国司
「ごめん……」
冬華が力なく詫びる。
「僕の方こそ悪かったよ。でも、冬華が大変なのに、何もできない人間ではありたくないんだ。一緒に逃げよう」
「うん……」
冬華は思っていた。興俄は他人を操れるのだ。先ほど見た警察官も操られているのかもしれない。警察官に『鷲は凶悪な殺人犯。見つけ次第射殺しろと命令を受けている』という記憶を埋め込むことも可能だろう。自分が彼と共にいれば、いつも危険と隣り合わせになる。自分の所為で彼が殺される事態だけは、何としても避けたかった。
「冬華、元気? 差し入れだよ。みんな疲れているみたいだし、甘いモノ買って来た」
ビニールの袋を下げたゆかりんがリビングに入ってきた。
「ゆかりん、ありがとう」
「元気……じゃなさそうだね。目の下、隈が凄いよ。あまり寝てないんじゃない? 私、飲み物入れてくる。椎葉くん、キッチン借りるよ」
「うん、何でも適当に使ってくれていいから」
「ありがと」
ゆかりんがリビングから出て行くとまた重苦しい空気が流れた。
「とにかくここは危険な気がする。明日にでも出よう」
鷲が言うと、
「でもさぁ何処に逃げるんだよ? 俺達まだ高校生なんだぞ」
「いや、御堂はついて来なくていい。僕達は二人で逃げるから」
「はぁ?」
鷲の言葉に今度は御堂が憤慨した。
「おい、何を言ってんだ? 何のために俺はここまでお前について来たと思っているわけ? 一緒に日本全国を巡って、転校して、今更お役御免ってそれはないだろう」
「そう……だな。悪かった。一緒に来てくれるか」
「あたりまえだ。それにしてもどこに行くかねぇ。奥州、京、吉野……俺達が昔通った道を、あの人はつぶさに探すだろう。九州だって、また船がひっくり返っちゃたまらない。そうだな、逃げるとすると……」
ぶつぶつという御堂を横目に見ながら、鷲が「あのさ」と口を開く。
「一度訪れてみたい場所があるんだ」
「どこ?」
冬華が尋ねる。
「一応、国司だったんだけど、あっという間に官職を剥奪された場所」
「予州……伊予守。そう言えば、まだ行っていなかったな。特に縁の地でもないと思っていたし」
はっとしたように御堂が鷲を見ると、彼は深く頷いた。
「ああ。予州源九郎義経と呼ばれていた僕が、行くべきだったところだよ」
「確かにあそこなら、あの人も思いつかないだろうな」
「ねぇ、夏休みの計画立ててるの? 四人で旅行に行くって絶対に楽しいじゃん。それでどこにするの? 沖縄? 北海道?」
トレーに飲み物を乗せたゆかりんが輪に加わった。
「えっと、それは……」
ゆかりんを危険に巻き込みたくはないと思った冬華が言葉を濁す。
「ちょっと、私だけ仲間外れ? まさか三人で行くの? 信じられない」
ゆかりんが頬を膨らますと、御堂が慌てて訂正した。
「ち、違うよ、ゆかりちゃん。そうだ、四人で行こう。ほら、前に言っていたダブルデートをしよう。一緒に行動すれば、どう見ても高校生が夏休みに旅行しているようにしか見えないじゃないか。逆に目立たないかもしれない。な、そうしよう」
「まぁ、それもアリかもしれないけど」
鷲が頷く。
「え? 私達、どう見ても高校生だよね? 目立たないってどういうこと?」
ゆかりんが首を傾げる。
「ええと、ほら、御堂さんて大人びてるし、高校生に見えないかなぁ、なんて。それで、あ、そうそう、伊予……愛媛に行きたいなって。でもここからじゃ遠いし、四国なんてどうやって行くのかも分からなくて。新幹線も通ってないよね」
冬華が矢継ぎ早に言うと
「愛媛かぁ。道後温泉? でもさ、高校生が行くには地味じゃない? あ、そうだ。おじいちゃんち、愛媛だよ。行ってみる?」
「ゆかりん、土地勘とかあるの?」
「多少はね。家族で行くときは車か、新幹線と電車の乗り継ぎだったなぁ。本州から四国へ渡る橋が3本あるから、電車かバスで行ってみる? でも、行ったところで何をするの? みかんでも食べるの? まぁ私は御堂さんと一緒ならどこでもいいけど」
「そうだな。俺もゆかりちゃんが一緒ならどこでも楽しいよ」
二人は見つめ合い微笑む。
『はいはい』
冬華と鷲の声が重なった。
ゆかりんは、御堂嶽尾に夢中だ。やっと理想の相手に会えたのだと、彼の傍を離れようとしない。一方の御堂も、小動物のように懐くゆかりんが可愛いようだ。無骨な御堂が、ゆかりんの前ではデレデレしていた。
『前伊豫守從五位下源朝臣義經 攺義行 又 義顯 年三十一
右馬頭義朝々臣六男 母九條院雜仕常盤 壽永三年八月六日 任左衛門少尉 少尉 蒙便宜使㫖 九月十八日 叙留 十月十一日 拜賀 六位尉時不畏 則聽院内昇殿
廿五日 供奉大甞會御禊 行幸 元暦元年八月廿六日 賜平氏追討使官府 二年四月廿五日 賢所自海還宮 入御朝所間 供奉 廿七日 補院御厩司 八月十四日 任伊豫守 使如元 文治元年十一月十八日 解官 吾妻鑑九巻より』
(前伊予守従五位下 源朝臣義経 義行とも義顕とも名を改めた。亡くなった年は31才。
右馬頭義朝の6男で母は九条院呈子に仕える雑用係の官女常盤。
寿永3年8月6日 左衛門府の少尉に任命され、検非違使の命を与えられた。9月18日 叙留。10月11日 院中への昇殿を許される。25日 大甞会に望み天皇のみそぎの警備を行う。
元暦元年8月26日 平家を討伐する司令官任命を与えられる。2年4月25日 神鏡八咫鏡を取り返し、公卿が勤務處へお入りになる際の供をする。27日 院取次ぎの厩司に任命される。8月24日 伊予守に任命される。検非違使はそのまま。
文治元年11月18日 全ての官職は取上げられた。と吾妻鏡には記されている)
それから約一時間後。
書店で四国のガイドブックを買いに行った御堂とゆかりんが戻ってきた。
「瀬戸大橋を渡って行こうか。愛媛だから、しまなみ海道を通るって方法もあるんだけど。淡路島を通ると遠回りになっちゃうかな。おじいちゃんに電話したら、いつでもおいでって言ってたよ」
ページを繰りながらゆかりんが言う。
「香川県に静御前ゆかりの土地があるって。まぁ、全国に静御前のお墓とか、似たような場所はあるんだけど。寄ってみる?」
鷲が冬華に話しかけた。
「静御前って、白拍子の? 冬華って鎌倉時代とか興味あったっけ」
ゆかりんが不思議そうに冬華を見た。
「最近興味を持ってね。特に源義経が好きで……」
そこまで言って鷲をちらりと見ると、彼もまた嬉しそうに冬華を見た。
「ふうん。あ、そうだ。しまなみ海道だと、途中の島にある大山祇神社に源頼朝と義経の鎧が奉ってあったはずだよ。家族で行ったことがあるから。それにしても、3人とも歴史が好きなんだ。冬華って日本史、苦手じゃなかった? テスト前はいつも、ともちゃんに泣きついていたじゃない」
「うん、まぁ。そうだったかな?」
冬華は曖昧にごまかす。
「じゃあ、行きはしまなみ海道を通って、帰りは瀬戸大橋を渡るか」
「夜行バスで行くのが一番格安だと思うよ。大山祇神社は大三島にあるから、広島県の福山でバスを乗り換えて、大三島で降りないとね」
御堂の言葉に頷いたゆかりんが付け加えた。
「福山までは新幹線で行く? 旅行代は僕の奢りだ」
「おおっ、さすが御曹司」
鷲の言葉に御堂が拍手した。
突然決まった話なので、ゆかりんは祖父母や家族に聞いてみるねと言って帰った。
「家の灯りはタイマーで毎晩点灯するように設定しておくよ。人が在宅しているように、いろいろと細工をしておこう。御堂は少し先に出発して、周囲を確認してくれないか。駅までは別行動をしよう」
「了解、任せとけ。怪しい奴を見かけたらすぐに連絡する。ゆかりちゃんとは駅で待ち合わせるようにするから」
「冬華は絶対に僕からはぐれないこと」
「うん、分かった。一度、家に荷物を取りに帰りたいんだけど、いいかな」
「それなら今から僕と行こう」




