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第23話 「何なの? あの女」(莉音回)

 あたしは教室に戻るなり、担任から渡された資料を教卓の上にバンと叩きつけて、そのまま自分の席に突っ伏すようにして沈み込んだ。

 周囲から、「こええー」「柏木さん、何怒ってるの?」などとぽそぽそとした話し声が聞こえてくる。

 クラスの友達が「大丈夫?」と声を掛けてきてくれたけれど、「お腹痛い」と一言だけ返して、後は話し掛けるなオーラを全力で出してやった。

 その子は友達グループのところに戻って、何かこそこそと話している。どうせ、何かあたしの悪口でも言っているのだろう。


 ほんと、うるさい……。何でそっとしておいてくれないの? 今あたしは苛ついてんの。いいから放っておいて。


 あたしがこうやって周囲にも隠せないくらい苛ついてるのは──さっき職員室前であった、あの出来事のせいだ。

 あのふたりを見てから、苛立ちが収まらない。


 何なの? あの女。


 思い返すだけで、また腹が立ってきた。

 今日あたしは日直だったことを思い出して、朝から職員室に行く羽目になったのだけれど……その帰り、桃真とばったり会ってしまった。

 日直の日付けが桃真と被ることはないはずなので、完全に油断していた。まさか、あんな場所で彼と会うなんて思ってもいなくて、こっちも動揺を隠せなかった。

 でも、あたしが動揺したのはきっと、ただ桃真と鉢合わせただけじゃなくて……彼の隣に、あの女がいたからだ。

 ──雪村詩依。

 学校一の美少女と言われていて、男子から絶大な人気を誇っているくせに、男が苦手だか何だかでこれまで浮いた話なんて何もでてこなかった女。

 元を正せば、あたしと桃真が上手くいかなくなったのも、あの女が切っ掛けだった。何だか桃真があの女を見る目は、他の女子を見る時の目とは違っていて。それで、あたしは妙な焦燥感や不安を覚えたのだ。

 結局のところ、そこからあたしが保住先輩に愚痴ってしまったことから関係が壊れてしまったのだけれど、その切っ掛けを作ったのはあの女だ。

 今日も、その女と桃真が一緒にいた。昨日に続いてふたり並んで、まるでカップルみたいに。

 近くで見ても、やっぱりふたりが他人同士の距離感には思えなかった。雪村詩依が男子を苦手としているようにも見えない。

 ただ、動揺したのはあたしだけじゃなくて、桃真も同じだった。

 お互いに驚いて、固まって、息を呑んで。

 あの瞬間、あたしは何を言おうとしたんだろう? 桃真は何を言おうとしたんだろう?

 わからない。でも、あたしはきっと、彼からの言葉を待っていたのだと思う。

 怒りでも、恨みでも、罵りでも、蔑みでも、何でもいいから何か言ってほしかった。何か言ってくれたら、ごめん、あたし最低だったよねって言えたのに。

 それなのに──


『桃真くん』


 あの女は親しげに桃真の名前を呼んで。


『行こ?』


 あたしに見向きもしないで、桃真の手を引いて横切っていった。

 ……ふざけてる。

 ほんと何なのあの女? 男子が苦手? どこが? 普通に手繋いでたじゃん。普通に名前で呼んでるじゃん。どこが苦手なの? 実は男嫌いキャラを作ってただけで、ほんとは苦手でも何でもないんじゃない? ……そう思ってしまうけれど、あたしが集めた情報が嘘だとも思えなかった。

 少なくとも、あたしが聞いていた雪村詩依像は、男子が苦手で男子とは会話もろくに続かないくらい大人しくて物静かな女子だったし、一年の頃に彼女と同じクラスだった子もそう言っていた。

 桃真があの女にとって特別ってこと? どういうことなの?

 本当に、意味がわからない。

 こういう風に考えると、もしかして、と思い始めてしまう。

 桃真もあたしがやっていたように、陰ながら雪村詩依と関係を持っていた……とか?

 少し考えてから、それはない、とすぐに考えを改める。そうでないと、あの時の傷ついた表情の説明がつかないから。

 それに、付き合っていた当時に桃真から他の女の陰はなかった。それを隠せるほど器用な男じゃないことは、あたしがよく知っている。

 だとすれば、あたしと別れてから仲良くなったということになるのだけれど……まだ桃真と別れて数日しか経っていない。それなのに、男子が苦手だと宣う女子があそこまでするほどの関係になれるのだろうか? 少なくとも、あたしと桃真はそうはならなかった。最初の数日なんて、お互い気まずくてずっとどきまぎしていたと思う。

 何だか、昨日からわからないことだらけだった。

 それに、あの女。

 あたしに見向きもしなかったくせに、桃真を呼んだ時、桃真に微笑んだ時、桃真と手を繋いだ時、あたしの横を通り過ぎていった時、その一瞬一瞬であたしに対して無言のメッセージを送ってきていたように思う。


『もう彼に関わらないで』

『もう近寄らないで』

『もう傷付けさせないから』


 普段は如何にも大人しそうで引っ込み思案な雰囲気を出しているくせに、あの時だけは異常なまでにそんな強い意思のようなものを感じた。あれはもう、殆ど威嚇だ。

 もちろん実際に言われたわけではないし、文字にされて見せられたわけでもない。

 でも、あの時の雪村詩依は、あたしに対して明確にそんな意思表示をしてみせた。あたしがそう感じているだけかもしれないけれど、もしそうでないなら、ちょっとは目を合わせるはずだ。

 雪村詩依は、完全にあたしをいないものとして扱った。まるで、ただの壁みたいに。

 そして、何より屈辱的だったのは──あの子から微笑まれてすぐに、桃真の顔付きが変わったということ。

 あたしと目が合ったあの一瞬は、少なくとも色々な感情があたしに向けられていたように思う。それはもう、好きとか愛情とかそういうのではないのだろうけど……でも、ちゃんとあたしを見てくれていた。

 なのに、あの女が桃真に呼び掛けてから、まるで毒気が抜けたように穏やかな表情になってしまった。

 どうしてだろう? 何だか……凄く、負けた気がした。

 もう桃真の世界にはあたしはいないんだって。要らないんだって。そう、実感させられたのだ。

 もう別れた。もう桃真とは終わった。あたしが終わらせた。今はただ保住先輩のセフレ。彼と付き合うことよりも、あたしがそっちを選んだはず。

 それなのに……どうしてこんなにも屈辱的なんだろう?

 悔しい。腹が立つ。

 形容しがたい怒りと後悔だけが、どんどんあたしの中に広がっていく。

 あたしはポケットからスマホを取り出して、インスタのDM一覧を開いた。

 保住先輩のアカウントを選択して、テキストを打ち込む。


【今日、家行っていい?】


 確か、今日は彼の親の帰りが遅い日のはず。前もそうだった。そういう日は大概、いつも彼の家が逢引の場所だ。

 返事はすぐにきた。


【今追い込みで練習超キッチィんだけど……】


 いつもならすぐに食いついてくるくせに、今日は意外にも乗り気ではないらしい。

 それもそうかと思う。あんな奴だけど、腐っても野球部のエースピッチャーだ。

 来月から高校野球の地区大会のシーズンで、三年の彼にとっては最後の大会になるかもしれない。今は追い込みの時期で、練習もきついのだろう。ゴールデンウイークが終わってから本格化するから、遊べるのは今ぐらいだとこの前も言っていた。


【シたい】


 あたしは一言だけ返信する。

 こう言えば、あいつが付き合ってくれるのを知っているから。というか、どれだけ練習がきつくてもあいつは性欲を抑えられないのだ。そんな理性なんて、あいつは持ち合わせていない。


【ったく、しゃーねえな! そう言われちゃあ、男として黙ってるわけにはいかないからな。いいぜ。うち来いよ】


 予想通りの返事がきた。

 それから、連続してメッセージが届く。


【しかし、お前もほんと俺に開発されたよな~。先月まで処女だったくせによ。そんなに俺のムスコが好きかよ?w】


 イラっときて、すぐにDMを閉じた。

 先月のことは、思い出させないでほしい。桃真と付き合っていた時期のことなんて、思い出したくない。

 思い出したら、何故か泣きたくなってしまうから。


 あー……ほんとにうざい。何で皆こんなにうざいの。死ねばいいのに。


 あたしは心の中でそんな悪態を吐いて、瞼の裏がじわりと熱くなったのを、必死に誤魔化した。

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