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第26話 ふたりきりの夕食のあとは……?

 テレビの画面は、つけてはいるものの誰も見てはいないバラエティ番組が流れていた。芸人が賑やかに騒ぐ声と観客の笑い声が、静まり返った食卓に対してどこか滑稽なほど浮いている。

 手元にあるハンバーグはふっくらとしていて、肉汁が滲んでいた。詩依の手も入っていると思うと、ただそれだけで不思議と味まで特別な気がして、箸を付けるのにも妙な緊張感があった。

 静かだった。普段なら気にならないような音――箸が皿に当たるカチャリという小さな音でさえ、今はやけに大きく響いて感じられる。何か話さなければと思うのに、言葉が出てこない。何を話せばいいのかもわからなかった。

 こっそりと詩依を見る。彼女は俯いたまま、黙々とハンバーグを切っていた。さっきまで台所で母さんと楽しそうに話していた彼女とは違っていて、どこか気恥ずかしそうにしているようだ。そう思った瞬間、ふいに彼女の視線がこちらに向いた。

 ぱっと目が合う。

 思わず反射的に目を逸らしてしまったが、ほんの一瞬見えたその目は、どこか様子を伺うような、不安げな、でもそれでも何かを確認したがっているような風にも見えた。

 とりあえず、一口だけ食べてみる。

 ……ん~、これは困った。緊張で味があんまわからん。

 美味しいのだとは思う。というか、口に入れた瞬間は美味い。だけど、そこから緊張であんまり味がわからなくなっているような、不思議な感覚だ。

 普通に食べたら絶対に美味しいのに、何だか凄く勿体ない。そういえば昔父さんが、会社の取引先との飯はどれだけ高級料理が出てきても緊張で全然美味しく感じないと言っていたけれど、きっとその感覚に近いのだろう。

 一昨日シチューを一緒に食べた時はここまで緊張していなかった。味もしたし、めちゃくちゃ美味かったのを今でも覚えている。なのに、何で今日はこんなに緊張してるんだろう?

 少し考えてみると、すぐに思い当たった。

 あの時は……きっと、何が何だかわからないまま詩依と一緒にいたから、緊張する暇さえなかったのだ。

 心身ともに傷ついていた時にお風呂にゆっくり浸かってふやふやになり、そこから何故かスト6をする羽目になって、昔みたいに一緒に遊んでいた。色々リラックスできる状況が重なっていたというのもあっただろう。でも、今日は今に至るまで、ずっとそわそわしっぱなしだ。

 それに……もうひとつ、思い当たる理由があった。

 それは、今はもう、ただ初恋を思い出して追いかけているわけではない、ということ。今ある現在進行形の恋愛感情として、彼女への想いが、しっかりと俺の中にある。

 もしかすると一昨日からそうだったのかもしれないけれど、でも、俺自身がその感情を自覚したのは、たぶん今日だ。この緊張は、そこからも来ているように思う。

 詩依にバレないように小さく深呼吸をしてから、箸を置き、水をひと口飲んだ。冷たい水が喉を通るのに合わせて、胸の中の緊張も少しだけ落ち着いた気がした。

 ……いやいや、味がわからんって、さすがにそれは失礼だろ。商談相手じゃないんだから。せっかく詩依が作ってくれたのに、何を考えてるんだ俺は。

 少しずつ少しずつ、冷静さを取り戻していく。ふたりきりの時間も馴染んできたし、自分の家に詩依がいる感覚にも慣れてきた。

 よし、なんかちょっと落ち着いた気がする。

 再び皿に視線を落として、ハンバーグをひと口食べた。


「おっ……」


 そこで、やっと味がわかった。めちゃくちゃ美味いじゃないか、これ。間違いなく、人生史上一番のハンバーグだ。

 柔らかくて、ジューシーで、しっかりとした味が口の中に広がった。玉ねぎの甘さがふわっと香ってきて、自然と笑みが零れそうになる。

 詩依は、そんな俺の反応に気付いたのか、またちらりとこちらを見た。

 でも、今度は俺も目を逸らさなかった。彼女の青み掛かった瞳は少しだけ不安そうで、でも、何かを期待しているようにも見えた。

 こうして落ち着いてくると、俺たちの間に漂う空気は、決して悪いものじゃないということがわかる。ただ、それはお互いが何かしら言葉にできないものを抱えていて、俺たちふたりが勝手に沈黙を重く感じているだけだ。


「もしかして……美味しくない?」


 詩依がおずおずと訊いてきた。

 あ、もしかして、俺の反応が悪すぎて勘違いさせてしまったのだろうか。それなら申し訳ないことをした。


「いや、そんなわけないだろ。めっちゃ美味いよ」


 そう応えると、ようやく詩依はほっと安堵の表情を浮かべた。


「ごめん。私、今あんまり味わかんなくて。自分でも美味しいかわからないの」

「え、何で? あ、風邪か!? 大丈夫かよ?」


 味覚がないって、かなり(たち)の悪い風邪じゃないか?

 夕飯なんか作ってる場合じゃないだろ。


「ち、違うってば」


 詩依が両手を振って慌てて否定した。


「ん?」

「……緊張してるだけだから」


 困ったようにはにかんで、彼女は肩を竦めた。

 緊張ってなんでだろう? と思って、そこでようやく理解する。俺と同じく、詩依もこの状況に緊張していて味覚がおかしくなっていたのだ。


「いや……まあ。緊張なら、俺もしてるんだけどさ」

「あ、桃真くんも?」

「そりゃあな。いきなりふたりになったわけだし」


 肩を竦めてそう言って、気まずそうに視線を彷徨わせる。

 それからまた目が合って……ふたり同時に、ぷっと吹き出した。


「てか、なんだよ。詩依も緊張してたのかよ」

「桃真くんだって」


 お互いくっくと喉の奥で笑い合う。

 そこで、ようやく少し空気が柔らかくなった気がした。

 さっきまで空気が重くて無駄に緊張してしまっていたのは、お互いの緊張が重なった相乗効果だったのかもしれない。

 まあ、そりゃ緊張するか。母さんがいると思ってうちにきたのに、いきなり俺とふたりきりになったわけだし。


「ったく、母さんにも困ったもんだよな。客人ほったらかしてパートだなんてさ」

「お仕事だから、仕方ないよ」

「それにしたってさー」


 さっきまでの空気はどこへやら。これまでみたいに、普通に話せるようになっていた。お互い緊張をほぐす突破口みたいなものを探していたのかもしれない。

 これが全然知らない人ならもっと時間が掛かったのだろうけれど、俺たちは気心が知れた幼馴染。重い空気の原因がわかってしまえば、どうということはない。

 気まずさが溶けていくと、自然と口も動き出した。

 どちらからともなく、今日の授業の話とか、信一が昼に言っていたどうでもいい冗談とか、かるびの新しいヘアピンに気付いたかどうかとか。どれも本当に他愛もない話ばかりで、意識しなければすぐに忘れてしまうような内容だったけれど、それさえも心地よかった。

 こうして何でもない話を交わせることが、ただ一緒にいることが、昔よりも少しだけ特別に感じられた。

 そしてその心地よさの中で、気付けば夕飯の皿は綺麗に空になっていた。

 食後、俺は食器を片付けて水道の蛇口をひねった。

 詩依は「何か手伝うことある?」と視線で訊いてくれていたけれど、さすがに客人に後片付けをさせるわけにもいかない。今日は俺がやると伝えるつもりで、軽く首を振った。

 彼女は遠慮がちにソファーに腰を下ろして、静かにテレビを見ていた。さっきまでの空気に比べれば、随分と穏やかだ。沈黙も、もう怖くない。

 こう、全然沈黙が苦痛じゃない時もあるのに、さっきみたいに苦痛になる時の違いって一体何なんだろう? 不思議だ。

 食器を一枚一枚洗いながら、ふとそんなことを考える。

 この流れなら、前みたいにスト6で遊ぶのが自然だとは思う。けれど、今日は……何となく、そんな気分じゃなかった。

 お腹がいっぱいだというのもあるし、何となくそんな空気感じゃない。きっと、俺だけじゃなくて、詩依もそう感じている気がした。

 さっきみたいに笑い合えたことで、ようやく気持ちの余白ができたのかもしれない。無理に賑やかな空気にするよりも、もう少しこの静けさに身を任せていたかった。

 食器を拭き終えてリビングに戻ると、テレビでは相変わらず芸人たちが大声で騒いでいた。

 でも、そのテンションはやっぱり今の俺たちには合っていなくて。俺はリモコンを手に取り、いつものようにアマプラのアプリを起動する。

 特に目的があったわけじゃなかった。ただ、何か軽く観れるものはないかなと思い、画面をスクロールしていく。

 ――あれ?

 そんな時だった。画面のおすすめ欄に気になるタイトルがあって、思わず手を止めた。


『カーテンの向こうで、君を見ていた』


 つい最近、次の劇場版が発表されたばかりの作品だ。その第一弾が、期間限定でサブスクに追加されているらしい。

『カーテンの向こうで、君を見ていた』はサイコスリラー風の作品なのだけれど、最後は感動できると何年か前に話題になっていた。

 懐かしい。公開当時に観に行こうと思って結局行けなかったんだっけ。まさか、ここで出会うとは。

 ちょっと見てみたいな……詩依は観たことあるのかな?

 もしないのなら、一緒に観るのもいいかもしれない――そんな考えが、自然と頭の中に浮かんできた。


「詩依、これ見た?」


 あらすじ欄のところを開いて、訊いてみる。


「ううん。洋画はあんまり見ないから……」

「見てみる? 面白いって結構評判だったんだけど」

「えっと……怖くない?」


 パッケージと無音で流れるちょっと怖そうな予告映像を見て、詩依が不安そうに訊いてきた。

 そうだった。詩依はホラーが苦手だったんだ。


「俺も見たことないからあんまはっきり大丈夫とは言えないんだけど……ホラー要素がある感動作品、みたいに言われてる。めちゃくちゃ脅かすような作品ではないよ」

「……頑張ってみる、けど」

「けど?」

「途中で、どこかに行かないでね……?」


 まだ再生すらしていないのに、何故か泣きそうになって訊いてくる。

 どれだけ怖いの苦手なんだよ。


「大丈夫。ここにいるよ」

「じゃあ……見る」


 詩依はクッションをぎゅっと抱きかかえて、隠れるように目だけで画面を見つめた。

 まだ再生すらしていないのに、もう怖がっている。

 ホラー映画じゃないって言ってんのに……。

 そんな彼女も可愛いなと思いつつ、再生タブを選択してから、俺もソファーに腰掛ける。

 すると、ほんの少しだけ、詩依が俺の方に身体を寄せてきた。

 僅かに服が触れ合うくらいの距離に、彼女がいる。何だかそれだけでドキドキしてきた。

 気付かれないように、呼吸のリズムをひとつ整える。

 ……てか、あれか。これ、映画見てる間はトイレ行けないやつか。

 再生する前に、トイレ行っとけばよかった。

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