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死と生とその狭間で…Ⅱ

ルドルフ皇太子は帝国の斜陽を確信し、淋病の悪化によるモルヒネやマリファナの投与の影響か重い鬱病を併発させた。

ベルギー王女のステファニーは決して夫を支えるほどの裁量はなかった。

それでもまだエルシィが生まれてから比較的落ち着いた結婚生活だった。


ただ政治や父である夫との政治的な対立が深まる中で、宮廷で孤立化するルドルフ。

オーストリア宮廷で私の代役で行うステファニーには無理があった。


それぞれの余裕のない生活は心を枯渇しすぎて相手を思いやる余裕がなかったようだった。


この宮廷のどす黒い世界はいつも何年経っても変わらない。

私達は家族であったけれど、常に宮廷内の権力構造のパワーバランスが壊れる度に、家族の亀裂を生みだした。


二人との関係は悪化し、自分の両親にも心の内を明かせないどころか……。

後継者として冷淡なほど毅然と接し、時に激しく叱責をし続けていた。

エリーザベト皇后も旅から旅へと彼を厭う暇も持たなかった。


ウイーンで過ごした日も彼とは、いえ家族とはなんとなくぎこちなくて。


特にヴァレリーが生まれて来た時から家族の関係はさらに希薄になった。


息子ルドルフの死以来、エリーザベト皇后の90年代は死が連続的に訪れていく。

懐かしい少女時代の輝かしい時代が消え去っていく。

無常と虚無感の中で。

それでも生もあった。

表裏一体

1888年から私にとって酷く落ち込む出来事が大きかった。

ルドルフの死からまるで塔が崩れる様にして私の周りの人々が私の元から去っていった。

成人後に反目してしまった父が死去した。

私の体調を気にしたフランツは私のポッシー館行きを諦めさせた。

私もそれ以上強く出発する事もなく、父の魂を遠くから見送った。


1889年私のハンガリーへの情熱を共に支えてくれた臣下アンドラーシ・ジュラ伯爵が亡くなった。


急ぎブタに赴き遺体に対面し葬儀に参列した。

あの大きな偉業を共に支え合って実現した最後の友人が去ったの。

悲しかった。


私の愛したハンガリーはこの後、以前の改革や熱気が感じられずに保守派のフーシェが重用された自由主義は脇に追いやられた。

私の愛したハンガリーはもうなくなったの。


挿絵(By みてみん)

気分が滅入る中で又私に不幸は連鎖的に訪れる。


姉ヘレネが危篤だというの。

レーゲンスブルグの城に駆けつけた時にはまだ姉は意識があった私達は英語で会話したわ。


「懐かしいシシッ」

「ふたりの人生には強風が吹いていたわ」


それは夫の出会いは実は姉とのお見合いだった。

それがいつのまに私に代わり私がオーストリア帝国の皇后となった。


姉はその事で婚期が遅れ、一時病気になったほど。

トゥルン・ウント・タクシス侯爵家の嫡男と婚姻して幸せな結婚生活を送ったけれど夫が早世したの。

でも子供達を立派に育てたのよ。

子供の頃からしっかりした姉で私の面倒の飽きもしないで根気よく遊んでくれたわ。

しっかり者で真面目で。

私が心身ともに疲弊して静養していた時には島まで介護に来てくれたもの。


でもお姉様が皇后になっていたらどうなっていたかしら?

少しは夫や子供達は幸せな家庭を築く事が出来たかもしれない。


「ええ。でも私達には愛情があったわ」


姉が少し悲しく微笑んで言った。


姉も決して神風満帆ではなかった。

いえ私達姉妹全員がそう。

最後姉はこう言ったの。


「ええそうね。

 人生とは悲しみであり惨めさなのよ」


私はこの言葉を噛みしめ、姉ヘレナはこの世を去った。

自分では死ぬなんて知らずに逝ったのです。


「臨終の苦しみが恐ろしくて、自殺しようとすることがあるのが、いまわかりました」


また一つ私の魂が消滅した瞬間だった。

この喪失感は信仰などという掬いは見いだせない。




しかも全て大切で私の原点。

あの懐かしいポッセンフォーヘン城の慕情に鮮烈に残る思い出深い人達が。



6月には体調が悪くなってクロイツナハへ治療の為に滞在する事になったわ。


92年に母ルドゥヴィカが気管支炎で亡くなった。

すぐに駆けつけたわ。


母は若い頃ポルトガル王子ミゲルと恋愛関係になったもののミゲル王子が王太子でないのを懸念して、父であるバイエルン王から結婚の承認が受けられなかった。


祖父は見る目がなかったのね。

その後ミゲル王子はマリア女王を廃位してポルトガル王になったのよ。

その前にお母様はお父様と政略結婚したけれど。


二人は望んだ結婚ではなかった。

母はブーケトスの際に。


「この結婚から生まれ出るものは全て、ひとつ残らず神の恵みにあずかりませんように」

といったそうよ。


それでも8人の子供に恵まれ元王女であったのに自分の子で子供を育て、旅に愛人に走る夫に振り回されながら母として人生を生きた。


私がウイーンに行っても手紙や時々は会いに来てくれた。

私の大切な母が…辛い時に慰めてくれた母。

つわりが酷い時に心配して面倒を見てくれた。

私が心労で病を負った時には心配して介抱してくれた。

夫の不甲斐なさに実家に戻った時には一緒に慰めてくれた。

私の温かい母が。


俗性はあまりに悲しすぎて3月には静養の為にコルフ島に旅立った。


涙はまだ枯れる事はなかった。


その一年後に末っ子のマクシミリアン・エマヌエルが亡くなったの。

まだ43歳という若さで。

あの子は末っ子ですごく可愛らしかったの。


私がすぐに結婚したからあまり長くは一緒にいなかったけれど、バイエルンの立派な軍人だったの。

成人してザクセン=コーブルク=ゴータ家のアマーリエに一目ぼれしたのよ。


でも当時アマーリエはバイエルンの王子に婚約が決まりかけていた。

ほとんど決まっていたといってよかったわ。


でもマックスの恋を知って私がその王子に私の娘のギーゼラと結婚するようにゲデレー城に招待したの。

そこで娘を紹介したのよ。

紹介って表向けよ。

お見合いね。


でも二人は顔までなんとなく似ていて。

理想的な夫婦に見えたもの。

そして王子は皇帝の娘婿という特権。

その関係に飛びついたわ。


アマーリエの婚約話はそれっきり途絶えて、ギーゼラとの婚約が発表されたのよ。

それからしばらく彼女の傷がいえるのをまってアマーリエ公女をマックスに紹介したのよ。


二人には子供が三人出来たのにマックスは働き盛りで急死したのよ。

もう絶望しかなかったわ。


どうして神はこんなに生きているというだけで試練を与えるのかしら?


どうしてあぁ~~死はいずれ私にも訪れる。


その時にどんなにか……この世になんの未練もありません。

静かに…旅をしながらどこかで……ひっそりと死にたいわ……。


そして遺骨はコルフに埋めてほしい。

80年代後半まで90年代前半までエリーザベトの周りでは死が付きまとうようになっつていく。

従姉弟の悲劇的な謎の水死事件、実父、姉や実母、弟、そして末の妹の事故死と続きます。

そして最後には息子ルドルフ皇太子の死。


その為に欝気味になり時に旅が出来ないほどの体調不良に見舞われると、各地の温泉療法と葡萄療法やマッサージなど治療も旅の目的になっていきます。


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