第14話 彼女の後悔
四つ葉のクローバーエピソードがあってから、詩依との間にあった緊張感はすっかり解けていた。
会話も弾んだし、何気ないやり取りを純粋に楽しめて、最初にあった緊張みたいなものは完全になくなったように思う。
同じクラスだし、話題には事欠かなかった。一年の頃は誰と話してたの、とか。今は誰と仲が良いの、とか。お互いの知らなかった情報を、少しずつ埋めていく。
それからスト6の話題にも移っていった。
あれだけ上手いのだから、てっきりオンライン対戦でランクマッチもやっているのだと思っていたら、意外にも詩依はランクマッチをやっていないのだという。
ちなみに、スト6のランクマッチというのは、全国のプレイヤーとネット上で戦って、勝てばポイントが増えて昇格、負ければポイントが減って降格──っていう、いわゆるレート制のモードだ。ルーキーから始まって、アイアン、ブロンズ、シルバー……という具合にランクが上がっていって、最上位はマスター。その上には、全国上位数百人だけが辿り着ける〝レジェンダリー〟という位もある。
自分と同じくらいの実力の相手とマッチングされるから、やればやるほど手応えはあるし、逆に負けが続くと心が折れそうになる。俺の豪拳もマスターランクまでは割とすんなり行けたのだが、そこから全然勝てなくなって心が折れた口だ。
詩依のケイミーも十分マスターくらいまで行けそうな実力はあるかと思うのだけれど……。
「何でランクマやらないの? オンライン対戦怖いとか?」
「それもあるけど……」
訊いてみると、詩依は眉を顰め、どこか拗ねたように唇を尖らせた。
「ん?」
「……一番最初に対戦するのは、桃真くんって決めてたから」
聞こえるかどうかの声でそう言って、ふいっと顔を背けた。
なんだって? 対人戦は俺が最初って決めてたって、どういうことだろうか。
やっぱり、昔格ゲーでボコられた過去を恨んでいて、こいつに恨みを晴らしてからじゃないと他の奴とは戦えないってこと? 俺、どれだけ恨まれてるんだよ……。
「ってことは、ずっとCPU戦?」
「ううん。基本はトレモばっかり。たまにCPUでコンボの確認はしてたけど」
何だその修行僧みたいなゲームの仕方は。
俺とゲームする機会がなかったら、詩依は永遠にひとりで鍛え続けていたのだろうか?
昨日対戦できてよかった。名の知れない最強のプレイヤーをオフラインで爆誕させるところだった。
トレモ(トレーニングモード)では、コンボや立ち回り、対策なんかをひたすら反復できるようになっている。相手キャラの動きを設定して、特定の行動を繰り返させたり、ガードのタイミングを変えたり──まさに、対戦前の道場という感じだ。本気で強くなりたいなら、ランクマに行く前にここで黙々と練習するのが基本。俺も昨日、詩依にボコボコにされたのが悔しすぎて、2時間近く篭っていた。
ただ、その話を聞いて、昨日の戦績が9勝10敗とギリギリ互角ぐらいまで持ち込めた理由もわかった。
「……なるほど。それで後半盛り返せたのか」
「どういうこと?」
「詩依、一旦コンボ決まり始めるとミスらないしめちゃくちゃ強いんだけど、そこの展開に持っていくのが割と下手だったんだよな。暴れまくったら途端に繋がらなくなるっていうか」
「……小パンばっかり、ずるい」
むすっとした顔をして、詩依がこちらを睨みつけてくる。昨日小パンチ連打でコンボを邪魔されたことを思い出したのだろう。
小パンぐらい誰だってするっての。てかさせてくれ。
この反応を見る限り、詩依って案外オンライン対戦をやり始めたら怒り狂いそうな気もする。今度ランクマさせて横で見てみるのも面白いかもしれない。まあ、怒り狂った詩依を宥めるのが俺の役目になってしまうので、それはそれでちょっと怖いのだけれど。
そんなどうでもいいことを話しながら、俺たちは五年ぶりの登校を楽しんでいた。
何だか、本当に昔に戻ったみたいだ。小学生の頃もこんな風にくだらないことばかり話して、たまに詩依をからかったりしながら登下校をしていたような気がする。
しかし、学校が近づいてきて……校門が見えてきたところで、いつもと違うことに気付く。
視線。妙なほど、視線を感じるのだ。
正門前には、いつも通り生徒たちが行き交っている。けれど、その中の何人かが俺たちの方をちらちらと見ているのがわかった。それだけならまだしも──中にはあからさまにこちらを凝視してくるやつすらいる。
何だ? 何か変なとこでもあるか?
ふと自分を見てから、隣を見て……すぐに、その理由に気付く。
そうだ。俺、詩依と一緒に学校来てるんじゃんか。
昔の雰囲気に呑まれてすっかり忘れていたけれど、詩依はもともと学校では有名人だ。容姿端麗で、成績優秀。目立つことなんて何もしていなくてもそのルックス故に人目を集めてしまい、クラスの誰もが一目置いてしまう。
どこか儚げな雰囲気も相まって話しかけにくい雰囲気を纏っているせいで、詩依は男子とも殆ど関わりを持っていなかった。
そんな彼女が、よりによって俺なんかと一緒に登校しているのだ。そりゃあ、目立つに決まっている。しかも、高校では誰も俺と詩依が幼馴染だなんて知らないのだから、尚更だ。
どよめきや、ざわつきまでは感じない。ただ、あまりにも無言で、静かに、けれど確実に向けられる視線の数々が、かえって生々しく感じられた。
もちろん、俺の隣を歩く詩依にも、そういった視線は届いていた。
さっきまで楽しそうだったのに、今ではすっかり曇ってしまっていて。俯き加減になって、カバンを握る指先にほんの少し力が入っている。
あー……やらかした。
別に、俺たちにやましいことなんて何もない。ただ数年ぶりに、ふたりで登校しているだけだ。それなのに、何だか凄く申し訳ないことをしてしまったような気持ちになってしまう。
少なくとも、詩依の平穏な日常を壊してしまったのは、間違いなかった。
とはいえ、まだ手遅れという程でもない。俺が話し掛けてただ詩依が応えたことにすれば、傷は最小限に食い止められるかもしれない。
「詩依、こっからは別々に教室行こっか」
「……どうして?」
「どうしても何も。お前が変な目で見られるだろ?」
これまでの〝高嶺の花〟のイメージを崩してしまうだろうし、俺なんかに近寄られてると知られたら、女子の間でも色々変に勘繰りを入れられるかもしれない。
小学生の頃ならそこまで気にしなくて済んだけど、今俺たちは高校生だ。周囲の見られ方というのも、当時とは随分と変わってくる。色々気を付けたほうが良い。
そう思っていたけれど──
「私……そんなの気にしないよ?」
詩依が唐突に立ち止まって、隣の俺を見上げた。
俺も釣られるようにに立ち止まる。ここで立ち止まったら、余計に目立つ気がするんだけど……仕方ないか。
「いや、気にしないって言ってもさ」
「桃真くんが嫌なら、別々でいいけど……」
しゅんとして、詩依が肩を落とす。
何でそういう話になるんだよ。俺じゃなくて、詩依の話をしているのに。
「嫌なわけないだろ。そっちに迷惑なんじゃないかなって思っただけだよ」
「そんなこと、あるわけないよ」
詩依は何かを決意した様子でそう言うと、再び俯いて。俺にしか聞こえないくらいの小さな声で、こう続けた。
「だって……ずっと、こんな風にまた話せたらいいなって、思ってたから」
小さく垣間見えた本音。
俺のことを心配して、とかももちろんあったのだろうけども。もしかすると、これも本音としてあったのかもしれない。
彼女は……昔みたいに俺と一緒に登校したくて、わざわざ迎えに来てくれたのだ。
思えば、昨日からの会話を思い起こせば、ずっと彼女は俺ともう一度〝幼馴染〟をやろうとしていたように思う。
でも、いつからか疎遠になってしまったせいで──どっちかというと、俺の方から避けてしまったせいで──彼女もどうすればいいのかわからなかった。そういうことだったのだろうか?
それなら……俺も腹を括るしかないな。
「よし。じゃあ、一緒に教室までいくか!」
「……うんっ!」
そう答えると、詩依ははっとして顔を上げて、嬉しそうに頷いてみせたのだった。
顔を見合わせて肩を竦めると、ふたり一緒に生徒玄関に向かって歩き出す。さっきよりも一層、視線が強くなったけれど、気にしない。
絶対、後で教室で色々問い詰められるんだろうな。一応、皆はまだ俺と莉音が別れたことを知らないわけで。それも相まって、余計に面倒なことになりそうだ。
でも、隣の幼馴染は案外気にした様子がなくて、いつもみたいに背筋をぴんと伸ばして歩いている。
「なんか、お前ってさ」
「なあに?」
「昔と違って……こう、結構頑固になったよな」
俺は小さくぼやいた。
昨日からの出来事を振り返ると、明らかに頑固になったというか、折れなくなったというか。昔は人の顔色ばかり窺って、自分の言いたいことも言えなかった女の子だったのに、結構な強引っぷりだ。五年もすれば、こうも変わってしまうものなのだろうか。
でも、遠目で見ているとその部分もあまり変わっていないように思ってたんだけどな。
「それは……ちょっと違うかも」
まるで俺の疑問を肯定するかのように、彼女は少し考え込んで言った。
「もう……後悔したくないから。だから、ちょっとだけ頑張ってみようって。そう思っただけだよ」
詩依はそう言葉を濁すと、どこか寂しそうに笑って、小首を傾げてみせた。
後悔? 一体何の話なんだろう?
「ほら、早く行こっ? 遅れちゃう」
誤魔化すように言って、時計をちらりと見る。
確かに、思ったより時間ギリギリだ。話しながらだったので、いつもよりのんびり歩いてしまっていたのかもしれない。
俺たちはふたりして、教室に急いだ。
──結局、教室までの道中で、彼女がその後悔について触れることはなかった。
 





