9.暗号解読(その1)
「これ、縦方向に詠むんだよね?」とは篠崎。
「筆の続け方からそうなります」とは西大島。
「それが引っかけで、実は横に詠むとか?」とは菊川。
「それじゃ、和歌どころか日本語にならない」とは曙橋。
篠崎が頭を掻きながら西大島の方を向いた。
「これが暗号らしいって、なんでわかるのですか? 普通の形式からちょっと逸脱した和歌ですけど」
問いかけられた西大島は、篠崎と和紙との間で視線を行き来させ、
「あくまで大地主様のご想像ですが、何度読み返しても和歌が意味を成さないので暗号だろうとのことでした」
と、何も感情を挟まずに言葉を返し、聞いて来たままの報告を淡々としたまでと言いたげな顔をする。
篠崎と菊川は鼻で息を吐いて沈黙するが、西大島と曙橋は、ジッとしたまま動かない。
空調が効いた室内は、いかにも仕事中を主張する空調機械のやけにうるさいモーター音と、ガラス窓越しに聞こえてくる蝉の声のみとなった。
この膠着したような雰囲気を打破しようと、篠崎が切り出した。
「えっと、普通に詠めば――あくまでふつうにだけど――こうなるよね」
そう言って彼はメモ用紙に曙橋から借用した鉛筆を走らせ、ひらがなを部分的に漢字に置き換えたり言葉を足した。
「村雨や 衣達濡れ キツネ追い
遊ぶにせい(を出)して 上は救えよ
ゆるり見回ん」
メモを読み上げる彼に誰もツッコミを入れなかったのは、漢字に置き換えなくてもこの程度の言葉を頭に描いていたからで、彼がそれを単に見えるように書いて見せただけだからだ。
「つまり、こうだよね」
自分が書いた物に情景を当てはめようとする篠崎。何も彼が悪いのではなく、誰もがこの立場になれば、文章に意味を持たせようとするのは自然なことで、非難されるべきではない。
「ひとしきり振る雨に服まで濡れて、キツネを追う。
遊びばかりに精を出さないようにして、上にいる者を助けろよ。つまり、もっとキツネ狩りをしろと。
で、ゆっくり見回りをする」
言い終わるタイミングを見計らっていた菊川が、すぐに言葉を挟んできた。
「昔の人もお上にヨイショする人が多かったのね」
「そうなのかな? ……そうかもな」
「で、これ、何の暗号」
「……わからん」
結局、予想通りの結果に陥る篠崎を見て、菊川はもう暗号から気持ちが離れたのか気分をリフレッシュして考え直すのか、ガラス窓の向こうの景観を眺めた。
眠そうで眠らない西大島の向かいには、何やら空白のメモ用紙にひらがなを書いていた曙橋が、ゆっくり顔を上げた。
「解けた――」
ボソッと報告する彼女に三人の視線が一斉に集まる。
「マジで!?」
目を見張る篠崎に、言葉を遮られて困った表情の曙橋が横目で睨む。
「かも……」
「かもかぁ……」
「いや、きっと解けている」
「何、その微妙な発言」
「まだ完全に解けたわけじゃないけど、やり方はこれに間違いない」
「?」
曖昧な言い方の曙橋に首を傾げる篠崎だったが、それを無視した曙橋は「実は、解き方は意外に簡単」と前置きして解説を始めた。
次に種明かしが始まります。その前に、曙橋が簡単に解けた理由をお考えください。
ヒントは、この暗号に漢字がないことです。