第16話 教室ハプニング
「じゃあ、またな」
「うん」
教室に入ってから、詩依とそんな短い挨拶を交わしてから、それぞれの席へと分かれた。
廊下を歩いている間、散々視線を浴びまくった。気まず過ぎて適当な会話で場を繋いでいたけれど、正直何の話をしていたのかさっぱり覚えていない。詩依も相槌を打ってくれていたけれど、果たして内容を理解していたのだろうか?
もしかすると、あいつも俺と同じ感じだったのかな。ずっと注目は浴びていたけれど、男子とふたりでいるところを見られて騒がれたことなんてないだろうし。
何となく、スト6の話をしていたような……気はするけど。マジで出任せで話していただけなので、記憶にない。学校だと、詩依と話すのにこんなに緊張するのか。
困ったな、これからどうしよう?
などと考える余裕もなく……早速、男連中が数人、俺の席に周りに集まってきた。
「おい、お前! 何でお前があの詩依ちゃんと一緒に学校来てんだよ!?」
開口一番に突っ込んできたのは、悪友の松野信一だ。
二年になってから知り合ったのでまだ付き合いは長くないのだが、妙に息の合う奴だった。
「……色々あったんだよ」
そうとしか言いようがない。
本当に、昨日は色々あった。詩依とああして話すようになる前も。
昨日だけで、半年分くらいの出来事があった気がする。
「色々ってなんだよ! だって、詩依ちゃんがちゃんと男子と話してるの初めて見たぞ、俺」
「「そーだそーだ!」」
信一の抗議に、周りの連中も騒ぎ立てる。
まあ、詩依のこれまでの立場を考えれば、そう騒ぎたくなる気持ちもわかるんだけど。
でも、実は詩依と幼馴染だったとかは勝手に言っていいのだろうか? それならそれで、何で二年になってから(いや、高校に入ってからか)今まで全然交流がなかったんだとかも突っ込まれてしまいそうだ。
まずったかもしれない。スト6の話なんてするんじゃなくて、そのあたりの口裏を合わせておくんだった。
ちらりと詩依の方を見ると、彼女も同じく友達から詰め寄られていた。ふと目が合うと……詩依は顔を赤くして、恥ずかしがるように視線を落とす。何だか、汗のマークでも出ていそうだ。
それに気付いた女子が、早速茶々を入れてますます彼女を照れさせている。
そして、俺と詩依のその一瞬のやり取りを見た男子連中が、ピキピキと額に青筋を立てた。
「どおいうことだぁ、桃真!」
「ふざけんなテメェ!」
「何があったんだ、全部話せ! 全部!」
「ええい、やかましい! 色々だよ、色々! そもそもお前らに話す義理も義務もねーだろが!」
俺は男連中を追い払うように、しっしっと手で払った。
しかし、信一は引き下がらない。
「いいや、義務ならあるぜ」
「何でだよ」
「なぜなら……お前には、柏木莉音というナイスバディなカノジョがいるからだ!」
その名前を聞いて……一瞬、時間が止まった気がした。
他の男連中がさっきみたいに信一に続いて「そーだそーだ!」と騒いでいるけれど、空虚な雑音にしか聞こえない。
そうだった。莉音は二年に進級してから、しょっちゅうこの教室に遊びに来ていた。当然、このクラスの連中も、俺と莉音が付き合っていたことは知っている。
「そのカノジョを差し置いて、何故詩依ちゃんと一緒にいるのか。さあ、説明してもらおうじゃないか!」
信一が、ずいっと俺に詰め寄ってきた。
なんて返せばいいんだろうか、と迷ったけれど……でも、やっぱりこうとしか言いようがない。
「……莉音とは、別れたから」
俺がそう言うと、信一たちは「え?」と息を呑んだ。皆揃って、まずいことを訊いてしまった、と言わんばかりの表情をしている。
まあ、それも仕方ないか。俺が彼らの立場でも、同じような顔をしてしまうだろうし。
「え? 何で? ゴールデンウイーク中になんかあったの?」
「さあ、どうなんだろうな? 他に好きな男ができたんだとさ」
俺はそう言って、肩を竦めた。
さすがに予想していなかったのか、男たちも「そうだったのか」と肩を落としていた。
本当は、浮気されたとか、野球部の先輩と二股掛けられてたとか言ってやりたい気持ちもあった。
でも、まあ……莉音のこれからの立場もあるだろうし、そこは我慢する。それに、浮気された側の男がギャーギャーと相手を貶めることを言い触らしまくるのも、何だかダサい気がした。俺は浮気された寝取られ男です、と自分から言って回るようなものだ。
少なくとも、俺はそんな矮小な男にはなりたくない。いや、そう思えるのは、きっと……〝幼馴染の前では強がっていたい〟という昔を思い出したからだ。
「事情はわかった」
信一が神妙そうに頷いたかと思うと──
「だがしかし! 莉音ちゃんと別れたからと言って、詩依ちゃんと一緒に登校してくる理由にはなっていない! 違うか!?」
「うっ……」
ぎくりとする。
なし崩しに可哀想な振られ男を演じることでこの場をやり過ごそうとしたのだが、俺の思惑は失敗した。
その通り。信一のくせに、なかなか頭が回るじゃないか。
「おいお前ら。こいつはクロだ。取り押さえろ」
俺の反応で何かを嗅ぎ取った信一が、クラスの男子に指示をする。
すると、俺を羽交い絞めにしようと男子たちが身を乗り出してきた。
「もうHR始まるだろ! とっとと自分の席帰れ!」
「うるせえ! まだ先公が来るまでは時間がある!」
「誰かこいつを押さえろ! 擽りの刑に処す。吐くまで続けろ!」
「おい、やめ──うぎゃああああ!」
信一が俺を羽交い絞めにして、他の男子たちが俺を脇を一斉に擽ってくる。
なんなんだ、この地獄は。一回正面の男を蹴飛ばしてやろうかと思ったところで──
「はいはーい、バカなことしてないで、アホなモブ男子はとっとと散ってねー」
ぱんぱん、と手を叩く音とともに、とある女子の声が響いた。
皆が一斉に振り返ると、そこには茶髪ショートカットの少し背が低めなクラスメイトの姿があった。
「お前は……かるび!」
まるでラスボスが登場したかのような緊迫感で信一が言う。
「だから、その美味しそうな部位の名前であたしのこと呼ぶのやめてくれる?」
かるびの愛称で親しまれる元気娘・軽部美咲──苗字の『軽い』と名前の『美しい』で〝かるび〟──が鬱陶しげに信一を睨みつける。
「やめるも何も、皆呼んでるだろ」
「あたしは認めてないっつーの!」
この通り、〝かるび〟は本人非公認なのだが、もはや誰もかるびの本名を覚えていないくらいには浸透しているあだ名だった。あと、本人ももうそれで反応する。
誰が考えたのか知らないけど、良いセンスだ。
「あたしのことはいいから、モブは散った散った」
「こいつらはともかく、俺はネームドだ!」
信一が他の男子ふたりを指差して反論する。
何なんだ、モブだのネームドだの。皆それぞれ名前はあるだろ?
「まあ……もうひとり居てもいいか。男子ひとりだとバランス悪いし。というわけで、そこのふたり。要らないから、どっか行って」
かるびは顎に手を当ててひとりで納得すると、しっしっと男子ふたりを手で払う。
なんやかんやでクラスのムードメーカーのかるびの意思に逆らうことができず、男子ふたりはぼそぼそと文句を言いながらその場を後にした。
なんて扱いだ。ひどすぎる。
「はい、追い払ったよ! ほら、そんなところで固まってないで早くおいでよ、しーちゃん」
後ろを振り返って手招きしたかと思うと──少し離れた場所にいた詩依が、おずおずとこちらに来た。それによって、周囲がさらにざわつく。
これもさっき登校していた時に聞いた話なのだけれど、かるびと詩依は一年の頃から仲が良かったらしい。
「もう、ミサちゃん……強引だよ」
詩依は申し訳なさそうに眉をハの字にして、「騒がしくしてごめんね」と小さく俺に謝った。
詩依はかるびのことをちゃんとした(?)あだ名で呼んでいるらしい。おそらくこの学校では絶滅危険種ではないだろうか。知らんけど。
「何言ってんの。そんなんだから泥棒猫に取られちゃったんでしょ? せっかくしーちゃんが勇気出したんだから──」
「ちょっ、ミサちゃん!? しーっ! しーっ!!」
詩依が慌ててかるびの言葉を遮って、人差し指を唇に当てている。
泥棒猫? 勇気を出す? 何の話だ?
「あー、ごめんごめん、何でもない何でもない」
かるびはどこかからかう様子で詩依をあしらうと、俺たちの方を向き直った。
俺は信一と目を合わせて、互いに首を傾げる。
さっぱり意味がわからなった。完全に俺と信一は置いてけぼりだ。
「まあ、色々割愛するけど、しーちゃんと三浦くんがふたりで話すと色々目立つでしょ? それで、これからは四人組で色々やってくってのはどうかなって。今年は結構班作ることも多そうだし、ちょうどよくない?」
かるびの提案に、再び俺と信一は見合わせて首を傾げる。
まあ、確かに今年はグループワークが多いし、俺も詩依と学校でどうやって接すればいいのか迷っていたので、渡りに船ではあるのだけれど……ちょっと色々割愛しすぎじゃないか?
「あっ……えっと。ほんと、無理しなくていいよ? ミサちゃんが勝手に言ってるだけだから」
詩依が上目遣いでこちらを見て、気まずそうに言った。
何となくかるびの暴走というのは見ていてもわかるのだけれど……でも、悪い話ではない。
「どーすんの?」と信一。かるびと詩依も、こっちをじっと見ている。
あ、これは俺の一存で決まる感じか。それなら……
「じゃあ、まあ……そういうことなら、ヨロシク」
そう答えると……詩依が、ぱっと顔を輝かせた。
かるびは満足そうに頷き、信一は「ほう?」と興味深そうに口角を上げた。
何だかバツが悪くなって、皆から視線を逸らして頭を掻く。
ちょうどそのタイミングで始業のチャイムが鳴って、一旦危機を脱することはできたけど……もちろん信一からは「後で事情聞かせろよ?」と耳元で言われた。
一体何なんだ、今朝から。いや、昨日からか。さすがに色々ありすぎだろ。
そうは思うものの、自席に戻っていく詩依と目が合って……彼女が、にこりと嬉しそうな笑みを浮かべた。
その笑顔に、思わず胸が高鳴ってしまう。
……まあ、いっか。
俺は小さく嘆息して、自分の席に座ったのだった。