逃走
新劇場のすぐ外では避難したスタッフや作業員たち四十名ほどがひしめき合い、心配そうに中の様子を窺っていた。
その異様な光景に野次馬までもが集まりだして、何が起こったのかと質問を浴びせてくるが、誰も曖昧にしか答えられない。取り乱す者こそいなかったものの、口々に不安や心配を吐露して収拾がつかなくなる中で、一人の内装作業員が密かに集団を抜け出した。
すでに外へ出たというのに口元に布を当てて目深にフードを被り、大きな布地に包まれた荷物を背負ったその作業員は人目のつかない路地裏へと足早に進み、やがて大通りからかなり離れた空き地へとやって来る。
フードを脱ぎ、口にあてがっていた布を外したクインリー・カースティは黙って空を見上げた。
すでに九割が夜の闇に覆われている。このまま完全に日が暮れてしまえばこちらのもの。ここで着替えを済ませて完全に夜が更けてから行動を移せば誰にも気付かれることなく目的地に辿り着ける。
クインリーは持ってきた包みを地面に置き、中を広げた。そこには通りの一般人がよく着ているズボンとシャツの着替え一式。そして変装のための七つ道具が用意されている。とりあえず作業服を脱ごうとシャツのボタンに手を掛けたクインリーは、足音に気が付いて動きを止めた。
今しがた自分が来た道から複数の足音が聞こえる。クインリーは逃げようと周りを見渡したが、あいにくここは周囲を高い壁に覆われていて、出口は一つしかない。
「見事だ。本当にうまくやりおおせるとは思わなかった」
集団の先頭を歩く犬の獣人が声を上げた。その後ろに部下と思われるヒト種を五人も連れている。全員が見るからに物騒な外見であり、真っ当な職に就いている類ではないとわかった。
「誰? どうして私がここに来るとわかったの?」
「それは追々説明しよう。その前にまずは賭け金を払わせてくれ」
犬の獣人は懐から財布を取り出して何枚かの紙幣を横にいたヒト種に手渡した。金を受け取ったヒト種が嬉しそうに天を仰ぐ。
「だから言ったでしょ! 天下の女優なら出し抜くのは朝飯前だって!」
犬の獣人がクインリーに向き直ってニヤリと笑った。
「念のため、あんたの正体が途中でバレたときのために部下を劇場の入口で待たせていたんだが無駄だった。いや、褒めてるんだぜ俺は。賭けは負けたが、さすが役者だ」
クインリーは眉根を寄せた。
この連中は私の計画を知っている。火災の混乱に乗じて内装作業者に扮し、誰にも悟られることなくここまでやって来くることを。その成否を賭けの対象にされたのだ。
「俺たちに付いてきてもらおう。行先は心配するな。あんたが考えているところと同じところだ。旧劇場さ」
クインリーの心臓が高鳴った。目的地までバレている。
「ただし拘束はさせてもらう。逃げられると追いかけるのが面倒なんでな。大人しく麻袋に入って馬車に載ってくれれば、あとは勝手に目的地だ。悪くないだろ?」
「あなたたちがどこの誰かは知らないけどお断りよ。拘束なんて真っ平だし、私は自分の脚で向かう」
「気が強ええな。俺の好みだ」
獣人が合図すると、ヒト種が横に散開した。これでは隙間から走り抜けられそうにない。
「傷をつけるつもりはない。俺のクライアントから丁重に扱うよう散々言われているんでな。だが暴れれば…保障はしねえぜ」
万事休す。クインリーは大声を上げようかとも思ったものの考え直した。ここで人が来てしまっては苦労してせっかく抜け出した意味がなくなる。
「さあ、大人しくしろよな!」
ダン!
突然銃声が鳴り響き、六人のすぐ傍の地面に土煙が立った。仰天した男たちが振り返ると、後ろにリボルバー・ライフルをこちらに向けた少年が立っている。
ナナトは威嚇のためにもう一度地面に向かって銃を放つ。それで十分だった。腰を抜かさんばかりに驚いた男たちは、銃撃から逃れるように駆け出すと、ナナトから離れた遠いところを通って走り去っていった。ナナトは銃に安全装置をかけ、銃口を上に向けるように背負ってクインリーの近くへ走り寄る。
「大丈夫ですか?」
一部始終を呆然と見ていたクインリーは、ナナトの顔を見てすぐに地面に置いた荷物をまとめだし、ナナトの手を取って駆け出した。
「こっちよ!」
「え? ちょっとどこ行くの?」
「今の銃声で人が集まって来る。早くここから離れないと」
訳の分からないナナトは、とりあえず引っ張られるまま一緒に走り出した。しばらくしてクインリーが振り返る。周囲も暗くなっていたのでキツネの目がキラリと反射した。
「お願い。私が旧劇場に着くまでボディーガードになって」




