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彼我

 二人が出逢ったとされる地域、共に暮らした場所、出かけた先々で麻沙美は熱心に彼の前世について説いた。しかし、彼は彼女の話を訝し気に聞くだけで、信じようとはしなかった。

「貴方はよほど前世を思い出したくないのね」

「何度も言うが、そんな不確かなものなど信用できない」


 もしも前世を覚えていたとしても、その人生を終えたのならば、後悔や未練も抱いても何の役に立たないだろう。戻れない過去など無意味だと、彼女の話を聞くたびに思っていた。相模湾の橋供養の場所とされる茅ケ崎市から落馬したと伝えられる藤沢市、千葉県鴨川市の仁右衛門島、石橋山、戦の場所等々、彼女は思いつくままの所に彼を連れて行った。


 そして、ある夏の日。

「今日は涼みに行きましょう」

 いつものように、北川麻沙美は興俄を連れ出した。彼は未だ何も思い出さない。それどころか、出かけるたびに『もう、うんざりだ。いい加減にしてくれ』と口にしていた。

「いいか、これが最後だ。今後、お前とは会わない。これだけ付き合ってやったんだ。もう充分だろう」

 彼女が連れてきたのは静岡県。富士の巻狩りがあったとされる、富士山の裾野、御殿場市、裾野市、富士宮市は以前にも来ていた。


 今回彼女が連れてきたのは、富士宮市にある白糸の滝だった。富士宮市にある音止めの滝は以前に訪れた。あの時彼は雄大な滝の轟音を聞いて『騒々しい滝だな』と一言呟いただけだ。

 白糸の滝に近づくと、夏だと言うのに冷たい空気が肌に貼りついた。彼の目前には壮大な光景が広がっていた。二十メートルの高さから幅二百メートルに渡り、白い滝が糸のように流れている。水面は透き通り、木々の緑と相まって美しい光景だった。


「綺麗な滝だな。涼しくていい所だ」

 風が滝の水しぶきを捉えて肌に当たる。繊麗な無数の滝が織りなす美しい景色と、肌に感じる水沫の心地よさに彼は静かに目を閉じた。


 ふと、彼の中から何か湧き上がってくる。ソレは形を変え、言葉として彼の中で再生された。


『この上に いかなる姫や おわすらん おだまき流す 白糸の滝』


 誰の声でもない。直に語り掛けられた言葉に、彼は訝し気に目を開けた。目の前にあるのは先ほど見た美しい滝だった。しかし、何かが違う。周囲にいたはずの観光客が一人もいない。眩しい、眩しくて目を開けていられない。彼はまた目を閉じた。

 その瞬間、彼の脳内には多くの情報が一気に流れ込んできた。いや、脳内の奥深くに元々存在していたモノが掘り起こされたようにも感じた。

 今まで忘れて生きていたのが不思議なくらいだった。閃光のように、戦に明け暮れた日々が鮮明に脳裏に蘇った。身体中が熱くなり、血流がどくどくと波打っているようだ。


「なんだ……今のは……一体」

 怒涛の走馬灯から俄に返った彼は言った。はじめて知覚した自分ではない誰かの記憶。いつも読み取っている他人の記憶とも違う。これが自分にとってどんな価値を持つかなど、即座にわかるはずもない。彼は困惑した顔で彼女を見つめた。

「やっと……思い出してくれたのね。でもどうしてここなの? 私と過ごした場所じゃないののかしら。まあいいわ、また逢えましたね」

 一方の北川麻沙美は、ただ莞爾と笑いかけた。

 

           ◇         ◇

「それで、夢野冬華から何か収穫はあったの? あの様子じゃ、まだ覚醒していないようだけど」

「それより、教えてくださいよ。あなたは誰が転生しているか、見抜ける力があるんだ。俺たちの他に誰がいるんです?」

 興俄は質問を質問で返した。

「貴方、人の心を読めるんでしょう? 心を読めない人間が転生者だって言っていたじゃない。私がいちいち教えなくても、そのくらい自分で調べなさい」

 課題を解かせる先生のような口ぶりで(実際、先生なのだが)麻沙美が言うと、

「この力はあまり使ってないんです。どうでもいい人間の心を覗いたところで、疲れるだけだ。この力を使わなくても、俺の人心掌握術で大抵の人間はコントロールできる。だいたい、誰がこの世に転生しているのか調べるのが貴女の仕事だろう? 俺は他にやる責務があるんだ。彼女は数か月前に知らない男から『シズカ』と呼ばれている。俺たち以外に彼女の前世に気がついている人間がいるんですよ。俺はそれが誰かわからない。貴女はそれが誰か知っているんでしょう?」

 声のトーンを落とし、興俄は麻沙美を見据えた。


「仕方ないわね。もう少し先の楽しみにとっておいたんだけど、教えてあげる。彼女の近くにあの男がいるのよ。彼女が会った知らない男と同一人物だと思うわ」

 麻沙美の言葉に興俄は眉を顰める。

「あの男って誰です。平家の人間ですか? それとも、法皇……となるとかなり厄介だな。あの人が一番信用できない。知っているなら、なぜ俺に報告しない」

「あの男だけは会えば絶対に分かるからよ。でも見つけたからと言って、揉めごとは起こさないで。厄介ごとが増えるって分かっていたから、黙っていたのよ」

「近くにいる。となると、その男はすでに彼女と接触しているんですか」

 麻沙美は何も答えず、興俄に抱きつき彼を押し倒した。彼女の口から男の名前は出そうもない。そう思った興俄は、彼女の身体を抱き止めながらこれ以上聞くのをやめた。


 週明けの昼休み、興俄は冬華のクラスの前にいた。教室にいるのはクラスの半分と言ったところだろうか。冬華の姿はない。

「神冷先輩。冬華なら日直なので職員室に行ってますよ。呼んできましょうか?」

 教室にいたゆかりんが興俄に駆け寄ってきた。

「いや、たいした用じゃないから。ありがとう」

 興俄は微笑みながら教室内を見回す。どの生徒も簡単に心が読める。気になる生徒はいなかった。麻沙美の言っていた『あの男』は他のクラスにいるのかもしれない。そう思った時、

「冬華なら椎葉くんと話してたよ」

 別の生徒がゆかりんに声をかけた。麻沙美の話もあって、冬華の周辺にいる男は把握して

おこうと思った彼は尋ねる。

「椎葉くんって?」

「えっと、少し前に転校してきた子です。大丈夫ですよ。冬華は先輩一筋ですから」

 ゆかりんたちは、にやにやしながら興俄を見ている。

「いや、疑ってなんていないよ。邪魔したね。ありがとう」

 興俄は苦笑いして立ち去った。


 彼は廊下を歩きながら思案する。

 椎葉くん……椎葉、確か名前は椎葉鷲。それは何気なく耳にした名前だった。少し前に、二年生の転校生、椎葉鷲が美少年だとクラスの女子が話していたのだ。内容は取り立てて特別な話ではなかったので、その時は気にも止めなかった。転校生となると、彼が五月に冬華に声をかけた『知らない男』だった可能性もある。だが、それならなぜ冬華はその話を俺にしないのか。

「あの男……か。その転校生、確認する必要がありそうだな」

 興俄は呟いた。



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