6月
織田さんがストラップを届けてくれたその日から、僕と彼女は顔を合わせれば話すようになった。その日の授業のことだったり、購買に入った新しい商品のこと、教科書の貸し借りだったり友達のことなど、話題は様々だ。
そうやって会話を重ねていき、気がつけば一ヶ月の月日が経っていた。
六月。世間一般でいう、梅雨の時期。
僕たちが住んでいる地域も例にもれず、毎日のように雨が続いている。頭上で輝く太陽などしばらく目にしていない。
最近の織田さんとの話題は、梅雨のことと、もうひとつ――。
「ああ、も~……。テスト勉強なんて飽ーきーたー」
図書室の隅、六人座れそうな長机を陣取って、僕と織田さんは教科書やノート、授業で配られたプリントを広げていた。
「飽きたって……。まだ一時間しか経ってないよ」
「もう一時間だよ。やってらんなーい」
「じゃあ、やめる?」
「……やります」
静かな図書室での勉強会に、早くも織田さんは飽きてきているらしい。
むっつりと不満そうな顔をして、彼女はシャーペンを握りなおし、教科書とノートにむきなおった。
六月末には中間テストがある。今はテスト週間ということで部活動は禁止になっていて、放課後になれば毎日聞こえていたあの気の抜ける掛け声は、ここしばらく耳にしていない。
この勉強会は彼女が提案してきたものだ。「英語わけ分かんないから教えて!」と突然声をかけられたときは驚いた。まさか僕に声がかかるとは思っていなかったから。それと同時に頼ってもらえたようで、なんだかうれしくもなった。
「これじゃ現在進行形にならないよ」
とんとんと、彼女のノートの一箇所を指で叩く。織田さんが「うっ」とうめいて教科書を開き、確認を始める。
それを見てから、僕も現代社会の問題集にとりかかった。記述問題が多いから、要点と用語をまとめておかなければと、気合を入れる。
しばらくは、静かだった。彼女と僕のシャーペンがかりかりと、なにかを書き込む音だけが耳に入る。
それにまぎれて、織田さんは小さく何事かをつぶやく。文法や単語を確認しているのかもしれない。
外から聞こえてくる雨音が、なおのことここを穏やかな場所にしてくれる。
静かな空間が保たれてもうすぐ一時間、図書室にきてから三時間が経とうかという頃。不意に「ねえ、」と彼女から声をかけられた。
「なに、どうしたの?」
顔を上げて尋ねれば、織田さんはにっと笑ってみせる。
「テスト、勝負しようよ」
「勝負?」
「そそ、勝負。やる気でるでしょ?」
「僕はあんまりでないかな」
「えー、なんでよーぅ」
不機嫌そうに口を尖らせて、織田さんはシャーペンを机の上に放り投げた。かららと軽い音が図書室に響く。ほんのりたしなめてみたけれど、彼女は気にした様子はない。つーんとそっぽをむかれてしまった。
……君は子どもか。
転がったシャーペンを指でつつきながら、織田さんは言葉を続ける。
「五教科の合計点数が多いほうが勝ちってことでどう?」
「いやだから、僕はやらないよ」
「負けたほうが買ったほうにアイスおごるとかさぁ」
「……話聞いてる?」
小さくため息をつけば、織田さんの視線が手元のシャーペンから僕のほうにむけられる。それから、悪戯を思いついた子どものような悪い笑みを浮かべた。
彼女の視線を受け、胸元が妙にざわつく。
「もしかして、あたしに負けるのがいやだ、とか?」
なにを言ってるんだろう。
その思いのまま首を傾げれば、納得したように「そーかそーか」とうなずいて、彼女は頬杖をついた。ほんのりと織田さんとの距離が縮まる。――胸のざわめきが大きくなった、気がした。反射的に体を引き姿勢を正す。
にやにやとした織田さんの笑い方が、気になって気になって仕方ない。
「なんでもできるカケルくんは、テストも怖くないんだろーなぁ?」
「なんでもできるってわけじゃないけど、」
「苦手教科、あるんだ?」
「……現代社会、とか」
僕は手元のプリントに目を落とす。
白黒印刷のはずのプリントは、僕が書き込んだ赤や青のボールペン、緑やオレンジの蛍光ペンのせいでにぎやかなことになっていた。
――苦手意識があるぶん、努力はしてるのだ。実を結んだことは、まだないけれど。
「なるほどなるほど? つまりその現社がひっどい点数出すから、私と勝負できないわけだな?」
「……ん?」
「私の英語の点数よりもひどい、カケルくんの現社の点数のせいで私と勝負できないんだー」
「ちなみに、織田さんはいくつなの?」
「中学のときは二十点以上取ったことないよ!」
……そんなひどい点数、取ったことないぞ。
自慢げにVサインをしている彼女は、それはそれはまぶしい笑顔で。
「どうすればそんな点数が取れるのは教えて欲しいな」
「簡単だよー、解答欄になにも書かないだけでオッケー」
そりゃそうだ。
ごくっと言葉を飲み込んで、曖昧に笑ってみる。織田さんのようにきれいに笑える気がしない。
ざあざーぁと雨の音が耳を打つ。外の雨は激しさを増しているようだ。
「で、どうなのよ。現代社会二十点のカケルくん」
「そこまでひどくないよ」
「知りませーん。私見たことないから知りませーん」
「織田さんの点数よりは絶対マシだから」
「ほう、言ったな? じゃあ苦手教科で点数低いほうが負けだから」
こくりとうなずいたところで、はたと気づく。
もしかして、今僕は乗せられたのではなかろうか。
彼女の口車に乗せられて、勝負を受けてしまった気がする。
ちらりと織田さんに視線をむければ、彼女は小さく微笑んだ。
「約束したからね?」
僕はひっそりため息をついて、社会のまとめ問題にとりかかった。
受けてしまったからには仕方がない。絶対負けてやるものか。
◇ ◆ ◇
架くんとテスト勝負することになった!
結構乗せやすい……というか、単純なのかな? 少しあおったら、乗っかってきてくれた。でもそのくらい単純なほうが、可愛げがあるってもんなのかもしれないなー。
勝負するからには負けたくないので、今日から勉強頑張ろうと思います。
クラスメイトから、架くんとのことからかわれた。男子と仲がいいからって、そういう風に囃し立てられるの、気分悪い。
思春期どーのこーのとかあるんだろうけれど、そういう風にしか見れないとかバカみたい。頭固いっていうかさ。
毎日一緒にいるとそういうところ突っつかれるから、お昼ご飯は時々一人で食べることにした。いいところ見つけたし、ちょうどいい。
というか架くん、なにげにあっちこっちで名前知られてるみたいで、なんかもやっとする。きゃーきゃー言われてるの見てるの、なんかすっごいいや。頭悪そうだからかな……?
それから、教会でバザーをやることになったって。今年も、この時期にやるんだって。
すごく関わりたくない。教会のイベントには、関わりたくない。パッチワークもクッキーも、パウンドケーキも聖歌だって、どれにだって関わりたくない。
考えてたら気分悪くなってきた。もう寝よう。おやすみなさい。
次の更新日は2/2になります。
よろしくお願いします(*´∀`*)