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第27話 その涙を拭って。

 かくして、映画『カーテンの向こうで、君を見ていた』が始まった。

 この映画はラストは感動的との評判なのだが、序盤はよくあるホラーサスペンス風だ。

 都会の片隅にある古びたアパートに引っ越してきた青年が、夜な夜なカーテンの向こうに〝視線〟を感じる──そんな不穏な始まりに、詩依は序盤からクッションを手放せずにいた。

 恐怖を煽るような演出が上手く、主人公の視線、カメラワークなどでぞくりとさせられる。また、音の使い方がまた絶妙で、沈黙のあとに一音だけ、ぴしりと床が鳴る音や水道のしずくがぽちゃんと落ちる音が、心臓に妙な圧をかけてくる。

 詩依も、そのたびにびくっと小さく肩を跳ねさせていた。咄嗟にクッションで顔を覆って隠れるところなんかは見ていて可愛いのだけれど、ちょっと心配になる。


「ほんとに大丈夫か?」


 念のため、確認をしてみた。


「う、うん……たぶん」


 詩依は頷きつつも、画面に目が釘付けだ。

 怖がっている割にしっかりと物語に入り込んでいるらしい。いや、入り込んでいるからこそ怖いのだろうか。

 なんで、こうも可愛いかな……。

 一挙手一投足全てが可愛く思えて、思わず口元が緩みそうになった。

 詩依は大人しくて引っ込み思案な性格なのだけれど、実は好奇心も結構ある。興味を惹かれたら、ちゃんと向き合うのだ。

 こうして怖いながらに映画をちゃんと見ているところを見ると、そういうところは昔から変わっていないんだなと思わされた。もしかすると、スト6への向き合い方も好奇心から来ているところがあるのかもしれない。


「ひゃっ」


 詩依が小さく悲鳴を上げて、俺の袖を摘まんだ。

 俺の腕に身を寄せて、いつの間にか身体もぴったりとくっついていた。触れているのは長袖越しなのに、妙に彼女の体温を感じてしまい、俺の身体全体が火照ってくる。

 ちらりと横目で彼女を盗み見ると、こちらには見向きもせず、画面を食い入るように見つめていた。どうやら、この密着具合に詩依本人は気付いてないらしい。

 とはいえ、そんなスキンシップに俺の方が過剰に反応してしまっているあたりが、何とも情けない。でも、これは仕方ないと思うのだ。

 隣にこんな可愛い女の子がいて、それが好きな人で、しかも初恋の人でもあって、そんな子がぴったりくっついてきて冷静でいろって方が無理だ。物語の怖さよりも、むしろ詩依のその仕草ひとつひとつに心拍数を上げられている気がする。

 中盤を過ぎたあたりから、映画の雰囲気は少しずつ変化していった。青年が記憶の中で断片的に思い出す〝少女〟の姿。最初は赤の他人だと思っていた少女が、実はかつて自分が引っ越してくるよりも前、幼い頃に住んでいた街で出会った〝友達〟だったことが明かされた。物語は、単なるホラーではなく、失われた記憶を手繰り寄せる旅になっていく。

 少女が残した〝ある約束〟。


『ちゃんと覚えててね?』


 そう言って笑った少女の記憶が、青年の中に少しずつ蘇ってくる。

 なるほど。本当に前評判通り、ただのサスペンスじゃなかった。恐怖の裏に、哀しさが潜んでいたのだ。

 主人公は少女との約束を忘れていたことを悔やみ、そして、その約束を守るために行動を起こす。カーテンの向こうにいたのは、幽霊ではなく想いだった。

 終盤、主人公が最後の記憶を取り戻し、少女が姿を見せる。

 声も手も届かない。けれど、確かにそこにいて、少女は微笑んでいた。


『ありがとう。約束、守ってくれたね』


 そのセリフに、詩依が隣でそっと洟を啜る音が聞こえた。

 そちらに目を向けると、彼女は静かに泣いていた。泣き声は出さずに、でもぽろぽろと涙を流す。

 何かに耐えるように、クッションを抱きしめる腕に少しだけ力が入っていた。それを見た瞬間、胸の奥がぐっと締めつけられるような感覚に襲われた。

 そこで場面が変わって、はっとして視線をテレビへと戻す。

 ラストシーンで、青年は少女との最後の記憶の場所に立って、慟哭を上げていた。

 その瞬間ふわりと風が吹き、カーテンが優しく揺れる。

 画面がゆっくりと暗転して……エンドロールが流れ始めた。

 数秒の静寂。エンドロールの最中、俺たちは茫然と動けずにいた。

 隣を見ると、詩依の頬はまだ涙で濡れていて。ふと彼女が、こちらをゆっくりと向いた。

 その拍子に頬に新たな涙が伝って……その涙を見た瞬間、再び俺の胸がぎゅっと締め付けられるような痛みに襲われた。

 ……ほんと、ずるいな。

 そんなぼやきと一緒に心の中から嘆息が漏れた。

 守りたい、と。そう思わされたのだ。

 それが庇護欲からくるものなのか、恋愛感情からくるものなのか、はたまたその両方から来るものなのかはわからない。大げさかもしれないけれど、俺は本気でそう思ってしまった。

 なんでこいつは、こんなにも可愛いんだろう? この世にこんなに愛おしいものがあるのだろうかと思うくらい愛おしくて、俺の全てに代えてでも守りたいと思ってしまう。それくらい、その涙は愛おしくて、綺麗だった。

 生きていて、こんな気持ちになったのは初めてだ。

 今朝のことも相まって、猛烈に抱き締めたくなった。抱き寄せたくて、頭を撫でて、誰にも渡したくないと思ってしまう。

 そんな欲望を必死で抑えつけ……彼女の頬に手を伸ばして、その涙をそっと指で拭った。

 詩依は驚いたように目を丸くしつつも、すぐに恥ずかしそうにはにかんだ。


「……ごめん。私、こういうの弱くて」


 言って、彼女は袖で涙を拭おうとした。慌てて俺がティッシュの箱を差し出すと、「ありがとう」と小さく呟いて、一枚だけティッシュを取る。そして、そっと目元を押さえた。

 もし、俺たちが恋人同士だったなら。ここで彼女を抱き寄せてキスしても何も問題ないのにな……。

 そんなどうしようもないことを考えている自分に気付いて、はっとした。

 およそ五年ぶりに話すようになってまだ三日なのに、一体俺は何を考えているんだ。さすがに調子に乗り過ぎている。

 エンドロールが終わって、チャンネルに手を伸ばした時……スクリーンが暗転したまま、映像が再び動き出した。

 続けて流れてきたのは、次回作の予告編だった。

 映っていたのは、同じアパート、同じカーテン、そして──別の誰かの視線。同じ舞台で〝別の物語〟が描かれるようだ。

 画面の最後に、タイトルと公開日が表示された。


 ──『カーテンの向こうで、君を見ていたⅡ』

 ──Coming this May.


 画面を見つめたまま、思わず息を呑んだ。

 公開は五月下旬。ちょうど、中間テストが終わったあたりだ。

 ……詩依、行くかな?

 誘ってみようかと思いつつ、それってデートになってしまうんじゃないだろうかと気付き、(すんで)の所で思い留まった。

 子供の頃だったら、臆面もなく誘えたのに。大きくなると、色々やりづらくて仕方ない。

 さすがにそういうデートっぽいのは詩依も嫌だよな……?

 そうは思うものの、何だかここで誘わないのもダメな気がした。

 映画を誘うのにこれほど良いタイミングが、今後訪れるとは思えない。

 よし、と勇気を振り絞って、俺は言葉を紡いだ。


「映画、今月末だけど……見に行く?」


 言えた。一瞬声が震えそうになったけど、一応平然を装って誘えたように思う。

 詩依の目が、ぽかんとしたようにまん丸になった。かと思えば──


「……うん。行く」


 まるで花が開くみたいにして笑顔が広がっていって。


「桃真くんと映画、行きたいな」


 嫣然として、そう答えてくれた。

 少し恥ずかしそうだけど、それ以上に嬉しそうで。俺なんかが映画を誘ったくらいでこんな風に喜んでくれるなんて思いもしなかった。


「桃真くんとお出掛けするの、久しぶりだね」

「だなぁ……最後に行ったの、いつだっけ?」

「中学に入る前の春休み。確か桃真くんが行きたいとこがあるって言って……」


 そこから、思い出話に花を咲かせていく。

 まるで『カーテンの向こうで、君を見ていた』のふたりみたいだ。

 ともあれ……幼馴染と、映画デートの約束をした。

 よし。中間テスト、頑張ろう。いや、何もかも全部頑張ろう。

 今なら何だって頑張れる気がしてきた。

 男子高校生は、いつだって単純だ。

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