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1月 松の内

残酷描写が入ります。

 大晦日のあの日から勢いに差はあれど、いまだに雪が降り続いている。

 あたりの景色は白一色に染め上げられ、音のすべてが白に吸い尽くされたように静かだ。

 一月初め。霜柱を踏み潰す音が耳に心地よく、楽しくなってくる頃。――もっとも、今はなにもかもが雪の下に隠れているため、しばらくあの音は聞けないだろう。

 三が日が過ぎて、松の内と呼ばれる期間内のある日。本日は、以前ヒカリと約束をしていた初詣の日だ。

 強い風が吹く。氷のような温度が首筋をなでていく。僕はずり落ちてきていたらしいマフラーを巻きなおし、黒い手袋をきゅっと引き上げ、クリスマスにもらったブレスレットに視線を落とす。それだけでなんとなく、風が寄り付かなくなったような気がした。

 ふっと視線を上げる。ヒカリが住んでいる教会の屋根が、視界に入る。屋根は雪に覆われており、美しい碧の色が隠れている。むかいの道路のわきに立つバス停にもすっかり雪が積もっていて、足あとひとつない、まっさらな雪が続いている。道路も同様で、雪の上に残っている轍は薄かった。

 僕は駅にむかうほうのバス停の傍に立ちながら、ぼんやりと彼女が来るのを待っていた。歩道にはほとんど足あとがついておらず、人通りがいかに少ないかを物語っている。

 ちらりと腕時計に目を落とす。――待ち合わせの五分前だ。


「あれ……?」


 普段より、遅いな。

 いつもヒカリは待ち合わせ時間より早く来ていたから、今回もそうなのだろうと思っていたのだが。

 けれどまだ、時間を過ぎているわけじゃない。のんびり待とう。

 バス停に背を預け、ほう、と呼吸をする。口から白い吐息が昇り、空へと消える。

 雲は厚く灰色で、今は止んでいる雪も、いつ降り出すか分かったものじゃない。

 ――約束の時間から、五分過ぎた。

 珍しいこともあるものだ、ヒカリが遅刻するなんて。

 道路のむこう、教会傍にある細道に目をやる。彼女が現れる様子はない。

 ――約束の時間から、十五分過ぎた。

 荷物から携帯を取り出しかけて、やめる。彼女を急かすみたいで、なんだか嫌だった。

 空がより一層重たくなる。このままだと雪が降りそうだ。

 ――約束の時間から、三十分過ぎた。

 冷気が背筋を伝い昇ってくる。そろそろ連絡を入れたほうがいいだろうか。流石に、遅い気がする。

 携帯を取り出し、電話をしようとしたときだ。細道からヒカリが飛び出してきた。

 彼女はいつもの茶色いロングコートを着て、急いでいるのか駆け足で細道を下ってくる。

 雪で足を滑らせないかとはらはらしながらその様子を見守っていれば、案の定ヒカリはなにかにつまずき、盛大に雪を散らしながらコケた。


「ちょ、大丈夫!?」

「だいじょぶだいじょーぶ!」がばりと起き上がり、笑顔を見せる。「どこも怪我してないよー!」


 鼻の先が真っ赤になっていたが、雪に突っ込んだせいだと思うことにしよう。

 元気に腕を振り、なんともないことをアピールした彼女は、立ち上がって服から雪を払い落とした。そのときヒカリの首元から、クロスのペンダントが覗いた。つけていてくれているのだと思うと、うれしくなる。

 ヒカリはそのまま道路を渡るつもりなのか、歩道の端に立ちきょろきょろと周囲を見回す。見通しの悪い道路だからと、気を付けているようだった。


「ヒカリ!」名を呼べば、彼女の目がこちらにむく。「ちゃんと横断歩道渡ってよ!」

「だいじょーぶだよ、車全然きてないみたいだし」


 それに、とヒカリが言葉を続ける。


「待たせちゃったぶん、早く君の傍に行きたいんだ」


 かっと頬に熱が上がったのが分かった。うれしいけれど、ごまかされた気がする。

 ヒカリはそのままガードレールを超えて、うっすらと轍が残る道路に足を踏み入れた。

 ヒカリが僕にむかって駆け寄ってくる。

 むこうの道からトラックが走ってくる。

 クラクションが盛大に鳴り響いた。

 ブレーキの音が耳を突く。

 体を震わす重低音。

 彼女の体が宙を舞う。

 倒れた彼女の体がトラックの下に消えていく。

 トラックがスリップし、ガードレールにぶつかった。

 頬に、首に、生暖かく鉄臭い液体が飛んでくる。

 雪道に真っ赤なラインが引かれる。

 トラックは横転して車体の裏をむき出しにしている。

 ガードレールはべっこべこに曲がっていた。

 冷たい雪の上にヒカリの足が投げ出されている。

 彼女の上半身はトラックの下に挟まっている。

 真っ赤なラインはヒカリの体に続いていた。

 赤は次第に彼女の体を中心にして円を作り出す。

 ヒカリはぴくりとも動かない。

 僕も、体が動かない。

 ふと視線を落とせば、僕のマフラーに赤い斑点がついていた。

 こんな模様、あったっけ。

 なにが起こったか分からない。

 頭が働かない。

 僕の目は真っ赤な円の中心で、足を投げ出しているヒカリを一心に見つめていた。

 寒さも、音も、匂いも、空気の味も、全部どこかに飛んでいってしまったみたいだ。

 頬をたらりとなにかが伝い、マフラーに落ちる。

 赤い斑点がひとつ増えた。


「……え、」


 自分の喉から出る声も、かすれ、遠い。

 僕の目は、彼女を中心に広がる赤と、くたりとした足に釘付け。

 関節がひとつ増えたかのようにあらぬ方向に曲がった彼女の足は、ぱかりと折れたそこから白い骨組みを覗かせている。

 ちらちらと、雪が降りだした。

 彼女の体に、赤いラインや円に、横転したトラックに、粉雪が降り注ぐ。

 赤の上に落ちた雪はすぐに姿を消したが、きっとあっという間に積もっていくのだろうと想像できた。

 トラックから運転手は出てこない。

 彼女も、そこから這い出てくる様子はない。

 またぽたりと、顎からしずくが落ち、マフラーに斑点を落とす。

 僕の体はまるで動かなかった。

 誰かに主導権を奪われたようだ、と思った。

 映画を見ているみたいだ、とも思った。

 なにもかもが遠くて、現実味がなかった。

 指先ひとつ動かせず、僕はそこに立ち尽くしていた。

 教会から、ひとりの女性が飛び出してきた。

 時間は幾許も過ぎていなかったように思う。

 シスター服を着たその女性は、中学生か高校生くらいの子どもたちと一緒にいた。

 その集団はバス停のほうまで歩いてくる。

 と、先頭を歩いていたシスターがさっと顔色を悪くし、悲鳴を上げた。

 子どもたちも次々に大声をあげ「ヒカリが!」とか「なんでこんなことにっ」とか、口々に騒ぎ立てる。

 それからすぐ、集団は突っ立っている僕に気が付いたらしい。二つ結びの女の子がこちらを指さした。

 シスターが駆け寄ってくる。

 憂いをたたえた瞳をこちらにむけて、女性はぺたぺたと体を触ってきた。


「怪我はない……ようですね」


 シスターはそのまま、僕の手を取りぎゅっと握る。


「もっと早く、確かめにくるべきでした」


 子どもたちの誰かが呼んだのだろうか。救急車とパトカーのサイレンがどこからか聞こえてくる。

 ハンカチを取り出したシスターは僕の頬やら首やらをぬぐっていく。


「もう大丈夫、大丈夫ですからね」


 ――なにが、大丈夫なんだろう。

 手袋越しに握られている手に温度は伝わらない。

 ぬぐわれた頬に感覚はない。

 響き近づいてくるサイレンも、やっぱり膜を一枚隔てたようでぼんやりとしている。

 シスターは僕に声をかけ続け、ずっと僕の手を握っていた。思い出したように僕の肩を払い、積もっていたらしい雪を落としてくれる。

 そのあいだ、僕はただただ、地面に倒れている彼女を見つめていた。

 赤い色の上にはもう、雪がうすらと積もっている。

 彼女の体にも平等に雪が積もっており、白い骨組みや折れて曲がった足やらは、雪の下に隠された。


「寒かったでしょう。あったかいココアでもいかがですか。きっと気持ちが落ち着きますよ」


 シスターの声は、頭の中を通り過ぎていく。

 サイレンの音がどんどん近くなり、ついには僕たちの傍でとまったらしい。音が止む。

 彼女はまだ、路上で横たわったまま。

 ねえ、ねえ。

 君はいつまでそこで寝ているつもりなの。

 風邪ひいちゃうよ、早く出ておいでよ。

 こんなつまらないドッキリとか冗談とか、笑えないよ。今ならでこピンだけで許してあげるから、早く起きようよ。

 ――彼女が動き出す様子はない。

 僕はそのまま誰かに腕を掴まれ引っ張られる。固まって動けなかった体は、案外素直に引きずられた。


「大丈夫、私も一緒にいきますから」


 シスターに導かれるまま、パトカーの後部座席に押し込まれた。

 いまだに倒れた彼女の体を見つめていた僕の目は、彼女の上からトラックが除けられる瞬間を映した。

 トラックの下から出てきたのは、果実のようにつぶれて赤をまき散らしている、人間の上半身“だった”もの――。

 彼女と僕のあいだをさえぎるようにシスターが乗り込んでくる。

 パトカーの扉が閉まった。

更新が滞ってしまい、申し訳ありません。

設定するのをすっかり忘れていたようです。


また忘れるのが嫌なので、今日から毎日更新の設定にしようかと思います。

時刻は以前と同じように13時更新になります。


折り返し……というか、終盤にさしかかりました。

以後もよろしくお願いいたします。

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