第2話 「東より来たる、妖しき道化」
数分後、家臣に連れられて現れたのは、奇妙な出で立ちをした男だった。
紙芝居師と名乗る男は、全身黒ずくめだった。
神父の着るような縦長の黒い貫頭衣と、頭にはこれまた黒の帽子に、派手なクジャクの羽を一枚。
まるで道化だ。
白金の巻き毛に、甘い端正な顔立ちという、女好みの外見をしているだけに、ちぐはぐという印象がぬぐえない。
おそらくまともな装いをすれば、貴族の子女の一人や二人釣れるだろうに。
だが男はそれを知りつつ、あえて滑稽に見せているような気がした。
紙芝居師は、芝居がかった様子で恭しく頭を下げる。
「お初にお目にかかります。このたびは私どものような一介の旅芸人を御身の前に――」
「前口上はいらない。嫌いなんだ。そういうまどろっこしいの」
「それはそれは。では失礼して」
紙芝居師はそう笑って、荷物にかけられていた布を取り去る。
人の背丈ほどの木枠の台座に、両手を広げたぐらいの大きさの紙が収まっている。
これが紙芝居、か。
「……初めて見るな」
「そうでしょうね。なにせ、ここよりはるか東の小さな島国でのみ演じられるものですから」
「これは、お前一人で演じるのか」
「はい。紙芝居というのは、基本的に一人で行うものです。ご覧になる方は、何人いらっしゃっても構わないのですが」
「ふーん」
これを使ってどのように演じるのか、いまいち想像できなかったが、見ればわかるだろう。
腕を組んで、エドワードは促す。
「まあいい。始めてくれ」
「はい」
紙芝居師が、木枠に手をかける。
すると台座の脇から、はめ込まれていた紙が抜き去られ、二枚目の紙があらわれた。
森の中にたたずむ城の絵が描かれている。
なるほど、これが劇の役割をするわけか。
紙芝居師は台座の後ろに回り込むと、朗々と語り始めた。
「昔々、とあるところに、小さな王国がありました」
それは、どこか引き込まれるような声だった。
透き通るような、それでいて、絡みつくような不思議な音色に、微睡にも似た欲求に襲われる。
夢から覚めたばかりの、うつろな気分で、エドワードは耳を傾けた。
――その国には、三人の王子様がいました。
一番目の王子様は、頭が良くて、真面目な男の子。けれど、お母さんが女中なので、いじめられていました。
二番目の王子様は、優しくて、親切な男の子。けれど、頭がよくなかったので、いじめられていました。
三番目の王子様は、賢くて、格好いい男の子。人気者で、みんなから愛されていました。
「三番目の王子様、ばんざーい!」
「あの子が次の王様になるんだね」
みんながみんな褒めるので、三番目の王子様は嬉しくてたまりません。
けれど、みんなが三番目の王子様ばかり構うので、二人の兄王子たちは面白くありませんでした。
「僕の方が先に生まれたのに」
「僕の方が大きいのに」
『どうして、がまんしなきゃいけないの?』
二人の兄王子たちは、相談しました。
森の中で、ひそひそひそ。
もっとみんなに愛されたい。
でも、三番目の王子様がいる限り、みんなは自分たちを見てくれない。
『だったら、三番目の王子がいなくなればいいんだ』
二人は森の蛇さんの家に行くと、ぶどうを一房もらいました。
それは、甘いあまーい、毒ぶどう。
お城に帰った二人は、三番目の王子様の皿に、こっそりと毒ぶどうを――。
ガシャーンッ!
つんざくような花瓶の割れる音に、エドワードの意識が覚醒する。
気づくと、宙に浮いた右手が震えていた。
いや、腕だけではない。
全身から血の気が引き、冷たく痙攣している。
自分が花瓶を落としたのだと気付くのに、三呼吸分の時間を要した。
「おや。いかがされましたか、殿下」
台座の横から顔をのぞかせた紙芝居師が、平然と問う。
「……いかがされた、じゃない。何だ、これは!」
「何だとおっしゃられましても。これは紙芝居という代物で」
「そうじゃない。俺が言いたいのは」
エドワードはのどを鳴らし、つばを飲み込む。
「これは、まるで――俺の人生じゃないか!」
そう、これはまさに、自分の物語。
名前こそなかったが、この三人の王子たちは、エドワードたち三人の状況と完全に一致していた。
激昂するエドワードに、紙芝居師がいけしゃあしゃあと答える。
「殿下がそうおっしゃられるのなら、そうなのでしょう」
「馬鹿にしているのか」
双眸に力を込め、紙芝居師をにらみつける。
「とんでもございません。私が言いたいのは、これは鏡、だということなのですよ」
「鏡……?」
「そう」
ほんのわずか、意識をずらした瞬間、紙芝居師が一気に顔を寄せる。
エドワードは息を飲んだ。
まつげ同士が重なり合いそうなほどの距離に、突如、自分の領域を踏み荒らされていく感覚に襲われる。
「貴方の心の奥深くに眠る欲望。それに呼応して、この紙芝居は鏡となります。心に何のよどみもない者にとって、これは単なる絵芝居となりますが、貴方のように暗い欲望を抱えた者の前では、これは真に望むものを映し出すのです。たとえば――自分を暗殺しようとした犯人、などを」
「俺の、欲望……」
「実際そうだったのでしょう? 私は、紙の裏側におりますから、どういった絵が映し出されているのかは存じ上げませんが、殿下には見えたはずです。貴方の、貴方だけの物語が」
「だが、もし、もしこれが本当なら……」