第二話 予想外の出来事
フローラ学園は、周りを五つの塔で囲んだ円形の造りになっている。
先ほど、俺とシェルがいたのが中央広場。
パーティ会場になっていた場所が、フローラ学園の中心。
そこから北に蔵書塔、北西に特別塔、南西に植物塔、南東に訓練塔、北東に生徒塔、そして南は門となっている。
秘密の間は、その蔵書塔と特別塔を繋いでいる通路――蔵書塔は旧生徒塔でもある――の端に存在する。
この秘密の間は、その昔、知る人ぞ知る、主に位の高い者にしか知らない場所だったらしいが、今では万人に知られる部屋。
以来、誰でも使用できる部屋として一般開放されてはいるが、実を言うと利用する人間はほとんどいなかった。
誰も使わないということで、俺は勉強部屋に愛用していた。
おかげさまで、テストでいい点をとれたことは俺にとっても嬉しい結果だった。
その仕掛けは今でも稼働しており、蔵書塔を象徴する一面に並ぶ本棚の、一つだけ質感の違う本を押し込むことで機械が動く。
蔵書塔の一階で、背丈すらも超える本棚の列を進んでいき、俺は目的の本棚へと向かう。
傍目に見えるは、昔のフローレンス王国が使用していた学問的な資料だ。
現在では使われていない技術だとしても、その歴史的価値は凄いものばかり。しかし、その数が膨大なために、一つの場所に集められたこの塔は、本の墓場ともいえる。
まぁ、実際には掃除したり、並び替えたりする者もいるため、保管室というのが正しいのかも知れない。
特別塔との間を繋ぐため、開けられた通路を正面に、右に進むこと一番奥。五列ほどの本棚を通り抜け、そこから脇道に入る。
決められた順路を迷い無く歩き、抜けると、そこでぽっかりと開いた空間に出会う。
その空間に一つだけ本棚がある。
これが秘密の間に入るための扉である。
本棚の後ろには、無機質な壁があり、一見するとただの本棚にしか見えない。
これを上から五列目、右から四列目のインクの染みがある本を押し込めば、本棚が左にずれ、秘密の間に繋がる通路が現れるのだ。
正直に言って、この開くシーンは何度見ても興奮する。
だって、本棚が自動で動くんだぜ? ロマンを感じない方がおかしいだろ。
そんなわけで、俺は、この部屋を気に入っていたりする。
天井までぐんと伸びた本棚は、見上げるほどたくさんの本が並べられている。ここにあるカモフラージュの本も、そのひとつひとつが、この国の歴史を証明している本と思えば、凄いものである。
俺は、目的の本を押し込もうと、目的の本を探す。
と、その時、ひとつの本が目に入った。
「……なんだ、この本。こんなのここにあったっけか?」
その本は、目的の本と同じ列にある茶色い表紙の本だった。
暇つぶしにこの棚の本を物色していた俺は、その見たことのない表紙の本に興味を持った。
「あー、また誰かが、分からなくなった本をここに置いて行ったな」
これほどの本だらけの場所だ。元の直し場所が分からなくなることは珍しいことではない。
俺は、適当に当たりをつけ、ふうと息をついた。
問題なのは、人目につかないであろうこの場所に、本を放置することだ。
なんのことはない。たまに放置された本を見つけては、俺が正しい位置に戻しているのだ。
そうしたらいつの間にかそういう事象が増えていた。
「まったく、元の場所を探すのも大変なんだぞ」
そう、文句を言いつつ、その本を手に取ろうとしたその瞬間――
『――ガゴン』
という何かが嚙み合う音が聞こえた。
「え?」
手に取ろうとした本は、棚の奥へと入りこみ、
『―――ゴゴゴゴゴゴゴ!!』
という音を立てて、本棚が右に移動し始めた。
「うおっ!」
突然のことに驚きの声をあげる。
伸ばしていた手を引き戻し、勢いのあまり尻もちついた俺は、啞然とし、言葉もでなかった。
本棚は最初こそ、ゆっくりと移動していたが、途中からは、びっくりするほど滑らかに移動していった。
「……なんだ、これは」
それは、俺の知らない、もう一つの入口だった。
秘密の間とは違うもう一つの入口。
その目に映る扉は、どこか異様な雰囲気を放っており、今にも、何かが現れそうだった。
扉の下から吹いてくる風は、涼しく、覗いてみてば真っ暗でなにも見えない。
においは……意外と嗅げる匂いで、むしろ安心感を抱いてしまう。
なぜ、見たこともない入口に、安心するのか?
「……ここは、思った以上にヤバい場所なのかもな」
不格好ながらもなんとか思考を取り戻し、立ち上がって埃を払った俺は、しかし、目の前の光景に目を奪われていた。
意識的に警戒心を抱きながら、俺はこの扉をどうするかを考える。
「中に入るか、元に戻すか、はたまた人を呼ぶか?」
いくつもの選択をあげる。
が、しかし、俺の心はすでに決まっていた。
「いや、ヤバいな! もう一つの秘密部屋があるとか! マジかよ! こんなの行くしかないじゃん!」
単純に興奮していた。
「いやー、マジかー。マジのマジでかー!」
仕掛けが気になる。どういう原理でこの扉は開いたんだ? 安心する理由が分からない。本当に分からない。中はどうなっているのか? 暗いままなのか? それとも外に繋がっているのか?
興味は湧き水のように湧いてくる。
おそらくは、誰もその存在を知らないであろう、もう一つの入り口。
その新たな秘密の第一発見者になれるかもしれないとなれば、こういった秘密が好きな俺からすれば、夢にまで見た展開である。
「そうだ、これは仕方のないこと、仕方のないことなんだ」
誰に言い訳をするわけでもない、自分の行動を正当化するための言葉。
この冒険を前に、引くことなどできるはずがない。
ごくり……、唾を飲み込んだ。
「だ、誰かいますか?」
俺は、緊張した面持ちで扉をノックする。
「…………」
反応はない。
だが、扉の向こうから、反射して聞こえてくるノック音は、この先に空間があることを証明していた。
俺は、逸る気持ちを抑えながら、扉をそっと開く。
果たして中は、暗闇に包まれていた。
扉から入ってくる光が、入口付近の物陰を照らす。
通路が見える。左右には、傷のない白い壁。
綺麗だ……。使われた形跡があまり見当たらない。
そっと指先で触れてみる。
……これは、もしかして、出来たばかりの壁なんじゃないのか?
触れた指先には、石を削った際にでる細かい粒がついていた。
俺は、そのことに目を見開きながら、頭の中で急速に方向修正をする。
ここは、新たにつくられた部屋なのではないか? と考えたからだ。
もしかするとこの部屋の持ち主がこの先にいるかも知れない。
続く道は、途中で角が右に曲がっている。
俺は、音を立てないようにそっと踏み出すと、奥から物音がしないかを耳を澄ましながら進んでいく。
角を曲がると、そこから先は、ほとんど視界の効かない暗闇が広がっていた。
蠟燭でも持ってくればよかったかと思いながら、俺は、目が慣れるのをじっと待つ。
やがてぼんやりと見える部屋の中は、ドーム状になっていることが分かった。
うっすらと、浮かびあがる部屋の輪郭。俺は置いてある台座や物に当たらないように気を付けながら、中へと入っていく。
そろりそろりと歩く様は、まるで泥棒のようだ。
面白くなってきたー!
なんて呑気なことを考えていたその時のことだった――
「あら? おかしいですわね」
「――ッ!」
扉の方から女性の声がした。
コツ、コツ、コツ……。ヒールが石畳に当たる音がする。
俺は慌て、近くにあった物陰に隠れる。
俺が入ったことが持ち主にバレたのか、それともたまたまやって来た人物がこの部屋を見つけたのか、判別がつかない。
俺は内心のドキドキに心臓が破裂しそうだった。
……別にやましいことをしていたわけじゃない。
持ち主がここで何をしているのか、秘密に迫れるとか思っていない。
ここが逢い引きをする部屋なんじゃとか、もしかするとエロいところが見られるかもとか……そ、そんなことを考えているわけじゃないんだからね!
秘密を知りたい者として、誰が来るのかを確認しているだけであって、本当にエロいこととか! 求めてないからね! フンスフンス!
それはそうと、俺はとりあえず気配を消してみた。
「誰か、来ているの?」
その声は、鈴を転がしたような女性のものだった。
優しげな声だ……。まるで耳元で、やさしく囁かれているような、そんな心地になる。
はて? 俺はこの声をどこかで聞いたことがあるような……。
「どなたかいらっしゃるのですか?」
「…………」
俺は思考を一旦ストップさせ、バレないように物陰にじっと身を潜める。
「……どうやら誰もいないようですね」
幸いなことに気づかれなかったようだ。
女性は、うーんと悩むような声をあげると、ぽつりとつぶやく。
「スイッチの誤作動でしょうか? ここもいい加減、リニューアルし直した方がいいかもしれませんね」
……ほう、リニューアルだと? リニューアルということはつまり、ここも秘密の間と同様に古くからある部屋で、その存在はほとんど知られていないという……そういう?
(めちゃくちゃロマンがあるじゃねーか!)
緊張から一転、思考が戻ってきた。
先ほどまで、ここは新しく造られた部屋だと考えていたが、リニューアルということはここがそれなりに年季の入った場所であるという可能性が高い。
いったい、この部屋はいつから存在しているのだろう? 秘密の間と同じくらい? それともっと昔から? もしや、この部屋こそが、最初期の秘密の間だったとか!?
ヤバい、ものすごくテンションが上がる。
これだから秘密ってのは好きなんだ。
今日、ここに来られたのは、これはある意味ラッキーだったかも!
「そろそろ、コレクションも入りきれなくなってきましたからね」
そうそう、コレクション、コレクション!
やっぱり秘密の部屋には宝物が飾られているよね! 期待を裏切らない!
「……もうそろそろ集合のお時間ですが、ちょっとだけ、ちょっとだけなら、大丈夫でしょうか……」
そう言って、女性は迷うことなく部屋の奥へと歩き始めた。
慣れた動作だ。これは彼女がこの部屋の持ち主である可能性が高い。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
なんだ? 動悸が激しいのか、やけに息苦しそうだな。
ポウ……。
彼女がテーブルの上にある蝋燭に火を灯した。
部屋のなかに火が灯り、すこし姿が明らかになる。
カチャン……。
彼女が何かのスイッチを操作したのと同時に、床の一部が浮きあがる。
どうやら、床下に何かを収納していたみたいだ。
古典的だが、その実、幅広く使用されている仕掛けに俺も心踊らす。
まだぼんやりとしか見えないが、理路整然としたこの内装を見るに、この部屋全体に、仕掛けが施されているのかもしれない。
俺は、それを物陰からワクワクしながら覗いていた。
そして、女性が床の中から、一つの布を取り出した。
彼女は地面に座り込み、それを自分の顔の近くに引き寄せると――。
「はぁはぁ、アレン様。あぁ、アレン様のかぐわしい臭いが、この生布から臭います! くんかくんか、ああ、いつ嗅いでも色あせることのない濃厚な臭い。いえ、むしろ日に日に強くなっている! なんてすばらしい! はぁはぁ……ああアレン様! そこにいらっしゃるのでしょう? 今、隣の部屋で私のことをお待ちになって、その隣の部屋で私はこんなはしたない真似をしていて……! なんという背徳感! 今宵は私のことだけのことを考えて、さあ、獣のごとき手で、私を無茶苦茶にしてください!」
「…………」
……ん?
ん? あれ、可笑しいな。あれ、パンツ? え、なんで? 何してんの、あの人? え、アレン様? 俺の名前? え、偶然だよね? は? あれなんで俺、見覚えあるんだろ。
あの赤いドレスって、さっき会場で――
「さあ、このディアナ・ペルティエ・フローレンスをあなた様の腕で、それはもう、無茶苦茶に抱きしめて!」
ディアナ・ペルティエ・フローレンス? この国の王女様と全く同じ名前? いや、まさかそんな訳が……。ってああ! あれ無くしたと思ってたお気に入りのパンツだ! そんでもってあの金髪はもしかして――
「ああ、アレン様! アレン様の髪の毛がまた一本増えました! アレン様が昨日切った爪も採取済みです! ああ、でも、やっぱり私は、アレン様の乳歯が一番お好きでございます!」
う……うえええええええええぇ―――!!!!!!
ほ、本物ダァ――!!
――パニックである。
俺が覗き込んだ先――そこには、俺のパンツ片手に、俺の抜け落ちた身体の一部を胸に抱きしめながら、スーハースーハーしている王女様の姿があった。
予想外にも程があるだろおおおおおォォォ―――!?