次なる旅路へ
ギルダー四人が角熊退治に村を出たのが朝方で、村へと戻ってきたのが昼前の時間帯だったため、斡旋所の管理者は当初、メンバーの誰かが怪我を負って急遽戻ってきたのかと思ってしまったという。しかし退治された角熊の死体を全て確認すると、その朗報は村中を駆け巡り、斡旋所には村人が一斉に集まってナナトたちを称えた。
「ありがとうごぜえやす! ありがとうごぜえやす! うちの若ヤギが三頭もやられて頭を抱えていたんでさ」
「みんな若いのに大したもんだ。村の猟師はみんな歳くっちまってあの熊を倒せる鉄砲なんて撃てなかった」
「これは山の神様の思し召しだ。毛皮はもちろん、肉も内臓も角も一部も無駄には使わんぞ。早速今日は熊鍋じゃ!」
こうして、熊の死体を大八車に乗せて村まで運び、まだ日が暮れていない時間帯だというのに熊の肉を使った鍋による宴会が始まった。宴会はやがて大規模になり、最終的には村全体による祭りのような騒ぎと移り変わる。村人の喜びようからすると、熊に怯えながら生活していた期間がよほど苦しかったのだろう。
ナナトたちはどんなふうに熊を退治したかという話を繰り返し請われ、月が最も高い位置に上る夜になってようやく解放されると、満腹と疲労の極みで宿屋へと帰ってきた。
「あ~美味しかった熊肉。何年か前にお屋敷で出されたときはあまり美味しいと思わなかったんだけど、新鮮さが違うとこうも味は変わるのね」
スキーネは宿屋のロビーに当たる場所にあった長椅子に行儀悪く座る。ルッカはそれを見て「まだ人の目がありますよ」と眉根を寄せた。
「いいじゃない。人っていったってナナトだけでしょ。そういえばナナト、これからどうするの? 真っすぐサナバリーへ向かうの?」
「うん」
ナナトも答えながらイスに座った。かなり眠たいようで目をこすっている。
「よかったら途中まで一緒に行きましょうよ。こうして出会ったのも縁だし、ヴァンドリアのお屋敷へ招待したいわ。ね、いいでしょ? ツア姐?」
「ああ。あたしは構わないよ」
「決まりね! じゃあ明日の朝発つからそのつもりでね。おやすみナナト」
「…うん」
ナナトは欠伸して自分の部屋へと帰っていった。
翌朝、村を出発するのもまたひと騒動だった。
宿屋の女主人が感謝の気持ちだと言い、頑として二泊目の宿泊料を受け取らなかったうえに、昼にお食べと大量のお弁当を持たせてきたのだ。それだけでなく、宿を出ると十人ほどの村人が待ち構えていて、あれやこれやと食料や絹の服などを四人に贈った。おかげでツアムたちが引く幌馬車にはモノが溢れかえり、整頓するため小一時間要したほどだ。
人のいい村人たちとの出会いがあった一方で、別れもある。ナナトは宿泊用の馬小屋に留めてあったペオに別れを告げた。
「ごめんね、ペオ。ここでお別れだ。僕はこれからあの人たちと一緒に行くよ。君はこの村でもらってくれる人がいるから、その人の下で幸せに暮らすんだよ」
ナナトは後ろに立つ気の良さそうな壮年の村人に顔を向けた。
「ペオをよろしくね」
「任せとけ。足つきも毛並みもとてもいい雌馬だ。死ぬまで大事に世話するよ。本当にありがとう」
四人は身支度を済ませると、村を後にした。四人を見送る村人たちは、姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
軽快に歩くナナトを見て、横にいたルッカが尋ねる。
「本当に良かったのですか? 馬をあげてしまって」
「うん。あの人は自分のところの馬を角熊に食べられちゃって途方に暮れてたんだ。あの村の環境ならペオも喜ぶだろうし、二人にとって良かったんだよ。僕の荷物ならこの馬車に積んでもらえたしね」
だからといって状態のいい若馬を無償で差し出すのは気前が良すぎる。売り方をこだわれば二か月分の食糧が手に入る立派な財産だというのに。ルッカは眉間にシワを寄せたが、当のナナトは少しも後悔した様子がなく、幌馬車を引く大きな家畜牛を見上げて言った。
「大きな牛だね。普通の牛の三倍はある」
ナナトの身長よりも上に牛の口があるのだ。スキーネが得意げに答えた。
「大型牛のファヌーよ。力は強いし性格も温厚だから馬車引きにはうってつけなの。ただ速度が出ないから馬と一緒に旅をするのには向いてないわ」
四人は山道をひたすら歩き続けた。
雨が降ってきたは午後三時を回ったときだ。濡れながら雨宿りできる場所を探すなかでちょうどいい岩場を見つけたのでそこで雨をしのいでいるうち、日が暮れてしまった。夜に入ってすぐに雨は止んだものの、結局四人は今晩野宿を選ぶ。
ファヌーが引く荷馬車からハンモックを取り出して近くの木にぶら下げ、さらにその上に屋根代わりとなる大きなタープを張る。四人のハンモックの中央となる場所に焚き火を起こせばキャンプの完成だ。夕食は村の宿屋の女主人が作ってくれたシチューが残っていたので焚き火で温め直して皆で分けて食べた。ハンモックに座って、焚き火を前にして食べる食事は格別に美味しい。
食後はナナトが自分からすすんで鍋洗いをやり、その間、ツアムはなにやら繕い物をし始め、ルッカもその作業を横で見ながらツアムから手縫いを教わった。
「そうそう、ひと目戻ってから布の裏地に針を通して、等間隔を空けて表地に針先を出すんだ」
「んー…ツアム様みたいに綺麗にできません」
「返し縫は反復で覚えるしかないさ。でも最初に教えた頃と比べればちゃんと上達しているよ」
ツアムが自分でやってみせながら丁寧に説明し、ルッカも根気よく手元に集中する。スキーネは荷馬車から紙と鉛筆、そして下敷きように板を取り出すと、パチパチと心地いい爆ぜ音がする焚き火の前でなにやら書き込んでいた。
「スキーネ、何書いているの?」
後片付けを終えたナナトがハンモックからぶらぶらと足を投げ出しながら尋ねる。スキーネの表情はどこか嬉しそうだった。
「お父様に出す手紙よ。次の村に着いたら早文で届けてもらうの。私が息災という知らせと、ヴァンドリアに帰ったらナナトを招待するって前もって伝えておかなきゃ」
途端にナナトの顔が曇り、言いにくそうに口を開く。
「スキーネ…気持ちはありがたいんだけどごめん。やっぱり僕、ヴァンドリアでスキーネと別れたらすぐにサナバリーへ向かうよ」
「なによ水くさいわね。遠慮せず泊まっていきなさい。部屋ならたくさん余ってるんだから」
「ううん、遠慮とかじゃなくて。僕、一日でも早くサナバリーへ行きたいんだ」
「ご執心ね。一体サナバリーに何があるというの?」
「………」
「もう! 肝心なところを話してくれないんだから!」
二人のやり取りを聞いて、繕い物をしていたツアムが中断し顔を上げた。
「スキーネ。無理強いはよくない。人には事情や都合があるんだ」
そして対面上のハンモックのにいるナナトを見据える。
「ナナト、こうしよう。ヴァンドリアでスキーネを送り届けたらあたしと一緒にサナバリーへ行くんだ。どうせサナバリーへ行くのに頼る伝手はないんだろう? あたしは一度行ったことがあるから道案内するよ」
「いいの? ツアムさん?」
「ああ。この仕事を終えれば当面ヴァンドリアでの用事はないからな」
「ありがとう! すごく助かるよ!」
喜色満面となったナナトを見て、スキーネが機嫌の悪い声を上げる。
「あら。私の招待は断ったくせにツア姐の誘いにはすぐに乗るのね」
「い、いやそんなつもりじゃ…」
「結構よ。二人でどこにでも行けばいいわ」
そういうと、スキーネは途中まで書いていた手紙を丸めて焚き火の中に放り込んでしまった。
夜が深まり、闇の色が次第に濃くなる。炭化した残り火が月明かりと同じ程度の明るさとなった中、ツアムは黙々と縫い物を進めていた。横にいたルッカも寝支度をはじめる。すでにナナトとスキーネはハンモックに揺られながら夢の中だ。
「ツアム様。まだおやすみにならないのですか?」
「ん。もう少し。キリのいいところまで」
ルッカはナナトが寝ているのを確認してからそっと言った。
「随分とあの子が気に入ったようですね」
「ん?」
「ツアム様が自分から旅へ誘うなんて…お珍しい」
「べつにあたしは一匹狼主義を掲げているわけじゃないぞ。腕が立ち信頼できる人なら喜んで一緒に旅するさ。その見極めが厳しいことは自覚してるがな」
「ツアム様があの子を認めた理由を聞いてもいいですか?」
ツアムとルッカの視線が交錯する。ツアムは軽くため息をついた。
「ルッカに聞く。このままあの子一人を行かせて無事サナバリーへ辿り着けると思う?」
「…無理でしょうね」
ルッカの目は寝ているナナトへ向けられた。寝息一つ立てずスヤスヤと眠っているその下で、リボルバーライフルが無造作に地面の上で投げ出されている。ご丁寧に有り金の入った財布もライフルのすぐ横だ。
「私たちだから良かったものの、これがもしタチの悪いチームだったら眠っている隙に縛り上げて銃と身ぐるみを剥いで放置していきますよ。一度共同クエストをこなしたからって油断しすぎです」
「同感だ。認めたというよりあの子に情がわいたのさ。無防備すぎて放っておけないんだ。今更送り届ける相手が一人増えたってなんともない」
翡翠の色をしたツアムの瞳が月光を反射して瞬いた。この暗闇の中でもはっきりとわかる凜とした光だ。その目をしばらく見つめてからルッカが言った。
「風が冷えます。お早くおやすみください」
「ああ。ありがとう。ルッカもおやすみ」




