推理
「何の用だね? クビだと言ったはずだが。それに…」
「即刻劇場から出ていくようにと言われました。わかっています。すぐに終わるから聞いて下さい。伝えるべきと思った情報を二つ持ってきました」
ツアムはステージ上から全員を見渡した。
「私は昨日クインリー・カースティの劇場内における警護のために雇われた者です。口止めされていたのですが、実は昨日、彼女を自宅へ送り届ける際にある話を聞きました。劇場でストーカー行為を働いている者が誰か目星がついている、という話です」
これまでとは比較にならない動揺がスタッフ間を駆け巡った。バエントが力強い声で尋ねてくる。
「それは一体誰だと言っていたんだ?」
ツアムは弱々しくかぶりを振った。
「残念ながら…そこまでは教えてくれませんでした。ただずっと前から怪しいと思っていたこと、その人が自分にとって恩義のある人なので言い出せない、と言っていました」
バエントがあからさまに落胆してみせる。
「それで、もう一つの情報というのは?」
「先ほど来た新しい情報です。どうやらクインリーは、傷を負ったようなんです」
「なんだとっ!」
バエントが吠えるのを尻目に、ツアムはスタッフたちに向き直った。
「外面のよくない連中から走って逃げ出すとき、クインリーの手から血が滴っているのを見た、という目撃者がいました。連中の目的は不明ですが、もしかしたら狙われているのはクインリーだけではないかもしれません。皆さんも外では一人で行動せず、周囲に気を付けてください」
「役に立つ情報をわざわざどうも」
最大限に皮肉を込めてバエントが言ってツアムを睨みつけた。
「みな、聞いてくれ。聞いてくれ! 私はこれから自分の部屋へ行く。主演の身体に傷がついたとなれば、公演の延期も考慮しなくてはならない。念のために明後日出演する俳優たちとマネージャーは今夜全員この劇場に泊ってくれ。他の者は自宅で待機だ。明後日がどうなるかはわからないが、ひとまず公演する心積もりでいるように! 明朝はいつも通りここへ来てくれ。以上だ!」
バエントはそれだけ告げると、ステージから下りて小走りで劇場ホールの入口へと向かった。スタッフたちは呆然とその背中を見送る。そんな中で三人の男が、今の話を聞いて冷や汗がにじむほど狼狽していた。
そんな馬鹿な! クーリンは一体どこにいるんだ!
カッシュは周りの話し声など全く耳に入らない様子で考え込み、はっと思い出した。一昨日の昼食で…クインリーから聞かれた妙な質問…。
思い当たったカッシュは劇場ホールの入り口へと歩き出した。
劇場内の座椅子を蹴飛ばしそうな勢いで風を切って進んでいく。建築責任者のウドナット、劇団付属医のホーパーもそれぞれ神妙な面持ちで後に続いた。三人が三人とも急ぎ足で、且つそれぞれ他二人のことが目に入らないほど黙考している様子だ。
三人はエントランスを抜けて外へ飛び出した。ウドナットだけは左へ、カッシュとホーパーの二人は右へ折れて進んでいく。その後ろからツアムもまた駆け足で出てくると、劇場入口で柱の陰に姿を隠していたポピルたちと合流した。
「ポピル?」
「ここだ姐御」
「何人だ?」
「三人。俺は左に行った一人を追いかける」
「バレないよう尾行しろ」
「心得た」
ポピルはウドナットの後を追いかけ、ツアム、ルッカ、スキーネは右へ曲がった二人の後ろについた。
「凄い速さで進むわね。ツア姐、なんて言ったの?」
「ストーカーが誰なのか心当たりがある、そして空き地でクインリーがゴロツキたちから傷を負わされた、とカマをかけた」
「うまいわね。あの二人がストーカーの当事者だったとしたら気が動転してるでしょう」
ツアムは、一芝居打った。
スタッフ全員が集められると聞き、皆の前で偽情報を流して劇団内にいるストーカーを炙り出そうと試みたのだ。クインリーに執着しているストーカーがもし彼女の身に危機が迫っていると知ったら居ても立っても居られず行動を起こすはず。そう考え、ツアムは劇場入口でポピルたちに中から飛び出してくる者がいないかを見張らせていた。
「当事者と決めつけるのはまだ早い。三人とも別件で帰宅しているだけかもしれない。そもそも空き地でクインリーに絡んだと思われるゴロツキたちがストーカーと繋がりがあるというのも推測なんだ。むしろ分の悪い賭けだよ」
「どうして繋がりがあると考えたのですか?」
スキーネの質問に、ツアムはカッシュの背中から目をそらさずに答えた。
「仮にクインリー・カースティが自分の意志で、あたしたち護衛さえ撒いて劇場から抜け出したのだとしたら相応の下準備をしたはずだ。当然、例の空き地も行き当たりで選んだ訳ではなく、事前に視察、もしくは人気のない場所と聞き及んでいたに違いない。にもかかわらず、その場所でゴロツキに絡まれたのは彼女にとっても想定外だったんだ。わざわざ銃声を起こして自分の姿を見せるなんて真似は絶対に当初の計画にはない。せっかく姿をくらまして逃げた意味がなくなるからね。何らかの理由でクインリーの計画を知った奴らが待ち伏せしていたと考えるのが自然だろう。その場合、クインリーが立てた計画を察知できる近しい者は彼女の家の使用人たちか、劇団関係者となる」
ツアムは息も切らず早歩きする。
「クインリーの自宅を自由に出入りできる者の犯行という可能性はかなり低い。もっと賢い手はいくらでもあるはずだ。たとえば押し入り強盗を装って仲間を家の中へ手引きする、とかな。わざわざ外でクインリーに接触するようゴロツキに指示を出したのはおそらく劇団内部の人間だろう」
喋り終えてからツアムは自嘲気味に笑った。
「我ながら穴だらけの推理で喋るのが恥ずかしくなってきたよ」
「でも筋が通って聞こえるわ。現にこうして急ぎ足でどこかへ向かおうとしている男が三人もいる」
ルッカも賛同してツアムの横に並んだ。
「私も追いかける価値があると思います。それにしても、なぜクインリー様は一人で抜け出すような行動をしたんでしょう?」
「十中八九、逢瀬だろう。誰か想い人がいて密かに会いに行こうとしているんだと思う。女優として名声を得る前に付き合っていた男というのが妥当かな」
「そんな!」
ルッカが思わず声を上げたので、スキーネがしっ!と制した。ツアムたちの周りにいた人間が振り向いてきたが、幸い、追いかけているカッシュとホーパーには気取られていない。
「なんでルッカがショックを受けてるんだ?」
「す、すみません。クインリー様は私たち半獣人と獣人の憧れですから、もっとこう、相応しい人と恋に落ちてほしいんです」
「心底ファンなのね、あなた。あ、二人が分かれるわ」
曲がり角で曲がったホーパーと、直進するカッシュ。ツアムたちはその後ろ三十メールに位置している。
「あたしが獣人を追いかける。二人はあっちの医者を」
ツアムが短く言うと、ルッカとスキーネは承諾してツアムから離れていった。ツアムはカッシュの背中を見ながら少しずつ距離を詰めていく。万一振り返られても不自然なく姿を隠せる距離を保ちながら、ツアムは頭の中でナナトのことを気に掛けた。
空き地での一件を整理すると、どうやら銃撃でゴロツキを追い払ったのはナナトのようだ。でなければ先に空き地から連中が逃げてくるのはおかしい。だがナナトが自由の身であるというのなら、何故クインリーと二人きりで逃亡を続けるのか。ナナトの性格からすれば、まずあたしたちを頼ってくれそうなものだが。
ツアムは夜空に昇った半月を見上げながら考えた。
ナナト、お前は今、どんな目にあっているんだ?




