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深淵

 数日後、お見舞に来たともちゃんと賢哉の傍らには興俄がいた。


「連れてきた、この人が役に立つかも」

 興俄と鷲たちはあの戦い以来、会っていない。学校は再開されたが、様々な事情で登校していない生徒も多かった。興俄もその一人だ。ともちゃんは北川先生に頼んで、興俄を病院に呼び出していた。


「元気そうですね」

 鷲の言葉に興我は頷く。

「話は聞いた。記憶が無いのか?」

 興俄の視線は冬華に向けられた。彼女は半身を起こして、ともちゃんと賢哉に微笑んだ。

「朋渚ちゃん、賢哉くん来てくれたんだ。ありがとう」

「冬華、具合はどう?」「ちゃんと食べてるか?」

 二人はこうやって何度かお見舞いに来ている。だが、冬華は友人のことも覚えてはいなかった。


「冬華の脳に働きかけられますか? 記憶がないのなら、貴方の力で元に戻せるかもしれない。よろしくお願いします」

 鷲の言葉に頷いて、興俄はじっと冬華を見つめた。見つめられた冬華は不思議そうな顔で首を傾げる。

「ええと……」

 興俄は何も言わず、ただ冬華を見つめる。

「貴方、誰? 鷲くんのお兄さん?」

 冬華の言葉に、その場にいた賢哉以外の人間が苦笑いする。興俄が見つめること数分。彼はやっと彼女から目を逸らした。


「どうです?」

 鷲の問いに、興俄は厳しい顔で首を振った。

「俺が読み取れる範囲では、何もない。もともと、お前達の記憶は読めなかった。だが、それとも違う。空っぽなんだ。こんな人間に会ったのは初めてだ」

「そうですか」

 鷲は肩を落とした。

「お前はこれからどうするんだ」

 興俄が尋ねる。

「僕は、冬華と生きて行きます。彼女に今までの記憶がないとしても、これからの思い出は作れますから。それで、貴方はどうするんですか?」


「俺は前世に囚われすぎていた。今の俺はただの高校生だ。まだ何も成し得てはいないし、何の実績もない。今回のことで、今世では未だに知らないことが膨大にあると思い知った。国を造るなどおこがましいってな。俺はこれからもっと己の知識を磨く。様々な現場に行き実践を踏まえて、そしていつの日かこの国を変える。既得権者と癒着する政治をやめて、政治が国民一人一人の幸せに繋がる世にしたい。資産に恵まれた世襲議員だけではなく、後ろ盾がない有能な人間でも政治家になれる世にしたい。そして」

「あの、すみません……」

 淡々と語る興俄の声を遮って、冬華がおずおずと片手をあげる。

「なんだ」

「あなたはどうしてそんなに偉そうな言い方なんですか? それに話も長いし……」

 冬華の言葉に、ゆかりんが思わず噴き出す。それを見た興俄は不機嫌な顔になり、

「だから、力を失った女には何の興味もない。こいつはお前にやる。今度こそ添い遂げろ。もしもこの先会うことがあったとしても、邪魔だけはするな」

 じゃあなと言って病室のドアを開け出て行った。


「誰が邪魔するかよ。相変わらずの上から目線だな。それにやるって……あの言い方」

 御堂が肩を竦める。


「冬華はモノじゃない。それに貴方のモノでもなかったでしょう!」

 鷲は廊下に飛び出して、去って行く背中に言葉をぶつけた。しかし、彼が振り向く事はなかった。


「あれが、あの人なりの精いっぱいの励ましなんだよ。たぶんだけど」

 ともちゃんが苦笑いしながら呟いた。

「みんな、神冷先輩に対して冷たくないか? 俺は先輩になら、これからの日本を託せそうな気がする。かっこいいし、いい人だと思うし、尊敬するけどなぁ」

 賢哉がそう言うと、ともちゃんが唖然とした顔で彼を見た。

「いい人って……ほんと……何も知らないって、罪だよ」

「え? どう言うこと?」

 賢哉は首を傾げるが、

「何でもない。こっちの話。賢哉は何も知らなくていいの」

 いつものように一蹴された。


「さっきの人……」

 ずっと黙っていた冬華が口を開いた。

「え? まさか冬華までかっこいいとか素敵だとか言わないでよ」

 すかさず、ゆかりんが釘を刺す。

「なんか……よくわからないんだけど、ちょっと嫌な感じ」 

 冬華の一言で、その場に居た賢哉以外の全員が吹き出した。

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