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胡麻だれひやむぎ

夏が来ると思い出す。


クーラーのない平屋の大きな家。

蝉の鳴き声が煩いくらい、風通しの悪いその家の中に響いていた。

ジリジリした灼熱の太陽が屋根瓦を焼く。

平屋なせいか、その熱が直に家の中に照りつけている気がした。

暑さが陽炎のようにだだっ広い庭に揺らめく。


夏。


それが私の中にある夏。






「おまたせしました。」


そう言って店員が運んできたものを見つめる。

そして目が点になった。


え??これって、喫茶店にも出てくるメニューなの??


そう思いながら店内を見渡した。

店内??

不思議に思う。

どうやら暑さに参って、いつの間にか喫茶店に入っていたようだ。

店名なのか「ダイニングキッチン『最後に晩餐』」といくつかの窓に渡って書かれている。


「……変な名前。」


こんな変な名前の店、近所にあったかしら?

そんな事を思う。


いやそれよりも目の前のこれだ。

私は視線を戻し、首を捻る。


ひやむぎだ。


確かに暑さに参っていたなら頼んでもおかしくはない。

だが問題はタレの方だ。


そこにつゆはなく、ポテッとした黒い塊と冷水が置かれている。


私はそれが何か知っていた。

胡麻だれだ。すりごまに味噌と砂糖、そしてシソを擦り込んで作る物だ。それを水で溶かしてひやむぎを食べる。

甘じょっぱい不思議な味のする胡麻だれだ。


でもこれは店で食べるというより、田舎の家で作る物だ。

小さい時から大きなすり鉢を押さえるのを手伝わされるのが常だった。


煎りたての胡麻が弾ける香ばしい匂い。

胡麻が擦れたらそこに味噌と砂糖を加えて味を整える。

どれくらい入れるかは味見をして決めるので適当だ。

そして最後にシソの葉を入れて無理やりスリ棒で細かくして混ぜ合わせる。


そんな事を思い出しながら、私は胡麻だれをつゆ鉢に適量入れて冷水に溶かす。

これがまたなかなか溶けなくて苦戦する。

溶けると黒い粒のあるグレーの液体が出来上がる。

何とも不思議な色合いだ。


ひやむぎに箸を伸ばし、胡麻だれを潜らせて勢い良く啜る。

ああ、田舎の味だ。

好きか嫌いかで言えば、別に好きでも嫌いでもない。

でも懐かしい。

走馬燈のように幼い頃のあの夏を思い出す。


「美味しい?」

「たくさんお食べ。ひーちゃんは食が細せぇから、ばあちゃん、いつも心配だ。」


はっとして顔を上げる。

懐かしい味に浸っていた私にかけられた、懐かしい声。


そう、あの夏の中にいつもあった優しい声。


「お母さん……おばあちゃん……。」


いつの間にか、前の席に二人が座っていた。

柔らかな笑顔を見返し、瞳からぼろりと涙が落ちた。

それは後から後から湧いてきてとめどなく流れる。

二人はそれを見守りながら優し笑ってく頷く。


「え……?何で……?」

「アンタ、倒れたんよ。暑さで。」

「ええから、それ、ちゃんと食って帰んなさい。」

「そうよ?まだひなちゃんもてるくんも小さいんだから、しっかりしなさい!翔さんもいるんだから一人で頑張らないの!」

「……うん。」

「真面目なんはひーちゃんのええとこやけど、何でも一人で抱え込んだらあかん。家族なんやから。」

「そうよ?お母さんだってお父さんしばき倒して色々やらせてたの見てたでしょ?!」

「アンタのはやり過ぎや。すぐ手が出よるし。浩二さん可哀想やったわ……。」

「あら?時代に合わせて女だって強くならなきゃ!」

「いや、多分、そういう強さじゃないよ……お母さん……。」


そんな話をしながらひやむぎを啜る。

懐かしい味と会話が体と心を緩めてくれる。

しかしスルスルと喉を通るひやむぎと楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。

私は少し暗い気持ちで箸を置いた。


「……また、会える?」


そう言いながら泣きそうになった。

それが叶わない事を私が誰より一番良くわかっていたからだ。


しかしお母さんとおばあちゃんは顔を見合わせ、きょとんとする。


「会えるも何も……。」

「アタシら、いつだってひーちゃんの側におるよ?」

「お盆だけが特別って訳じゃないしね?」

「会いたかったら、いつだって会える。」

「そう、いつだってね。」


そう言って屈託なく笑う二人の顔。

涙は止まらなかったが、私はニッと笑って立ち上がった。


「気いつけてな?」

「次、不注意でここに来たらしばくわよ?」


手を振って別れを告げ、私は店の外に出ようとカウンターの前を通る。

店員さんがニコっと笑った。


「ごちそうさまでした。」

「ありがとうございます。お帰りは川と反対方向ですよ。」


頷き、カランとドアベルの音を鳴らす。

私は店の前の道を川音とは反対方向に真っ直ぐ進んで行った。








ゴリゴリとすり鉢が音を立てる。

田舎にあった大きくて立派なすり鉢ではないけれど、私はそれを懸命に磨った。

手で胡麻を磨るのは一苦労だ。

その鉢を交代で子どもたちが押さえてくれる。


「これでそうめん食べるの?」

「そうめんじゃなくてひやむぎね。」

「味噌味なの?!」

「味噌の味はそんなにしないかな?どちらかというと甘いよ?」


クーラーの効いた部屋。

あの夏とは違うけれど、そこには確かに夏の匂いがしていた。

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