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4月

 それは本当に偶然だった。

 ひとつでもずれていたのなら、僕は彼女に逢えなかっただろうし、これから始まる物語はそもそも影も形もなかっただろう。

 物語が始まることそれ自体がいいことなんだとは必ずしも言えないけれど、少なくとも僕は彼女に出会えてよかったと思っている。

 すべての始まりである彼女との出会いを果たしたのは、四月。入学式が終わってから間もない頃。校舎から見える桜はすっかり散り終わり、地面に茶色く残っていた。

 なんとなく家に帰る気になれなかった僕は、放課後教室に居残って、文庫本を読んでいた。

 本を読み終わったとき、すで空はに夕焼け色に染まっていた。


「あ、」


 慌てて時計を確認すれば、もうすぐ十七時になろうとしているところだ。最終下校時刻が近づいてきている。

 さすがにまずい。

 急いで荷物をまとめ、かばんを持ち、教室から出る。

 僕たちの――新一年生の教室は黄色塔の上のほう、四階と五階にまたがっている。僕の教室は五階だ。

 壁に黄色のラインが入っているのを横目で見ながら、階段にむかう。走らないように、でも早歩きで。

 通り過ぎる窓の外から、「えい、おー。えい、おー」などと気の抜けた掛け声が聞こえてくる。多分、運動部だろう。まだ残って練習をしているなんて大変そうだ。

 ふと窓の外を見れば、前日の雨の名残が見えた。水たまりが校門まで点々と続いている。沈もうとしている太陽の光が、水たまりの表面を撫で、赤く染める。

 階段に差し掛かる。一段一段降りて踊り場に出て、四階に。また次の踊り場に行って……。

 そうやって順序よく足を踏み出して降りていたとき、大きな声が響いた。


「そこの男子っ。どいてーっ!」


 声は背後からだ。切羽詰ったような響きがある。

 状況を確認しようと思い、振り返る。僕は、驚きのあまり思考が止まった。

 女子生徒が降ってくる。両手にたくさんプリントを抱えたまま、僕のほうにむかって、落ちてくる。

 あ、これ、巻き込まれる。

 そう思うのが先だったかどうか。

 女子生徒が僕に勢いよくぶつかった。彼女とともに踊り場に叩きつけられる。無意識のうちに、強くきつく目をつぶる。なにかがぶちまかれるような、派手な音がした。

 一瞬、息ができなくなった。目の前が白く点滅し、音が遠くなる。肺の中の空気全部が押し出されたような感覚。したたかに打ち付けた背中が、ジンジンと痛む。

 腹部に圧迫感。なにかが乗っている。なんだろう。確かめるため、恐る恐る目を開ける。

 そこには、僕を階段から落とした原因である女子生徒がいた。僕の上に、乗っている。


「あ、れ……?」


 彼女はいまだにきつくまぶたを閉じている。


「痛くない……? 痛くない……」


 まだ目を開く様子はない。


「痛くない! やばい、あたし受け身がちゃんとできたかもしんない、隠れた才能開花かも!」

「あの、ごめん。のいてくれないかな」

 重いんだけど。


 僕の言葉に反応してか、彼女の目がぱっと開かれた。――意識が彼女の瞳に引っ張られる。

 まっすぐな意志の強さ。きらきら輝く純真さと、暖かな優しさがたたえられた瞳だ。

 その優しく力強い瞳に、ぐっと意識がさらわれていく。


「わあっ、ごめん、ごめん! すぐどく、どくから!」


 はっと意識が戻ってくる。慌てて「ああ」だか「うん」だかと返す。彼女は「重くてごめんねー」と笑いながら、僕の上からのいてくれた。

 重いって言ってよかったのか。

 見当はずれなことを考えつつ、上体を起こしながら改めて彼女のことを見る。

 髪は日本人にしては明るい色だ。短く切られていて、外に少しはねている。くせっ毛気味なのかもしれない。肌はそれなりに焼けているし靴はスニーカーだからか、元気な印象を受ける。実際、しゃべり方がはきはきしているし、活発な人なんだろうと思う。

 彼女は僕の上からのいたすぐあとに、周囲に散らばっていたプリントを集めだした。さっき僕にぶつかったとき、ぶちまけたやつだろう。方向をそろえて、角をそろえて、枚数を数えて――。

 そこで彼女は首をかしげた。それから周囲を見回してもう一度首をひねる。集めたプリントの枚数をまた数えだしたから、もしかしたらプリントが足りないのかもしれない。

 僕もつられて周囲を見る。それらしいプリントが、階段の下に数枚落ちていた。

 仕方ない、か。

 立ち上がり、三階の廊下に散らばっているプリントを拾いに行く。プリントには大きく太い字で〈五月月間予定表〉と書かれていた。

 そうか、もうそんな時期なのか。時間が経つのは早いものだ。

 拾ったプリントの方向と角を揃える。それから踊り場でしゃがみこみ、枚数を数えている彼女の元へ戻る。


「はい、これで揃った?」


 プリントを差し出し尋ねる。彼女はきょとんと不思議そうに僕を見上げたあと、すぐにうれしそうに笑って「ありがとう!」と受け取った。


「いやあ、参っちゃうよねー。四階のあそこの廊下さ、雨降ると滑りやすくなるみたいで。急いでたからめっちゃびっくりしたわー」


 笑いながらも、彼女の手は的確にプリントを数えていく。そうして最後の一枚を数え終わると、彼女は安心したようにほっと息をはいた。


「よかった、全部ある」

「そう、それはよかった」

「うん、ホントに! 助かっちゃった、ありがとね」

「どういたしまして」


 こっちとしては散々だったけど。

 また言葉を飲み込んで、笑ってみせる。波風立てたいわけではない。余計な言葉は、言わないように。

 立ち上がった彼女は、僕の肩より少し大きいくらいの身長だった。


「あたし、ヒカリね。織田輝。そっちは?」

「大和泉架。橋を架けるの、カケル」

「カケルくんね、よろしくー」


 彼女――織田さんはにっと笑った。


「あたし、職員室行かなきゃだから、もう行くね。手伝ってくれてありがと。じゃ、また今度。ばいばーい」


 ひらっと軽く手を振って、織田さんは一段飛ばしで階段を降りていく。

 ああやって降りて行くから、階段から落ちたんじゃないのかな。彼女は、学習しないのだろうか。


「まあ、いいか」


 かばんを拾って肩にかけ、僕は彼女と同じように階段を降りた。

 ――これが、すべての始まり。物語の、始まりの話。




   ◇ ◆ ◇




 今日は階段から落ちたところを男子に助けてもらった! 大和泉架くんって言うんだって(字あってたっけ)。

 全体的に真っ白な印象で、まるで雪みたいな人だったなー。

 肌とか髪とか目の色とか、全部が全部、色が薄いし白っぽいの。髪の毛ちょっとふわふわしてた。撫でたら気持ちよさそうだったなー。灰色の目がすごく印象的で、よく覚えてる!

 散らかしたプリントを集めるのも手伝ってくれて、世間体や人目を気にするタイプの人なのかなー、とか。本当に優しいのかもしれないけど、あの見た目で優しいとか、似合いすぎてちょっと気持ち悪いから却下。


 あと、職員室から戻るとき、とんぼ玉のストラップを拾った。

 基本が白で、青いインクをにじませたような、控えめで品がいいストラップ。

 誰かの落し物かな? ……というか、これ多分架くんのじゃないかな。時間帯とかから考えると。

 明日一年の教室めぐって、彼のじゃなかったら先生に届け出ようと思いまーす。


 それじゃあ寝るよ、おやすみなさーい。

次の更新日は1/26です。

よろしくお願いいたします。

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