わせ場所が見えてくると同時に、わざわざ探すまでもなく、一瞬にして人目を惹く女の子が視界に入った。
まるで天使のように白い女の子が、モール入り口にある時計台の近くで佇んでいた。どこか恥ずかしそうにもじもじとしながら、小さなキルティングレザーバッグの取っ手部分を爪でかりかりと削っている。
詩依は白い無地のボタンデートワンピースを纏っていた。ハイウェストで締められたベルトが、彼女の身体のラインの細さを際立たせている。ポロネックになっているせいか、どことなく大人っぽい雰囲気すら感じさせられた。多少透け感もあるけども、それは決して下品なものではなくて、彼女の雰囲気も相まってより清楚さを強めている。
遠くから見ても、一瞬で目を奪われて釘付けになってしまった。それほどまでに詩依は美しかったのだ。
何も、詩依の私服を見るのは初めてじゃない。昔は散々見ていたし、最近だってうちに夕飯を食べに来る時は大体私服で、もう見慣れているはずなのに……外行きにお洒落をしているだけで、全然破壊力が違っていた。普段の落ち着いた服装も好きだけれど、これはあまりに強力すぎる。
その可愛さを象徴するように、周囲の男達も彼女に視線を送っていた。
変な奴にナンパされる前に急がないとと思ったところで、詩依が俺に気付いて嬉しそうに顔を輝かせた。小さく手を振ってから、小走りで俺のところまで駆け寄ってくる。
その刹那、周囲の空気が一瞬ざわついた気がした。すぐに逸らされた視線が、その理由を物語っている。
危ない。俺があと少し来るのが遅かったら、ナンパされていたところだった。
「あ、悪い。待たせたか?」
「ううん。今来たところだよ」
俺の懸念など全く気付いていない様子で、彼女はまるで花を咲かせたみたいにしてはにかんだ。
「今来たところって……」
ちらりと時計台の時計を見てみると、まだ待ち合わせの十分前だった。
俺よりも一本早い電車に乗ってきたということになるわけだから、少なくとももう十分以上待っていることになる。
こんなところでひとりで待っていたら、それこそ声を掛けられても不思議ではない。
もうちょっと自分が異常なほど可愛いということに自覚を持ってくれ。まあ……声を掛けられたところで気まずいオーラ全開になって会話が成り立たないのだろうけども。
「いや、めっちゃ待ってないか? 連絡くれたらいいのに」
「私が勝手に早く来ちゃっただけだから」
詩依はどこか照れ臭そうに言って、小首を傾げた。
ちくしょう。可愛すぎかよお前。
たかが映画なのに。そんなに楽しみにしたって、中身も上映時間も変わらないのに。
でも……ただ俺と映画に行くだけなのに、そこまで楽しみにしていてくれたのが、素直に嬉しかった。
「じゃあ、そろそろ行くか。もう開場してるだろうし」
「うんっ」
モールに入って、入り口付近にあったエスカレーターに乗った。
映画館はこのショッピングモールの三階の一角にあって、大体いつも最新の映画を上映してくれている。いつも映画を見る時は大体ここだ。
下りエスカレーターに乗っている男連中が大体詩依に目を引かれているのが何だか面白い。二度見している人もいたくらいだ。まあ、こんだけ可愛けりゃ見てしまうよな。
詩依はこういった視線を感じているのだろうか? それとも、見られ過ぎてもう慣れっこなのかな。
「映画、前もここに見に来たことあったよね」
すれ違う男たちの視線など全く気にした様子もなく、上の段にいる俺を見上げて言った。
何だか、俺しか見ていないって感じがしてちょっと調子に乗ってしまいそうだ。
「あー、あったな。あん時は何見たんだっけ? あ、ピタモンの劇場版か」
「うん。私が見たいって言ったら、桃真くんも付き合ってくれて。あの時はうちのお父さんが付き添ってくれたんだよね」
「……思い出した。確か、ラストで親父さんが大号泣したんだよな」
「そう! 私も泣きそうだったのに、隣でお父さんが大泣きしてて、びっくりしちゃった」
その時のことを思い出し、ふたりでくすっと笑い合う。
毎回ピタモンの劇場版は泣かせに来るというけれど、詩依の親父さんに刺さったようで、もう周囲が引くくらいの大号泣。俺も内容が全部すっ飛んでしまっていて、詩依がわたわたと親父さんの背中を擦っていたのを覚えている。
……あの時は親が同伴しなきゃ何もできなかったのに、今は自分たちだけで映画にも来れるんだな。
それを思うと、感慨深い。あの時できなかったことが、今はもっとたくさんできるようになっていって。その逆に、できないことも増えていくのだろうか。
三階まで吹き抜けになったモールのエスカレーターを上りきると、すぐにシアターゾーンが目に飛び込んできた。
光の粒が流れるように動くデジタルサイネージ、色とりどりのポスター、そして映画のタイトルが並ぶチケットカウンター。そこには非日常へと続く入り口が、当たり前のような顔で口を開けていた。奥へ進むたびに、人のざわめきと甘いポップコーンの香りが混ざって、胸の奥がほんの少しそわそわする。
ちょうど詩依も同じことを思ったのか、フードカウンターの方を見て言った。
「あ、ポップコーンとか買いたいな。桃真くん、食べる?」
「食う食う。映画館と言えばだよな。詩依は何味派だっけ?」
「キャラメルポップコーン、かな。普段は塩味なんだけど、映画の時はついキャラメル味選んじゃう」
「それ、何かわかるかも」
そんなどうでもいいことを話しつつ、WEBチケットの発券を済ませてからフードカウンターにふたりして並ぶ。
悩ましげにメニューを眺める詩依は、それだけでどこか楽しそうで。一緒にいる俺もただ並んでいるだけなのに楽しくなってしまう。
こんな気持ちで並ぶのは……きっと、小学生の頃にはできなかった。
 





