第三話 王都には変人しかいないのか?
「私、《ウィザーズ・パレス》って好きになれないのよねー」
「だったら今すぐ帰ればいいんじゃねぇか?」
「あ、ひっどーい。そんなこと言うと、もう物語を書いてあげないわよ?」
「そもそも頼んだ覚えがねぇな」
《ウィザーズ・パレス》。
魔法使いたちの娯楽場とも言われるその建物は、王都の外れにある小山の中腹部にある。
王都から伸びる大通りの先に待ち受ける大階段。建物の入り口まで延々と連なるそこを上り切らなければ魔法使いたちに会うことすら叶わない。
「はあ、はあ、はあ。お二人は、元気、ですね……」
「そんなにめかし込んでるからだろ。なんでヒールなんか履いてんだ」
「トネット様との、お出かけですから。淑女の、嗜み、です」
「今のお姫さんに淑女感はほとんどないけどな」
何しろ汗水たらして階段を一段一段上っているのだ。せっかく整えたであろう髪も、ところどころがほつれてしまっている。
「こういう時、手を差し伸べるのが紳士じゃないの?」
「そうしたらお姫さんは《ウィザーズ・パレス》に入れなくなるだろ」
「ああ。そういうめんどくさい結界が張ってあるんだっけ。バッカみたい」
「同感だ」
階段を自力で上り切った者のみが入ることが出来る。
どういう意味があるのか知らないが、《ウィザーズ・パレス》の入り口にはそんな結界が張られている。
「一度でも誰かの助けを借りた奴は、入り口の門をくぐった瞬間に階段の下に戻らされるらしいからな」
ようやっと上り切ったと思ったらまた振り出しに戻されている。そして見上げた先には大階段が。そうなった人間は大抵心が折れて帰ってしまうらしい。
「人嫌いの陰険魔法使いが仕掛けたんじゃないの? いかにも陰湿な仕掛けじゃない」
「別に誰がどういう理由で仕掛けようが、どうでもいいっての。ククレ・ティハールと会うのに必要なら上るだけだ」
「そういうとこ、トネット君って割り切るわよね」
「グタグタ文句言っててもしょうがねぇだろ。口の前に足を動かせってんだ」
「だってさ、お姫様。ファイトー!」
すでに大階段を上り切ってしまったトネットとリリルカは、ひーこら言いながら一歩一歩上ってくるトアナを待つ。
戦場を駆け回っていたトネットはともかく、リリルカまでケロッとしているのには驚きだが、この女もこの女で、ネタ集めと言いながら四六時中そこいらを駆け回っているのだ。少なくとも城にこもっているお姫様よりは、体力があるということだろう。
「はあ、はあ、はあ。──上り、切りましたッ!」
「途中でギブアップするかと思ったのに、意外と根性あるのね。って、トネット君?」
「着いたんなら行くぞ。上り切るまで待ってやったんだ。文句はねぇだろ?」
「ちょっとぐらい待ってあげてもいいんじゃない?」
「お姫さんを待ったら、俺は《リステル・フロント》に戻れるのか? ここには目的があって来てんだ。優先するのはそっちだろ」
「ま、それもそうね。ということで、先行ってるわね。お姫様」
トネットの言葉にあっさりと同意したリリルカは、先を行く彼を追いかけて行ってしまう。
やっとこさ上り終えたトアナは、しかしそんな二人に文句を言う事もなく、簡単に息を整えたら、トネットたちを追いかけるように《ウィザーズ・パレス》へと入っていく。
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「いつ来ても陰気なところよねー」
「私ははじめて来ました。ここが《ウィザーズ・パレス》なのですね」
三人はろうそくの明かりによって点々と照らされた廊下を歩いていく。
一体どういった仕掛けなのか。外はあんなにも晴天にも拘わらず、《ウィザーズ・パレス》の廊下は暗く見通せない。
「わ、外が夜です。これも魔法なんでしょうか?」
「そうらしいわよ。前にインタビューした魔法使いが言ってたもの。『ここの時間を決められるのは最も力のある魔法使いだ』って。要するにククレ・ティハールの趣味って事よね」
「どんな方なのですか? ククレ・ティハール様は」
「さあ? 私も会ったことないもの。トネット君なら知ってるんじゃないかしら」
女というのはどうしてこう黙っていられないのか。
廊下を進んでいる間も、何かを見つけてはあーでもないこーでもないといらぬ雑談を繰り返している。
ここはそこいらのカフェテラスではないというのに。
「トネット様。ククレ・ティハール様とはどういった方なのですか?」
「そんなの、会えばわかるだろ」
「あら、私たちはあなたの口から聞けるその人の印象を知りたいのよ。そんなことも察せられないなんて、それでよく世界最強の騎士なんて呼ばれてるわね」
「騎士であるのに女心を察する必要はまるでないし、世界最強だ何だと言ってるのはてめぇらの勝手だろうが。俺に押し付けんじゃねぇ。鬱陶しい」
「つれないわねー。モテないわよ、そんなんじゃ。ねえ、お姫様?」
「あ、え。どうでしょうか。あはは……」
ひとりで来ればよかった。
トネットがそう思い始めたその時だった。唐突に目の前に扉が出現したのだ。
「なんでしょうか、この扉は」
「ククレ・ティハールの工房への入り口だ」
「いきなり出てくるのね。これも魔法?」
「多分な」
適当に答えつつ、トネットはドアノブへと手をかける。
キィ、と軋む音を立てつつ開く扉。その先に続くのはぼんやりとした明かりに照らされた書物だらけの一室だ。
「ククレ。来たぞ」
「ああ、うん。ようこそトネット。せっかく来てもらったところ申し訳ないんだけど、ボクは今とてもじゃないが人と会う気分じゃないんだ。帰ってくれるかい?」
「そいつは困るな。俺は一刻も早く《リステル・フロント》に戻りたいんだ」
「君は本当に戦いが好きなんだね。まあ、理解出来なくはないよ。君とっての戦いは、ボクにとっての魔法みたいなものなのだろうから。思う存分夢中になればいい」
そう言いつつ振り返ったのは、ローブに身を包んだ小柄な人影だ。
短く切りそろえた黒髪に、端正な顔立ちはどこかぼんやりとした表情をしている。病的なまでに白い肌をしているせいか、いまいち生気を感じられない。それでも大きな瞳には意志の強い光を宿し、こちらを見定めるような視線を投げかけてくる。
「この方がククレ・ティハール様。この世随一の魔法使いなのですか?」
「ああ、うん。誰が言い出したのか、そんな呼ばれ方をしているね」
「あ、それ私。《トネット物語》が売れる前にお小遣い稼ぎでコピーライターみたいなことをやってた時に考えたのが定着しちゃったのよね。っていうか、この子がククレ・ティハールなの? どうしよう、可愛い!!」
途端顔を輝かせるリリルカ。その眼差しは病的な熱量をもって、目の前にいる小柄な魔法使いに向けられている。
「トネット。どうして彼女を連れてきたんだい? ボクの一番苦手なタイプだよ。それにさっき彼女は階段結界を『人嫌いの陰険魔法使いが仕掛けた』なんて言っていた。悪かったね、人嫌いの陰険魔法使いで」
「え、あの結界ってククレちゃんが仕掛けたの?」
「ああ、そう言えばそんなことも言ってたか。興味ねぇから忘れてたぜ」
「それもそれでショックだけれど、彼女がボクのことを『ククレちゃん』って呼んだことはスルーなのかい?」
「気に入ったんなら、俺もそう呼んでやるぜ。ククレちゃん」
トネットがそう言った瞬間だ。沸騰するようにククレの表情が真っ赤に染まった。
「な、なな、何を言い出すんだい、いきなり君は。『ククレちゃん』なんて呼ばれたって、全然嬉しくなんかないんだよ、ボクは」
「うっわ、何この子。え、何よこの子。可愛すぎない?」
「はい。とっても可愛いです。あ、私はトアナ・エレオノーラ・リステルと申します。あの、私も『ククレちゃん』って呼んでいいですか?」
「ダメに決まっているだろう」
「なんでですか!?」
ショックを受けたように驚きの声を上げるトアナ。
「あ、じゃあ私はいいんだ。やった」
「君こそダメに決まってるだろう。本来ならこの部屋に入れるのも嫌なのに」
「ちょっとそれはひどくない!?」
より辛辣なことを言われたリリルカが声を上げるも、ククレは無視してトネットへと視線を向ける。
「呪いについてだよね。もちろん分かっているさ」
「それなら話は早いな。お前ならどうにか出来るんだろ? でなきゃ、わざわざアスセーナが王都へ行くように言うはずがねぇ」
「ああ。あの淫乱ナース、まだ生きてたんだ。さっさと死ねばいいのに」
「あいつは早々くたばらないと思うぞ」
「ふぅん。だったら今度殺しに行こうかな。邪魔なんだよね、彼女」
物騒な物言いはともかく。トネットにとって、ククレこそが最後の希望なのだ。
この呪いをどうにかして、さっさとこんなつまらない王都から脱出し、再び《リステル・フロント》に戻れるかどうかは、目の前の小柄な魔法使いにかかっている。
「相変わらずせっかちだね、君も。でも、許してあげる。だって今ボクはとても気分がいいんだ。何しろあの淫乱ナースが匙を投げた患者がボクの目の前にいるんだから」
「……相変わらずだな、お前も。そんなにアスセーナが嫌いか」
「嫌い? 違うよトネット。ボクはあの女を憎んでるんだ。ふふ。さあほら、早く見せておくれよ。あの女は一体何を目にして裸足で逃げたのか」
おい、大丈夫かこれ。そんな懸念がじわりとトネットの胸中に広がる。
何しろククレがこちらに向ける視線がヤバい。
チロリと赤い舌を唇の端から覗かせるその雰囲気は、獲物を前にした蛇のようだ。
「ねえ、もういいだろう? ボクもさっきから我慢の限界なんだ。だからさほら、早く服を脱いでこっちにおいでよ。大丈夫。全部ボクに任せておけばいいから。ね?」
ここに来たのは失敗だったんじゃないか。豹変していくククレの様子に、じっとりと嫌な汗をかくトネットだった。