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執着

 翌日の放課後、

 冬華が学校から出ると、興俄が正門の壁にもたれかかり腕を組んでいた。どうやら彼女が通るの待っていたらしい。


「なぜ一人で帰ったんだ。酷いやつだなぁ」

 そのまま通り過ぎようとする冬華に、興俄は低い声をぶつけて来た。彼女は立ち止まり彼の方を向く。

「どうせ、北川先生が迎えに来てくれたんでしょう」

 冷ややかに言う彼女を見て、彼はにやりと笑った。

「よく知っているな」

 冬華は小さく溜息をつき、歩を進めた。興俄は笑みを浮かべたまま彼女の後ろを歩く。


「先輩が見ていたのは、私じゃなかったんですよね」

 しばらく歩いたところで、冬華は足を止めて振り向き言った。

「何を言っているんだ?」

「先輩は初めから一度も私を見ていなかった。見ていたのは私の中にいる誰かだった。必要としていたのは、私の力だけだった。先輩にも前世があるんですよね」

 真っ直ぐに言う彼女を見て、興俄の表情が曇る。


「もしかして椎葉に何か聞いたのか。あれから、あいつに会ったのか? 余計なことを……。それで、お前は何か思い出したのか?」

「椎葉くんからいろいろと聞きました。私は前世なんて信じられません。今ここに存在しないものを信じろと言われても、無理です。ただ私は……今ここで生きている私自身を、ちゃんと見て欲しかった。私は私であって、他の誰かとして見られるのは嫌です。先輩と北川先生はずっと昔から恋人同士なんですよね。先輩の意志で自分の傍にいるって、北川先生からも聞きました。私はもう先輩とは会いません」

「俺から離れるのか」

「だって、無理でしょう。私と会う前から付き合っている人がいるなんて、どうやって納得しろって言うんですか。もう二度と話しかけないでください」

「俺から、離れられると思っているのか。こうやって、巡り会えたんだぞ。それで充分だ。他に何を望む。ほんの数百年前なら、多くの妾がいるくらい何の問題もなかったんだ」

 興俄は歩き出そうとした冬華の右腕を掴んだ。


「離してください。だいたい、今は令和ですよ。それに、その言葉は私に言っているんじゃないんですよね。帰ります。離して」

「嫌だと言ったら?」

「大声を出します」

「お前が大声を出したところで、俺は人の記憶を変えられる。周囲にどれだけ人が集まろうとも、ここからお前を連れ去るくらい、容易なんだよ」

「そんなの卑怯ですよ」

 冬華が興俄を睨み付けたその時。


「ここにいたの? 探したのよ」

 北川麻沙美が二人に近づき、声を掛けた。

「さようなら」

 一瞬油断した興俄の手を振りほどき、冬華は走り去った。彼は追わず、小さくなっていく背中を黙って見つめた。


「俺を監視して楽しいですか? ホント、変わりませんね」

 冬華の姿が見えなくなってから、皮肉めいた口調で言った興俄は、ゆっくりと北川麻沙美の方を振り向いた。


「あなたが静に興味を持っていることくらい、すぐに分かった。あれだけの器量ですもの、放っておくはずがない」

「何が言いたいんです」

「私に内緒で情を交わしたあの女が住んでいたのは、伏見広綱の邸」

「ええ、貴女が破壊しましたよね」

「それだけじゃない。文治二年。私が三幡を産んだ年、貴方と常陸介藤原伊佐時長の娘の間には男子が産まれていた」

 冷ややかな声で告げる麻沙美を見て、興俄は明らかに不機嫌な顔になる。

「さっきから俺は何を聞かされているんだ」

「安達新三郎の屋敷に行ったんでしょう? あなたはそこで、彼女を……」

「そうだとしたら、どうなんです」

「御家人でもない雑色の男を、あなたはたいそう重宝していた。私の知らないところでも色々と使っていたんでしょう。確かに静が産んだ子が男子ならば生かしてはおけない。信頼できる人間に、彼女の身柄を預ける必要があった。でも、それだけじゃない。あなたは鎌倉に呼んだ静を傍に置こうと企んだ。もしも静が産んだ子が女子なら母子ともに、自分の傍に留めおくつもりだったんでしょうね。そのために、絶対に自分を裏切らず、口が堅く、権力争いにも無縁なあの男に彼女を預けた」


 彼は何も答えない。


「けれど、彼女の心は頑なでどうしても手に入らなかった。見かねて私が彼女を京に帰した。多くの褒美を与えてね」

 小さく溜息をついて北川麻沙美は続けた。

「貴方には私しかいないのよ。結局ね。ほら、行くわよ。早く乗って」

 少し離れた所に停めてある車を指さした。

「俺から離れるなど、絶対に許さない」

 小さな声で呟いて、興俄は車に乗り込んだ。


「あ、そうだ。私以外の信頼できる人間って誰? 夢野冬華に言ったそうね。信頼できる人間が二人いるって。一体誰なの? どこの女?」

 アクセルを踏みながら麻沙美が尋ねる。

「何か勘違いをしているようですね。その人間とは恋愛関係などないですから、時期が来たら紹介します。俺は忙しいんだ。嫉妬するのはほどほどにして、協力してください。だいたい貴女の所為で、夢野冬華はあの男の元に行きそうなんですよ」

 興俄は怒りを含んだ声で答える。彼は続けた。

「いいか。時代の転換期は必ずやってくる。俺が作り上げた幕府は、空白期間もありながらなんとか続いたが、江戸時代で終わりを迎えた。今は身分関係なく自分の意見を簡単に発信できる世の中だ。その中から影響力のある人間が現れ、世の中を変えたいと言い出してもおかしくはない。今批判を浴びていることだって、来年になればどういう反応になるのかわからないだろう。世の中は刻一刻と変化しているんだぞ」

 興俄の口調は、とても高校生とは思えないものだった。不機嫌な顔で真剣に語る彼とは対照的に、麻沙美は嬉しそうにほほ笑んだ。

「やっぱり貴方はそのほうがいいわ。私は信じてるわよ、貴方がもう一度この国を治めるって」

「だからこそ、あの女が必要なんだ」

「まぁ、それだけでもないんでしょうけど」

 麻沙美の言葉に、興俄は何も答えなかった。

 

 彼の脳裏には、一人の女の姿があった。

――最初は興味本位だった。京で一番の白拍子。あいつの想い人がどんな女か見たかっただけだ。取調べを行っても奴の居所を話さず、話も二転三転していると聞き腹立たしかった。身籠っているというので、男子であれば生かしてはおけないと思い、清経(安達新三郎)に監視するよう命じた。対面し確かに美しい女だと思ったが、所詮それだけだ。舞を奉納せよと命じても、なかなか承知しない。白拍子ふぜいがと憎らしくも思った。

 だが、あの堂々とした態度を見た時、己の中で言いようもない気持ちが沸き上がった。屈強な鎌倉御家人の中、たった一人であっても全く物おじしない。

 神さえも喜ぶような見事な舞を披露し、芯の強さと内に秘めたる凄みを見せつけられ、忌々しさと共に無性に手に入れたくなった。全てを奪い尽くしたい、我が物にしたいと思った。あの女に対して、狂暴な独占欲が湧いて来たのだ。時を経てやっと手に入れた。あいつにだけは、絶対に渡すわけにはいかなかった――



 同じ頃、鷲と御堂は鷲の家にいた。二人は学校を休み、朝から図書館で借りた古い文献を読み漁っていた。


「吾妻鏡によれば、静が捕まったのは11月17日。 鎌倉に到着したのが翌年3月1日、 その後取調べが行われて、妊娠が発覚したのが3月22日、 鶴岡八幡宮で舞ったのが4月8日、 出産したのが閏7月29日、 京に帰したのが9月16日か」

 時系列を読み上げた鷲は溜息をつき、本を閉じる。


「いつの世も、書き手の都合がいいように創作されているものだからな。ほらここ」

 御堂が指さした先にはこう記されていた。


『文治二年(一一八六)九月大十六日己未 靜母子給暇歸洛 御臺所并姫君依憐愍御 多賜重寳   以下省略 吾妻鏡第六巻より』


 静御前と母(磯野禅師)が京に帰る。政子と大姫(頼朝と政子の娘)は彼女を憐れんで、多くの重宝を与えたとされている。


「これだって、思いっきり北条寄りの記述だろ。あの北条政子が、敵の妾である静を気にかけるはずはないと思わないか。なんで、わざわざこんな内容が書いてあるんだよ」

 納得がいかないと御堂は首を捻る。


「まぁ、吾妻鏡はもともと北条寄りの記録って言われているし、最近では真偽が不確かなものも多いって言われているからね。何もかも鵜呑みにするなってことだろう。大切なのは、今ここに僕たちとあの人がいるって事実だ」

「でもまぁ、これは事実だろうよ」

 御堂はまた別のページを開いて、鷲に見せた。


『文治二年(一一八六)二月大廿六日甲戌 二品若公誕生 御母常陸介藤時長女也 御産所 長門江七景遠濱宅也 件女房祗候殿中之間 日來有御密通 依縡露顯 御臺所 猒思甚 仍御産間儀 毎事省略云々 吾妻鏡第6巻より』

 

 二品(頼朝)に男児が誕生した。(後の貞暁)母は、常陸介藤原伊佐時長の娘。内密にしていたこれらの事が、御台所政子に知られてしまう。彼女の嫉妬は酷く、出産後の色々な儀式は取りやめにされたと記されていた。


「あの時代、妾を持つなんて当たり前だったのにな。これだけはあいつに同情する」

「その点は僕も同感だ。通い婚が当たり前だと思っていたあの人には、辛かっただろうね」

 二人は顔を見合わせてクスリと笑った。


「それにほらこれ。1193年の『富士の巻狩り』にある逸話。俺達が死んで4年後か。多くの御家人を連れて盛大なことだよな。息子(頼家)が鹿を射ったと喜んで使者を立てて政子に伝えたのに、『騒ぐことではない』ってはっきり言われたらしいぞ。いやぁ、すごい妻だよ」

 どこか面白がるように御堂が示した先にはこう記されていた。


『建久四年(一一九三)五月大廿二日丁亥 若公令獲鹿給事將軍家御自愛被差進梶原平二左衛門尉景高於鎌倉令賀申御臺所御方給景高馳參以女房申入之處敢不及御感御使還失面目爲武將之嫡嗣獲原野之鹿鳥強不足爲希有楚忽專使頗其煩歟者景高歸參富士野今日申此趣云々 吾妻鏡第十三巻より』


 頼家が鹿を獲った。我が子が可愛い頼朝は、梶原平二左衛門尉景高を鎌倉にいる政子の元へ行かせた。使者の梶原景高は勇んで報告したが、政子は喜ばない。それどころか政子は、武将の息子が野原で鹿や鳥を射るのは当たり前、使いをよこすなど煩わしいだけと言い、梶原景高は戻ってそのままを報告したとされている。


「しかし、結局はわからないことだらけだな。なぜあの人は静を手元に置いておくんだ」

 お手上げだと言わんばかりに、鷲は傍にあった観光資料をパラパラと捲る。

「富士の巻狩り……白糸の滝、か。あの人が詠んだとされる和歌があるんだ。あの強い妻がいるわりには、よくこんな情思を吐露したような和歌を詠んだものだね。それにしても、これって……」

「どうした?」

「いや、何でもない。ただの考えすぎだ」

「こうなったら直接聞くしかないな。まずは真意を確かめるか。どうして彼女を必要としているのか聞こう。明日の放課後、俺が神冷を引き留めておく。お前は三年の教室まで来い」

「分かった。気をつけろよ」

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