再会
季節が穏やかに過ぎていく。
冬華と興俄がつきあい始めて数週間が過ぎた、6月半ばのこと。
「冬華、おはよう。今日から梅雨入りだって」
廊下で会ったゆかりんが声をかける。
「そっか。しばらくは雨が続くね」
ゆかりんと教室に入ると同級生たちがざわついていた。二人は一番騒いでいる男子の声に耳を傾けた。
「転校生が来るみたいだぞ」
「転校生って男? 女?」
「男だって」
「ちぇっ、男かよ」
「こんな中途半端な時期に来るなんて、ワケありかな」
「転校生かぁ、イケメンだったらいいな」
隣にいたゆかりんがうっとりとした口調で言う。以前にときめいていた男子生徒は、運命の彼ではなかったらしい。
生徒達が騒いでいると、予鈴が鳴り教室のドアが開いた。
「おーい。HR始めるぞ。早く席につけよ」
担任の一声で、ざわついていた生徒達はばらばらと席に着く。
先生は廊下にいる生徒へ顔を向け、中に入るよう促した。現れたのは、冬華より少しだけ背が高く、細身で茶髪、綺麗な顔立ちをした男子だった。
「今日は、転校生を紹介する。自己紹介を」
「椎葉鷲です。宜しくお願いします」
転校生は柔らかな笑みを浮かべて教室内をぐるりと見回した。そして最後に冬華を見た。不意に見つめられ、彼女の心臓がざわついた。そしてはたと気が付いた、彼は以前、ファーストフード店で自分の髪を触った男だった。
「ねぇともちゃん。あの子、前に会った怪しい人だと思うんだけど」
冬華は前に座っているともちゃんをつつき、小声で尋ねる。ともちゃんは黒板の前に立つ彼を見つめてから、振り向いた。
「え? あんな子だっけ。もっと怪しかったと思うけど」
「あの子だよ。間違いないって」
彼の視線はまだ冬華に向けられている。彼は以前会った男に間違いなかった。冬華は落ち着かない気分になり、思わず目を逸らした。彼女の心臓はずっと早鐘を打ちつづけていた。
「転校生イケメンだったけど、線が細くて守ってくれるタイプじゃないなぁ」
休み時間になって、ゆかりんが残念そうに言うが、冬華の耳には届いていなかった。
放課後、靴箱で靴に履き替えようとした時だった。
「夢野さん」
不意に名を呼ばれた冬華は、手を止めて声の方を向く。声の主が転校生だと気がついて、思わず身構えた。
「な、何?」
「突然ゴメンね。覚えていないかもしれないけれど、僕、前にきみと会ったんだ」
穏やかな声で告げられて、冬華は『あ、ああ、うん』と頷いた。覚えているも何も、朝からずっとそのことばかり考えていたのだ。
「やっぱりそうなんだ。覚えているよ。椎葉くんって、あの時の人だったんだね」
「あの時だけど、突然ごめんね。きちんと謝りたかったんだ。きみが知っている人に、よく似てたからさ」
彼は申し訳なさそうに手を合わせる。謝る姿を見て、ストーカーではなくて本当に人違いだったんだとホッと胸をなでおろした。
「似ていたって、あの時言ってた『しずか』って人?」
何気ない問いに彼は黙って頷く。
「そんなに似ていたの? まぁ、世の中には自分にそっくりな人が三人はいるって言うもんね。私も会ってみたいな。その人に」
冬華の問いに、彼は曖昧な笑みを返した。少し寂しそうな顔に、不思議と胸が締め付けられる。
「彼女はずっと一緒にいたかった人なんだ。訳あって離れ離れになってしまって、そして……ああ、つまらない話をしちゃったね」
そこまで言って彼は口を噤んだ。
『ずっと一緒にいたかった人』言葉が過去形になっている、と気が付いた。彼はこの年齢で大切な誰かを失ったのだろう。自分と間違えたということは、年齢的に姉妹、いや、恋人かもしれない。離れ離れだと言った。その人は亡くなったのだろうか。立ち入ったことを聞くんじゃなかったと後悔した。
「ごめんなさい」
素直に謝ると椎葉は不思議そうな顔をした。
「どうして謝るの?」
「辛い過去を思い出させてしまったみたいだし。余計なことを聞いてごめん」
「夢野さんは優しいんだね」
彼は穏やかな笑みを浮かべた。
「ええと……」
「おい、椎葉」
冬華が何を言おうかと逡巡していると、正面から身長180cmは軽く超え、がっしりとした体格の男子生徒が片手を挙げて近づいて来た。大柄な男子生徒は短い髪で、厳つい顔と身体をしている。線の細い椎葉とは対照的だった。名札には『御堂』と書かれている。名札の色から推測して三年生のようだ。
「じゃあ私、先に戻るから」
半ば逃げるように、冬華はその場を立ち去った。
大柄な男子生徒は苦笑して、彼女の後姿を見ていた。彼は御堂嶽尾。この高校の三年生だ。
「あの子がそうか?」
御堂が尋ねると、
「あぁ。全く覚醒はしていないようだけど」
椎葉は頷き、天を仰いだ。ため息混じりに吐き出された言葉に、御堂は「仕方がないさ」と宥める。
「同じ時代に巡り会えた。大きな一歩だろ。そのために転校までしたんだからな。しっかりしろよ、我が主君」
御堂嶽尾はそう言って笑った。
椎葉鷲と別れた冬華は、友人の存在を思い出した。正門前で待たせているのだ。今日は先輩と一緒に帰る約束をしていない。正門まで近道をしようと、渡り廊下を土足で走っていたら、
「おい、どこを走っているんだ」
背後から声をかけられた。先生に見つかった、まずいと思い立ち止まる。恐る恐る振り向くと、声の主は神冷興俄だった。彼は手にノートと筆箱を持っている。
「興俄先輩! 今から生徒会ですか?」
「そうだよ。本当なら可愛い彼女と一緒に帰りたいところだけど、今日は無理だな。そういえば、慌てていたみたいだけど、どうかしたのか。土足でどこを走っているのかな?」
「あ、すみません。友達との待ち合わせが」
「そうか、気を付けて帰れよ」
先輩は微笑んで、冬華の頭を撫でる。
「じゃあ、さようなら」
ともちゃんとゆかりん、怒っているだろうなと思いながら、冬華はまた駈け出した。
一方の興俄はそのまま廊下を進んだが、柱の陰から現れた人物を見て足を止めた。