表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/31

鴎は孤高の世界へ…詩作とハイネとカルメン・シルヴァ編

後年のエリーザベト皇后が愛した詩作。

ハイネを愛して秘密裏に詩を書いた。

私は秘密の詩人。

少女時代からルドルフの死までの間に書き留めた詩を王宮の片隅の小箱に封印し、弟のカール・テオドールに託した。


「親愛なる未来の魂へ

 これらの原稿を貴方様に託します。

 御主人様の言葉を私が口述筆記したものです。

 送り先もご主人様が指定したものです。

 現時点では1890年から60年後に刊行し、最も称賛に値する政治犯達やお金に困っているその家族に用立ててください。

 何故なら60年後も今と同じように私達の小さな星には幸福や平和、すなわち自由は存在しないだろうから。

 他の星は存在するかもしれないって?

 今の時点では私には何も言えません。

 あなたがこの文章を読んでおられる頃には判明しているかもしれませんね。

 ……この辺で失礼致します。

 貴方様は私の願いを聞いてくださりそうだから。 


ティタニア 1890年盛夏疼走する特別列車にて」


私は日曜日の子供

太陽の子供

太陽が黄金の光が玉座の周りを取り囲む。

その輝きが冠を煌めかせる

その光の中こそ 私の住む場所

だがその光が失われば私は死ぬしかない


後年あの懐かしい子供時代をこの詩に読んだ。

そう私は光を失った。

でも魂は死んでも身体は生に居残る。

耐え難い苦しみが死を迎えるその瞬間まで続くの。


私の故郷シュタンゲルグ湖畔に建つポッセンフォーヘン城ポッシー館は全てが光の中にあった。

こじんまりはしているけれど、十分な設備と広さの館、背後に森林の森があって目の前には大きな湖。

見た事のない海を思わせる。


その湖を見ながらベンチに座ってぼ~と湖を山々を眺めるのが好き。

想像するのが好き。

絵を描くのも好き。

馬で森や湖畔を走るのも好き。

夏は泳ぐのも好き。

詩を書くのはもっと好き!!

姉妹で兄弟で遊ぶのはもっと好き!

パパに連れられて下町の皆で楽しく過ごすのが好き。

パパのチターを聞くのが好き。

そんな演奏を下町で聞いて市民と会話するのがもっと好き!!

パパの演奏で踊ってチップを貰ったわ。

ゆいつの私が稼いだお金。


多感な少女時代だった。楽しくてキラキラしてもう決して望めないあの日々。


10歳からの家庭教師に就任したヴルフェン男爵夫人は私をこう見ていたわ。


夢見がち、優しく、おっちょこちょいだとね。


なんの不安もなく楽しい話をして笑わせていろんな話をしてくれて、村人やバイエルン国民に愛されている父、私達を愛し時に厳しく太陽の様に包み込んでくれる母。

なんの心配もなんの不安もない中で詩に没頭する。


詩を書く時が一番好き素敵な詩が出来たら本当に最高に嬉しい!


初めての失恋。

ちょっと好きになってそんな気持ちを両親に悟られてこなくなった少年。

私が13歳の時


賽は投げられた

ああ リヒャルトはもはや

葬列の鐘が響く 主よ

我を憐れみたまえ


二年後彼が死んだ。


おお 何故に私に死がないのか?

君と共に天にありたい


オーストリア皇帝に出会い婚約者となった後のウイーンでのラクセンブルグでのバートイシュルでの不安、孤独、闇……。

ウイーンは嫌い。


また若々しい春が巡って来た。

そして木々が鮮やかな緑で装い

そして小鳥に新しい歌を教え

そして花をいっそう美しくほころばせる

けれどわたしに喜びが何だろう

こんな遠い異国の地にあるうというのに

わたしは故郷の太陽を

イザール川の岸辺を恋い憂う


ラクセンブルグにて

憧憬

新婚に用意された離宮で私は置いてけぼり。そして毎日エステルハージ侯爵夫人のお説教を受けなくてはならない。

息が出来ない!!


ああ、わたしがあの小道を離れらなければ

小道はわたしを自由に導いてくれたのに

ああ、あの広い大通りを

わたしは虚栄のためにさまよわなかった

牢獄のなかで目覚めると

両手に鎖

私の願いはさらに強くなり

そして自由、おまえはわたしを見捨てた

わたしは歓喜から目が覚める

私の心をとりこにしたものから

わたしはむなしくこの交換を呪う

自由よ お前をかけてなくしてしまった


ホーフブルグ

王宮は監獄

私を鎖で縛り付ける場所。


私は山から下りてきた

陶酔し茫然となりながら

私はある考えに至る

神がいかにその言葉を書かれているのかを

鋭く切り立った岩角から

聖なる書物の声が聞こえてくる

それは氷の中に閉じ込められ

雪に閉ざされていたのに


バートイシュルにて

夕暮れ

夏の別荘も私にはなんの保養にもならない。


そう詩は生きる私の証。


そして秘密の誰も私が詩を書くことを知らない。

秘密…。


一番好きな詩人は勿論ハインリッヒ・ハイネ。

ユダヤ系ドイツ人でそれゆえに迫害を受けるも素晴らしい詩を残してくれた。

私の師私は彼の弟子よ。


1867年ハンブルグで彼の全集が発売されて全部購入したわ。

彼の詩集、エッセイ、書簡全て素晴らしい。

最後のクリスマスプレゼントになったルドルフからの贈物もハイネの書簡集よ。


彼は大学時代から詩を書いていてドイツ国内を移動して暮らしていたけれど、政治批判や社会批判がドイツ政府に目をつけられパリで暮らしたのよ。


パリでは多くの芸術家、作家、音楽家が彼と交流して影響をおよぼしたの。

彼晩年は身体を悪くして半身不随になりベットから起き上げられない状態が続いたの。


58歳で他界されたわ。

彼は生前政府を非難したから貴族社会から嫌われていた。


だから私がハイネの像を寄贈してゆかりの地に設置すると知ったハイネを憎悪している連中がこぞって反対した。

本当にいいものをいいと理解出来ない厄介な人。


しかたなくアキレイオンに設置した。


でも私は亡くなった後、この別荘はギーゼラが受け継ぎ更に帝室に売りに出され、ドイツ皇帝に渡った後この像は撤去された。

本当に!!

残念~!



ハイネを愛読するだけで非難された。

私は迫害された者に寄り添う。

なぜならそれは私だから。


私は集められるだけのハイネの資料を収集して、遂には専門家からハイネの未発表の作品の真偽を確認してほしいという内容だったの。

私は慎重に判断したわ。

後世つまり貴方達の時代にこの真偽が正しかった事を立証出来たそうね。

満足よ!



********************************************



ルーマニアの私と同じ名前のエリサベト王妃

あっ!

名前が少し違うのはルーマニア語だからよ。

彼女も詩人。


ドイツ王族ヘルマン・ツー・ヴィートの大公女でルーマニア王に嫁いだの。

外国ルーマニアに言葉もわからず一人孤独に置かれ、子供を産んだけれどその子は3歳で亡くなった。

戦争時には慈善活動団体を立ち上げピアニスト、オルガン奏者、歌手、画家もしているわ。


私はその生い立ちに自分を重ねた。

そして私よりずっと現実的でこの俗世に順応するすべも持つこの王妃に興味を懐いた。


特に詩は素晴らしくてカルメンシルヴァという名で出版もしていたのよ。


気さくで陽気で賑やかな社交派の彼女は文学を好んでいたわ。

絶対王政主義を否定して私と似た所があり、私の数少ない理解者であり友であった。

私よりずっと現実主義者で、それでいて夢の世界も持っている。


本当に会いたいと心から思える友。

以前から親しくしたいと思っていた。



1884年ゲデレー城でルーマニア国王夫妻を国賓として迎えた際も夫と共に夫妻を接待したわ。

私は彼女が好き。

彼女の詩を読むと彼女の人となりが伝わるわ。

いろんな話をしたわ。こんなに共感できる方は兄妹でもこの方だけだわ。

本当に好きな方魅力的。


娘ヴァレリーの王妃の感想はね。


「ああゆうのを世間では文学がぶれの女というのでしょう。

 くりくりした大きなグリーンの目、まだ若々しい血色のいい頬、真っ白いすごくきれいな歯を見た時、そう思いました。

 あぁカルメン・シルヴァもちあなたが読心術にたけているなら、きっとわかるに違いない。

 私達は皆あった時から貴方のファン、無条件に貴方のファンという事が」



1887年ヘルクレスバートで温泉逗留してハイネを読んで保養したら、王妃が訪ねて来たの。

散歩、文学人生を語りつくした。

嬉しかった。

話たらずにルーマニアのペレシュ城へ向かい楽しんだわ。

文学少女ね。


友ルーマニア王妃

訪れたかったのは宮廷ではない

王妃に伺候したかったのでもない

詩人に会いたかっただけだ

わたしはカルメン・シルヴァを探しに来た



ルードヴィヒ2世の一周忌の年ね。

慰められたわ。



「異国の王妃となり髪の毛も白くなったのに、あの人はいまだドイツのお転婆娘ね。昔母親として不幸っ目に合ったほど。感情の世界も昔のまま。

 あいかわらず衝撃的で壊れやすい。燃えやすく枯れやすい作品にもその弊が露われています…」


私の彼女の批評よ。


「人々は厳しく堅苦しい宮廷儀礼という鎧をむりやり妖精にかぶせようとしました。

でも小さな妖精は飼い慣らされず閉じ込められませんでした。

 その世界が耐えられなくなるたびにひそかな翼を広げて飛び立つのです」


そう批評してくれた。

良くわかってくれているわ。


私が亡くなった後こう言ってくれたのよ。


「この女性にあっては全てが立派でした。

 歩きっぷりも髪も、考え方も、眼差しも深く柔らかい声の響きはごく控えめながら、情熱波が内に籠もっているようでした。

 私独自のエリーザベト観を大事に取っておきたかったし、他の人の見方によって自分の心酔を醒ましたくなかったからです」


ありがとエリサベト唯一の理解者。

貴方も甥と貴方の次女で恋人だった仲を応援した為に嫁ぎ先を追われたわね。


唯一の友。

あの世で待っているわ。

2人で文学論争するのを楽しみにしているわ。

エリーザベトのハイネ崇拝はすさまじく、専門家からハイネの新作の真偽を求められるほどだった。

ハイネは当時の社会では一般的に受け入れずらい詩人でした。

ユダヤ人であり、又当時の社会に対し批判的であったためでした。

エリーザベトはそういう反逆的なハイネの思考も共鳴した理由だったのかもしれません。

彼の彫刻の銅像を建立しようとしましたが、結局自身の所有するコルフ島に建てる事になりました。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ