女騎士(見習い)に初日から気に入られちゃったわけないよな!?
イェーイ!
昼ごろになり、長い馬車での旅程もようやく終わった。
辺境で暮らしていたアンリとオノレにとって、田舎道を延々と走る馬車に乗ることはそれほど苦ではないにせよ、休みなしで中央まで走る馬車に乗っているといくらなんでも疲弊する。
馬車から降りると、目の前に大きな建物が見えた。
それが貴族学校なのだとアンリもオノレも知っていたが、実際に見るのは初めてであったために、二人とも驚きを隠せなかった。
「僕は疲れてしまったから、一度このまま実家に顔を出して、休ませてもらうことにするよ。午後には先生がたにご挨拶しようと思うが、アンリはどうする?」
「そうだな……」アンリは少し悩んでから言った。「俺はこのまま学校の中を見て回ることにするよ。寮のほうも見ておきたいしな」
「そうか。入学式は明日だから、今日は物見遊山も悪くないが、ゆっくり休んでおくんだぞ。余裕があれば先生がたへの挨拶も欠かさずにな」
そうして馬車に戻り実家へ向かうオノレと別れたアンリは、一人で校門をくぐって学内へ入っていった。
(なんて広い校舎なんだ。辺境領の大きな教会に比べても、遜色ないほどの立派な建物だな。前世の日本でいえば、地方の国立大学みたいだ)
全国の貴族がここに集められるのである。
貴族学校はそれなりの敷地をもって築かれており、そこにはこれからアンリが住まうことになる学生寮も併設されている。
前述のとおり学校は明日の入学式を控えた状態で、校内は慌ただしい様子であった。アンリはそんな生徒と教員とが混じりあって、さまざまな準備に追われている姿を見ながら、あてもなく学内を散策していた。
ふと、アンリが足を止めると、そこには修練場と大書された看板と、古い道場のような建物があった。
こじんまりとしたその道場に興味を惹かれたアンリは、覗き込んでみることにした。
高い窓から差し込む光に埃っぽい空気が浮かびあがる。染み付いているわずかな汗の匂い。
「おい、そこで何をしている!」
そのとき、大きな声でアンリを呼び止める女の声に彼は肝を冷やして、慌てて周囲を探った。
声の主は道場の中で一寸も動かずにじっとしていたから、気配がほとんどなかったためにアンリには気付くことができなかったようである。
「……すみません、少し見学をさせてもらっていただけで。お邪魔になりましたか」
「貴様、見ない顔だな。まずは名を名乗れ」
先輩だろうか、とアンリは逆光のなか目を凝らして声の主の姿を見つめた。ぼんやりとした光に包まれているように見える彼女は、どこか神々しく見えた。
「──失礼しました。私はアンリ・ドルターニュ。明日の入学式をもって貴族学校に入学することになっています」
「オルターニュというと、辺境領のお坊ちゃんか」
そのとき、ふとアンリの胸中に言いようのない不安感が去来した。
彼女の心理がアンリに聴こえてくるような気がしたのである。
(ふん。辺境伯の嫡男となれば、こいつはどうせ甘やかされて育ったんだろう。私のような叩き上げの騎士や、この道場で知り合った貴族の子女らとは違って、嫌味なやつに違いない。見物のつもりで道場に来たのだろうが、そう簡単にはいかせるかよ。どれ、すこし揉んでやろうじゃないか)
目の前の彼女がすっと道場の入り口にいるアンリのほうへ歩み寄ってくるのが、彼にはわかった。
窓から差していた光が外れて、ようやく彼女の姿がアンリの目に露わになる。
「──せっかく道場にいらしたんだ。ひと試合どうですか、アンリ殿」
そう言った彼女は、ごく小さな体躯でありながら、全身にみなぎるはっきりとした力のオーラを隠そうともせず、しなやかな筋肉に包まれた四肢を、じつに簡素で動きやすそうな運動着に包んだ、まるで少女のような騎士であった。
「私はミーナ・ド・ヴァンゲル。ヴァンゲル子爵家の長女です。アンリ殿と同じく、明日からこの貴族学校に通うもの。以後よろしくお願いします」
運動着のまま、存在しないスカートの裾をつまむ仕草で中央貴族式の挨拶をしてみせる彼女が浮かべた笑みは、まるで獲物に狙いをつける獰猛な獣のように見えて、アンリは身震いを抑えきれなかった。
修練場の更衣室を借りて運動着に着替えたアンリは、正直に言ってどこまでも動揺していた。
(まずい……まずすぎる。剣術の稽古は辺境領にいたころにひととおり積んできたが、たいして上達もしなかった……父さんには、ついに一勝もできなかったんだものな。それに比べて、あのミーナとかいうやつはずいぶん強そうだ。
俺の付け焼き刃の剣術では到底敵わなさそうだし、そのうえ彼女は俺に敵意があるように感じる……いや、自意識過剰なのかもしれないが、例の幻聴も聴こえたし……)
依然として不敵な笑みを浮かべるミーナ嬢は、アンリをじっくりと検分するように見据えて、ようやく口を開いたのだった。
「ふん、では軽く打ち合う程度でよろしいかな? 今日こちらに到着されたようだ、アンリ殿も疲れていらっしゃるでしょうから」
「……あ、ああ。助かります。つけ加えると剣は不得手だから、お手柔らかに頼みます」
アンリの言葉にミーナ嬢は頷くと、木剣を持って道場の中央へ向かう。アンリも促されて試合の場所へと移った。
(……!)
アンリはミーナ嬢から瞬時に発された闘気とでもいうべき気配に、身を強張らせた。やはりこの人は強いのだ、と感じたときには、すでに一撃目が打ち込まれていた。
遅れてやってくる痛み。試合だからとあくまで手加減はされているようだが、あざが残ってもおかしくないほどには強打されたのだとアンリは理解した。
これは本気でやらねば、明日の入学式に堪える、と彼は悟った。
「……く、意地悪ですね。ミーナさん」
「試合といえど、騎士が剣を取り相対するのだ。過剰に手心を加えれば、それは騎士道に悖るというもの!」
(ひええ……素人だと言っている相手に、これだけの力で打ち込むのは騎士道に悖らないのかよ……)
アンリはしかし、剣を握り直した。そうだ、自分にはまだやれる。
鈍臭くて身体も強くないアンリではあるが、自分には不思議と相手の考えがわかるようなときがある。
我らが主人公が、少しはこの能力を自覚していることがおわかりいただけるだろうか。
(父さんと打ち合っていたときは、少しも聴こえなかったが……ミーナ嬢からは、よく聴こえてくる!)
次のミーナ嬢の踏み出しを、アンリは先んじて突き出した木剣の鋒で制した。
ミーナ嬢は目を見張る。
(なに、まるで別人のような動きだった。こちらの動き出しを完全に見極めて、制限するような動き──達人のそれと見紛うようなものだが、ただ一度では偶然ということもある。見極めてやる!)
またミーナ嬢の心のうちをぼんやりと聞き及んで、アンリは次の動きを聞き漏らさぬよう全集中を注ぎ込んだ。
決着がつくのには、そう時間はかからなかった。
ぜえぜえと息をつくアンリに対して、ミーナ嬢の息は乱れていない。その姿を見て、もしこの場に試合の観客があったなら、その勝敗を一方的なものだと判断するものがあったかもしれない。
「私の──負けだ。アンリ殿」
しかし、その実はアンリの勝ちだと、完勝だとミーナ嬢は認めていた。
ミーナ嬢の太刀筋を冷静に予測していたアンリは、追いつかない体力を振り絞って、それらに対応していった結果、試合はアンリに傾いたのだった。
「いや、俺が勝った気は全くしないんですが……」
「あなたの太刀筋には誠実さを感じた。私はつねづね、試合とは、斬り合いとは対話のようなものだと思ってきたが……アンリ殿の剣には私を理解しようという気概を感じたのだ」
「そ、そうですか……」
彼女は結えていた長い金髪をほどき、眩いばかりの笑顔でアンリに言った。
「アンリ殿、あなたとはよき友人になれるように思った! 改めて、これからよろしく頼むぞ!」
アンリはたじたじとしながらも、彼女の手を取って頷いたのであった。
明日の投稿分はまだないっす。