006 怖くない
巨大猪との死闘に何とか勝利を収めたが、その代償に、頭皮に致命的なダメージを負ってしまった。
雑念を振り払うように俺は頭を振り、命は助かったんだと割り切ることにする。
で、何にしても空腹が酷いことになってきたので、俺は眼の前で燻る巨大猪の肉を食べてみることにした。
お腹周りの比較的焦げていない肉を手で掴み、何とか削いでいく。
その肉の欠片を、俺は意を決して口の中に放り込む。
固い肉をゴリゴリと噛みしめ、無理やり飲み込む。
……うん、非常に獣臭いが、食えなくはないな。
その後もゴリゴリと顎を痛くしながら肉を食し、ある程度腹が満たされると、今度は水を求めて歩き出した。
巨大猪を倒し、静かになった周囲に向けて耳を澄ませてみると、比較的近くから清流のせせらぎが聞こえてきた。
そちらに向かい、敵がいつ出てきても対応出来るように辺りに気を付けながら歩みを進める。
やがて、眼前に幅五メートルほどの川が見え、俺は敵のことなどスッパリ忘れてドカドカと駆け出した。
川辺には運よく障害となるものはなく、俺は顔を川に投げ入れて、水がぶ飲みである。
ごくごくと水を飲みほしながら、今更だが、この水飲んで大丈夫なのか? と疑問に思い、鑑定さんに聞いてみた。髪の毛2本で答えてくれるそうなので、すぐに了承した。
『えーと、川からは若干の毒素を感知しましたが、テイルさんは人体強化されているので、この程度の毒は問題ありませんよー。ガブガブ飲んじゃってくださいなー』
……おう、この水から感じていた少しの苦みの正体は毒でしたかー。……なるほどね♪
がぶ飲み推奨とのことなので、毒など知るかと、限界まで水を飲んでおくことにした。
毒も隠し味なんだと思えば、おいしく頂けるってもんだ。
お腹が十分に満たされると、次に服を脱いで、べた付く身体を川で洗った。
不快指数が結構下がり、ようやっと人心地がつけた。
「……にしても、呪いがキツいよなぁ。多分、人に会っても逃げられるか、最悪、そのまま戦闘になるだろ。……ハァ」
気持ちに余裕ができると、ついつい愚痴が口からこぼれ落ちる。
日本でハゲに悩んでいたのが馬鹿らしく思えてくるほど、詰みかけている異世界生活。
しかも、異世界ですらハゲで悩むっていうオマケ付きだ。
約13,000本。
残毛約87,000本。
触って確かめた結果、俺の頭には所々に十円禿げが出来てしまっていた。
どんどんと、気分が下落していく。
何かこう、異世界召喚ってもっと夢のある感じじゃないのかね。
今のところ、辛みしか感じてないんですが……。
溜息を吐き、辺りを伺うと、鬱蒼として薄暗かった森は、今や闇に包まれていた。
どうやら夜を迎えたようで、どこからともなく何かの鳴き声が響いてくる。
俺は軽い恐怖に襲われながら、辺りを見回し、一番太くて頑丈そうな巨木によじ登っていき、それなりの高さにある太い枝の上で寝転がった。
今日はここをキャンプ地とする。
さすがに疲れた。
俺は危険だとは思いつつも、枝の上で早々に意識を手放して眠りについた。
早朝である。
まあ、そもそも森の中は薄暗いから、本当に早朝かは分からない。
感覚で六時間ほど寝たと仮定しており、よって今は早朝ということに決めた。
まあそんなことより、朝起きたら枝の上っていうのは結構精神をやられるな。
もしかしたら今までのことが全て夢落ちで、いつものベッドの上で目が覚めて、枕に付いている抜け毛を数え、抜け毛ごとに冥福を祈るという日常に戻れるんじゃないかと期待したが、見事に枝の上だった。
朝からシンドイっすわ。
そう俺はグチグチ落ち込みながらも、とりあえず枝から下りて、昨日の川まで行き、その川を下流に向かって歩き出した。
下流に進めば、人が住んでいる場所に出るかもしれない。
それだけを頼りに、テクテクと歩き進んでいく。
歩きながら、ふと疑問に思ったことを鑑定さんに訊いてみた。
……鑑定さん、対価で払った俺の髪の毛は、その後、普通に生えてくるのかね?
『2本でーす』
払います。
『ありがとーうございまーす』 ハラリ
……クッ。
『生えますよー。で、生えてきた髪の毛が三センチ以上になると、また鑑定の対価として使えるようになるので、頑張って髪の毛を伸ばしてくださいねー』
おっ! マジすか!
異世界にきて初めて光明が差してきましたよコレは。
しかも呪いの対価として使えるってのは大きいな。
最悪、髪の毛を全部失っても、数か月もすればまた鑑定さんを使えるようになるってことか。
これは計画的に鑑定をしていけば、それなりに髪の毛を残したまま、異世界ライフをエンジョイ出来るかもしれないぞ。
いや、それは化物に見える呪いがあるから無理か。
まあ、鑑定さんが今後も永続的に使えるってことが分かっただけ良しとしよう。
あと、先ほどステータスウィンドウを見ていて気が付いたが、MPが満タンまで回復していた。
食事か、もしくは寝たことによって回復したようで、とりあえずMPが枯渇する心配はなくなった。
その事実に、俺はほっと胸を撫でおろす。
少しだけ心が軽くなって、髪の毛も軽くなった俺は足取りも軽く川辺を進んでいった。
やがて少し開けた場所に出ると、遠くの方から人の悲鳴が聞こえた気がした。
異世界での第一村人発見か?
だがその村人、悲鳴を上げているようなのだが。
よく分からないことになってきたが、とりあえず声のした方へ駆け足で向かってみた。
その後も断続的に悲鳴があがり、近づくほどに剣戟の音や叫ぶような声が明瞭に聞こえてくる。
俺は周囲を警戒しながら、足を早める。
ほどなく眼前に、大木に手足が生えたような化物と戦闘している冒険者っぽい恰好をした数名の人が見えてきた。
大木の化物は手足を振り回し大暴れで、冒険者達はそれに必死で対抗していた。
だが、見るからに冒険者達の方が劣勢で、戦っている四人のうち、まともに動いているのは二人だけで、他の二人は血だらけで地面に倒れ伏していた。
そしてもう一人、幼い少女が、その戦いの少し離れた場所から、必死で両手を前に伸ばし、何かの呪文を唱えていた。魔術師か何かだろう。
そこまで見て取った俺は、その冒険者達から見えない位置で立ち止まり、どうするべきかを考える。
このまま助けに出て、化物と勘違いされて俺にも剣を向けられたら堪ったものではない。
そもそも、あの大木の化物に、俺の唯一使える魔法、怒濤炎竜が通用するのかも定かではない。
判断に迷う状況に目を泳がせていると、戦闘から距離をとって呪文を唱えていた少女がこちらに気づき、俺とばっちり目があってしまった。
ヤベェ、化物と勘違いされるっ!
そう思い踵を返そうとしたら、その少女が必死の声を上げた。
「た、助けて!! そこの人っ!!!」
――…そこの人。
そう、そこの人、である。
彼女はどうやら、化物に見える呪いに掛かっていない、十パーセント側の人間らしい。
であれば、迷うことなど何もない!
もう、何も怖くない!!
俺は怒濤炎竜の呪文を詠唱しながら、全力で戦場へ向けて駆け出して行った。
残毛86,984