旧劇場・劇場ホール
旧劇場内はしんと静まり返っていた。
自分の心音さえ聞こえてきそうだ。
クインリー・カースティは音を立てないよう慎重に旧劇場内の廊下を進んでいく。半月の光が窓から照らされる中、二階から侵入したので階段を下りて劇場ホールへと向かった。旧劇場のホール一階には一般出口が三つ設けられている。正面、西、東だ。クインリーがホールの前までやって来ると、正面出口の両面扉が大きく開け放たれていた。まるで自分をずっと待っていたかのように。クインリーは劇場ホールの中へと入った。
半年ぶりに来た旧劇場の中はほとんど変わった様子がなく、ステージにランプの明かりが灯されていた。ステージを半円状で囲むように観客席が設置されていて、左右を見ると、西側、左側の出口も正面と同じように開け放たれている。これなら後から来るナナトもこっそりホール内へ侵入できそうだ、と思ったとき、ステージの舞台袖から一人の獣人が現れた。足取りはふらつき、頬はこけ、瞳には生気が失せている。よく見ると腰には縄が付けられていて、縄の先は舞台袖の奥へと繋がっていた。
「デシラ?」
クインリーの声が劇場に響き渡った。その声に一瞬驚いた様子を見せたステージの上のリスの獣人は、しょぼくれたように前へ垂らしていた耳をピンとクインリーに向けて立てた。
「スティ? あなたなの?」
「ええ私。よかった心配したのよ。その腰の縄は何? 誰かに監禁されて…」
「こっちへ来ちゃ駄目! 病気がうつるから!」
クインリーがステージの方へ近付こうとしたそのとき、デシラが金切り声を上げた。クインリーが眉を寄せる。
「病気?」
「そうよ。私は獣人にしかかからない奇病に侵されているの! 近付いたらスティまで感染しちゃう」
「獣人にしかかからない奇病ですって?」
クインリーは益々疑問に思ってヘソのあたりで腕を組んだ。
「どんな病気なの?」
「……最初は、胃がひっくり返ったように気分が悪くなってご飯も食べられない状態になった。そのうち喉も焼けるように痛みだして体中に湿疹も出てきた。原因も治療法も不明らしくて皆から隔離するしか対処方法がないのよ」
「また悪いものでも食べたんじゃないの? よく聞いてよデシラ…」
クインリーがため息をついた。
「もし獣人にしか感染しない病気があるとするなら、誰よりも私たち獣人がその病気のことについて知っているはずでしょ? でも私はそんな話、聞いたことがない。一体誰に病気なんて言われたのよ?」
「それは私から説明しよう」
突然男の声がしたかと思うと、デシラが出てきた舞台袖の反対側から真っ白いスーツを着た人物が現れた。今度はクインリーが驚いて声を上げる。
「ドクター・ホーパー?」
劇団付属医のホーパーだった。半獣人であるが今はヒトの姿をしている。
「おや、毛並みの色が違うね? キツネも換毛期で色が変わるとは知らなかった。なるほど、そうやって変装してここまで来たのか。せっかく送った迎えを出し抜いて。傷の具合はどうだね? あいつらには手荒な真似はするなと言いつけていたはずなんだが」
クインリーが小首を傾げる。
「傷? 私はどこも怪我なんてしてなわいよ。まさかあなたがあのチンピラ連中を雇ったの? どういうこと?」
ホーパーは訝し気に眉を寄せたが、すぐに気を取り直して大仰に両手を開いてみせた。
「すべて話そう。さっきは説明と言ったが正しくは告白だ。私が犯した罪と、君への深い愛について」




