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夏休み

 照りつける陽光が目に痛い。刺すような暑さのせいで、汗がどんどん流れていく。肌に張り付くワイシャツの感覚が、不快で仕方がない。

 八月初め、ある日のこと。

 僕は久しぶりの制服に袖を通し、学校へ続く道を歩いていた。

 夏休み中だというのに、何故学校にむかっているのか。単純に、委員会の仕事があるからだ。今週は僕を含めた数名の一年生が、校内にある花壇の面倒を見ることになっている。

 信号を渡り、コンビニの前へ。それから橋の上を歩いていく。ぴしゃりと川から魚が飛び出して、また川の中に戻っていった。

 坂に差し掛かろうというとき。僕の前を歩くひとりの女子生徒がいることに気付く。

 日本人にしては明るい色をした、くせがある短い髪。健康的に焼けた肌とスニーカー。


「織田さん!」


 反射的に声を上げて、駆け出した。

 彼女ははじかれるように振り返る。僕の姿を認めると、輝かんばかりの笑顔を見せた。それから大きく手を振りだした。


「久しぶりー!」


 織田さんの隣に並び、「うん、久しぶり」と鞄を持ち直す。

 ――心臓がバクバクいってる。きっと、走ってきたせいだ。

 風が吹き、織田さんからふわりと甘い香りがただよってくる。甘さをはらんだ優しい風にまた、胸がどくりと音をたてる。


「カケルくんはなんか用事?」


 彼女は僕の様子に気づいていないのか、そのまま話し始めた。


「私はねー、文化祭の準備にきたの」

「委員会だよ、園芸委員」

「あ、花壇の世話する」

「そうそう」

「お休みなのにご苦労様です」

「いえいえ。文化祭の準備に比べれば楽なものです」


 いたずらっぽく光った彼女の目。僕も、同じ目をしていたかもしれない。お互い図ったように同時に吹き出し、くすくすと笑いあう。

 織田さんと会うのは、半月ぶりだ。久しぶりの彼女との戯れに気分が高揚していくのが分かる。どこかふわふわとした気持ちになって、顔や耳に熱が集中してくる。

 ばれてないかな、不審に思われていないだろうか。顔が赤くなっていたらどうしよう。もし赤くなっていたとしても、暑さのせいだと勘違いしてくれればいいけれど。

 歩きながら、学校にむかいながら会話を続ける。

 耳は彼女の声をとらえているのに、頭が内容を理解してくれない。織田さんの言葉に返答しているはずなのに、自分がなにを言っているのか分からない。

 若葉光る桜並木の下にきたとき、不意に織田さんがくすりと笑った。


「もしかして、暑い?」

「え? ……なんで?」

「顔。すっごい真っ赤になってる」


 ばれた。

 思わず己の頬を触り、隠すようにうつむく。おかしそうに笑う彼女の声。


「カケルくん、肌真っ白いもんね。日焼け大変そう」

「そ、かな。今まで気にしてなかったけど」

「そうなの? ほっぺとか痛くない? 今」


 どうやら日焼けで赤くなっていると思われたらしい、好都合だ。話を合わせるため「ちょっとひりつくかも」と言えば「やっぱり! 見てても痛そうだもん」と笑われた。

 校舎が見えてくる。門がすぐそこに見えている。

 学校に着いたら、委員会と文化祭の準備で別れることになる。下校中にもう一度彼女に会えるか分からないし、ここで別れたら新学期が始まるまで顔を見れないと考えるのが自然だろう。

 ――それは、嫌だな。


「あ、あのさ」


 そう思ったが早いか、声を上げたのが早いか。僕は先を行く織田さんを引き止めていた。彼女はすでに校門をくぐって少し先にいたため、振り返って不思議そうな顔をして首をかしげる。


「放課後、なにか予定は?」

「え? ええっと。今日は一時に終わるから……」思い出すように彼女の視線が宙をさまよった。「うん、なにもなかったはずだよ」

「じゃあ、一緒に帰ろうよ」


 ぱちくりと。織田さんは数度まばたきをした。それから、溶けるように笑みを浮かべる。


「うん、わかった! 待っててね」


 うなずき「もちろん」と返せば、彼女はいっそまぶしく笑う。

 それがうれしいような、気恥ずかしいような。落ち着かなくて、妙な気分になる。

 約束をしたすぐあと。織田さんは「もう時間だから」と校舎の中にあわただしく消えていった。

 ――そのあとは正直よく覚えていない。

 地に足がつかないというか、空を飛んでいるみたいというか。

 織田さんと約束ができて、帰り道も一緒なのだと思うと、自然と口元が緩んでしまう。おかげで同級生に何度からかわれたことか。

 そうやって委員会の仕事をすべて終え、校門付近で彼女を待っていたときだ。ふと、不安がよぎった。

 織田さんと約束して、一緒に帰って、なにを話せばいいんだろう。いつもどおり、彼女の話を聞くに徹するのか?

 いやそもそも、用もないのに約束をしたと知られたら、不審に思われないだろうか。

 ――どうしよう。

 ぐるぐると、ぐるぐると。

 答えなど出しようのない不安が心中をめぐり、止まらない。さぁーっと背筋が冷たくなるような気さえした。

 なんでもいい。なにか用事や話題をつくらなきゃ。でも、なにがあるだろう。織田さんと話せる話題なんて、すぐには思いつかない。

 セミの声が遠く感じる。ふりそそぐ木漏れ日を眺める余裕もない。陽光の暑さだって感じられないほど。

 とりあえず、落ち着かなきゃ。今の自分を彼女に見せたくない。情けない様子を見せないようにしなきゃ。

 深呼吸をしようと息を吐き、それから息を吸って……。


「なにしてるの?」

「ぅわ、げほっ」


 思い切りむせた。


「うわあ、ごめん。そんなに驚くとは思ってなくって」


 大丈夫? と心配そうに織田さんがこちらをのぞきこんできた。目が合う。かっと頬に熱が上るのを感じる。……変なところを見られた。

 咳が収まってから「仕事は?」と聞けば「時間通り終わらせたよ」と笑われる。振り返り校舎にある時計を見れば、確かに一時を過ぎていた。


「あーあ、カケルくんまた顔真っ赤。日陰で待っていればよかったのに」

「いや、でも、うん、そうだね、ここ落ち着くから」

「そ? でもまあ、これ以上焼けないように帰ろっか」


 織田さんは空を見上げて、言葉を続けた。まぶしそうに目を細めて、ゆるく口元に笑みを浮かべている。僕は曖昧にひとつうなずいて、彼女とともに坂を下り始めた。

 そこからはいつもどおり、織田さんが話をして僕が聞き役に回った。今日はこういうことをやったんだとか、話し合いの途中で先生がおかしなことを言ったのだとか、夏休み中に行きたいところの話をしたり。途中で僕も委員会の途中であったことや、宿題の進み具合の話をした。

 川を渡りコンビニ前の信号機を渡り、住宅街を抜けている途中。織田さんが唐突に「そういえば、」と僕を見上げてきた。


「カケルくんから誘ってくれるって珍しいよね。なにかあった?」

「ええっと……」


 ――なんて返そう。

 用事は特にない、まだ話していたかったからと素直に言う? いやそれは気恥ずかしい。

 じゃあ適当に聞きたいことがあったとでも言う? いや考えてもなにも出てこなかったじゃないか。

 織田さんの表情がどんどん曇っていく。深刻そうな、神妙な顔をつくって、もう一度僕の名前を呼んだ。


「言いづらいことかな。あたし、これでも口固いよ」

「あ、いや、そんなかしこまらなくても」

「でもすごく難しい顔してるよ。ここに」僕の眉間をつついてきた。「ぐーってしわが寄ってる」


 ……心配、させてしまったみたいだ。

 小さく、息を吐き出してから自分の眉間を撫で、力を抜いた。


「大したことじゃないよ」

「ほんとに?」

「本当。……久しぶりに織田さんと会ったから、もっといっぱい話したくなったんだ。それだけ」


 彼女に心配されていると思ったら、言葉は思いのほかするっと出てきた。考えていたよりも恥ずかしくない。というより、言葉にできてどこかほっとしている自分がいることに気付く。

 織田さんのほうは、僕の代わりになのか、ぐっと眉間にしわを寄せた。それから射抜くような真っ直ぐな目でこちらを見つめてくる。


「ごまかさないで。カケルくん、朝からちょっと変だったんだよ。心ここにあらずみたいで返事だってぼんやりしてるし、さっき門で待っててくれたときだって様子がおかしかったし……。

 帰ろって約束だって、なにか相談したいことがあったからなんでしょ?」


 確信を持った声で、彼女は続ける。


「聞くことしかできないけど、聞くことはできるから。話すだけでも楽になるって言うじゃない。あまり悩まないでよ。

 ……それとも、あたしじゃ頼りない?」


 これは……、弱った。困ってしまう。まさかそこまで気にかけてくれているとは思っていなかった。

 睨むように僕を見上げている織田さんは、真剣な目をしていた。彼女の瞳の力が、一層強くなっている。

 ――もしかしてチャンスなんじゃないか。頭のどこかで声がした。

 悩みごとがないのは本当のことだけど、彼女に聞いてほしい話があるのも、本当だ。

 知り合ってまだ三ヶ月しか経っていない。軽い人だと思われはしないだろうか。嘘だと笑われたりしないだろうか。

 そのときは、そのときだ。

 覚悟を決めるんだ。


「うん、……うん。織田さんに聞いて欲しい話があるんだけど、いいかな」

「もっちろん、なんでも言って!」


 きらりと輝き笑った彼女の瞳に、どうしようもなく惹かれる。

 全部、全部素直に言ってしまえ。

 織田さんに体ごとむき直り、それから深呼吸をする。

 僕の雰囲気を感じ取ったのか、彼女もまた姿勢を正した。


「僕は、織田輝さんのことが好きです。もしよければ君の気持ちを、聞かせてくれませんか」


 ざーぁと、一陣の強い風が吹き抜けた。織田さんは、瞳を大きく大きく見開いて、ただ僕のことを見つめていた。

 セミは変わらずうるさいし、どこからか聞こえてくる掃除機の音のせいで雰囲気なんてあったもんじゃない。お互い暑さで汗がだらだらだし、僕なんか委員会のせいで爪に泥が入りっぱなしかもしれない。


「……、え」


 目線が外された。織田さんはうつむいてしきりに前髪を撫で触り、落ち着きなく「あの」とか「えっと」とか言葉をこぼしながら、制服のスカートをいじっている。

 やっぱり、伝えるのは早すぎたか。困らせてしまっただろうか。だとしたら申し訳なく思う。

 帰ろうとも促せず、かと言って返事をせかすなど出来るわけもなく。

 僕たちは住宅街の道の真ん中で突っ立って、しばらくを過ごした。

 それからどのくらい時間が経ったか。ぽつりと、彼女の口から言葉がもれた。


「え?」意識をして耳をすます。「……ごめん、なにか言った?」

「先に言われちゃったなあ、って言ったの」


 顔を上げた彼女ははにかんで、それでもうっすらと笑みを浮かべていた。


「あたしも、大和泉架くんのことが好きです」

「…………」


 途端に思考が固まった。音を立てて、噛み合っていたギアがすっ飛んでいったみたいに、考えがまとまらなくなる。

 いつまでも返事をしなかったせいか、織田さんが「聞いてる?」と首を傾げる。


「聞いて、るよ」

「じゃあ今あたしなんて言った?」

「えっ、」

「聞いてたなら言えるでしょ? ほら、繰り返して」

「君が、僕を、好きって」

「うん、あってるあってる」

「……聞き間違い?」

「ほう、告白の返事をなかったことにしようってことかそれは」

「いや、そういうことじゃなくてっ」

「うん、分かってるよ」そのまま、織田さんに手を取られて、握られる。「ほら、帰ろ」


 先に歩き出した織田さんに引っ張ら、僕も歩き出した。

 視線を少し下にむければ、織田さんの右手にしっかりと握られている左手。僕の爪にはやっぱり泥が挟まっている。

 頬が熱い。耳も熱い。首元も熱いし、なんだか息苦しくて胸が痛い。

 でも、全然嫌な感覚じゃない。むしろ、心地いいくらいだ。

 繋いでいる左手に意識をむければ、ひんやりと冷たい彼女の体温を感じる。緊張しているのかもしれない。もしかしたら僕の手も、緊張で冷えているのかも。

 視線を上げる。彼女の後姿が視界に入った。

 耳が真っ赤になってる。いつもより歩幅が広い気がする。よくしゃべる彼女が、全く口を開かない。

 織田さんも、今の僕と同じ気持ちなのだろうか。そうだったらいいのに。同じように頬や首元が熱くなって息苦しくなってくれてたらいいんだ。

 手を握りなおす。織田さんの指先が一瞬はねた気がするが、無視してしっかりと握りこんだ。それから彼女の隣に並ぶ。


「もう少しゆっくり帰ろうよ」

「……寄り道はなしで」

「もちろん。あと、連絡先。教えてほしい」

「電車でね」

「うん」


 二人して歩幅を狭くし駅を目指す。

 住宅街を抜ければすぐに駅が見えてくるから。だから今だけはゆっくりと。

 じりじりと鳴くセミが、これからちょっとだけ好きになれそうだと思った。




   ◇ ◆ ◇




 告白されたとき、すとんと胸になにかが落ちた気がする。会えてうれしかったり、ちょっと様子を気にしちゃったり、友達がきゃーきゃーしてんのムカってきたのも、そういうことかぁーってなった。

 言われて自覚するの遅い? にぶいのかな? 比べる対象いないから、わからないけど、やな感じだったりしないかな、平気?


 家について落ち着いてから日記を書いているはずなのに、なんだかまだふわふわする。胸のところが、ほわぁってなる感じ。

 馴染まないし落ち着かないけど、架くんと一緒にいたら、ちょっとずつこの気持ちにも慣れてくるかな? 慣れていけたらいいなあ。


 と言うわけで今日はもう寝る! このいい気分が明日まで続けばいいなー。

次の更新日は2月16日です。

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