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忘却

 放課後、約束通り神冷興俄は靴箱の前にいた。彼は冬華を見つけると、微笑んで右手を上げる。


「すみません、お待たせしてしまって」

 冬華が申しわけなさそうに、頭を下げる。

「いや、待ってないよ。そう硬くならないで。じゃあ帰ろうか」

 爽やかに微笑まれて、ぎこちない笑みを返した。鞄を持ちなおして、彼の隣に並んだ。他の生徒達は、有名人である神冷興俄と、昨日まで全く目立たなかった冬華との組み合わせを、好奇な目で見ている。


 正門前まで行くと、背後から『冬華、頑張れ』と声が聞こえた。振り向くと、ともちゃんとゆかりんがガッツポーズをしている。冬華は二人に小さく手を振り、溜息をついた。

「時間はある? どこかでちょっと話そうか」

 正門を出て、しばらく歩くと神冷先輩が言った。

「は、はい」

 先輩が連れて来たのはこぢんまりとしたカフェだった。裏通りにあり、あまり人目につかない店だ。店内に入るとほんのわずかなスペースに、カウンター席がいくつかと、三つのソファー席があるだけだった。ソファー席に向かい合って座ると、先輩がメニューを開いて見せる。


「何でも注文して。俺の奢りだから」

「あ、ありがとうございます」

 先輩はアイスコーヒー、冬華はオレンジジュースを注文した。

「俺について何も知らないって言っていたからさ。何か知りたいことはある? ここなら学校の人間は来ないと思うよ」

 そう言って彼は、ゆっくりとアイスコーヒーに口をつける。彼の一挙手一投足が素敵ではあるが、冬華はどうも落ち着かない。


「神冷先輩って、モテますよね」

「まぁ、否定はしないけど」

 ストレートな問いに、先輩は苦笑いをする。

「どうして私なんですか? 今までの彼女だって綺麗な人ばっかりで……」 

「彼女達から言ってきたんだよね。付き合いたいって」

「はぁ」

「でも、やっぱり別れてくれって彼女達から言われた」

「はぁ」

「俺から告白したのはキミだけなんだけど」

 にやりと笑う先輩を見て、冬華はオレンジジュースに刺さっているストローに口をつけた。一気に吸い込むとズッと鈍い音がして、慌てて口から離すと今度はむせて咳き込んでしまった。

「おい、大丈夫か」

「神冷先輩、私をからかってますよね。一体、何がしたいんですか」

「興俄で良いよ。俺の苗字って言いにくいでしょ。それにしても、まだ疑っているんだ。ああ、俺も冬華って呼んでいいかな」


『シズカ……』

 その時、冬華の脳裏に自分とは違う名前が浮かんだ。浮かんだというか、誰かに呼ばれた気がしたのだ。勢い良く左右を見るが、誰もいない。勿論、呼んだのは目の前の彼ではなかった。

「ん? どうした?」

 不思議そうな顔で先輩が聞いた。

「え。その、ええと」

 冬華は気になっていた。

 自分の名は『とうか』なのにも関わらず、昨日、ファーストフード店で出逢った彼が口にした『しずか』という名前。最初は人違いだろうと思った。けれど、何だか分からないけれど、何かが心に引っかかっていたのだ。


「あの……シズカって名前の人、誰かいましたか? アニメとかタレントとかじゃなくて、有名人で、ええと、すみません、いきなり変な話をして」

「源義経の妾、静御前とか」

 興俄先輩はそう答えて、真っ直ぐな瞳を彼女に向けた。

「よしつねって誰でしたっけ?」

 冬華が首を傾げると、

「おいおい、覚えていないのか」

 先輩は声をあげて笑いだした。あまりにも嬉しそうに笑うので、馬鹿にされていると思った冬華はムッとする。

「日本史は苦手なんです。特に日本史B。あれって、登場人物や、年代、出来事、政治の仕組みとか、古代から現代までって覚える事柄が多すぎですよ」

 ムキになって反論する冬華に苦笑いしながら、先輩は鞄から参考書を取り出した。テーブルに広げ、歴史のページを開く。

「ここ、読んで」

 彼が指さした先には源義経の愛妾、静御前、白拍子と短く記されていた。

「妾って、シズカって人は義経の奥さんじゃないんですね」

「そうだよ。じゃあ、こっちは知ってる?」

 先輩は、同じページにある違う人物を指さした。

「ええと、源頼朝。この人は知っています。鎌倉幕府を開いた人ですよね。小学生で習いました。先輩、絶対に私のコトを馬鹿にしていますよね」

「いや、良かった」

 先輩はまた嬉しそうに笑った。

「何が良いんですか」

「それより、静がどうしたんだ」

「それが昨日、変な男の人がいて。私に向かって『シズカ』って言ったんです。その後、先輩に会ったんですけど」

「危なかったな」

 興俄先輩の顔から笑顔が消える。

「はい?」

「気を付けた方がいい。一人で帰る時は俺に連絡しろ。スマホを出して」

「え?」

「ほら、早く」

 半ば強引に連絡先を交換させられた。

「それで、冬華は他に質問ある?」

 身を乗り出して先輩が聞く。冬華は呼び捨てになっている、と思ったが何も言えなかった。

「あの、私やっぱり先輩とお付き合いできません」

 意を決して声に出すと、先輩はジッと冬華を見つめた。

「俺のどこが嫌? 他に気になる奴がいるのかな」

「そんな人いませんよ。先輩は素敵で、私には勿体ないくらいです」

「じゃあどうして」

「見知らぬ人からいろいろ言われるし……私は毎日を穏やかに暮らしたいんです。先輩の彼女なんて目立つポジション、絶対に無理です。それに、私と先輩じゃ、どう見ても釣り合わないと思います」

 昼休み、自分に向けられた心無い言葉を思い出し、俯いた。

「そんなことないよ。俺には冬華しかいない。誰にも文句は言わせない。誰にも文句は言われなければ、付き合ってくれる?」

 興俄先輩は優しい口調で言って、微笑んだ。

「でも……」

「俺たちはお似合いだと思うんだけど。冬華はもっと自分に自信を持った方が良いよ。それで、他に断る理由があるならどうぞ」

 彼は断れないように話を進めていった。

「他には……ええと、ない……ですけど」

「良かった。じゃあ付き合ってくれるよね」

 身を乗り出して微笑まれると何も言い返せなくなる。断る理由を考えるが、何も思いつかなかった。

「わかりました……宜しくお願いします」

 冬華はゆっくりと頷いた。


 彼の言う通り、翌日からは対する嫌がらせも、陰口も全くなかった。そして気がつけば冬華は、誰もが公認する神冷興俄の彼女になっていた。



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