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舞台劇

 開けられた入口は劇場ホールの最も後ろに位置していて、二十メートル先に見えるステージの上で、二人の男女が交互に声を張り上げていた。紅色をした背もたれ座席が等間隔に並ぶ劇場内を進み、ナナトたちはステージの正面、前から十番目ぐらいに離れた席に案内され、着席する。


 ナナトはホール内へ足を踏み入れてすぐ、甘い香りが充満していることに気が付いた。まるで熟した果実のなっている森の中へ入ったかのような爽やかな香り。何の香りだったかなと記憶を辿るうちに思い出した。白檀びゃくだんだ。ステージの上の両端には薔薇をかたどった香炉が置かれていて、白檀の香りはそこから流れてくる。きっと舞台の演出の一つなのだろう。


「太陽と月の恋を知っているかい、ルシーデ?」


 背の高い男の俳優が大仰にポーズを取りながら台詞を喋った。木の繊維で作られたズボンに白いシャツの出で立ち。一般的な農夫の格好だ。舞台全体の灯かりが絞られ、ステージの上に黒い布が垂らされていることから、今がこのシーンが夜だということがわかる。舞台の中央には噴水を彷彿とさせるモニュメントがあり、女性が噴水の淵に腰かけていて、男の方は立ったまま彼女を見つめていた。彼が話しかけている相手が今回の護衛対象となるクインリーだ。


 キツネの獣人。


 上品な寝間着に包まれながらも、顔や手足、そして尻尾など露出している部分には夕焼けを宿したような橙の毛に覆われ、茜色に輝く髪を肩まで伸ばしている。顔はヒト種よりも鼻が長く、口のすぐ両側から横に伸びた短いヒゲが生え、耳は頭の上に付いている。

 野性のキツネが二足歩行になり、そのまま背が伸びたて人間になった、といった印象だ。


「いいえ知らないわ。教えてフィルシャン」


 ルシーデ、もといクインリーは自分の台詞を返す。劇場内の隅々まで通る美しい声だった。力強いのに慈愛があり、印象に残るに不快にならない。たった一言の台詞だけなのに、ナナトはもう彼女から次の言葉を聞きたい心地になった。


「太陽の輝きに恋をした月は、彼女のもとへ駆け寄ろうとするんだ。でも太陽はそれを嫌がった。彼女もまた月の優しい明かりを好いていたんだけど、月が自分に近寄りすぎれば熱で燃えてしまうと考えていたからだ。だから太陽はいつも月を避けた。月が空に昇ると自分は急いで地平線の奥へ隠れ、月が諦めて帰ると彼女はまた遠いところから姿を現す」


「でもとうとう月は太陽が自分から逃げている理由を知り、一計を案じることにした。太陽に気付かれないよう、少しずつ自分を夜の闇に隠して、太陽が完全に油断した頃に、空から姿を消して彼女の前に現れたんだ」


「じゃあ新月の夜というのは、太陽と月が出会っているときなのね?」


「その通り。夜空に瞬く星々だけが、太陽と月の逢瀬おうせを照らしているんだよ」


 フィルシャン役の男がクインリーに向かっておもむろに手を出すと、彼女はその手を取って噴水の淵から立ち上がる。そこで初めてクインリーの立った姿を見たナナトは、脚が獣特有の趾行しこう性ではなく、ヒトと全く同じ関節をしていることに気が付いた。劇よりもそっちが気になってしまうとはつくづく自分は猟師の目をしているなと考える。


 ステージの上では、ルシーデとフィルシャンが抱きしめ合った。


「ああ、フィルシャン! あなたと出会うまで夜がこんなに短いものと知らなかった。誇りに思っていた家名が、こんなにも捨てたい重荷になると思わなかった。このままあなたと二人で、誰も私たちを知らない世界に行き、そこで静かに暮らしたい」


 ふと、ナナトは近くからスンスンという音が聞こえてきたので、気になって左右を見回してみた。隣を見ると、ルッカが涙を流しながら食い入るように前のステージを見つめている。さすがにルッカ以外の四人は、その様子を見て呆然とした表情になった。


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