姫!ラ・ヴィガルドの休日! ループ8
「私がサポートしますから、ガルザスは思いっきり暴れちゃって下さい!」
良く晴れた天候と涼しげな風に乗って爽やかな深緑の香りが鼻腔を刺激する。
ラ・ヴィガルド近郊の森林にある、木を開いて誘致された参道でスモモの元気な声が木霊した。
今回のクエストは森林を通る人々を襲う”犬獣人”の討伐だ。
適正クラスは鉄。数日前に晴れて銅への昇格クエストを通過したのだが、何故だか渡すまでに少々日にちが欲しいとソトより伝えられ、未だに鉄のままである。
という訳でガルザスと共にこのクエストを受注し、今こうして眼前に群がる討伐対象へと対峙しているという事である。
敵の背丈はスモモと余り変わらないほどだろうか。二足歩行の犬が数十体、大小様々な木の棍棒を握って此方を睨み付けてくる。
「分かった。私達の初戦闘だ!錦を飾らせてもらおうか!」
背に掛けた斧を抜くと、ガルザスは陣形の定まらぬ軍勢へと飛び込んでいった。
「わぁ・・・・・・すっご~い・・・・・・」
感嘆の符がスモモの口から自然に漏れ出てゆく。
眼前の軍勢がたった一人の男の手で全てを壊されていく。
その様を一言で表すなら、威厳。
モンスターが幾ら我武者羅に棍棒を打ちつけようとも聳え立つ巨体は揺らぐ事無く、返す薙ぎ払う斧の一閃が敵の首を刈り取る。
相手が既に首を失っている事に気付かないほどに、その一閃は華麗且つ流麗。
力の差は圧倒的でありながら、彼は野獣の様に獰猛に敵へと迫る事は無かった。
静かに、騒ぎ立てず、悠然と歩みを進めるのだ。
「お前で最後だ。一撃で終わらせてやろう」
唸り声と共に、最後に残った赤茶けた体毛のコボルトが振り下ろした渾身の一撃を全身で受け止め、即死という慈しみを以って挑戦者を送り出す。
悠々と進むその足を止め得る者は遂に無く、かくして小さな軍勢はものの数分で血の海に沈んだのだった。
(か、かっけぇぇ・・・・・・!)
自然とスモモの表情がだらしの無い物に変わってゆく。
アイドルを生で見たときのような興奮と言えば理解しやすいだろうか。
初めて彼と出会ったロゼ帝国跡での一件では彼女自身切羽詰った状況だったのもあり、ガルザスの戦いに余り意識を向ける余裕が無かった。
しかしこうして落ち着いた気分で改めて見てみると、やはり凄まじい猛将なのだろう。
この程度のクエストの敵ではスモモが出る幕が皆無と言っても過言ではない。
「あっ!いけないいけない。な、何か仕事しないと・・・・・・!」
惚けた顔で見ている内にクエストは終了してしまった。
報酬が発生する仕事でありながら、何もせずとも金を貰うことになってしまうのだ。
武蔵野猛の生きた世界では”働かざる者食うべからず”という諺がある。
27年間過ごした経験から、その思想が骨の髄まで染み付いてしまっている彼の心情は穏やかではない。
慌てた様子で、悠々と此方へと歩いてくるガルザスへとスモモは駆け寄っていった。
「お疲れ様です!」
「ああ。この程度は軽いものだ」
「えっとえっと!怪我とかされてませんか!?何かすることありませんか!?」
鬼気迫る様子でガルザスへと詰め寄る。
「ん!?ああ、まあ鎧に傷が付いたぐらいだ。心配する事は無――――」
「じゃ、じゃあ回復させますね!!」
ガルザスの言葉にスモモの言葉が覆いかぶさる。
確かに彼の鎧には新たな傷が細々と刻まれているように見える。コボルトの殴打による物だろう。
余りにも手持ち無沙汰なスモモは杖を振りかざし、魔力を込め始めた。
頭に思い描くのは回復スキルの神聖回復。次第に愛の杖に緑色の光が収束していく。
「あ。分かっていることだと思うが、アンデッドに聖なる力は・・・・・・!」
ガルザスが心配するように忠告する言葉もスモモの耳に入ってこない。
彼女のそそっかしい性格がこの状況に対して滑稽なほど見事に災いしてしまう。
「神聖回復!!」
スモモの祈りに反応して杖から溜め込んだ光が開放される。
ガルザスの足元の大地に輝く円陣が描かれていき、優しい風が包み込んでいく。
「こ、これは!・・・・・・ぬおおおおおおおおおおおおお!?」
スキルの発動と共に、鋼を砕くような野太い叫び声が木々を、大地を揺らすのだった。
「あれ?何かおかしいですね・・・・・・」
スモモが予想した反応と幾分違うように見えるのは気のせいだろうか。首を傾げざるを得ない。
輝く緑の光に包まれるガルザスの姿が癒されていると言うよりも、悶えているという表現が正しいのかも知れない。彼の口から飛び出た謎の叫び声も気になるところである。
「お、おおおおおお・・・・・・!スモモよ・・・・・・。アンデッドにはな、回復魔法は逆効果なのだ・・・・・・おぐゥ!うおおおお!!何だこれはぁ!?体が浄化されていく、力が抜けて行くゥ!だが・・・・・・存外悪くないィ!悪くは無いぞォ!!」
「ええっ!?」
自身を抱きしめ悶えるガルザスの様子から異常にようやく気付いたスモモ。
彼の口から語られた内容はにわかに信じがたいものだった。
不死の存在が聖なる力に脆弱であることはある種のお約束として大方想像がついていたのだが、まさか回復スキルで体力が減るとは予想外だ。
スモモの不死に対する知識はL.Lでの経験に依る所が大きい。
アンデッドのキャラクターは光属性の攻撃に弱いが、回復スキルは攻撃と扱われない為に効果通りに治癒の力が発動する。スモモの所属するギルド”Beret”でもアンデッドアバターの者が居たので常識として考えていた。
重ねて常識が通用しない世界である事を思い知り少々頭が痛くなってしまう。
「ど、どうしよう!?あの、本当にごめんなさい!大丈夫ですか?」
スキルの効果が終了し鎧の隙間と言う隙間から湯気のように瘴気を漏れ出し放心するガルザス。
出会ってから初めて明確なダメージを受けたのがまさか自分の手によるとは思ってもみなかったスモモの慌てた声が森を揺らす。
「ああ・・・・・・悪くは無かったぞ。これが救いの力か・・・・・・人間の時には何のことは無い回復魔法だと思っていたが、朽ち行く体とは裏腹に心がここまで暖かな熱に満たされるとはなぁ。グフゥ・・・・・・」
「ホントに大丈夫ですか!?」
ガルザスは熱に浮かされた夢遊病者のようにスモモには良く分からないことを口走る。
分かる事は生きている現実と何故だか機嫌が良さそうなことだろうか。
しかし、ダメージが大きいのは確かなようだ。彼女が発動した神聖回復は最大HPから見て8割回復する。ロードガイアでも効力がそのまま適用されているならば今のガルザスはもはや満身創痍と言っても過言ではないだろう。
心なしかスモモの目には彼が半透明に見えるのも錯覚ではないのだろう。
「・・・・・・スモモの手で送られるならばこの生涯に悔いは無い、な」
「だ、駄目ですよ!今、治しますから!逝っちゃダメですよ!」
「そうだな、だがもう自己再生は追いつかない。呪いや死の魔法辺りの闇の力を使ってくれたら、回復するのだが・・・・・・。スモモはそのような穢れた力は持たないだろう?」
半ば殉教者のように悟りきった口調でガルザスは解決策を打ち出す。
その言葉に一つだけスモモが思いつく魔法がある。
「分かりました」
「そうか・・・・・・ではな、スモモよ。達者で――――」
「ドレスアップ!!」
少女は大きく声を張り上げ固有スキルを発動する。
頭上に出現した巨大なシルクハットを思い切り掴むと全身を覆い、それを持ち上げれば変身は完了していた。
大怪盗スモモ。再びの登場だ。
(アレを使うしかねえなこりゃ。ガルザスが言ってる死の魔法ってのは確かに殆ど習得していないけど、一個だけある。失敗が怖いけど、やるっきゃ無ぇ!!)
緊張が高まる。
これから行うのは博打、それも極め付けの大博打である。
「その姿は・・・・・・。初めて見るな」
「行きますよ!”天国か地獄か(ヘヴン・オア・ヘル)”!!」
強烈に魔力を失う感覚と共にスキルが発動し、スモモとガルザス両名の目の前に人一人分程の大きさの金のコインが一枚、地鳴りをあげ大地に伏した。
「何が起きている・・・・・・!?」
「さあ、行きます!”おもて”!」
彼女の声に反応しコインがひとりでに起き上がる。それの片面にはそれぞれ違う刻印がなされているようだ。
片方は太陽、もう一つは月。描かれた紋様は世界の摂理を端的に表しているように見えた。
死と再生、破壊と創造。決して相容れないコインの裏表。
起き上がったそれはその場で勢い良く大回転を始めた。
スモモの表情が険しく曇る。
(当たれ!当たれ!)
声には出さない叫びで自然と彼女の手に力が入っていく。
少しの間回転を続けていたコインの動きが次第に緩くなっていく。
回転を止め再び土煙を上げ、倒れ伏す。
土煙が晴れる、結果の発表だ。スモモの喉が無意識に鳴った。
「えッ!?ううう裏ぁ!?」
姿を現したコインの表面に描かれた物は”月”。
ガルザスは叫びをあげるスモモに目をやると、とても美少女には見えない程に冷や汗まみれの破綻した表情であった。
彼の消え行く体よりも更に消え入りそうに彼女の背中が小さく見える。
「失敗ってことは・・・・・・!?」
スモモの目が蒼天煌く空へと向かう。
これから自分の身に起きることを予想し、背筋が寒くなってゆく。
瞬間、彼女の頭上に突然出現する小規模の暗雲。
狙い済ましたようにそこから吐き出された黒い稲妻がスモモを貫いたのだ。
「うわあああああッー!!」
「スモモー!!」
絹を裂くような悲鳴!続く、くぐもった叫び。
スモモは全身黒焦げになってその場に崩れ落ちた。
さて、彼女が発動したスキル”天国か地獄か(ヘヴン・オア・ヘル)”
大怪盗のスキルの一つであるこの技は大量の魔力(MP)を消費し発動する。
対象は相手一人とそして、自分。
その効果はコイントスの裏表を的中させるか否かで変化するのだ。
見事的中したならば闇属性の力を持つ地獄の炎が相手の最大HPから1だけ残して全て削りきる。
その力は強力無比。どれだけ守りを固めた前衛職でも瀕死に追い込むことが可能である。
L.Lでの分類としてはアンデッド職の者達が扱う呪殺魔法と同じ扱いであり、彼等に使用して的中した場合、不死の特性により効果が反転してほぼ全回復させてしまうという困った側面も持つ。
的中させることにもしも失敗した場合――――
逆に術者のHPが1になる。
正に大博打。更に現在のHPが1の場合、発動自体が不可能となる。
効果が強力な反面、デメリットも推して知るべしを地で行くスキルである。
大怪盗のみならず全スキルの中でも強烈な個性を持つ、いわゆるネタスキルと言う訳だ。
しかしスモモの闇の属性を持つ攻撃スキルはこれしか持ち得ない為、使用に踏み切った次第である。
結果は大失敗だったのだが。
「ううう・・・・・・」
「だ、大丈夫か?・・・・・・まさか!何者かの攻撃か!?」
何の知らないガルザスが碌に動かない体を推して周りを見渡すが、脅威となりそうな敵は見当たらない。
節足動物のように無様に地面に張り付くスモモ。湯気を上げる一張羅が一層に哀愁を感じさせる。
(痛ぇよぉ・・・・・・。まさか声も張り上げられないとは・・・・・・スモモ人生最大級だ、立ち上がれねぇ上に手足も満足に動かねぇって・・・・・・やべぇ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬゥ!!)
残りの生命力が風前の灯になるということを身を以って体感することと相成ってしまった。
全身が衰弱していくのが手に取るように分かる。意識を手放してしまえばどれだけ楽か。
霞んで行く視界の中で己の運の悪さを嘆く他無い。
「ド、ドレスアップぅ・・・・・・」
うつ伏せに倒れる大怪盗を天使の翼が包み込み、そして開かれた其れから現れるうつ伏せの女神。
小刻みに揺れる右腕に杖を出現させると神聖回復を唱え、傷の消えた体で立ち上がった。
「つ、次行きます!ガルザスは心配しないで下さいね、何とかしますから!」
再び大怪盗へと変装。もう一度、先ほどのスキルを発動させる。
(大丈夫!当たる確立は二分の一だ。次は・・・・・・当てる!ガキの頃から正月には大吉ばかり引きまくった武蔵野猛様だぜ!?人間福の神だぜ・・・・・・!?)
気を取り直し集中するスモモ。
目の前に出現する巨大なコインへと確信を込めた願いが飛ぶ。
「・・・・・・裏ァ!!」
ここは命をベットする前代未聞、究極の賭場だ。嫌が上にも声に気持ちが籠る。
答えを聞き届けたコインが回りだす。
やがて、それは回転を止め地面に寝転ぶ。
「ああああ!表ぇ!?・・・・・・ギャアア!!」
コインが指し示した答えは太陽の刻印。昇る光の女神。
夜の女神へと浮気したスモモを待つのは、天の雷。
プスプスと煙を上げ再び大地へと口付けを交わす。
賭け事とは必ずしも期待値通りに行かないものである。どこまで理論を構築して望もうと結局の所、頼れるのは己の天運のみ。
失敗に懲りぬ者は更に手痛い被害を被るのだ。
「くうう・・・・・・つ、次こそは・・・・・・」
しかしこの少女、懲りない。
(また、回復しないとな)
先ほどの行程の繰り返し。痛みに咽び泣く体が早急の治療を求めている。
「ど、ドレス・・・・・・」
しかし、スキルの発動を宣言しようとした彼女の口が突然止まった。
(・・・・・・いや、待て。二度のドレスアップと神聖回復を使ってしまうと、次のコイントスに使うMPが足りない・・・・・・。何となく分かる、何故だか分からないけどそんな気がするんだ。だ、駄目だ!ドレスアップは・・・・・・使えない)
痛みとは別に、独特な空虚感を感じていた。その正体をスモモは知っている。
彼女の体に満ちる魔力が最早残り少ない事に気が付いてしまったのだ。
(スキルで回復は出来ない。でも、この状態じゃあコイントスは発動不可能だ。アレに頼るしかねぇな・・・・・・イメージが崩れるとか考える余裕ねぇし・・・・・・)
ヘヴン・オア・ヘルを発動する為に回復スキルを使うことは出来ない。
噛み合わない歯車を噛み合わせる為の奥の手は彼女の腰に下げた小さな布袋にあった。
「っくぅ・・・・・・。ガルザス、少しだけ待ってて下さいね・・・・・・直ぐに何とかしますから」
「分かった。私は大丈・・・・・・夫、だ」
スモモの震える指先が布袋へと入っていく。取り出したのは一本の煙草と火魔棒。
”ドライアド”
これこそが最後の手段。
言うことを聞かない体を無理矢理仰向けに態勢を変え、ドライアドを口に咥え火を点けた。
「すぅ~・・・・・・けほっ。辛いモンですね、深く息を吸うことも上手く行かないです。でも、やっぱり落ち着きますぅ・・・・・・少しだけ、体が楽になりました」
焼け付く薬草の香りが鼻腔をくすぐる。口の中に少しずつ吸い込まれていく煙が混濁する意識の闇を取り払っていく。
ドライアドは武蔵野猛の良く知る煙草とは違う。薬草を原料とするそれは、ほんの少量ではあるが体力を回復させる効能がある。瞬間的な回復は望めないが、ゆっくりと体の痛みが和らいでいくのがスモモにも分かった。
※ 寝煙草及び喫煙所以外での喫煙を良い大人は絶対に、絶対に!行わないようにしましょう。
現実世界では処罰されるかもしれませんよ。
それと煙草は二十歳になってから。スモモとのお約束です!
「・・・・・・最後の、チャンスです。”天国か地獄か(ヘヴン・オア・ヘル)”・・・・・・!」
地面へと倒れようとする体を必死に起き上がらせると、残された魔力を振り絞りスキルを発動させる。
力を根こそぎ吸い取られる感覚。どうやらギリギリ発動することが出来たようだ。
目の前に現れた金のコインがスモモの答えを待つ。
「表、です・・・・・・」
聞き届けたコインが回りだす。外れてしまえば、二人揃って共倒れの危険を孕んでいる。
賽は振られた。もはや、祈るのみ。
土煙を上げコインの表面が大地に触れる。
刻まれた刻印――――それは。
「やった・・・・・・!」
太陽の刻印、即ち”表”。
くしゃくしゃの顔に泣きそうな笑顔が彩りを挿して行く。
「どうし、た。上手く行ったということなのか?」
「はい!これで・・・・・・」
「ムッ?炎が上がる・・・・・・!」
突然ガルザスの足元から沸々と湧き上がる純黒の爆炎。一瞬にして火勢を増し、轟音と共に全身を包み込んだ。
「お、おお!闇だ、仄暗き冥府の炎だ!燃える・・・・・・。力が満ち溢れる!ウ、オオオオオ!!」
炎の中から聴こえる男の威勢の良い言葉に、スモモは己の予想が正しかった事を確信した。
安堵の為か、緊張の糸が切れた体から力が抜けていく。
魔力が尽きたスモモの姿がひとりでに基本であるロード・クレリック
ガルザスの体が力が戻ったことを見届けると、意識を手放したように力無く前のめりに倒れた。
「あっ・・・・・・あれ?」
「礼を言う、スモモ。お陰ですっかり元気だ。だが、もうこんな自分の命を削るような真似は控えてもらいたいな。お前は私の主人なのだからな」
倒れるスモモの体がガルザスの手によって支えられ、丁寧に抱き上げられる。
ごつごつとした金属の腕が、頭と足の下から挿し込まれているようだ。
いわゆる”お姫様抱っこ”と言う奴だ。
今自分が置かれた状況にぼんやりと気が付いたスモモの顔に朱が差されて行く。
「えへへ・・・・・・ちょっと恥ずかしいですね」
「気にすることは無い。騎士として当然の作法だ」
「あの、ごめんなさい・・・・・・あと、ありがとうございます。・・・・・・少しだけ疲れちゃいました、ふぁ~あ・・・・・・ギルドまででいいですから、ほんのちょっとこのまま休ませ・・・・・・」
限界まで体力を行使したスモモの体は休息を欲し、弦の緩んだ心は睡魔に飲まれる。
小さな寝息を立て腕の中で眠る彼女を邪魔しないように、静かに彼はギルドへと歩き出した。
「フッ、何と軽い・・・・・・こうして見るとただの美しい少女だ。この細腕の何処に強大な力を秘めているやら、見当も付かないな」
彼の言葉がスモモの前髪を小さく揺らす。
静かな森の中で心地良さそうな寝息だけが場を支配するのだった。
「おい知ってるか?スモモ様がこの前連れてきた重騎士、ガルザスとか言ったか?アイツ・・・・・・実はアンデッドらしいぜ!大事件じゃね?」
「お前情報遅すぎ。ンな事このギルドの誰もが知ってるっつうの」
「え?そーなの?じゃあなんで騒ぎになってねえんだ?アンデッドは人間の天敵だろうがよ」
「ああそうか、お前あの時はギルドに居なかったもんな。そん時はやばかったぜ~、法術士の奴らがガルザスがアンデッドだって見抜いて叫んだモンで場が静まり返ったんだわ。だけど連れ添って帰ってきたスモモ様とトライブ”静かなる剣”のリーダーがガルザスは味方だってそれはもう力説するし、奴も俺達に襲い掛かって来る事は無かったからインさんの計らいでスモモ様直属の騎士として認められ事なきを得た訳だ」
やっと合点がいったようで、男はなるほどな等と楽しげに相槌を打つ。
冒険者ギルドは今日も集まる冒険者達で賑やかだ。
テーブルも大半が埋まり右を向けばクエストの作戦会議、左を向けば冒険者同士の情報交換といつもの風景が広がっている。
先日スモモと共に訪ねて来た異形の来訪者の話は人から人を伝わり、冒険者の大半は知っている今一番熱い話題の一つだ。
「アンデッドを改心させた人間なんて聞いた事無ぇわ。やっぱりスモモ様が居ると毎日退屈しねえよなあ」
「次から次へと伝説を打ち立てるんだ。”筋肉聖女”の名は伊達じゃないね」
「ああそれ!”静かなる剣”リーダーがスモモ様を例えた二つ名だろ?格好良いよなあ・・・・・・」
「欲しかったらお前もナグルファルを叩きのめしてみろよ?銀のお前じゃ、まあ無理だと思うがね」
「冗談!命がいくつあっても足りねえや!ハッハッハ!!」
彼等の笑い声が喧騒鳴り止まぬこの場に吸い込まれていく。こうして、今日も何事も無い一日が過ぎる――――筈だった。
扉が開く。進み出てくる黒い甲冑に身を包んだ男。
彼の全身から漂う紫色の瘴気が人間とは違う生物だと雄弁に物語る。
「おっ!おい!あいつ・・・・・・噂のガルザスじゃねえか。ど、どうしてスモモさんが抱き上げられているんだ!?」
先ほどまで同席の男と楽しげに話していた冒険者の表情は困惑の色に染まる。
今やラ・ヴィガルド随一と噂される冒険者スモモが何故、煤けた火傷跡の残る肌を晒して彼に身を預けているのか分からなかった。
他の客達も男と同じ様子のようだ。賑やかな場が一瞬のうちに静まり返っていた。
入ってきたガルザスは腕に抱くスモモへなにやら話し掛けているような素振りを見せる。
それに対するスモモの反応は皆無。それを返事と受け取ったのか彼は誰に声を掛けることも無く奥にあるカウンターへと向かい、クエスト完了の手続きを済ませ報酬を受け取ると驚愕する受付のソトを尻目に来た道を戻り始めた。
その道を誰一人止め得る者は居ないと思われた。
彼の発する魔の威圧感が、まるで足を凍りづけにしたかのように冒険者達の行動を押さえつけている。
「お、お待ち下さい!」
静寂の中を抜けるガルザスの元へと一人の男が躍り出る。
端正な顔に冷や汗を滲ませ、トレードマークの丸眼鏡がずれることも厭わず。
イン・テーリは彼の前に立ち塞がった。
「何の用だ?貴殿は確かインと言ったな、悪いが今はスモモを宿に運ばなければならないのでな。失礼する」
「宿に・・・・・・?それならばスモモ様は生きてらっしゃると言う事で間違いないな?死霊ガルザス」
「無論だ。しかし彼女は酷く衰弱している、傷ついた体で私を救おうとして無理してしまったようだ」
ガルザスの返答に少し落ち着きが戻ってきたのか、普段の鋭い顔つきに戻ったインは思考を巡らせる。
軽い寝息を立てるスモモを見て生存は確認できた。
目の前の男はスモモが連れてきた男だ。信用はしているが裏切りの可能性は否めない。
しかし、ならばこの場所を訪ねる意味は無い。そもそも彼女の騎士という名目でこの町に居ることを許されている以上、彼がスモモを手を掛けたならば町の全てが報復するだろう。この線は限り無く薄い。
全面的に彼の言動を信用して間違い無いだろう。自分が考えているよりもガルザスは忠義の士だったようだ。
「そうか、事情は飲み込めた。だが引っ掛かる、聖女たるスモモ様が”鉄”(アイアン)クラスの敵に傷を付けられるということ自体がおかしい。・・・・・・最後に戦った敵を教えてくれないか?」
「確か、赤毛の犬獣人だったか。無論、打ち倒したぞ。」
「コボルト・・・・・・?馬鹿な!?ナグルファルを素手で屠ったスモモ様が、そんなモンスターに?」
インの口調が荒くなっていく、当然である。彼の知り得る知識ではコボルトなぞゴブリンに毛の生えた程度の、言ってしまえば弱小モンスターである。
常識の崩落が頭の中で雪崩落ちる。
「悪いが、余り騒がないで貰おう。スモモの眠りの妨げになる」
「あ、ああ・・・・・・すまない。手間取らせて悪かった。もう大丈夫だ、スモモ様を宿へ運んでくれ」
ガルザスはそのままの姿勢で軽く礼をすると、スモモを抱きかかえギルドから消えた。
観衆の眼差しはギルドの中心に佇むイン・テーリに注がれる。
「偶然にも野に埋もれた獣人の英雄と遭遇したという事なのか?・・・・・・偶然で片付けるには余りにも稚拙。だが、偶然すらも考慮に入れなければ智者を名乗れない、か」
一人、誰にも聞こえぬ声で呟いた後に彼もギルド受付奥の関係者用書庫へと消えた。
残された聴衆達の、がなりたてるような喧騒が場を支配する。
情報無き今、彼等が行うことは憶測。そして、戻ってくるであろうインの言葉を待つことだけ。
憶測が憶測を呼ぶ。様々に脚色された情報が滅茶苦茶に錯綜した結果――――
名も無き伝説の魔獣、”英雄喰らいし紅狼”がナグルファルを超える最大級の魔物として歴史に名を連ねたのだ。
穏やかで優しげな光がスモモの目を刺激する。
不思議と長い夢を見ていたような幻想の中に意識はまどろみ、しかし体は光に反応し彼女の脳を活性化させていく。
夢の中で最後に見た物はごつごつとした鋼鉄の腕だ、余り記憶には残っては居ないが。
「んっ・・・・・・ふあああ~、朝か。起きないと」
丁寧に掛けられた羽毛布団を捲り体を起こす。
見渡せばいつもの宿屋の一室。
(あれ・・・・・・?今日はやけに体が重たいなぁ。昨日は何かあったっけ?)
体を動かした瞬間に感じた違和感。気だるいというよりも全身の筋肉が先ほどまで完全に停止していたのをいきなり動作させた為に、油の差されていない機械の様に動きが硬いのだ。
しかも、寝る際にはいつも脱ぎ散らかしている筈の衣装をしっかりと纏っている。
「・・・・・・あっ!」
纏まりの無かった頭の中で先日の記憶が構築されていく。
同時にスモモの意識もはっきりとしていくのが感じ取れる。
「ま、マジか、あのクエストの後にガルザスが運んでくれたって事かよ。あっちゃあ・・・・・・やっちまったなぁ。お礼言っておかないと」
ガルザスがベッドに寝かせてくれたお陰で痛みは体から消えている。少々全身が強張っている為に、今日ばかりはクエストを行う気にはならないが。
コンコン、と部屋の扉を叩く音がスモモの耳に入る。
「スモモ、起きているか?」
声の主はガルザスのようだ。恐らく様子を見に来たのだろう。
「は、はい!起きてますよ~。今開けますね」
丁度こちらから彼の滞在する部屋に向かおうと思った矢先だ。ドアを開けガルザスを迎え入れる。
「お!良かった。元気になったようだな」
「おかげさまですっかり良くなりましたよ!ベッドまで運んでくれてありがとです!ホント、何から何まで・・・・・・」
「いいんだ。丸二日も寝ていたからな。すっきりしただろう?」
「そんなに寝ていたんですか!?ビックリです!」
あのクエストから今まで死んだように眠り続けていたようだ。限界まで弱りきっていると体が休みを欲するものだがまさかそんなに寝ているとはスモモは考えていなかった。
「さて、スモモ。今日はどうする。クエストは止めておくか?」
ガルザスは主人の指示を待つ。
返答を待ち続ける、臣下なのだから。
「えっと、そうですね・・・・・・」
少しの間、スモモは考える。そう言えばこのラ・ヴィガルドに来てから既に二週間ほど経つが未だにこの街を良く知らない。宿とギルドと銭湯を往復する生活に慣れてしまっていたような気がする。
「じゃあ今日は、お仕事はお休みです!」
「うむ。それならば私は部屋に戻るとしよう。用があれば呼んでくれ」
「ガルザス。少し付き合ってもらえませんか?」
「ん、どうした?」
不思議そうにこちらを見つめるガルザスへと、スモモは笑顔で言い放つ。
「一緒に街を探検しましょう!」
たまには観光というのも悪くは無いだろう。
未だ深くを知らぬこの街で未知を探す。
さあ、小さな冒険の始まりだ。
冒険者ギルドの三階には、一般の冒険者は入ることを許されない部屋が存在する。
そもそも二階から先へはギルドの受付より進まなければ行けない為、その存在を知らない者も多い。
木造の長い廊下を抜け、その部屋へと向かう男が一人。
綺麗な銀髪を短く纏め、端正な容姿は人々の視線を集めて止まない。
外套に身を包んだその男の名はイン・テーリ。
名実共にラ・ヴィガルド最高の知能である。
「些か、早く着いてしまった様だな。偶には待つのも悪くは無いか」
彼は目の前に佇む大きな両開きの扉に手を掛け押し込む。
今日はこの部屋で定期的に行われる、市長含めた街の要人達との会合である。
「おや?皆さんお揃いでしたか。おかしいですね、まだ時間には早いと思っていましたが・・・・・・」
開け放った扉の先の部屋には磨き上げられた木の長机が一つ。それとラ・ヴィガルドであることを示す紋章の入った赤い旗が掛けられている。
机の周りを囲む椅子は一つを除いて全て埋まっており、イン以外の人間は全て揃っているようだ。
扉から最も離れた席に座る男は、彼が着席したところを見ると早速話を切り出した。
「テーリも来たか、ちょっとばかり早いが始めよう。さて、今回は王都からの使者も来ている事だ。自己紹介しておこう。僕はこの街の市長”マックス・カ・フィ”だ。よろしく頼む」
存外に甘ったるい高い声を放つ髭を蓄えた初老のこの男がこの街の統治を任せられているマックスである。
恰幅の良い体を無理矢理礼服に押し込め些か窮屈そうだ。しきりに額の汗を拭っている様が見て取れる。
彼の挨拶が終わると入れ替わるように王都バラガルドよりの使者が立ち上がった。軽鎧を纏った若い女性の騎士ということで、いつも男しか居なかったこの場では珍しい光景である。
「お初にお目にかかります、王立騎士団諜報部より緊急の連絡があって参りました」
「僕は先ほど内容を聞いたが、もう一度皆に分かるように伝えてくれないか?」
市長の催促が飛ぶ。何やら緊迫した表情で、イン達にも緊張感が張り詰めていく。
「畏まりました。今から5日前の夜、王都内の有力貴族マニーロ宅が何者かに襲撃され暗殺されました。邸宅勤務のメイドからの通報に拠れば、犯行を行ったのは黒い外套に身を包んだ謎の集団であること。凶器は断面から推測するに、戦闘用のナイフだと思われます。そして主人を除く非戦闘員に危害を加えなかった事が明らかになっています」
「信じられない・・・・・・!」
目に見えて場の空気が重くなっていることがインにも感じ取れた。
周りの者達も同じ感想のようだ。
貴族への襲撃とは、国家へ弓を引く行為と同意。その上、警備体制の整った王都内を誰にも気付かれること無くマニーロ宅に攻め入る事は、不可能と言っても差し支えない。
「・・・・・・敵の目的は何ですか?マニーロと言えば金に汚い事で有名な成り上がりの貴族だ。噂では王都に蔓延る裏社会との繋がりも有ると言われている。となれば、やはり金銭目的の強盗ですか?それとも何者かの怨恨によるものですか?」
インは頭の中にあった疑問を素直に彼女に告げる。目的が分かれば犯人の究明にも繋がる筈である。
「一切不明です。金銭が奪い取られた形跡は有りません。マニーロ本人を教会で蘇生して話を聞こうともしましたが、余りにも死体の損壊が激しく復活は不可能でした」
「つまり、捜査は難航と言う事ですか・・・・・・」
バラガルドを襲った謎の集団の存在。目的はどうであれ、再びやって来る可能性がある。
国民の安全を守る為、国家としての威信を守る為、賊の台頭を許す訳には行かない。
「もう一つ。これは結果論という事ですが、彼の死により高い税金を搾取されていた労働者達から歓喜の声が挙がっています。邸宅に飼われていた奴隷の少女達も解放され、我々の保護下にあります」
「ふむ・・・・・・奴隷制度はこの国では禁止されている。そこまで堕ちた外道だとはね。ここは怨みによる報復の可能性が高いと思うが、どう思う?テーリ」
マックスはこの街の知能たるインに矛先を向ける。市長本人の知能は常人の範囲を超えない。
人望と敵を作らない世渡りの上手さこそが彼の市長としての能力である。適材適所、頭を使うならばイン・テーリの右に出る者は居ないのだ。
「・・・・・・仮に怨恨の念がこの事件の引き金となったならばその集団は労働者、若しくは彼等に雇われた暗殺者と言うことになるでしょうか。私はその線は薄いと考えます」
「何故そう言える?根拠を教えてくれ」
「マニーロは膨大な財力を使って金冒険者以上の者達を用心棒として多数雇っていました。普通の労働者の蜂起では間違い無く苦も無く鎮圧されるでしょう。次に暗殺者を雇った可能性についてですが、その防衛力を突破できる強者となるとバラガルド内では例の裏組織の人間に頼む必要があるでしょうがマニーロは連中と癒着していた。従って、殺された理由としては弱い。私の意見ですが、外部の者達が何故か彼だけを狙って襲撃したと考えます。しかも連中の実力は金冒険者を超え、徒党を組んでいる。常識では考えにくいですかね?考えても見てください。街の兵士に気付かれること無く忍び込み、情報を隠匿する為にも殺しておくべきメイドたちを態々解放した。彼等はバラガルド自体を試しているような気がします」
インが語った内容は余りにも飛躍した考えのように皆に聞こえた。
だが、笑って切り捨てることが出来る話ではない。
存在を隠し忍び込んだ者達が、わざわざメイド達を殺さずに逃がした。稚拙なミスである、本来ならば。
暗殺者ならば非戦闘員を殺すなど朝飯前だろう。しかし、それを行わない。
「た、確かに聞けば聞くほど不可解な話だ。彼等はマニーロと守る兵士だけに的を絞り、メイドは助けた。事件後、結果として苦しむ人々は救われた。まるで正義の味方のようじゃないか・・・・・・」
マックスの額を流れる汗が滝のようだ。彼の呟いた言葉には困惑がありありと聞き取れる。
「正義の味方・・・・・・ふむ。あながち的を射ているかもしれませんよ市長」
「え!?そうなのか、イン」
「少なくとも彼等はそう思っているのかもしれません。影より弱き民を救う英雄を気取り、人々を苦しめる悪党マニーロを倒した。あくまで可能性ですがね。平凡ではありますが、とにかく連中がどのような理由であれまた犯行を繰り返す可能性がありますからバラガルドとラ・ヴィガルド双方の警備を強化しなければなりません」
「ああ・・・・・・そうだな。使者殿、結局犯人の正体は掴めず仕舞いで申し訳ない。彼等の同行が分かったら逐一教えて欲しい」
この会合ではイン・テーリを以ってしても敵の姿を掴む事は出来なかった。
彼は天才では有るが予知能力が有るわけではない。
頭の中の怪物を胎動させるには今一つ餌が足りないのだ。
それは決定的に不足している情報。
(この私に宣戦布告とは良い度胸をしている。英雄気取りだかなんだか知らないが、ラ・ヴィガルドに来るならば気を付けておく事だ。一つでも足跡を残してみろ、必ず貴様達の元へこのイン・テーリの頭脳を届かせてやる!)
敗北の悔しさにインの心がざわざわと沸き立つ。
叫びたい気持ちを噛み殺す様に喉の奥底へ飲み込み、窓から外に目を向ける。
彼は思いを馳せる、未だ見えざる敵の存在へと。この街を脅かす脅威への敵意を剥き出し、嬉しそうに口元を歪めた。
「わぁ!ガルザス。見て下さい!武器屋ですよ!すご~い!本当に剣が飾ってあります!」
「うむ、そうだな。武器屋だな」
「あ!こっちには防具屋!あっちには鍛冶屋さんです~!」
「うむ、そうだな。防具屋と鍛冶屋があるな」
人目も憚らず、スモモは興奮を露にする。
ラ・ヴィガルド西の大通りを少し外れてみればそこは冒険者達の聖地、武具の専門店の集まる路地が広がっていたのだ。
少し前まで日本で生活をしていた彼女の目には見えるものが全て新鮮で輝いて見えた。武器屋の店先に陳列されている何の変哲も無い鉄製の剣だろうと、防具屋のウインドウに飾られた兵士支給品の甲冑であろうとスモモから見れば宝の山へと変わる。
大通りに集まる人間は主に町民や労働者達である。様々な業種の人間が集い毎日賑わうそことは違い、この場所は戦いに身を置く者達が集まる。賑わっている事は同じでも場に流れる空気が少々重苦しいのだ。
そのピリピリと張り詰めた空気を感じるたび、ガルザスは戦士としての居心地の良さを静かに感じていた。
「・・・・・・不思議な気分だ」
「あれ?もしかしてガルザスは楽しくなかったですか?」
「いや、そんなことは無い。久方ぶりに街という物を歩いたからな、この空気は何度感じても心地良い。それにな、お前が武器屋のようなありきたりな店を見るだけで大騒ぎしているのを見ていると、何だか私まで楽しい気分になる」
やっと己の行動に気付いたスモモは武器屋のウインドウに張り付くのを止め、恥ずかしげに頬を高潮させている。
「あ、あはは・・・・・・そんなに興奮してるように見えましたか?」
「勿論だ。ほら、周りの者達から注目の的になっているぞ」
今や冒険者の間で有名人となっているスモモはその場に居るだけで人の眼を集める。
それが元気一杯にはしゃいでいるのだ。否応無しに人々の視線を独り占めにしてしまうのも致し方ない。
「あわわ・・・・・・え~っと、皆さんお騒がせしました!それではッ!」
恥ずかしさで耳まで真っ赤にし、脇目も振らずにスモモは路地を突っ走っていく。
後ろから小走りで追いかけるガルザスを見送った通行人達には、その様子が彼女の保護者のように見えたとか。
路地を抜け、宛ても無く走り続けたスモモ。ようやく彼等の視線を感じなくなってきた頃、額に汗した彼女は何時の間にか古い木造の建物の前に立っていた。
(何だか遠くまで来てしまったなぁ・・・・・・慌ててガルザス連れてくるの忘れてたし、やっべぇ・・・・・・探さねぇと)
スモモはこれまでに走った石畳の道を振り返ると、遠くから小粒ほどにしか見えないが甲冑の騎士がこちらへと向かってくるのが確認できた。
「あっ!ガルザス!?」
その姿が、あの路地に置いて来てしまった男だと気付くのに時間はかからなかった。
「ご、ごめんなさ~い!」
何とも滑稽な絵面になってしまったのだが彼の元へと駆け寄ると同時に、盛大に膝から滑り込み土下座を極めたのだ。日本の心、社会人たる武蔵野猛が知る最大級の謝罪の姿勢である。
「な、何とォ!?」
無論、当のガルザスは慌てふためき、主君であるスモモに恥をかかせまいと咄嗟に鎧に包まれた大きな体を無理矢理畳み込み地面に頭を擦りつけながら跪くのだった。騎士の魂、己の主に対する究極の忠義の形。
とかく傍から見れば壮絶な光景であった。
美しき少女が道端に手を着いて必死に頭を下げ続け、対峙する巨大な騎士も彼女に負けじと頭を地面に擦り続ける。
明るい昼下がりに執り行われた未曾有の珍事はスモモが頭を上げるまで終わる事無く、立ち上がった後に改めて謝罪することでようやく終焉と相成ったのだ。
(だ、誰かに見られなくて良かったぁ・・・・・・!)
周りに誰も居ないことを確認し、誰一人にも見られる事無かった事実に胸を撫で下ろすスモモであった。
仮に見られたとしても、彼女の評価が無尽蔵に上がってしまうという事実には気付く事は無いのだが。
合流した二人の冒険が再び始まった。
最初の目的地は彼女らの目と鼻の先、木々に囲まれた石畳の中に一軒だけぽつんと鎮座する建物だ。
入り口の右手には小さな看板が立っている。何やら文字が書かれているようで、民家と言うわけでは無いと思われる。
「これ何て書いてあるんでしょう?ガルザス、分かりませんか?」
スモモは隣で付き添うガルザスに問いかける。
首を横に振るガルザス。どうやら彼にも読めないそうだ。
「すまん・・・・・・。この国の言葉は私の知るロゼの言葉とは違うのだ」
「いえいえ!謝んないで下さい。こんなこともあろうかと、私!買っちゃいました!」
悪戯っぽい顔で、おもむろに彼女は腰に括り付けてある布袋へと手を伸ばす。
スモモに掴まれ袋から飛び出したそれは眼鏡のようだ。
黒色で縁取られた丸いレンズの何の変哲も無い眼鏡に見えると、ガルザスは小首を傾げる。
「それは、眼鏡か?スモモは目が悪かったのか?」
「そんなことは無いですよ。これはですね・・・・・・”解読鏡”で~す!この眼鏡を掛けちゃえば、な、な、何と!文字が読めちゃいます!」
鼻高らかに効能を説明すると、感心しているガルザスを横目に解読鏡を掛けた。
眼鏡を掛けたスモモには目の前の看板の文字がまるで日本語のように見えている。この魔導アイテムはギルドで彼女が使った物と同じ種類の道具である。少々値が張った為、ナグルファルを討伐したクエストで得た多額の報酬が半分以上消し飛んでしまった。
「ふむふむ・・・・・・なるほどですねぇ。ここはどうやら喫茶店みたいです。これに書いてあるのはお品書きですね。せっかくですから、お茶して行きませんか?」
看板には、”黒豆茶”10銅貨やミノタウロスステーキ5銀貨等のメニューがずらりと並んでいる。
金額の安い物は2銅貨から、高い物は今のスモモでは払えない50銀貨まで多種多様だ。
「そうだな。スモモも疲れただろう、休憩していくか」
「はい!」
スモモの喉が多少の水分を欲している事を見抜いていたのか、ガルザスも乗り気だ。
二人は入り口の戸を開け、寂れた家へと入っていった。
扉に括り付けられた鈴の音が優しく鳴り響く。客の到来を告げる合図なのだろう。
内部は至って簡素な内装である。
特に飾り立ててはいない素朴な木造の家屋を大きく開放し、入ってすぐの場所にはカウンターがあり広間には幾つかの椅子とテーブルが規則正しく並んでいる。外から入る光と木の素朴な香りが目と鼻に優しいものだ。
中へと進んだスモモが周囲を見渡すが、人の姿も声すら見えない、聞こえて来ない。
「あれ?今日はお休みでしょうか?」
不気味なほど静かな店内、カウンターにすら店主の姿は無い。鍵を閉め忘れたのだろうか。無用心だとスモモは心の中で愚痴を吐く。
諦めて二人が帰ろうと扉を開こうとしたときだった。
「い、いらっしゃいませぇ!!」
店の奥から若い女性の声が反響する。慌ててカウンターへと走ってきた彼女は、長い紫色の髪を振り乱しエプロンを纏ったままと、どう贔屓目に見ても店主の様には見えない。
彼女の発する迫力に気圧され、スモモの表情が強張ってしまう。
「あ、あの・・・・・・」
「お二人様で、ですね!?お席にご案内します!」
女性の促すままに無人の席へと二人は座る。
案内する彼女の表情は実に嬉しそうで、客の到来を心の底から喜んでいるようである。
(何だか凄い店だなぁ。いつもこの感じなのか?)
困惑しながらもスモモはテーブルに備え付けられたお品書きの文字列に目を通す。解読鏡とは見える文字をスモモの知識に合わせて調整しているらしく、書いてある”黒豆茶”は頭の中でコーヒーと変換されている。
「それじゃあ、このくろまめ・・・・・・?茶でお願いします。ガルザスはどうしますか?」
「私も同じもので頼む」
「畏まりました!少々、お待ち下さい!」
笑顔で注文を聞き届けた女性は駆け抜けるように厨房の奥へと消えていった。
しばらくすると、店の中を漂う芳しい香りがスモモの鼻を刺激し始める。
「お待たせいたしました!黒豆茶です」
お盆に載せられた二つのティーカップから立ち上る湯気。スモモも知る香りに良く似たものだ。
二人の座る席に丁寧に置かれたそれになみなみと注がれた黒い液体。
「わぁ・・・・・・いい匂いです!」
花の香りに誘われる蝶の如く、自然とスモモの口がカップの縁へと吸い込まれていく。少々熱かったのだろうか、息を吹いて液体を冷まし口の中に注ぎ込んだ。
喉元に温かみのある香りが充満していく。やや強めの苦味がスモモの口の中の疲労感を洗い流し、後を引くように仄かな豆の甘みが舌を柔らかく刺激する。
味は彼女も良く知るコーヒーと殆ど同じだが、缶で飲むものとは味の深みが違うのだ。
疲れが消えていくような充足感に包み込まれていく。
「おいしぃ・・・・・・です。凄い!ホントに、美味しいです!」
この感動を提供してくれた女性にありのままの感謝を伝える。
この時ばかりはスモモは己の語彙力の無さを後悔した。言葉では伝えきれない不甲斐なさを噛み締める。
「ほ、本当ですか!?ありがとうございます!」
スモモの言葉を聞いた彼女の笑顔は更に満開のものとなった。若々しく美しい顔だ。年の頃は20程だろうか、若いのに高い技術を持っていると武蔵野武の心は脱帽する。
「ほう、そこまで美味いのか。私も頂こうか」
素晴らしく緩んだ顔のスモモを見届けると、ガルザスもカップに手を伸ばす。
ここで、スモモの頭の中に小さな疑問が生まれた。
(あれ?忘れてたけどガルザスってアンデッドだよな。食べたり飲んだり出来るの?そもそも兜には口の部分が無いぞ・・・・・・)
考えてみれば彼が何かを口にする瞬間をスモモは見たことが無いのだ。
「あ、あの・・・・・・ちょっとした質問なんですけど、ガルザスはその体でどうやって食事を摂るのですか?」
「ん、ああ。まあ見ても面白くは無いと思うぞ」
ガルザスはそう言うと、おもむろに鉄兜の目に当たるバイザー部分を上にずらす。当然だが死霊である為そこに生まれた空洞の奥には何も見えない。
何をするのか見当がつかないスモモと店員を余所に、手に持ったカップの縁を目穴の部分へと傾けたのだ。
流れ込む液体の軌跡が兜の中に吸い込まれて行く。空洞であるはずの体に音も無く消えていく、静かな狂気の渦ににスモモだけが取り残されてしまったのかと錯覚してしまうほどだ。店員の女は彼がアンデッドであることには気付いていない。仮に気付いていたならば今頃は騒ぎになっている筈だろう。
故に、この不可思議を感じる者はスモモしかいない。目を丸くして成り行きを見ているしかなかったのも仕方の無いことだ。
「すっごい・・・・・・」
「ふむ、久方ぶりにこの飲み物を飲んだが・・・・・・美味い!良き豆と技術が調和し、それぞれが味を、深みを高め合っている。お主が淹れたのか?」
一息にカップを空にしたガルザスは上機嫌で佇む女性に感想を述べた。
(この世界のアンデッドって味覚有るのか・・・・・・)
意外な情報を偶然知ることとなったスモモ。自我を持つアンデッドは最早人間と大差無いと思わざるを得ない。
「はい、未熟者ですが私が淹れさせていただきました。お口に合って本当に良かったです!」
「そう謙遜するな。しかし不思議だな、何故こんなに美味い物を出す店に客が我々しかいないのだ?」
「それ私も気になってました。何かあったんです?それともまさか開店前だった、とかですか?」
ラ・ヴィガルドの住民達が店を選ぶ基準は皆目検討がつかないのだが、少なくとも不味い飲み物を出す店では無い。むしろ素晴らしいとさえ彼女は感じたのだが、ならば何故ここまで人の影が無いのか。
店員の女性も若く元気もある。街の住人が全て武蔵野猛ならば連日満員の大盛況となっても可笑しくないほどである。
彼女の疑問に答えるように店員の目に涙が溜まっていくのが見え、突然の変化に質問したスモモが面食らってしまう。
「よくぞ・・・・・・良くぞ聞いてくれました!私はバラガルドで料理を学び、最近この街に来て念願だった自分の店を構えることが出来たのです!」
「そ、そうなんですね・・・・・・。このお茶も凄く美味しかったですし、素敵だと思います」
「ああッ・・・・・・!!貴方の様に美しい女性に褒められるなんて!やはりラ・ヴィガルドに来て良かった!」
まるで芝居の一幕のようだとスモモは感じていた。身振り手振りが非常に多い為か、女性の声が異様に興奮している為かは判然とはしない。
(やべぇ・・・・・・。もしかして絡んじゃ駄目なタイプか・・・・・・!)
唯一つ、スモモの額に流れる一筋の冷や汗が今の感情を表すのみだ。
「・・・・・・しかし!故知らぬ土地、この場所で店舗を構えて早、半年近く。毎日が閑古鳥!滅多に人が訪れないのです!今月来てくださったお客様は貴方様方だけ・・・・・・商売にすらなっていないのです」
「そうですか・・・・・・何だか大変なんですね」
「心配してくださるとは・・・・・・何とお優しいお方なのでしょう!これも何かの縁・・・・・・あ、あのっ!迷惑を承知でお願いします!このお店を、助けてください!」
「・・・・・・へッ?」
スモモ達の座るテーブルを神棚のように見上げ、店員は懇願する。
「え!?いやっ、あの・・・・・・助けるって何をすれば・・・・・・?」
「お願いします!貴方様ほどの優れた容姿をお持ちでしたら、給仕を手伝っていただけるだけで人が集まるはずなんです!!」
「貴様、控えるのだ!休暇中の我が主を掴まえてメイドの真似事をさせるだと!?無礼も大概にしろ!」
泣きながらスモモに頼み込む店主と、困り顔でそれを聞くスモモ。
そして主に対する狼藉を感じ取ったガルザスの鎧が瘴気を濃く顕現させていく。
「お、お願いしますぅ!このまま人が来なかったらこのお店は潰れてしまうんですぅ!」
「貴様!いい大人が少女に情けない懇願をするな!」
ガルザスの怒鳴り声にも怯む事無く、肝の据わった店主の哀願の声がスモモの心を揺るがす。
(なんなんだよこの女ァ、てめぇの見立ての甘さのツケだろうがよ・・・・・・チッ、くっそぉ!捨てられた猫みたいな面しやがって・・・・・・分かったよ!)
「・・・・・・私でお役に立てるのなら、お手伝いします」
強く頼まれると断れない男、武蔵野猛。
正月に大吉を引く回数よりも貧乏くじを引く回数が多いのはこの性格故か。
「あ、ありがとうございます!それでは・・・・・・この制服に着替えてくれますか?」
スモモの返事を聞くと、満面の笑みでカウンターの奥から綺麗に畳まれた衣服を彼女に手渡した。
従業員の制服という事だが、それはどこから見てもメイドが着るフリルの付いたエプロンにヘッドドレスである。給仕と言えばこの服を着ることが当たり前だそうだ。
スモモ自身、このような服は見たことはあれど着た事は無い。
しかし腕の中に託されたこのメイド服、可愛らしいのである。
(コイツは中々・・・・・・カワイイじゃねえか。スモモに着せてみたいぞコレは!これを着れるって言うんなら早く言えっての)
スモモは心の高揚を隠せそうにも無く、今にも飛び上がりそうに震えている。
「スモモ、美徳が過ぎる。そのように震えてまで、それもこれも心優しいが故・・・・・・か。おい店主!」
「は!はいぃ!」
どす黒くくぐもったガルザスの呼び声に萎縮の色を隠せない店主、どうやら気の抜けたところにこの声は深々と突き刺さった様で震える声が止まらない。
「スモモだけに辛い思いはさせん!騎士の誇りに掛けて、絶対に守り抜く。・・・・・・私にも一着メイド服を寄越せ!」
「・・・・・・エッ!?」
握り締めた拳に覚悟を乗せ、男は己の道を往く。
それがたとえ、恥に塗れた恥辱の道だとしても――――