同行
「大丈夫よ。心配ないわ。全てうまく進んでいる」
いつの間にか北川麻沙美が立っていた。
「すでに彼の周りには多くの人がいるの。もちろん、彼が記憶を改ざんした人間も多い。何も彼一人でできるなんて言っていない。多くの仲間がいれば可能だって言っているのよ」
「いや、こればかりは無理でしょう。この人、国を乗っ取ろうって考えているんですよ。あの時代は源氏の御曹司という箔がありましたけど、ただの高校生がどうやって国民を納得させるんですか。先生はこの人を買い被りすぎです」
冷ややかな目で興俄を見ると、彼はにやりと笑った。
「人の心などいい加減なもの。首尾一貫しないのは世の常。国民だって同じだ。時期が来れば、俺の存在が世の中に広がっていく。人間の行動分析は難解だ。表面では善人らしく振舞っていても、内心は悪意や損得勘定のみで動く人間ばかり。俺はそいつらの思考が読める。読んだうえで解析し、相手にとって最善の結論を用意できる」
言い切る彼を見て、冬華は盛大な溜息をついた。
「あのねぇ、そう上手くは行かないと思うけど。私達みたいに通じない人間だっているんだし。誰かが怪しいと思えば、あっという間にSNSで拡散されて『最近よく見聞きする高校生、神冷興俄は怪しい奴だ。詐欺師じゃないか』って言われるよ」
冬華はやれやれと肩を竦める。
「いいか、特定の人間をどう思うかなんて、その人間を認識するまでは判断できないだろう。シュレーディンガーの猫の例を心理学的に言えば、人の感情はそれを観測するまでは不確定ということだ。お前が人物Aの情報を得るまでは、Aに対する自分の感情は決まっていない。TVやネット、人のうわさなど、五感で観測するまでは不確定な状態だ。だが、何らかの方法でそいつを観測して初めて己の感情が確定できる。好意的であるか、否定的であるか、無関心か、様々な感情が入り混じるか。俺は俺を認識した人間の感情を、好意的に書き換えられる。人間の感情や意識は脳内にある様々な領域や神経回路で、内分泌系と化学物質の相互作用によって形成される思考パターンだ。影響力のある者の感情を書き換えれば容易いこと」
興俄の説明に、冬華は、
「シュガーディンレーの猫? 何それ、スィーツのお店の名前みたい。でもさ、世の中は移りかわるんだよ。みんなが一時的に貴方を崇拝しても、アッというまに化けの皮が剥がれる。だって実際、何か国のためになることをやったわけでもないし。なんなく記憶に刷り込まれたって、みんな騙されないよ。だいたい、直接会った人にしか通用しないんでしょ? 影響力のある人が『あいつはいい奴だ』って言ったって、疑う人もいると思うよ」
「その点も問題ない。まぁ、お前に説明をするのは時間の無駄だな。それより仕事だ。俺と一緒に来い」
「嫌だと言ったら?」
「断れば、あいつの命はないと思え。居場所などこちらはとうに把握しているんだ。俺には優秀な仲間がいる。あいつの命など簡単に始末できる」
興俄はスマホの画面を見せた。隠し撮りされた鷲と御堂が写っている。最近撮られたものだろう。ゆかりんの祖父の家が遠くに写っていた。
「本当、最低で自分勝手。わかったわよ、行けばいいんでしょ」
「車を用意している。着いて来い」
外に出ると、校庭には車が待機していた。
興俄に促され、冬華は車の後部座席に座った。隣に興俄が乗り込むと、身体をドアに押し付けた。窓ガラスに冷たい感触を感じながら、できるだけ彼から距離を取る。
運転席には男が座っていた。冬華は男の顔を知っていた。彼はいつか交番で見た警察官だ。鷲の家の外から様子を伺っていた男だった。
二人が乗り込むと車はゆっくりと出発した。興俄は運転をしている男、景浦と言葉を交わしている。車は市街地を抜け、高速道路を走っているようだ。
時々興俄に話しかけられた冬華は、無言を貫いてずっと窓の外を眺めていた。
「やはり嫌われてしまいましたか」
景浦が言うと、興俄は不機嫌そうに
「照れているだけだろう」
とぶっきらぼうに返した。
「昨日の地震で通行止めになっている区間がいくつかあります。到着まで少し時間がかかります」
「そうか、帰りは明日になりそうだな」
途中のサービスエリアで車を停める。車を降りて、数歩進むと地面が揺れた。まだ余震が続いているようだった。
三人で昼食を済ませると、興俄が紙袋を差し出した。中には制服のようなブレザーとブラウス、ネクタイとスカートが入っている。
「トイレでこれに着替えて来い。良いか、逃げ出すなよ」
「何? これって制服?」
「そうだ。早くしろ」
「はいはい。いちいち偉そうな言い方だね。お願いするって言葉知らないの?」
冬華の姿が見えなくなると、景浦が彼に話しかけた。
「……。一応ご報告を」
「あいつが動いたか。たった一人で乗り込むなど、相変わらず無謀な奴だな」
興俄は忌々しそうに吐き捨てた。
冬華が着替えを済ませて車に戻ると、興俄は黒い詰襟の学生服を着ていた。
「ねぇ、これってどこの制服?」
「国会議員の子供が多く通う私立高校の制服だ。これから直接、数人の議員と会う」
「それで、私は何をすればいいの?」
「あとで説明する」
車は再び動き出した。高速道路の名称が次々と変わっていく。移動すること数時間、車は首都高を走り都内の目的地に着いた。東京は地震の被害が少なかったようで、いつもと変わらない光景が広がっていた。
「これからある建物に入る。まずは入口に常駐する警備員に近づく。お前の仕事は開錠と監視カメラのデーターの改変。前世を覚醒してから、容易く力を使えるようになったらしいな。侵入する建物のカメラはリアルタイムに誰かが監視している訳ではない。お前はカメラそのものにアクセスして、どこかに保存されている元のデータから俺たちの存在を消せ。サーバーでもクラウドでも関係なく消去できるんだろう。鍵がかかっている部屋は、俺の指示通りにセキュリティシステムを解除して鍵を開けろ。これから出会った人間の記憶は、俺が書き換える。俺達がここにいた痕跡をすべて消す」
「本当にこれが国のためになるんでしょうね」
「そうだ」
「こんな面倒なことをするなら、最初からこの制服の高校に入学すれば良かったじゃない。国会議員の子供とも友達になれたんだし。貴方の野望を叶えるには手っ取り早かったんじゃないの? 元総理の子供とかと仲良くなったりしてさ。どうして田舎の公立高校にいたのよ。ああ、北川先生がいたからか」
自己完結して頷く冬華を横目に、興俄は小さく溜息をついた。
「生まれ育った環境はどう足掻いても変えられない。俺が与えられた家庭環境では、この高校には通えないだろう。まぁ、この先どう逆転させるか、俺の手腕が試されるいい機会だよ」
「はいはい、そうですか」
「だいたいお前は、この国を動かしているのが国会議員だけだと思っているのか?」
「だって国会議員は法律を作れるんでしょ。議員立法くらい知ってるよ。法律を作れるんだから国を動かしているんじゃないの?」
「成立法案の多くは官僚が作成する内閣提出法立案だ。議員立法も官僚のサポートがないと難しいだろうな。立法府の一員としての責務を果たしていない国会議員がいることが、この国の問題なんだよ」
「ふうん、イマイチよく分からないけど。ま、どうでもいいや」
適当に話を終わらせた冬華に、興俄はまた小さくため息をついた。
興俄の説明通り、入口には警備員がいた。警備員は中に入ろうとする人間を呼び止めている。呼び止められた若い男は観光客で、スマホを片手に写真を撮らせてほしいと頼んでいるようだった。
しばらく押し問答が続いた後、男は警備員に諭されて諦めて帰って行った。
「こんにちは。今日もご苦労様です」
興俄はにこやかに挨拶をし、冬華も『こんにちは』と微笑んだ。見慣れた制服を着た二人に警備員も頭を下げる。
「おかえりなさい。あれ? ええと、どなたの御子息……」
興俄が笑みを浮かべると、警備員は直立不動のまま動かなくなった。
「この人、どこか病気になったりしないよね。私達に会った記憶が無くなるだけだよね」
「しつこいぞ。俺は余計なことはしない。こいつが体調でも崩してみろ。面倒が増えるだけだ。それに今日は他に色々と行くところがある。ほら、早く来い」
興俄の言うとおり、冬華はそれから一日中彼に連れまわされていた。監視カメラ、施錠されているドア等々、行く先々で彼に指示されるがままに動いた。




