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第29話 ふたりが帰り、ふたりが残る。

 最初の三〇分はともかく、あの後は案外ちゃんと集中できていた。小競り合いの末に空気が和らいで、皆の集中力が戻ったからかもしれない。

 そんな中、かるびがふとペンを置き、伸びをしながら時計をちらりと見た。


「……あ、もうこんな時間じゃん。やば、そろそろ帰らなきゃ」


 その言葉に、俺も詩依も信一も同時に壁のデジタル時計を見上げる。八時前。知らない間に結構いい時間になっていた。

 かるびは電車通学なので、うちから一番離れている。これから駅まで行って電車に乗ってと考えると、帰るのは九時を回るだろう。確かに、そろそろ帰った方が良さそうだ。


「んじゃ、俺も一緒に帰ろうかな。駅までかるび送ってくわ」

「あ、いいの? サンキュー」


 信一が何気ない口調で言って、後片付けを始めた。勉強用具をスクールバッグの中に仕舞いつつ、「いやー、勉強したわー」なんて嘘くさいことを言っている。

 かるびも笑いながら「松野、後半ぼけっとしてて、全然集中してなかったでしょ」とツッコミを入れていた。

 そのやりとりに、俺と詩依は目を合わせて微かな笑みを交わす。

 信一の集中力は、かるびの言うように随分前から切れていた。それでも今まで頑張っていたのは、もしかすると、かるびを送っていくためだったのかもしれない。

 信一のやつめ。俺と詩依のためだとか言っていたくせに、案外こいつはこいつで自分のために俺たちと一緒にいるのかもしれない。

 ふたりの帰りの準備が整ったので、玄関まで見送ることにした。

 皆が来た頃には母さんもいたのだが、今日はパートなので、リビングも廊下もしんと静まり帰っていた。

 

「三浦くん、本日はお邪魔しました!」

 

 玄関で靴を履くと、かるびが大袈裟に敬礼をした。

 それからちらりと詩依を見て……何故か意味深な笑みを浮かべる。詩依は何だか照れたように、慌ててかるびから目を逸らしていた。

 ん? 何だこのやり取りは?


「今日は場所貸してくれてサンキュな。余ったお菓子は処理しといてくれ」

「おっけ。まあ適当に摘まんどくわ」

「次はテスト明けの打ち上げでもしようぜ!」


 信一がちゃっかりとフラグを立てていく。

 まだテストは先だし、まだまだテスト試験勉強期間もあるのだけれど、まるで今日がテスト前最終日みたいな言いようだ。


「まあ、打ち上げが葬式にならないように、ちゃんと勉強しなきゃな」

「縁起の悪いこと言うなよ!」

「縁起の良し悪しじゃなくて、松野の場合は割とあり得る話なんじゃない?」

「甘いな。たとえ赤点を取ったとしても、打ち上げは存分に楽しむのがこの俺だぜ!」


 信一が俺たちに親指を立てて見せた。

 決して威張ることではないのだけれど、信一のこの楽観さは少し見習うべきところもある。どれだけしんどくても、人生は楽しんだ奴が勝ちだ。


「じゃあ、また明日なー」

「ばいばーい」


 玄関扉を開けて外に出たところで、ふたりが俺たちに向かって手を振って、扉を閉めた。

 しん、と静けさだけが玄関に残る。

 どちらともなく踵を返し、リビングを抜けて再びふたりで自室へと戻った。

 詩依は先ほどと同じところに座って、シャーペンを握る。

 ……あれ? 詩依は帰らないのか?

 もう母さんもパートに出てしまっているので、てっきりふたりが帰ったタイミングで帰るのだと思っていたのだけれど。

 このままだと、また前の夕飯の時みたいにうちでふたりきりになってしまう。

 気まずさを誤魔化すように、俺は軽く咳払いをした。


「えーっと、詩依」

「……ん?」

「もうおばさん帰ってくる頃じゃなかったっけ。続き、どうする?」


 声をかけながら、自分でも情けないほど動揺しているのが分かる。

 ふたりきりになってから、急に部屋の空気が変わった。さっきまでの賑やかさが嘘のように消えて、静寂がじわじわと広がっていく。

 詩依が俺の部屋にいて、しかも今このマンションの一室には親もおらず、完全にふたりきりの空間。

 この前の夕食の時より気まずいのが……ふたりきりの空間が、リビングではなく俺の部屋であるということだ。すぐそこには、俺がいつも寝ているベッドがある。

 男女がふたりきりでベッドがあって……当然何も起こるはずがないとわかっているけれど、この一瞬で色々な妄想をしてしまうのが健全な男子高校生というものだ。変な気など起こすつもりはなくても、それでもやっぱり意識してしまう。

 詩依は、俺の言葉に反応を見せたけれど、すぐには答えなかった。少し俯き加減になって、何かを迷っているように見える。

 やがて、ぽつりと小さな声で口を開いた。


「……もうちょっとだけ、勉強していこうかな」


 その言葉は、どこか遠慮がちで、緊張していて、それでも一歩だけ踏み出すような響きを帯びていた。まるで、自分でも戸惑いながら、でも帰りたくないという本音が漏れてしまったような、そんな声音だった。

 その言葉に、胸がどくんと鳴る。

 嬉しいような、照れくさいような、でもどこか信じられないような気持ちだ。

 残るのかよ。俺と、ふたりきりなのに。

 ……いやいや、調子に乗るな。落ち着け俺!

 一瞬で色々と妄想が捗りそうだったので、慌てて待ったを掛ける。ただキリのいいところまで勉強したかっただけの可能性もあった。ここで調子に乗ってやらかせば、せっかくまたこうして仲を戻せたのに、全てが無に帰してしまう。


「そ、そっか。じゃあ、もうちょっとテス勉頑張るか」

「……うん」


 何とか平静を装って返すと、詩依は顔を上げて、ほんの少し照れたようにはにかんだ。

 その笑顔に、また心臓が跳ねる。

 こうして、ふたりきりの勉強会が──始まった。

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