死と生とその狭間で…
晩年のエリーザベト皇后の最大の不幸は息子の死だった。
しかしその前後は彼女にとっての死は連鎖的に続く。いかにして現実から逃避していったのか?
不幸の中でも抗う彼女の姿を描いていく。
旅から旅へと鴎の逃避行は飽きる事を知らないし、夫との約束で時々生まれた地に舞い戻りようにウイーンに帰ってくる。
でも僅かな日数だけよ。
一か所にとどまる事なんて出来ないの私は……鴎…陸に私の居場所はない。
今思えば1886年から私の身に死は身近なものになっていった。
従姉弟のバイエルン王ルードヴィヒが叔父のルイポルト派の政治家達に禁治産者に指定されてベルグ城に幽閉された。
数日後にシュタルンベルグ湖で主治医と謎の死を遂げる悲劇が起こった。
主治医には首を絞められた跡があり、王は浅い水深に仰向けで死んでいた。
肺に水が浸入していなかった。
溺死ではなかったという。
その時私は湖畔のフェルダフィンクのホテルに滞在していた。
慌てた様子のイルマから彼の幽閉を知らされて質素な馬車でベルグ城の門まで走ったの。
ベルグ城の執事の助言で謁見は見送られ、しかたなくホテルに戻った。
本当に心配でホテルの窓から、向こう岸のベルグを眺めながら王の心配をしていたわ。
こんなに近くにいるのに会えないなんて。
彼は狂ってなんかないわ。
そう少し夢見がちな夢想家だっただけよ。
従姉弟だったけれど年が離れすぎていて、割と知り合ったのは成人してからだった。
バートギッシンゲンの静養中に偶然滞在中に出会い意気投合したの。
彼は確かに変わっていたけれど、中世の騎士の様に美しい若者だったわ。
二人でシュタルンベルグ湖の薔薇島で語り合ったりもしたわ。
私達は共通点が多かった。
人に理解されなかった。
人を恐れた。
人を愛せない。
人に興味がなかった。
あっ!
一人貴方を理解した人はいた。
私の妹ゾフィー・シャルロッテよ。
貴方とワーグナーのオペラに熱中して楽しそうに劇の台詞を言い合ったり、歌を歌わせたりしていたわね。
とてもお似合いだったけれど、二人を見て夫婦というよりも師弟関係のようだったわ。
貴方には結婚という現実を受け入れられなかった。
延期される結婚にに父が怒り婚約は解消されたわね。
その後ゾフィーはフランスのアランソン公子に嫁いだのだけれど、舅と折り合いが悪くて。
精神的な病いを患ったのよ。
婿が心配して二人でシュタンゲルグ湖のポッシー館で静養したの。
私達も集まって家族の中で安心したのか、徐々に回復していったわ。
王の死を知って更に病状は悪化して更に静養したの。
ゾフィーのその後はまた後で語るわね。
私は貴方の死を受け入れられなくて、しばらく精神状態が不安定になったのよ。
どうしてこんなことになったのか?
ヴィッテルスバッハ家の狂気が私達を苦しめるのかしらと……。
私は疲労困憊して貴方の葬列にも葬儀にもジャスミンの花を贈るのに精いっぱいだったわ。
悲しみの涙を流しながらルードヴィヒへ送った詩を思い出していた。
薔薇島の机の上に置いてきたわね。
王が来た時に読んでもらうように。
かなた高山の鷲よ あなたに
海の鴎が 泡だつ波から
あいさつを送ります
万年雪のほうへ 高々と
私達が会ったのは もうだいぶ昔
湖面のあくまで穏やかな
薔薇さきにおう頃でした
私達 黙って翼をならべ
深い静寂に舞いました
ひとり 黒人が小舟で
歌っているだけでしたね
少し時間が経って薔薇島に訪れたら、私の詩の代わりに王からの詩が置かれていたわ。
遠い海辺から鷲の高鷹へ鴎のご挨拶
間違いなく届きました
鷲は翼もかるがる
昔の思い出をになって飛びました
あれはたしかに薔薇香る入り江を
鴎と鷲が一緒に訪ねた時でした
出会った両者は誇らしげに弧を描き
会釈を交わし過ぎ去ったのです
今山の高みへと向き変え鷲はデンマーク海岸の鴎に感謝します
そうして羽音も颯爽と
海面へ朗らかな挨拶を送ります
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「飛び立つ鳥の様にこの世を去りたい」
王の死をなんとか立ち直る事が出来た。
静養する為にハンガリーの南部の温泉を訪問しにウイーンに帰った。
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1898年1月30日
その朝侍女に髪を梳かしている時だった。
ギリシャ語の教師にホメロスを読ませていたわ。
扉をノックする音の後にイーダの悲壮な声が聞こえたの。
「陛下 ノブスカ男爵が今すぐにお話したいと言っております」
「えっ?この時間に?
少し待つように。または後で…」
イーダの更に悲痛な声が続く。
「皇太子殿下について悪い知らせが」
「え??」
急な接見を希望したノブスカ男爵が深々とお辞儀をして静かに震える声でゆっくりと告げたのよ。
「陛下………皇太子殿下がお亡くなりになられました………」
最後まで聞いてられなかった私の頬に自然と涙が流れてきた。
なんだか現実的なないような気もしたのを覚えているわ。
そうこの世はまだ私に試練を与えるのかと思った。
「亡くなった……ルドルフ……ルドルフが……」
慟哭の涙が止まる事を知らずにただただ流れてベットに倒れ込んだわ。
悲しくて……辛くて……どうして神は私の試練を……。
そんな時、皇帝陛下がお越しになったのよ。
勿論陛下にはまだ知らせていないとノブスカ男爵は言っていたわ。
「まだよ。
まだ陛下にはお越しになれないように」
私はイーダに叫んだわ。
自分の整理がついていなかったのだもの。
無理だった。
少しの時間まるで永遠の時の中にいるようだった。
でも皇帝陛下に御話ししない訳にはいかない。
それにこれは私がお伝えしないとと思ったのよ。
「いいわ。入っていただいて。
神の御加護を祈るだけだわ」
自分が絶望の淵にいるのがわかっていたけど、夫の事を思うと気丈に振舞わないといけないと変に冷静だった。
覚悟を決めたあの時今でも覚えているわ。
その後夫に「ルドルフの死」を告げたの。
私達の息子が死んでしまったことについて。
再びの悲劇が私達を襲うと二人。
夫はワナワナと口元が震えて私の手を取ったわ。
私達は声も上げずに泣き合った涙が二人を包んだわ。
そう一番上の娘を亡くした時以来の大切な子供の二人だけの…。
不幸だったの?そんなに世の中を憂いたの?
あまりに突然で私に瓜二つの魂を持ちながら、理解し合えなかった子と親である私と貴方。
どうしてこんな事になってしまったの?
しばらく抱き合って、夫はようやく冷静になって部屋を出たわ。
そろそろシュラット夫人の訪問があるはずから彼を慰めてくれると思って少しだけ安心した。
私はこの後ヴァレリーにも知らせないとと思って娘を部屋に呼んだの。
娘は不思議そうに部屋に入って来た時、私は泣いていたのよ。
「ママ?
どうしたの?
何があったの?」
不思議そうに聞くヴァレリーの瞳を見つめながらまるで本を読むように告げたの。
「ルドルフが…もうだめらしいの…」
娘はしばらく表情をこわばらせて言ったわ。
「自殺したの?」
「どうしてそんな事?
違うは毒を盛られたのよ」
その時よ。
夫が入り三人で抱き合ったの。
重い沈黙の後、夫は侍従に言ったのよ。
「シュテファニーを呼んできなさい」
そして息子の家族に夫の、父の死を知らされたの。
息子のルドルフは私の唯一の男子だった。
長女のゾフィーが病死した後、何とか立ち直って一年後妊娠して難産の末生まれた初めての息子だった。
あの子を出産した後原因不明の高熱にうなされて、しばらく起き上がれなかったわ。
なんとか体調は回復したけれど、あの子を手元に置くと強い意志が持てなかった。
将来のハプスブルグ帝国の後継者、夫、義母、帝国中が喝采で迎えられたあの子。
帝国の未来を一身に受けた子。
私は誕生は嬉しかったけれど心は晴れなかった。
何故なら必ず息子は私から離されると確信していたし、まさにその通りに義母に奪われたわ。
若くて未熟な皇后には未来の皇帝の養育を任せられないと。
ゾフィー達を義母の反対を押し切ってハンガリーに同行させた時、チフスにかかってゾフィーは死んでしまったの。
義母は私を責めなかったけれど、私は育児に自信を無くしたわ。
もう彼を取り戻す戦いをする気力もなかったの……。
ただ許された時間だけ面会をしたて抱いたわ。
自分の子供なのに可笑しな話でしょ。
抱きながら悲しかったわ。
悲しすぎて会うのが辛すぎて…我が子なのに他人の子の様に距離をとって……。
愛情が深くなってあの子を取り戻して、再びゾフィーの様に殺してしまったらどうしよう……。
どうしてもその呪縛を解く事が出来なかったの。
ようやくあの子の教育に「待った!」をつけられるようになるまで何年もかかったわ。
あの子の養育係りだった男ゴンドレクール大佐は躾、帝国の未来の皇帝にさせる目的の為にまだ幼いあの子に虐待していたのよ。
鞭で打ったり、冷水を浴びさせたり、過酷な度を過ぎた運動、寝ているそばで銃を撃ったり、動物に襲わせたり、森の中で一人置き去りにしたり、そんな毎日が幼い息子にいいはずはない。
私が気が付いた時には精神的に追い込まれ、神経過敏で委縮した病弱な子になっていった。成人してもその心理的な精神は不安定で罪悪感と自己否定感の強い人物になってしまった。
大佐の虐待の事実を知って私は激怒したわ。
その時ようやく我に返ったの。
私しかあの子を救えないと。
夫に息子の教育係りの解任をしないと、離婚するとせまったのよ。
私達はカトリック信者よ。
離婚は大罪と言われていたから。
流石の夫も私の意見を聞いてくれたわ。
教育係を補佐官のトゥルンベルグ伯爵が任命された。
ルドルフは温厚な教育者に託され成長していった。
好奇心旺盛で自由に多くの知識を吸収していったと聞いていたわ。
あまりあえなくても嬉しい手紙や、久しぶりに会えた時にはキラキラした瞳で私を見つめていたものよ。
皆が思う親子関係ではなかったかもしれないけれど、青年期にはそれなりに彼の未来は輝いているようにも見えたわ。
成人した息子は頭が賢く繊細で優しい子供に成長したの。
でも幼少期に一緒にいなかったという過去は私達のその後を大きく左右したわ。
私達は家族というにはまとまりがなく他人行儀で、次女のギーゼラがお嫁にいってから彼は孤独だった。
夫は彼を後継者として接するあまりにあえて冷淡な態度だった。
そして私は最後のそして最初の私だけの娘ヴァレリーが出来てから、さらに彼とも間に微妙な関係が生まれた。
私の愛情がなくなったと思ったみたいなの。
会ってもわからないくらいに段々とルドルフの孤独の闇は徐々に深さを増していったみたいだった。
知らないうちに。
今ならわかるわ。
そう私達はお互いを理解しようと歩みよらなかった。
歩み合って否定されたら怖かったの。
私はいい母親ではなかったわ。
そう……全てを諦めれ閉まったの……。
年頃になり、ルドルフは外遊も兼ねてヨーロッパを旅行しながら鳥類学に興味を持ち、政治的には自由主義の教師に学んでいたためにヨーゼフ2世やフランスの市民王と呼ばれたルイフィリップ2世の治世を目指そうと思っていたというわ。
帰国後は軍属しながら結婚適齢期になったわ。
当時の王室や皇室には彼に合った適齢期の女性は極々限られていたの。
カトリック教で十代後半もしくは二十代初め当然未婚で出来れば多産の家系といえば。
ベルギー王国の第一王女ステファニーくらいだった。
初めて会ってあまりの田舎娘ぶりにびっくりしたわ。
純朴といえばいいのでしょうが…。
直感的に繊細なルドルフには合わないと思った。
でもルドルフは私の意見など聞く余地も持ってはいなかった。
「彼女でもいいか」それが彼が下した決断だった。
夫は喜んで婚約を祝っていたわ。
私は「まだ結婚には早い」と婚約期間を置く様に進言したけれど意見を聞いてくれなかったの。
後継者として自覚が芽生え帝国の将来を危惧して、書籍や新聞に名を伏せて現体制の批判やオーストリア貴族社会に警告していたわ。
オーストリア貴族はイギリス貴族のような権利に対して義務を遂行していないという書を匿名で出版したわ。
でもそれも秘密警察に夫に報告されて激しい叱責と罵声に神経は痛めつけられてきた。
当時は帝国中民族対立、民族主義が台頭してきた時代。
皆ゲルマン人、マジャール人、スラブ人、ユダヤ人、イタリア人ありとあらゆる帝国内の民族が独立
を勝ち取ろうとハプスブルグへ反旗を繰り広げようとしていたから。
彼はそんな帝国の未来を自由主義、立憲君主制に傾倒し現在の親プロシアからロシア・フランス圏で
協力しようと政治的に動いていたの。
それしか帝国の道はないと考えていたみたい。
けれど絶対君主制をあげる父となにかと対立し、政治の世界への介入を阻止され遂に廃太するとも言われてしまう。
酒と女に溺れついには娼婦から性病の淋病をうつされて重篤な状態に陥ったの。
結婚以来もめていた妻ステファニーに静養先でうつしてしまって、彼女は妊娠しない身体になってしまった。
もう帝国の後継は見込めない絶望的な夫婦関係にだった。
ただでさえ険悪な夫婦生活は破綻して、彼はすべての事に絶望的になったわ。
恐らく病状を緩和する為にモルヒネをうっていたために、ただでさえ不安定な彼の精神状態は最悪な状態に陥った。
もう少し妻が彼を支えてやれば、出来る人ならあんなに絶望を味わう事はなかったかもしれない。
私は個人的にステファニーは嫌いだった。
駄目よね。
彼女には悪いけれど。
彼女の伯母であるシャルロッテは夫の弟の妻だったの。
義母のお気に入りの嫁で独占欲が強くて、私が侯爵の娘で自分は国王の娘で王女なのに身分がただの大公妃なのが気にいらなかったのよ。
態度にすごく出ていたわ。
頭でも彼女とあの女とは違うとわかってはいたわ。でも心が……。どうしようもなく好きではなかった。
若い時に彼らの城を訪ねた事があって大公妃にも会ったけど。
その時に私の犬シャドーが彼女の愛犬のプードルを嚙み殺した事件もあったのよ。
結局二人の性格の不一致で結婚生活は娘が出来たけれど破綻していたの。
彼らのもめ事に放置していた。
離婚は出来ないから。
宮廷内でも家庭内でも政治的にも段々息子は未来に希望が持てず、自暴自棄になっていたらしいの。
馴染みの娼婦に自殺話も持ち出したり、始終そう言っては体たらくな毎日を過ごしていたそうよ。
ある日皇太子が対ドイツ主義を打ち抜く行動をとった事に激怒して、皇帝はドイツ大使館のパーティーでプロシアの軍服で参加するように強要したの。
皇太子は「この軍服は僕には耐えられないほど重い」と愚痴をこぼしたそうよ。
その夜私の姪である従姉のラリッシュ伯爵夫人に愛人の一人だったマリー・ヴェッツェラを連れてくれるように伝言したそうよ。
「明日、マリー・ヴェッツェラを連れてきてほしい。今頼れるのは彼女だけだ」
何に頼るの?
そう
1月28日、息子はマリー・ヴェッツェラとともにマイヤーリンクの狩猟館に馬車で向かったの。
1月30日水曜日午前6時10分、彼の部屋から2発の銃声を聞いた執事が駆けつけたらしいわ。
ルドルフとマリーがベッドの上で血まみれになって死んでいたのよ。
傍らに拳銃が落ちていたそうよ。
検視の結果。
ルドルフがマリーを撃ち、その数時間後自分の頭を銃で撃ったのよ。
そうクリスチャンの中では禁忌である自殺をしたのよ。
心中した娘の両手は前で組まれ一本の赤い薔薇が手に握られていた。
息子は腰を降ろした状態で頭を打ち抜いてリボルバーが床に落ちていた。
グラスにはコニャックがまだ少し残っていた。
ここまで話して皆さん私をなんて情けない親なんだと思うでしょうね。
そう。私も弁解出来ないわ。
そう……。
私は否定される事を彼の口から吐き出される言葉が怖くてなんにも向き合わなかった。
息子の苦悩を。
私が一番理解出来て助ける事が出来たかもしれないのに。
そうその通りだわ。
いまならわかるわ。
今なら。
でもこの時は………。
息子の死に顔は不幸から解放された様に静かな微笑みさえ讃え、大変穏やかで幸せそうなものだった。
後から遺書が見つかった。
夫以外の近親者へね。
私に向けた遺書はとても長くてとてもとても語れないほどの内容だった。
皆さん内容は知らないでしょう。
イーダに私が死んだら燃やすように言っておいたから。
葬儀についての許可を夫が長い暗号の電報を教皇に送って彼の遺体はキリスト教徒の埋葬が許可された。
司祭が儀式を行い礼拝堂から教会へ葬儀が営なわれたわ。
私はあまりのショックで葬儀には参加できないほどベットで寝込んでしまったのよ。
落ち着いてから彼の葬儀が終わってカプティーナ教会の地下の墓に足を運んだの。
ひょっとしたら彼の魂に出会えるかもしれないって。
暗くてジメジメした静かな空間だけだった……会えなかったのよ。
そういえば今思えば昨年から心ここにあらずの様子が目立ったのに、私は少ない言葉をかけるだけで彼の変化に気がつかなかった。
でも変に疲れている様子があったから尋ねてみたの。
「体調が悪いの?病気なの?」
「いえ。
ただ疲れていて。神経がズタズタになっているだけです」
か細い声で無表情で言うだけだった。
それ以上私は追及もしなかった。
もっと話せばよかった…………。
もう遅い。
年末に様子が気になってヴァレリーの婚約もあって家族で夕食会を開催したの。
静かでどこか吹っ切れた様子だったのでほっとしたものよ。
今までヴァレリーとルドルフの関係にとても不安があったから、この時に結婚する二人の後見をお願いしたのよ。
「貴方達の代になってもヴァレリー達に優しくしてあげてね」
「約束します。誓いますよ」
私は感激して、何故ならヴァレリーの結婚にルドルフは難色を示していたの。
婚約者のフランツが肩書だけのトスカーナ大公子というのが気にいらなかったの。
だけど約束してくれたのよ。
私は感激して息子の額に十字を切って祝福したわ。
「貴方は私の息子。
深く愛していますよ」
ルドルフは私の行動に感極まった様に手の甲にキスをしたわ。
ヴァレリーは私に頬ずりして兄にも熱く抱擁していたわ。
ルドルフは感激のあまり声を震わしていた。
皆この夜は印象的な日だった。
「いつもこうでなくては…」
こんな感動的な夜が実は精一杯のルドルフの最後の愛情の証だと。
気づいていなかった。
全てはいい方向に行くと思っていたの。
このルドルフの行動や言動はもうこの世に何の未練もない私達への最後のたむけだったのね。
それに気づいたのは彼が死去した後だったわ………
最後の家族の晩餐の日ルドルフは欠席した。
そう風邪だと言って…でも実は違っていたの……。
あぁ~~今にして思えば止める事が出来たかもしれない。
今にして思えばだけど…。
ルドルフの遺言書は夫宛て以外存在していた。
私には長い手紙を残したけれど死後イーダに焼却処分したので、多くは伝わっていないの。
でもヴァレリーが日記に少し書いているわ。
いつかお父様が瞑目されたら、オーストリアの状況は更に居心地の悪いものになる。その後どうなるか私にはよくわかる。
君は国外に移住するように忠告します。
そしてその前に私とヴァレリーの前で言った事があるわ。
フランツ・フェルディナントが皇位継承者になって皇位を継いだらもうおしまいだ。
皆さんは意味がわかっているわね。
そう彼はルドルフの死去後皇太子になり、サラエボで暗殺されて第一次世界大戦が開戦された。
ルドルフは自分の死か廃太子を予言していたの。
私もその点は同意見だった。
非のうちどころない人格、自己犠牲で全てをまとめているお父様がいらっしゃらなければオーストリアは存続出来ない。
オーストリア人が大ドイツに戻りたいと行動しないのはひとえにお父様に対する愛情だけだと。
「ヤーウェの元に召される事が出来さえしたら…お父様は自由になれるし、貴方の結婚生活も貴方なしに過ごす私の淋しい暮らしを思って乱される事もないでしょうに」
「ルドルフが羨ましい。
死の訪れが待ちどおしい」
死への願望は心に大きい波紋がひろがっていった。
ヴァレリーにこう言って困らせてしまったの。
私はその後かのマリアテレジアにならい自分のドレスや煌びやかな装飾品を身近な人に贈り、自分は喪服や黒か紫の装飾品しか身につけなくなった。
たまに慶事の時にはグレーや紫のドレスを着る事もあったけれど……。
でもね不幸はこれだけではなかったの…。
ルドルフの自殺については今尚多くの謎が残っています。
おそらく自殺とは思われますが、その原因が単に恋愛の成就とも父との確執、未来の統治者からの脱落などで自暴自棄になった上での自殺と結論つけるのは単純ではないかもしれません。
当時欧州では情死による自殺と飛び交っていましたから。
知らない事実=謎
ルドルフが父に知れたら処刑される。
側近に残した手紙を全て処分させたり。
私は殺されると自分で証言している。
親族のヨハン大公が失踪し、ハプスブルク家から離れ海上で行方不明となっている。
いづれもどこか奇妙です。
ルドルフは多民族国家であるオーストリア帝国の行方を左右するキーパーソン。
自由主義でかなりのジャーナリストとも交流があり変革をもたらす存在だった。
そして父は王権絶対主義だった。
ルドルフはまさに板挟みになった状態。
仲間を裏切るか?
父を裏切るか?
それとも当時の親プロイセン体勢の反発と陰謀?
おそらく本当の理由もエリーザベトやヴァレリーにも知らせてなかった可能性があります。
フランツヨーゼフ1世、ギーゼラ、ラトゥール伯爵
誰も証言を残さなかったので真相は闇の中。
明らかになる書簡の発見をまたなくてはいけません。