第十三話 そうだ、王女様を調査しよう! その三
「そんなことより、ここにいては誰かに見られてしまうかも知れませんので、そこのベンチにでも座りましょうか。万が一、虫に刺されでもしたら、私では到底責任を負うことができませんので」
「そんな丁寧な言葉使いをしなくても大丈夫ですよ。普段通りの話し方でお願いします。少なくとも二人きりの時だけでも」
「……っ」
うるうるとした上目遣いに心臓がきゅっと締まる。
国花とも言われる絶世の美女にお願いされて断れる人間など、この世にどれほどいるだろうか? 俺も先の出来事がなければ素直に頷いていたに違いない。
例え、これが演技だとしても魅力的だという結論はなにも変わらないのだから、美人は卑怯だと思う。
「では、せめて自分のことは『俺』と言わせていただきます。敬語は……まだ難しいのでその都度努力します……」
「では、私のことはどうかディアナと呼んでください」
「え、それはちょっと……」
流石に呼び捨てにするのは不味い気がする。
「ダメ、でしょうか……?」
一転、太陽のような笑顔から不安そうな顔。
そんな捨てられた猫のような顔をされるとさすがに罪悪感が生まれる。
「では、せめてディアナ様と」
「ディアナ」
「ディアナ様では――」
「ディアナと」
「……ディアナ」
結局、俺は彼女に屈した。
呼び捨てにしたからか、恥ずかしさがこみあげてくる。
「ただし、二人きりの時だけですからね! みんながいるときはこれまで通りディアナ殿下と呼びますから」
「ええ、もちろんです!」
ダメだ。女性慣れしていない俺が、王女様みたいな美少女のお願いを断るのは至難の業だ。
彼女は、俺の手を両手で取ると、そのままベンチの方へと歩き出す。
風に揺られた草花が甘い匂いと、爽やかな音を奏で、ベンチの傍に咲いたヤグルマギクが思い思いの花を咲かせている。
このままこの場に居てはいけない。そう思いながらも、穏やな雰囲気に身をゆだねてしまう俺は――。
「おい、何を自然な形で殿下をたぶらかそうとしている?」
後ろから、悪鬼のような声が聞こえた。
肌に食い込む爪の感触、本当に女性かよと疑いたくなるほどの握力が、ぎりぎりとした痛みを俺の肩に与えてくる。
思わず顔をしかめた俺は後ろを振り返った。
「正直助かったかも」
「は?」
本当に危ないところだった。こいつの怪力がなければ俺は流されるままだっただろう。マリーもたまには役に立つんだな。
急な礼に戸惑ったのか、疑問を口にするマリーだったが、すぐに本題を思い出したのか、王女様に向かって話し始めた。
「って、そんなことはどうでもいい! 殿下、休憩中のところ申し訳ありませんが、そろそろ授業が始まってしまいます。本日は全学科共通のテストもありますので、お早めに」
「ありがとうマリー」
王女様が、侍女の相手をしている隙に、そっと距離を取る俺。
「それでは俺はこの辺で失礼します。ではディアナ殿下、また後ほど」
そうしてごくごく自然に退席しようとする。
「まて、貴様には色々と話がある。ここに残れ」
マリーがそう言って引き留めようとしてくるが、俺はそれを華麗に回避する。
「では、これにて失礼します」
「おいアレン・オーブリー! 私の話を無視するな、聞こえているだろう!」
まったく別れの挨拶をしているというのに、割って入ってくるなんて。
最近、小姑のようにピーチクパーチクとよくさえずる護衛兼侍女だが、これ以上相手をしていたら俺が疲れる。ここは知らないふりをしておこう。
「おい、聞こえていないのか!」
「知らない人に声を掛けられても、返事をしてはいけないと母さんから教えて貰っているからね。俺はなにも聞こえていない」
「しっかり聞こえているではないか!」
「うるさい! もうお前の小言はうんざりなんだよ! 毎日毎日、俺を巻き込みやがって……! 大体、俺はディアナ殿下の『一応』の婚約者なんだぞ! そんなことばかり言ってると、お前の敬愛すべき主にあれこれと告げ口するからな!」
肩に掛けられた手を引き剥がし、『一応』の婚約者の隣に立つ。
一応と前置きしたが、婚約者と呼ばれ、嬉しそうな顔を浮かべている王女様は置いておいて、今は変態ストーカーをどうにかするのが先だ。
「なっ……貴様! この期に及んで殿下に助けをこうなどと……。殿下、やはりこの男は殿下にはふさわしくありません!」
「はっ、よく言うぜ! おまえの方こそ、主の意向を無視したあげく、俺を亡き者にしようとした癖に。言っておくが、俺はなにも悪くないからな! 俺に近づいてくるなこの変態!」
「へんた……。貴様、言っていいことと悪いことがあるだろうが! ええい、こうなれば決闘だ決闘! いまから剣をもって修練場に来るがいい!」
「アホか! 戦闘はおろかまともな訓練をしたことのない俺が、決闘なんてするわけないだろ! 考えなくても俺に勝ち目がないことぐらい分かるだろうが! 騎士なら正々堂々と勝負をつけやがれ!」
「む、むぅ……言われてみればその通り――」
「ということで、今日行われる共通テストの点数で勝負をつけよう」
「なっ……! 貴様こそ自分の得意分野ではないか!」
忘れている人もいると思うが、俺は学年第二位の成績を誇る男である。
え、卑怯だって? そんなものは道端にでも捨ててきた!
「はっ、なにを言っている? 今日のテストは学科共通だとお前が言ったんじゃないか。ディアナ殿下の忠臣を名乗るんなら、当然勉強してきたんだろう?」
「ぐ、ぐぬぬぬぬ……」
ぷーくすくす、悔しがっておる。悔しがっておる。
加えて言えば、こちらには王女様もいるんだ。彼女からの一言があれば、この勝負は俺の勝ちだ。
「さあ、ディアナ殿下もなにか言ってやってください!」
「………………ボソボソ」
……ん? 声が小さくて聞こえない。
何か口ずさんでいるみたいだが……俺はその声にそっと耳を傾けた。
「仲のよろしいようで大変結構ですけれど、私の時よりも会話の量が多いのはなぜ? アレン様に限ってそんなことはないと思いますけど、まさか『浮気』? いえ、夫のことを信じるのは妻の役目、そんなことは絶対にあり得ませんわ。でも、もしも、浮気をしていたら? その時は殺……いいえ、やっぱりあり得ませんわ。そもそもマリーは、アレン様を殺そうとしていましたし、アレン様がマリーのことを好きになる理由もないはず。
でももし、そのマリーがアレン様の器の広さに惚れ込んだとしたら?
……それはあり得るかも知れませんわ。それに私以外と、ほとんど会話をしないマリーがここまで打ち解けているとなると、既に惚れ込んでいる? いえ、これはマリーが悪いのではなく、アレン様の方が素晴らしいと言う他ありませんね。そうなると、今一度、リストを洗いなおして、他にアレン様に色目を使っている女がいないかの調査をした方がいいかも知れません。もしもアレン様に、そういったお方がいらした場合には、その時には――うふふ、うふふふふふふ」
爆音が心蔵を鳴らしていた。
――ヤッ……ヤバババババババイ。
嫉妬、緊張、疑い、恫喝、恍惚。
あの一瞬に見せた王女様の感情にさらされた俺は、なぜか身体が震えていた。
体中のありとあらゆるところから油汗が流れ出て、背筋はピンと不自然なほどに伸びていた。
未だにぶつぶつと呟いている王女様を傍目に、突然小刻みに震え出した俺を見て、マリーはニヤリと笑みを浮かべてくる。
「いや、そうだな。共通テストでいいぞ? そうだ共通テストにしようではないか! 貴様の得意分野だ、存分に奮闘するがいいぞ?」
馬鹿か! いまはそれどころじゃねぇだろ! 何を勝ち誇った顔をしていやがる! お前も疑いが掛けられているんだよ! 気づけ!
俺は気持ちを乗せた視線をマリーへと向ける。
「いや、やっぱりやめておこう! なっ! よくよく考えてみたら俺たちが争う理由なんて一つもないじゃないか。俺たちは同じくディアナ殿下のことを大切に思っている仲間じゃないか! そう、『仲間』なんだ。そんな俺たちが争っても、ディアナ殿下にいいことなんて一つもないって! なっ?」
俺の必死の思いを込めた言葉。
良いからここは頷いてくれ! いや、頷いてください! お願いしますから!
「おや? 男ともあろうものが、持ち出した提案を取り消すのか? 学年二位の意地はどうしたんだ? ええ?」
しかし、マリーは、ぶるぶると震える俺を見て、『不調』であると判断したらしい。
彼女は余裕のない俺を見て、より笑みを顔に張り付けた。
「ふははは、安心するがいい。たとえ、私が勝ったとしても別段何かをする訳ではない。ただ、そう貴様には、態度を改めて貰おう!」
くそ、無性に腹立つなこのあま!
「いや、だから違いますって……そういうことじゃないんです……」
言い返したくても、状況が許さない。
珍しく、ほんとうに珍しくマリーに対して、弱弱しい言葉を掛ける。
すると、そんな思いが伝わったのか、彼女はまるで不出来な後輩を見るかのような目で、
「まあ私も大人げなかったしな」
と理解を示してくれた。
良かったと一安心する間もなく、彼女は言葉を継ぐ。
「だが、それはそれとして、騎士として一度引き受けた勝負を投げ捨てる訳にはいかない。故にここはどうだろう。その先の罰は無しにして勝負を行うというのは」
「いや、だから、そうじゃねぇって言ってんだろ!」
マリーは軽快な笑いでそれを蹴飛ばす。
「大丈夫だ、今回のことはただの力試しだと思えばいい。貴様はただ、テストに集中すればいいだけだ」
やめて! そんな気持ちの良い先輩のような態度はやめて!
思いを共有出来ていないがために引きおこされた盛大な勘違いは、なんともいたたまれない。
俺は内心、そもそも勝負すること自体が間違いなんだよ! と毒を吐きながらも、どうやって説得しようかと思考を働かせる。
まさか、王女様の呟きを聞かせるわけにもいかない。彼女は未だ、俺とマリーの関係について考察を巡らせている。王女様一筋のマリーが主人の言葉をうっかり耳にしたらそれこそ大惨事になりかねない。
しかし、この単純馬鹿はこちらが必死になって説明すればするほど、勉強をしておらず焦っている男として認識してしまうだろう。これまでの行いを振り返れば、彼女は思い込みの激しいタイプの人間だ。
穴にハマったうえ、もがいてみれば底が泥沼だった。
頭の中でどうすることもできないと諦めた俺は、別の行動をとることにした。それは、
「あ! そろそろ時間だ! いいかマリー! 今回の勝負はなかったということで! もう一度言う! 『勝負は無しで』! 何もなかったということで! 納得がいかないなら俺の不戦敗で! それではさようなら!」
――言いたいことだけ言って、逃げる。これである。
口早に話し、全力で逃げ出す俺。口をぽかんと開くマリーと難しい顔をして考え込んでいる王女様を全力で振り切り、俺はとにかく校舎へと向かって走った。
俺の全力疾走にマリーは違う解釈をしたのか、
「殿下! 我々も急ぎましょう、遅刻します!」
と言って後ろを追ってきた。
思った通り思い込みの激しい人間のようだ。そして、その主人も思い込みの激しい人間であることを忘れてはいけない。……似た者主従だな。
道を走り、玄関を通り、階段を二段飛ばしで登っていく。
一部の生徒からはぎょっと見られたりもしたが、そんなことはどうだっていい。今は全てを煙にまいて、勝負自体を無くすことが重要なのだ。
そうして放課後……。
朝に採点され、集計された点数は、学科別に各党のボードに張り出されていた。
伝えきいた話によると、そこに騎士科の制服を着た女生徒がわざわざ生徒塔に来て、ボードを確認したところ、
「なんなんだアイツは!?」と顔を真っ赤にして、地団駄を踏んでいたとかなんとか。
その後、その女生徒は、草むらに隠れている相手を見つけ、剣を振り上げながら追いかけてきたとかなんとか……。
ちなみに俺はその場を見ていない。見ていないったら見ていないのだ。
後ほど、話しかけるのも恐ろしいほどの王女様に俺は、謎の弁解をした。
……まじで、めちゃくちゃ怖かった。