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ロイヤルミストレス? 彼女は友達以上恋人未満 

すれ違いの夫婦に一つの光が。

どんな解決方法があるのか??


このお話をする前に彼と彼女の出会いの話をするわね。

私が彼女を公認する前に彼らは出会っていたの。


1873年12月夫の在位25周年を祝いウイーン市立劇場で祝賀公演「じゃじゃ馬ならし」の主演を演じたのがカタリーナ・シュラット夫人よ。

当時20歳その演技にフランツは魅せられてファンになったの。


彼女はその後海外で公演して二人の出会いはなかったけれど、再びウイーンに戻った頃は夫53歳彼女は30歳になっていたわ。


ブルグ劇場の契約女優になった彼女がお礼を兼ねた謁見が予定されたの。


謁見のマナーを教えられてカタリーナは立ったまま用意された部屋で緊張して待っていた。


拝謁の文句を何度も暗唱しながら。


「恐れ多くも陛下におかれましては……」


「奥様。お掛けになりませんか?」


「陛下に御礼申し上げます。

 恐れ多くも陛下におかれましては…」


「どうしておかけにならないのですか?」


「特許長官のシュルツが駄目だというので!」


「ハアァ~~~~」


皇帝の大笑いが廊下の外まで聞こえてきた。


これが初めての交流らしきものだったそうよ。


その後のカタリーナは再び謁見を申し出るの。 

今度は実家のキッシュ家の差し押さえ財産の補填金の交渉だったらしい。

さすがにこの時は担当局に要望するように助言にとどめたんですって、皇帝のブルグ劇場通いが続くお気に入り女優になったそうよ。

しばらくの間は短い付き合いであくまでも女優とファンにだったのそんな時転機が訪れるの。


1885年8月ロシア皇帝と皇后の接待の為に私達と4人の俳優がクレムジールに呼ばれたの。

「真夏の世の夢」の寸劇が公演されるためだったの。

この時に呼ばれたのがシュラット夫人ここで私の目に留まる。


だって彼女の姿に見せられたのはアレキサンドル三世と私の夫よ。


キラキラした青年の様な瞳に私は直感したわ。

間違いなく彼女は彼の心をとらえていると。


アレキサンドル3世は劇の後の晩餐会に彼らを招きたいと切望したのだけど。


これは異例中の異例よ。

政治的な交渉の場に市民が参加する。


同席する彼らも生きた心地がしなかったと思うわ。

晩餐会の同席を皇帝が許可し、私もカタリーナを身近に接する機会に恵まれる。


人当たり良く、物おじしない、優しい眼差しと、落ち着き、そしてその容貌は可愛らしく家庭的で安心感を与える。

私はピンときたの。


まさに私の不在時に夫を任せられる人物以外に見えなかった。


私はワクワクしたわ。

変よね。

夫に愛人を用意するみたいな。

でもわかるの彼らはそんな関係にならない。


彼若い頃、そう私が宮廷で苦しんでいる時に浮気をしたのよ。


それと私が気づいていたかどうか?


だけどすでにこの時一人の夫人を囲っていたそうよ。

またこの話はあとでするわね。


他にもいたようだけれど人の噂にはならなかったようね。


私決めたわ。


彼女を夫の「友達以上恋人未満」の相手にするって!!


翌年思い立ったの。


カタリーナ・シュラット夫人の肖像画をハインリッヒ・フォン・アンゲリに描かせて彼にプレゼントする事を。


そして夫に予定をあれこれ調整させて、1886年5月私達は彼のアトリエを訪問したのよ。


とうのシュラット夫人には内緒にしていたらそりゃ驚いて…楽しかったわ。

挿絵(By みてみん)


その後夫はシュラット夫人に肖像画のモデル快諾に御礼状を書いて、エメラルドの指輪を贈ったのよ。

彼大盤振る舞いね。


そして「貴方の献身的な崇拝者より」ってサインしたのよ。


成功!


こうして二人は妻公認の特別なお友達以上恋人未満の関係が始まるのよ。


そのうち夫人の別荘にも行ったりしてその報告を受けた私はヴァレリーと一緒にもいったわ。


私達の夏の保養所バートイシュルのカイザーヴィラに招待もしたわ。


ヴァレリーもあまりの厚遇ぶりに困惑している様子だった。

挿絵(By みてみん)

二人の手紙から予想通りプラトニックのままなのがわかるわ。


「気持ちを抑えると言っておられますが、私も時に耐えられない事があっても自分を抑えていきます。私は人を傷つけるようなことはしたくない」


「私は妻を愛し妻の私への信頼も、彼女の貴方の友情も裏切きたくはないのです。兄妹としての愛を語るのは私は年を取りすぎていますから、私は貴方の父親のような友でありたいと思います。

どうかいままでのとおり、優しさと明るい素直な気持ちで接してください」


フランツからシュラット夫人へ


「皇后は何度か優しい気持ちを込めて、貴方の事を話してくれました。

皇后が貴方を持っている事は私が保証します。

もう少しあの素晴らしい女性を知るように努めてくだされば、おそらく私の気持ちをわかっていただけると思います。」


良かったわ。

シュラット夫人と蜜月を堪能出来てから秘密の愛人とは疎遠になり始めていったそうよ。


彼42歳の時に15歳で結婚したアンナという既婚女性と不倫していたの。

一般公開されていたシェーンブルグ宮殿の庭園で朝の散歩で彼の目にとまったそうよ。


「よく散歩にいらっしゃいますね」


と彼が声をかけたそうよ。


そこから徐々に関係を深め、そのうち早朝の逢引きが始まったそうよ。

当時の夫が旅行好きという事で大金をアンナに渡してウイーンから遠ざけ、その後結婚した相手は鉄道会社の会社員で遠方に転勤を繰り返させていたの。

そして彼女に大金を渡してシェーンブルン宮殿近くの住まいを用意したみたい。

早朝だけの逢瀬だったから噂にならなかったのよ。


彼女何度かの流産の後、2人の子供を産んだの。

その子が彼の子だという保証はないけれど、違うという保証もないわね。

そんな関係もシュラット夫人との仲が深まる中、逢瀬が減っていった。

ある時シュラット夫人との散歩際に彼女ったら、突然現れて夫を非難したそうよ。

これがきっかけでアンナへの気持ちは遠ざかったみたい。


そしてルドルフの死亡がきっかけで気持ちに整理がついたのかマイル男爵に命じ手切れ金を渡して別れたみたい。


でもその後に彼女、男の子を出産して彼は自分の肖像画をその子に送ったんですって。

やはり彼の子かしら?

彼女別れた後も夫が死んだ後も彼の写真に喪章をつけて部屋に飾っていたみたい。


なんだか怒る気にならないわ。


私にはその情熱はないもの。

恋や愛をまだよくわからないうちに結婚して、あの時は彼を愛していたと思ったの…。

もうなんなのかわからないけど。

彼はなくてはならない人よ。

今も。


他にも長年付き合っていた女性のいたみたい。

私は知らないし。

本当にそうだったかどうかもわからない。


そういえば彼女達可愛らしくてぽっちゃりな家庭的な女性。 

写真が残っているもの。


それにフランツ!!

ロリコン気味よ。

私を見初めたのも15歳の時よ。


社会人1年生が中学三年生に恋したって貴方達の時代だと一発アウトよね。



でも19世紀末は15歳は結婚適齢期、20代半ばで中年扱いなのよ。

失礼しちゃうわね。


夫はシュラット夫人にシェーンブルグ宮殿の傍に小さな家を買い与え、そこで仮想家族を体験していたそうよ。

優しく夫を癒して家庭料理でもてなしてくれていたみたいなの。



そうそうやはりこういう関係はとかくウイーンでは噂になったわ。


でもそういう関係ではないから、二人は堂々と会って楽しんでいたそうよ。

2人のシェーンブルグ宮殿の庭園散歩は日課になっていたって。


夫やシュラット夫人は自分達の行動や思いを包み隠さずに私にもいろいろ手紙で知らせてくれたわ。


私の旅先でシュラット夫人にお土産を贈ったの「二人で食べて」って!


だってそうしたほうが二人で会うきっかけになるでしょ。

おかしいと思うわね。


皆さんには理解出来ないかもしれないけいど、その方が夫との関係が安定するの。


あと嫌な人が彼女の息子さん(シュラット氏の実子・当時は別居していた)に匿名で母親が皇帝の愛人という内容の手紙を出したの。

まだ10歳の子供によ。


なんて事する人がいるんでしょう。

私はすぐに彼を呼んで説明したわ。

お母様は皇帝の大親友で、私も貴方のお母様が大好きよと。

そしてお菓子も贈って、成人してからは外交官に召し上げてもらったわ。


罪悪感が癒される私の自己満足ね。

自分勝手なのはわかるわ。

十分…だって彼私が一番好きだから。

でも私は王宮にウイーンにはじっとしてられないし。


夫は彼女にいろいろ貢いでいたのよ。


お金は勿論、バートイシュルに別荘、宝石や家具、借金まで肩代わりしていたの。


彼女実はギャンブラーでしかも弱かったの。

だから借金は彼が払っていたのだけど。


全然怒らないし逆に頼られて嬉しいみたい。


私の晩年には美容法やお勧め静養地、旅行先なんかも真似して楽しんでたみたい。


夫が頭を抱えていたわ。


あはっ!


ありがとカタリーナ・シュラット夫人。

オーベロンさん(フランツ・ヨーゼフ1世)のお世話本当に感謝します。


私が暗殺された後、夫に報告されオーストリア中に「訃報」が流れる中、ツェル・アム・ゼーで静養していたのに急遽ウイーンに戻ってくれたそうよ。


夫は早速シュラット夫人に電報を打った。


「かけがいのない友、帰ってくださりありがとう。

 故人をしのぶ話の相手に貴方以外誰がいるでしょう。

 11時からお待ちしております。

 どうぞ庭を通らずに私の部屋にお越しください。

 ではまた。

 貴方のフランツより」


ありがとうカタリーナ。

カタリーナ・ラリッシュ夫人は結婚していましたが、夫とは別居中で一人息子を育てながらブルグ劇場専属の人気女優として有名でした。


彼女の若々しさや飾らない性格にいわゆる家庭的な要素を見出したエリーザベトはさっそくファンであったフランツ・ヨーゼフ1世に紹介して積極的に交際を進めた。

エリーザベトと同衾しなくなり相当経っており、しかも当の本人は旅行でほとんど傍にいなかった。

1875年にはフランツヨーゼフ1世には秘密の愛人がいた。

すでに人妻で15歳のアンナ・ナホフスキーだった。

アンナに金を渡し夫の旅行好きを利用してウイーンを留守にさせた。

アンナは同時に別の恋人もあり、その相手の子を身ごもりフランツは彼と結婚する事を了承した。

しかしフランツは彼が地方の役職に就く様に画策しアンナとの関係を継続する。

そのうち長女が誕生する。

しかし当時はその事実は一般的にしられておらず噂にもならなかった。

何故なら交際当時フランツは早朝5時以前に彼女に与えた家で1時間もおらず、最側近のみ知る事実だったからだ。

10年続いたその関係は妻エリーザベトの公認の愛人の存在で急転する。カタリーナとシェーンブルグ宮殿の庭園で散歩中の所皇帝に糾弾する事件が起った。

これを機会に二人の逢瀬は減り、マイヤーリンク事件でルドルフ皇太子が死去すると離別を決意。

手切れ金と他言しない旨の書面を取り正式に別れた。その一年後アンナは一人の男の子を生んだ。

フランツヨーゼフ1世はその子に自分の若い時の肖像画が入った時計を贈り届けた。


後年アンナは日記を書いていて、死後公開されその存在が公にされた。

アンナは死ぬまでフランツヨーゼフ1世の写真を離さず敬愛し続けたという。


他にもいたという話はあるが知る限りの共通点は可愛らしく若い女性が好みだったようだ。


但しエリーゼベトとは似てもないタイプ当時では美しいとされるぽっちゃりタイプで可愛らしい家庭的な容貌。


エリーザベトとは対象的逆にそういうのを求めたかもしれない。

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