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夏休み

「なにやってんの」


 冷え冷えとした……というか、呆れかえっているような声がかけられた。

 睨み付けていた携帯の画面から顔を上げれば、少し大きめの荷物を持ったままのワタルが、じとっとした目でこちらを見ていた。どうやら仕事帰りらしい。

 夏休みの宿題も全部終わらせた八月中旬。セミの鳴き声が最もうるさく、最も暑い頃になった。

 僕はリビングにあるソファに座って自分の携帯を握りながら、うんうんうなって悩んでいた。


「携帯とにらめっこ」

「あ、そう」

「うん、そう」

「……勝てそう?」

「負けそう」


 一度作成画面を閉じて握りこみ、視界からそれを消すため目を閉じる。と、隣にワタルが座ったらしく、ソファが少し沈みこんだ。


「で? 結局なにしてたの」

「……メール、送ろうと思って」

「へーえ、珍し。着信ナシのカケルが」

「うるさいな」

「誰に送んの?」


 送ろうとしていた相手は織田さんだ。このあいだ行きたいと話していた水族館に一緒に行かないかと誘おうと思ったのだ。でもワタルは織田さんのことを知らない。僕が一言も話してないから。

 しばらく迷ったのち「友達だよ」と答えれば、「ならいつもどおりさくっと送ればいいじゃん」と返された。なにを悩んでいるんだとでも言いたげな目だった。

 ごもっとも。


「そんなに言いにくいことなの? メールの内容」

「いや、うーん……どうだろう、普通のことだと思うけど」

「ならさっさと送るか自分の部屋で悩んでよ、うざったい」


 確かにリビングでうだうだしている僕を見ているのは、気分がいいものではないだろうけれど、もう少し言葉を選べないのだろうか。よくこれで芸能界で働けるものだ。

 足元に置いていた荷物を拾い上げ「そういえば」とワタルはかばんをあさり始めた。


「今日撮影が水族館だったんだけどさ、その関係で何枚かチケットもらったんだよね。ボクしばらく予定

詰まってていけそうもないから使えないんだよ、カケルいる?」


 かばんから取り出したチケットをひらりと目の前で揺らし、名前を見せてくる。その名前を見たとき、僕はすぐに「いる」と口に出していた。


「今ほどワタルがいい人に見えたことはないよ、ありがとう」

「……普段はなんだと思ってるのさ」

「生意気で素直じゃなくて口が悪いガキ」

「ほんっとあんたいい性格してるよね!」


 決めた。理由はこれにしよう。

 いまだに文句をたれるワタルを無視して、またメール作成画面を立ち上げた。


   ◇ ◆ ◇


 真っ赤な柱と明るい緑の瓦屋根。外見に合わせた黒地に金の看板が、荘厳で物々しくて仕方ない。白い壁が日光を反射し、目に刺さるようだ。

 なんで駅を、あんな派手な見た目にしたんだろう。

 一定間隔で吐き出される大量の人波をぼんやりと眺めながら、なんとなく考える。いくらなんでも目立ちすぎではないか。

 駅から出てくる人は、様々な国籍が見て取れた。黒い肌や金に緑の目、耳慣れない言語が飛び交っていて、大変だ。

 僕は早々に人波の観察を打ち切って、手首に巻いた時計に目をやる。……待ち合わせの十五分前。相手が現れる気配はない。

 結局ワタルとの会話のあと、僕は織田さんにメールを送った。家族から水族館のチケットをもらったから、一緒に行かないかという簡単なもの。

 送信してすぐに了承の返事がきたときは驚いた。文面にあった「デートだね!」という言葉にも、心臓が思い切り跳ね上がったのを覚えている。

 それから日時を決めて待ち合わせ場所を決めて、今に至る……というわけだ。

 改札口からまたどっと人が出てきた。小さい子どもがビーチボールを抱えて、うれしそうに僕の横を通り過ぎていく。

 待ち合わせ五分前。そろそろ織田さんも来る頃だろうか。もう一度人波に目をむけて、彼女らしき影を探す。

 それはすぐに見つかった。

 カーキーの野球帽子と、白いシャツに短いズボン、丈が長いオレンジチェックの上着にいつものスニーカー。背負っているリュックサックにはポップな色合いの缶バッジがいくつもついているのが見えた。

 織田さんらしい。――姿を見たとき、真っ先に思った。と、同時に、この人混みの中からすぐに彼女を見つけ出した自分自身に驚く。

 僕のことを探しているのか、織田さんは駅出口で一度足を止め、周囲をぐるりと見回した。

 流れに逆らって留まる僕は目立っていたのか、すぐに彼女と目が合った。軽く手を振れば、ぱっとはじけるような笑顔を見せて、織田さんが駆け寄ってくる。


「ごめーん! 待たせちゃったね」

「その時間も楽しかったから、平気だよ」

「……そこは、今来たところだから平気だよ、じゃないの?」

「ここに来たのは約束から十五分くらい前だから、今ではないかな」

「んー。ちょっと期待してたのになあ、初デートお約束の会話」


 また思い切り、胸の奥が跳ねたのがわかった。

 屈託なく言うんだから、織田さんはずるい。

 へらりと笑った彼女はなんのためらいもなく僕の手を取ると、「早く行こうよ」と軽く引っ張ってくる。僕はそれを受け、歩を進めた。

 先導するように、織田さんの手を引き歩いていく。人波に海水浴場にむかう人波に逆らって、反対方向に歩き出した。

 夏の日差し、セミの声。遠くから聞こえてくる潮騒と、独特の磯の香り。


「海、近いんだね」

「うん、有名なところらしいよ」


 広い道路にかかる横断歩道を渡れば、磯の香りがいっそう強くなる。思わず顔をしかめれば、織田さんはおかしそうに笑った。

 白い歩道を歩けば、サーフボードやダイバースーツ、フィンを持った人の姿が増えてくる。それに紛れて、家族連れや恋人同士に見える男女なんかも多く見受けられた。

 水族館につく。チケットを買い中に入れば、なんとも幻想的な内装に目を奪われた。

 天井一面取り付けられた、丸いバルーン。ブルーライトで照らしているのか、バルーンは一様に青く染まり、室内をほの暗く、けれど見通しよく照らしていた。目の前にある水槽は水面が異様に低く、僕のひざ辺りまでしかない。水は時折起こる波によって泡が立ち、白くにごっては澄んでを繰り返していた。

 織田さんは真っ先に正面の水槽に駆け寄ると、ためらいなく水槽の前にしゃがみこんだ。それから下に書いてあったプレートを見つけたのか、ぱっとはねて、僕のほうに顔をむけた。


「カケルくん、うにいるんだって!」

「……うん?」

「うに、うにがいるんだってさ、生きてるうに!」


 そしてまた彼女は水槽に視線を戻すと、食い入るように岩陰や海草の隙間を見つめ始める。……どうやらうにを探しているらしい。

 こういうのは、ほほえましいって言っておけばいいのかな。


「うにいないぞ……」


 どうやら見つからなかったようだ。

 彼女は諦めたのかため息をひとつつき立ち上がる。それから「次来たときは絶対見つけるっ」と意気込んで見せた。

 順路どおりに歩きながら、織田さんは水槽のむこうにいる魚を見てははしゃぎ、解説を見てははしゃいだ。

 巨大な水槽の前に来たときに、大きな魚が小さな魚を食べる瞬間を目撃してしまったらしく「自然って厳しいねえ……ここ水族館だけど」と呟いているのが耳に入ったが、なんと答えればいいか迷った。

 厳しい自然に関連して、頭がそげていたり、目が片方外れた魚を順路の途中で見つけた。織田さんの目に入る前にさっさと移動したが……。あれはしばらく、忘れられそうもない。

 そうしてめぐっていくうちに、次のブースへと移っていく。

 くらげの水槽が見えてきた。織田さんは瞳を輝かせると、強く強く手を握り締めてきた。そして「早く行こっ」と遠慮なしに引っ張ってくる。

 客の合間を縫い、くらげが展示してあるブースにいく。そこは今までの内装とはまた違う雰囲気があった。

 青の色が一層深くなった照明。天井にはくらげの足をあしらったような、丸い傘と白のライン。そこはホール型になっており、それがまたくらげの下にいるような気分にさせる。

 ホールの中央には球体の水槽が設置されていて、中にいる小さなくらげがふよふよと舞い、淡い七色に照らされながら踊っていた。

 織田さんはすぐに中央にある球体水槽に近寄った。自然、僕も引っ張られ、水槽の傍による。

 遠目では分からなかったが、水槽の表面には水が流れているようだ。そのおかげなのか、こちらまで水の中にいるような錯覚に陥る。

 耳を澄ませば聞こえる、水が流れ落ちる音と、淡い赤の光の中、気ままに泳ぎ回るくらげたち。

 それはなんだか、中にいる彼らを魅せるためだけに作られた舞台のように見えた。そうすると、くらげたちは極上の役者だろうか。

 水槽の台座にある解説プレートに目をやる。中にいるくらげは、ブルージェリーというらしい。品種についての説明はまったくなく、「かわいらしい踊り子たちに、癒されてください」とだけ書かれていた。

 球体水槽を照らす照明が、エメラルドを思わせる緑に切り替わる。


「私ね、」織田さんが静かに口を開いた。「この水槽が見たかったんだ」

「へえ、そうなんだ?」

「うん、そうなの。きっときれいだろうなって思って。それでここに来たかった」

「それで、実際に見た感想は?」

「さいっこー」


 溶けるように笑った織田さんは、しまりのない顔のままくらげを見つめる。

 子どもを連れた夫婦がやってくる。水槽に流れる水を不思議に思ったのか、夫妻が手を伸ばし球体に触れた。まねるように子どもも水槽に手を伸ばす。

 大学生くらいの恋人が一組やってくる。二人もやはり不思議そうに球に触れ、流れる水で指先をぬらした。

 社会人らしい女性三人組がやってくる。彼女らもまた水槽に何度も手を伸ばし、流れる水にはしゃぐように姦しく騒ぎ立てた。

 けれど織田さんはただの一度も手を伸ばさず、ただただ一心に水槽を眺め続ける。

 球体水槽を照らす照明が、暖かな夕焼け色に切り替わり、朝焼けの紫に切り替わり、真っ直ぐ輝く白の色になっても、織田さんはただただ、ただただ、口を開かずに見つめ続ける。

 ――こういうのも、いいな。

 隣にいる織田さんから、目の前のくらげに視線を移す。

 くらげはただ静かにふよふよ泳ぎ、自慢の傘を膨らませて魅せてくれた。




   ◇ ◆ ◇




 架くんが水族館のこと覚えててくれた!

 結構前にぽろっとこぼしただけだったのに、よく覚えてるなあってなった。すごいうれしい。単純かな?

 緊張するしふわふわするしで、今日変な態度とったりしてないかな。いやな気分にさせてなきゃいいんだけど。

 早くふわふわに慣れようということで、がんばって手をつないでみました! あれだけ真っ白できれいな手でもやっぱり男の子なんだなあって思ったら、余計に緊張しちゃった。関節とか手のひらとか、ぜんぜん形違うんだなーって。

 余計に意識しちゃったから、作戦失敗? でもまた、手つなぎたいなー。

 これからはなるべく繋いでみる……?


 今日はいい夢見れそうな気がする! おやすみなさーい。

次の更新日は2月20日です。

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