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逢瀬

 冬華の家を出た興俄は、その足で北川麻沙美が一人で住むマンションへと向かった。今日は金曜日、彼女はまだ学校で雑務をしているだろう。そう思った彼はマンションに着くと持っていた合鍵でオートロックを解除し、エレベーターで彼女の部屋がある四階へ行きドアを開けた。


 玄関を上がり、真っすぐに伸びる廊下を進む。廊下の左にはキッチンがあり、右にはバス、トイレの扉が並んでいた。彼は突き当りにある部屋に入り腰を下ろした。部屋は十帖ほどの広さのフローリングで、全体的に同系色の家具で統一されている。

 彼はキッチンに行き冷蔵庫からペットボトルを取り出すと、勝手知ったる部屋で寛いでいた。一時間ほど経つと玄関のドアが開いた。


「あら、もう来てたの」玄関から声がする。どうやら部屋の主が帰って来たようだ。

「それで、可愛い彼女とはうまくやってる?」

 部屋に入った麻沙美は開口一番尋ねた。

「ええ、今のところは問題ないですよ。俺たちが一緒にいる姿は見られているようですけど」

 校内では常に敬語で話しているため、二人きりになっても興俄は敬語が抜けなかった。


 あれは興俄が高校三年生になった春。入学式の日のことだ。

 入学式が始まる少し前、校内の至る所には新入生と思しき生徒がうろうろしていた。生徒会長の興俄は、戸惑っている新入生を見かけると優しく声を掛ける。彼は新入生に向かって挨拶をする手筈になっていた。


 興俄が体育館へと向かう途中、人気のない校舎裏で桜の木を見上げる生徒がいた。髪の長い女子生徒が、一人でただじっと桜の木を見上げている。彼は何気なく彼女を見やった。名札の色から二年生だと分かったその時、気まぐれに吹いた春風が桜の梢を大きく揺らした。風に乗った薄紅色の花びらが、彼女の黒髪にはらはらと舞い落ちる。

 その姿があまりにも美しく、興俄は思わず足を止めて見入っていた。彼女の佇まいを見て、彼の中で何かが騒いだ。

――俺はこの女を知っている――

 漠然とそう思った。ゆっくりと近づくが、彼女は全く彼に気がつかない。興俄が数メートル先までの距離に近づいた時、彼女は傍らに落ちている桜の枝を手にした。誰かに手折られたような枝には、まだ花が残っている。彼女は拾い上げた枝を木の幹に当てたまま、じっと桜の木を見ていた。見ているというよりは、寄り添っていたというべきか。


 この女は何をしているのだろうかと思い、興俄は彼女の心を読もうとした。だが、何度試みても出来なかった。

 北川麻沙美の時と同じだった。心が読めない人間が他にもいたのだ。それもこんな近くに。なぜ、今まで彼女の存在に気が付かなかったのだろう。校内の人間を個々に気に留めたことはなかったが、全校生徒を掌握しているつもりではいた。心の中を読めないということは、過去に同じ時代を生きた人間だろうか。妾だった女か。いや違う。彼女に対して沸き起こった感情は、懐かしむとか愛おしい気持ちだけではない。言い表せないこの感情はなんだ。彼女は誰だ。


 彼が色々と思案しているうちに、彼女は興俄の姿を一度も視界に捉えず去って行った。不思議なことに、彼女が持っていたはずの桜の枝はどこにもなかった。いや、正確には可憐な花をつけたまま、その枝は桜の木に()()()()()のだ。

 心が読めなかった二年生、夢野冬華について調べ上げた彼は、五月の半ばようやく彼女に近づいた。彼女が何者なのかは北川麻沙美から聞いた。もしかして、あいつは過去に同じ時代を生きた転生者なのかと聞くと、麻沙美はあっさりと答えた。


「夢野冬華? ああ、あの子に会ったの。全く目立たないから驚いたわ。もっと派手な外見で生まれ変わると思ったんだけど」

「同じ校内に転生者がいるのに、なぜ教えてくれなかったんですか」

問い詰める興俄に対して

「取り立てて必要ないと思ったからよ。知ったところでどうするつもり? だいたいあの子、全く覚醒していないわよ。日本史の成績なんてひどいものだし。『1180年から1266年までの鎌倉幕府を編年体で記した史書とは何か』という問題で何と答えたと思う?」

「なんです? 方丈記や玉葉と混同したとか?」

 そう言って興俄はペットボトルに口をつけた。

「竹取物語よ」

 麻沙美の言葉と同時にゲホッと咳き込む音がした。興俄が飲んでいた炭酸が気管に入ったらしい。彼は苦しそうに噎せている。


「ちょっと、大丈夫? まぁ、全く分からなかったから適当に書いたんでしょうけど。ホント、かぐや姫にでもなったつもりなのかしら。自分のことが書かれている吾妻鏡くらい覚えておいて欲しいじゃない。あれは全く覚醒しそうもないようだし、役に立たないと思うけど」

 彼女は呆れた口調で言いながら、まだ噎せている興俄にタオルを差し出した。


 北川麻沙美は、かつて同じ時代を生きた人物を見分ける能力があると言う。その人物が前世の誰だったか、また覚醒しているかどうかも解るらしい。


 麻沙美と初めて会った時、源頼朝の生まれ変わりだと告げられ、この女は頭がおかしいのだろうと興俄は思った。女は、北条政子の生まれ変わりだと言い、自分たちは前世で夫婦だったといきなり説き始めたのだ。

 何を言っているんだと思ったが、一つだけ気になることがあった。彼女の心が全く読めない事実だ。心が読めない人間に出会ったのは初めてだったし、興味もあった。彼は、しばらく彼女の妄想に付き合うことにした。

 彼女の話を聞いた興俄は以前読んだ本にあった感応精神病を思い出した。『君とは前世では夫婦だった』と恋人に言われた人間が、その妄想を共有する病だ。頭のおかしいこの女は、俺と妄想の共有でもしたいのだろうと考えた。


 彼は、面白半分に彼女の話を聞いていた。源頼朝の名はもちろん知っていたが、前世なんてものは信じていなかった。目に見えないものについて論じるのは、無意味であると考えていた。

 

 だが、

「私はね、幼い頃から自分自身ではない誰かの記憶があった」

 北川麻沙美は会うたびに前世の話をした。

「多くの人は、生まれた時には前世の記憶があるのよ。ただ、伝える術がない。ただ泣くだけの赤子ではね。やがて言葉を発するようになると、前世の記憶は薄れいずれ消失してしまう。私は絶対にこの記憶をなくしたくなかった。そう強く願っていたから、今まで失わずに生きてきた。それでも、この記憶は表に出してはいけないものだと幼心に感じてはいた。本当の私を誰かに言いたい。世界を知らない幼子の私が持つ記憶に、きっと誰かが共鳴してくれる。同じ仲間がこの世界にいるはずだと信じていた。隠して生きれば生きるほど、あの時代を共に生きた誰かとの記憶の共有を心から渇望していた。今までも数人とは出会ったの。かつての侍女、親類、あの時代を生きただけで全く面識のなかった者たち。でもね、いくらこちらが気づいても相手は全く覚醒していない。前世を覚えている人間なんていないんだなと痛感した。誰かを見つけた時はとりあえず声を掛けて、反応がなければ人違いだったと詫びてその場をやり過ごした」

 一気に言うとフッと溜息を洩らし、興俄の顔を見つめた。

「それでも、たった一人には会いたかった。相手が気づいていなくても、貴方にだけは巡り会って、覚醒させたかった」

「それが俺だと言うのか」

 北川麻沙美は黙って頷く。

「じゃあ、覚醒させてみろよ。そうすれば信じてやる」

「一緒に鎌倉へ行きましょう。いえ、まずは伊豆がいいわ」

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