第31話 テストが明けて
最後のチャイムが鳴った瞬間、教室に張り詰めていた空気がふっと緩んだ。
ペンを机に置く音。イスを引いて立ち上がる音。一斉にあちこちから安堵の気配が溢れ出して、教室は途端にざわざわと騒がしくなっていく。
数日ぶりに響く笑い声や、「あー終わったー!」という叫び。
もう誰も席にじっとしてなんかいない。テスト用紙を片付けるより先に、隣の奴と問題の感想を語り合い、答え合わせで一喜一憂していた。
今さら答え合わせしても意味ないのに、どうして人はそんなことをしてしまうんだろうか。あんなの、自分の間違いを確認して凹むだけなのに。
ふと見れば、後ろの席のふたりは早くもお喋りに花を咲かせていたし、廊下では運動部のやつらがテンション高めに週末の予定を話している声が聞こえる。
いつもの教室が、いつも以上に開放的で、ちょっとだけ明るく見えた。
中間テスト、終了。その事実が、空気そのものを軽くする。
そして、その解放感に見舞われているのは、何もクラスメイトだけではない。俺も同じだった。
筆箱をカバンの中に放り込んで、大きく伸びをする。首と肩がゴリゴリに固まってて、バキバキと音が鳴った。数日分の疲労がじわじわと浮き上がってくる。
「最後の数学応用死んだ~」
「あんなの習ったっけ? 難過ぎたんだけど」
教室内からは、そんな嘆きが聞こえてきた。実際に数学の応用テストは今回かなり難度が高かったので、結構な割合の人が爆死したのではないかと思われる。しかし、生憎俺はというと──。
ちょうど席から立ち上がった詩依と、目が合った。
彼女は控えめな笑みを浮かべて、ほんの少し首を傾ける。
『読み、当たったね』
きっと、そんな感じの意図が含まれた笑み。
そう……周りが阿鼻叫喚に包まれる中でも、俺たちふたりの手応えはばっちりだった。昨日、しっかりと今日出題された箇所については復習していたのだ。俺たちはふたりで勉強する際、『ここが出そう』といった具合にヤマを挙げ合って、そこを重点的に補強していた。そのお陰で、大体の箇所は抜かりなく網羅できている。
というか、全般的に今回の中間テストは手応えが良い。それもそのはずで……あの勉強会以降、俺は学年でもトップクラスの学力がある雪村詩依と、ほぼほぼ毎日一緒にテスト勉強をしていたのだ。
『また、一緒に勉強しよ……?』
詩依のあの言葉によって、俺たちは一緒に勉強する大義名分を得たし、住んでいるマンションも同じ。しかも、お互いに学校から帰って以降、親がいないタイミングがある。示し合わせたように、その時間帯は一緒に勉強するようにしていた。
さすがにお互いの部屋で勉強すると、ベッドが視界にチラチラ入ってくる分変な方向に意識がいってしまうので、勉強はリビングでしていたのだけれど。もちろん、関係の進展もないし、最初の勉強会の時のような事故も起こっていない。
「いよっしゃ~~終わったッ! 打ち上げしようぜ打ち上げ!!」
教室のざわめきを切り裂くように、信一の大声が俺の鼓膜を貫く。
伸びをしたところに信一のバカが肩を組んで耳元で叫んだものだから、耳の奥がキンとした。
「あんたさ~……切り替え早すぎでしょ」
俺の声を代弁してくれたのは、かるびだ。
かるびと詩依も呆れた笑みを携え、俺の席に集まってきた。
「そりゃ切り替えるだろ! 切り替えなきゃ損だぜ? せっかく地獄の期間が終わったんだからな」
「松野、言うほど勉強してないでしょ」
「そうだけど! でも、そういう雰囲気とか気分って大事だろ!?」
早速信一とかるびの漫才が始まった。
この漫才に関しては、テスト期間の有無に問わず開催されていたので、特に新鮮味はない。ただ、テストが終わって気分が開放的になっているせいか、その漫才に何故か癒されている自分がいた。日常が戻ってきた、という感覚だろうか。
「よし、諸君。明日は土曜日だ。言いたいことは、わかるかね?」
信一がごほんと咳払いをして、何だか仰々しい雰囲気で言った。
当然、俺たち三人は顔を見合わせて首を傾げる。
「打ち上げだよ、打ち上げ! せっかくテスト終わったんだし、明日四人で遊びに行こうぜ!」
テンション高めに提案する信一に、かるびも「おお、いいね!」と手を叩く。
「あー……イツメンってことは、俺たちも?」
「もちろんだ! 皆で一日中楽しくぱぁ~っと遊ぼうぜ!」
信一が瞳を輝かせた。このひと時のために嫌なテスト期間を乗り越えた、とでも言わんばかりだ。
明日ってのは、まずいんだよなぁ……。
ちらりと詩依の方を見ると、彼女もこっちを見ていて、目が合った。互いにバツの悪い表情を浮かべている。
「あー……俺は、その、うん、なんだ」
「えっと……私も」
気まずそうに、俺と詩依は視線を逸らし合う。
信一は俺たちの反応を見て怪訝そうに首を傾げたが、そこでかるびが顎に手をやり「ははーん」とでも言いたげに、にやりと笑った。
「松野、ごめん、打ち上げはまた別の日にしよ! 明日、あたし予定あったんだった」
「え、マジかよかるび! お前が土曜日に予定があるなんて……そんなことがあるはずがッ」
「あんた、バカにしてんの? まー、そんなわけだから、明日は諦めなさい」
「ちぇっ。しょーがねえなぁ……じゃあ、また皆の予定空いてる日で都合つけて遊ぼうぜー」
信一はどこか拗ねた様子で自席に帰っていった。
すると、かるびは俺たちの方を振り返って、ぱちっとウィンクする。
「こんな感じでどう?」
「……助かりました」
俺は首を垂れて、礼を言う。
見抜かれてしまった上にフォローまで入れられてしまったのだから、もう認めざるを得ない。
「にしても、やるじゃん三浦くん。頑張りなよ~?」
かるびは悪戯っぽい笑みを浮かべると、俺の脇腹を軽く肘で突いた。
それから詩依に「しーちゃんも、お土産話楽しみに待ってるからね?」とひと言だけ声をかけ、ひらりと自分の席へと戻っていく。
別に頑張るも何もないんだが、反論する前に帰られてしまった。
にしても、言うなよなぁ……絶対からかってくるだろ、あいつ。
隣の詩依にじとっとした視線を送る。
「わ、私、何も言ってないよ?」
詩依が慌てて否定した。
ということは、さっきの俺たちの雰囲気から一瞬で察したのか。
前の時もそうだが、かるびは意外に洞察力が高い。アホっぽく振舞っているが、地頭は良いのだろう。信一と違って。あいつは本当にアホだ。
「それならいいけど。えーっと、じゃあ……待ち合わせ場所とか時間は、またLIMEで」
「う、うん」
ちょうどそんな言葉を小声で交わしたところで、HRを知らせるチャイムが鳴った。
そう……テスト明けの土曜日は、詩依と例の映画を見に行く約束をしていたのだ。




