姫!騎士様との邂逅!? ループ5
我が忠誠を誓いし国は遠の昔に無く
我が魂を捧げし主も遠の昔に無い
我が居場所は既に無し
空となった心、空虚なるこの身
時の流れに消え行くのが業を背負いし我の必定の宿命なのだろう
あれから何十、何百の月日が経ったのだろうか。
気付けば数えることも億劫になり、過ぎ行く日々をただ無為に眺め続けた。
この場所だけが時の流れから抜け落ちたかの様に何一つ変わることは無い。
いつしか自分の名前すらも満足に思い出せなくなっていた。
いつしか全てを忘却し、この場所で朽ち果てるのだろう。
誰にも看取られる事無く――――
「あ、あの・・・・・・お体、大丈夫ですか?」
最後に聞いたのはいつだっただろうか
人の声を聞いた気がした。
「ん・・・・・・?」
スモモの顔を窓から差し込む太陽の光が包み込む。
気だるげに光から顔を背け、再び眠りに落ちようとしていた。
「あ、朝・・・・・・?あ、ああああああああ!!遅刻!遅刻する!」
布団を蹴飛ばしベッドから勢い良く飛び起きたスモモ。
彼女の脳裏に浮かぶのは、あの係長の怒鳴り顔。心臓に頗る悪い顔である。
「早く支度しねぇと!やべえよ、減給されてしまう!」
これまでに無いほど急いだ様子で床に脱ぎ散らされた衣装を再び羽織っていく。
この世界に彼が勤めていた企業など存在しない事を気付きもしないようだ。
スモモは慌てた様子でテーブルに置かれたドライアドの一本を取り出し、火を点けた。
朝起きたらとりあえず一本吸うのは武蔵野猛の日課である。
「ふ~起き抜けの一本はたまらねえぜ・・・・・・って!煙草吸ってる場合じゃねえ!」
ドライアドを灰皿に潰し、身支度を素早く整えたスモモは外に出るためのドアに
手を掛けた瞬間、慌しかった動きが止まった。
(あれ?ここはロードガイア・・・・・・ここはラ・ヴィガルド。俺は・・・・・・スモモ。この世界に、会社は無い)
答えにようやく辿り着いたスモモ。大きく溜息を吐き出し扉の前にへたり込んだ。
「忘れてた・・・・・・ここは俺の世界じゃない。会社は無いんだ!やったぜ!」
再びテーブルに戻ると、先ほど潰した殆ど吸っていないドライアドに手を伸ばし火を点けなおす。
「もうこっちに来て1週間も経ったのに癖は直らねえもんだなぁ」
スモモがロードガイアに転移してから既に1週間の月日が流れた。
その間に行っていたのは日銭を稼ぐための簡単なギルドの依頼と、日本に関する情報集め。
結局、情報集めは無駄に終わることとなった。
この街の冒険者達に聞いてみても、誰一人として知っている者は居なかった。
イン・テーリならば何か知っているかもしれないと聞いてはみたが、有益な情報は得ることが出来なかったのだ。
(まあ王都のバラガルドに行けば何か分かるかもしれない。前向きに行こうや、猛)
努めて気分を明るく保つ。出来る限りポジティブな考えを貫けるのが武蔵野猛の美徳である。
「今日もギルドに行くか。割の良い依頼があるかも知れない」
十分な睡眠により、体には力が満ちている。
この一週間の生活で、食事や睡眠を摂ることでスモモのHPやMPは回復するという事を覚えた。
(これなら今日も魔法も使えそうだ。よっし!)
「行ってきま~す!」
吸い終わった煙草を灰皿に押し付けると、漢のネクタイを首に締め気分を新たに部屋を後にした。
朝のギルドというものは、昼と比べると冒険者達の喧騒も何処へやら、静かなものである。冒険者達はテーブルで談話していたり、はたまた依頼の作戦会議を行っているようだ。
「うぃ~す、おおシケたツラばかり居んじゃねえの」
ギルドの入り口を開け、開口一番に憎まれ口を叩く男が一人。
細長く、余り冒険者とは言いがたい体躯をしている。辛うじて服装は冒険者らしい物であるため、彼も冒険者であるのだろう。片耳にピアスのような装飾を付け、柔和な表情ではあるがなんとも胡散臭い印象を受ける顔立ちの優男である。
彼は慣れた足取りで男達4人が談話しているテーブルに向かった。
「よ!おはよう~」
気の抜けるような声色で彼が挨拶をすると、それに気付いた男達は顔をそちらへと向ける。
「お!”クズ”じゃねえかぁ!まぁ座れ!」
「へへ・・・・・・あんがと。後、俺はクズじゃないから。クリフ・シーズって言う歴とした名前があるんスからね~」
「ヘイ、クズ!俺からの借金いつ返すんだよ~30金貨だぜ30金貨!」
「ああ、アレ?・・・・・・その内返すよ。依頼の報酬で返すから!ね!」
「ったく、しょうがねぇな~。って言ってもよ、お前クラスすらない只の冒険者じゃねえかよ」
「いつか俺の類まれなる才能を見出してくれる師に会えるから、大丈夫だって!」
「やっぱりおめえ清清しい程にクズだぜ!」
「ハッハッハッハ!!」
繰り返される荒くれ達の笑い声。これがクリフの日常だった。
人生は楽しくなきゃ人生じゃない
それが彼の信条。
辛い局面になれば逃げれば良い。責められようが、全て持ち前の人当たりの良さで上手く乗り切ってきた。
彼は命に対する嗅覚だけは凄まじい男である。クエストに向かっても失敗すると判断したら一番最初に逃げた。いや、戦う前から隠れてやり過ごしてきた。
そんな彼についたあだ名はクズ。
趣味は女遊びと博打。真性の怠け者である。
「皆、俺をクズクズ言うけどさ~、あのお方に会って変わる決心したんだぜ!もうクズとは呼ばせねえ」
クリフは声高らかに宣言する。
「ま~た始まったよ。あのクエスト以来毎日言ってやがる」
「うっせぇなあ、俺だってやるときゃやるんだ。あの美しい瞳が俺を変えてくれた。スモ・・・・・・」
何かを言おうとしたクリフは、突然押し留まる。
原因はギルドの扉を開け入ってきた人物を見てしまったから。
あの日から、彼が誰よりも尊敬する人物となった少女。
「おはようございまーす!」
スモモであった。
「お、おはようございます!スモモ様!」
スモモがこの世界に来てから一週間。ギルドを訪ねるのも慣れたものである。
初日で起きた騒動以来、彼女の顔もギルドのみならず街でも売れてきている。
ギルドに入るたび、挨拶を返してくれる冒険者達も増えてきていた。
(確か、彼は・・・・・・ああゴブリン討伐クエストで一緒だった・・・・・・クリフさんだ!)
わざわざ自身の席を離れ、スモモの元まで挨拶に来ていたのはクリフという男だった。
ギルドで会うたび、犬のようにこちらに近づいてくるのが印象的な青年だ。
(ちょっと五月蝿いヤツだけど憎めないタイプだな。現実にも良く似た後輩居たな~。割と人間失格な性格だったけど、俺には良く懐いてたな)
彼を見ていると不思議とスモモに懐かしい感覚が蘇る。
武蔵野猛の後輩は、俗に言う真面目形クズと呼ばれる人種だった。
人当たりは良かったが余りにも仕事振りが適当だった為、友人と呼べるものは少なかった。特に先輩や上司と言った人々とは折り合いが悪い男だったのだが、しかし猛には何故か良く懐いていた。
(アイツと同じ匂いがするんだよな)
憎めない男だな、とスモモは感じていた。クリフとつるんでいる男達も同じ事を思っているのかも知れない。
不思議な魅力のある、そんな男だった。
「スモモ様!これからクエストですか?」
「そうですね~、またモンスターの討伐クエストをしようかな」
「流石スモモ様ですね~!街の皆さんの安全の為にモンスターを狩る訳ですね!」
「そんな大層なものじゃないですよ~」
クリフと一通り会話を終えると、広間の奥にある受付へと向かう。
日銭を稼ぐためにはとにかくクエストを行わなければならない。
(この一週間でもう5件か・・・・・・)
彼女はこれまでに行ったクエストを思い出していた。
ゴブリン討伐に始まり、他にも底辺冒険者御用達の薬草採取クエスト。
簡単なクエストを中心に行っていた。
(死にたくないしなぁ・・・・・・。一応死んでも他の冒険者に教会に運んでもらえば有料で復活させて貰えるらしいけど、死なないに越したことないもんな)
五件の依頼を完遂させて得られた報酬の総額はおよそ100銀貨。これでやっと1金貨と同等という話のようだ。
「この街で一ヶ月生活するなら最低3金貨は必要かぁ~・・・・・・。厳しいなぁ」
独り言をこぼし、スモモは生活することの大変さを実感していた。冒険者の話に依れば基本的な生活の水準を保つにはその程度必要な様である。
最低ランクである鉄の受けられるクエストでは報酬が少ないのもあり、遊んで暮らすには程遠い。
(やっぱりランク上げないと駄目か・・・・・・討伐クエストを中心に・・・・・・でも死にたくないなぁ)
「スモモ様、どうされましたか?」
「・・・・・・ん?キャ・・・・・・!」
自身の思考の内に入り込み、考え込んでいたスモモはいつの間にか受付に辿り着いていた事も気付かず、受付の仕切にぶつかり転倒してしまった。
「いってて・・・・・・」
「大丈夫ですか?」
受付の奥から身を乗り出して心配するように覗き込んできた受付の女性。
初めてギルドに入った時もこの女性が応対だった。名をソトと言う。
(いってえ・・・・・・ん?う、うお!?)
ソトは気づいていない。スモモが何を見ているのかを。
ソトは気づいていない。自分の剥き出しになった豊満な胸をスモモに思いっきり注視されていることを。
(ソトちゃん・・・・・・無自覚か!?天然なのか!?そんな爆乳をこんなオッサンに見せてもいいのか!?・・・・・・あっ、俺スモモだった)
妙に納得してしまうスモモ。女同士なら見られても問題は無いということだろう。
(裸より、こっちのほうがよっぽどエロィね!ありがとうソトちゃん!しっかり見せてもらいます!)
「ありがとう・・・・・・」
「は、はい?」
倒れながらも満面の笑顔でソトに礼を言うスモモ。
今一つ彼女の笑顔の意味が掴めていない様子のソトだが、問題無いだろう。
分からない方が幸せなことも存在するのだ。
「それでは、本日はどのようなご用件でしょうか?」
ひとしきり堪能し終えたスモモは満足したと言いたげに立ち上がり、受付のソトに今日の本題を投げ掛ける。
「クエストの受注に来ました!いい感じの難易度で見繕ってくれませんか?」
「かしこまりました」
彼女はスモモの要望を聞き入れると、手際良く手元にある資料を整理していく。
スモモからは内容は良く見えないが恐らくは掲示板に貼ってある依頼の発注書と同じものなのだろう。
スモモはこの世界の字は読むことが出来ない。ギルドの受付に言って解読用の眼鏡を借りることも出来るのだが、どのクエストが危険でどれが安全なのかの基準は未だに分からず仕舞いである。
(ソトちゃんにお任せしたほうがやりやすいってモンよ)
この一週間で少しはソトと仲良くなってきたのもあり、これからも頼むつもりのようだ。
不意に、作業をしていたソトの手が止まる。彼女は書類の束を一旦テーブルに置くと、奥の部屋へと入っていった。
「ん?どうしたんだろ?」
不思議そうにスモモは奥へと消えていくソトを見つめる。何かあったのかもしれないと考え、待つことにした。
彼女はすぐに戻ってきた。手に一枚の書類を携えて。
「すみません!お待たせしてしまいました」
「いえいえ!大丈夫ですよ。どうしたんですか?」
「スモモ様に、これを・・・・・・」
ソトはスモモに一枚の書類を差し出してくる。
スモモが字が読めないことを知っている彼女は眼鏡も共に添えて渡して来る。
「ありがとうございますね」
早速、その眼鏡を掛けたスモモは提示された文章に目を通してみる。
「え~っと・・・・・・銅ランク昇格の為、特別クエストの依頼・・・・・・えッ!嘘!?」
驚愕を隠しきれない彼女の声はギルド内に響き渡った。
「私、もうランクアップしちゃうんですか!?」
スモモがこの世界に現れ、冒険者になって、まだ一週間しか経っていない。
謂わばギルドという企業に入社した新卒会社員のようなものである。どこの世界に入社して一週間しか経っていない新人を昇進させる企業があると言うのか。
「そうですね。この提示されたクエストをクリアすれば・・・・・・ギルド始まって以来最速でのランクアップとなります。本来ならばおよそ半年は掛かるはずなのですが、上層部はスモモ様の力をランク鉄では役不足と判断いたしました。私個人の見解ですが、恐らくは銀ですら貴方様には足りないのではないかと感じています」
ソトはそれが当たり前であるかのように告げる。冒険者の世界は圧倒的なまでの成果主義。そもそも企業と比べる事自体が間違っていることにスモモが気付くのに時間は掛からなかった。
「そうなんですか・・・・・・?でも私、まだ4レベルですよ?」
一週間の間にクエストをこなしている内に、まるでゲームのように自身のレベルが上がっていた。それと同時に少しづつだが頭で思い描いた動きが出来るようになっていく実感もあった。
「ご安心ください。大切なのはレベルではなく、能力です。貴方様の能力を平均してみても40レベルは下りません。最早、ランク黒鉄でも十分やっていける力です。下手すれば白金ですら有り得ますよ」
スモモは前々から感じていたのだが、ソトは物事を説明するときは口数の多くなるタイプのようだ。
いつもは静かな雰囲気を醸し出しているのだが、今の彼女は仄かに目を輝かせ楽しそうに話している。
(うん。どっちもアリだな)
スモモは関係無い事を考えながらも、恐らくは必要と思われる情報だけを掻い摘む。
(ソトちゃんの言葉を要約するなら、俺の実力なら今のランクのクエストだと簡単過ぎるからランクを上げろって事か。まあ確かにゴブリン以外にも東の森に居た”犬獣人”とかとも戦ったけど、結局ダメージすら貰わなかった。このスモモの体はゲームが基本になってるんだろうな、人間の頃より数倍も耐久力が上がっている)
彼女が戦ったモンスター達は皆、鋭利な刃物や鋭い牙を持っていた。基本は敵の攻撃を避ける様に立ち回っているスモモだったが、流石に被弾する場面もあった。
しかしスモモの体どころか、服にすらダメージが行っている様子は無かった。お陰で全てのクエストを無傷で終えたスモモだが、これでは簡単だと判断されても仕方が無い。
ランクアップすることで報酬の高いクエストを受注できるのだ。勿論危険は増えるが、悪いことばかりでもないと判断したスモモは提示されたクエストを受注することを決定した。
「これで説明は終了です。すみませんなんか私ばっかり熱くなってしまいまして・・・・・・」
「いえいえ!ありがとですね。それじゃその依頼、私受けますよ」
「かしこまりました。それでは次にこのクエストの内容を説明します」
「はい。お願いします」
クエストの内容については聞き漏らしてはいけない。スモモは集中する。
敵は何なのか、報酬は?何をすればいいのか。覚えるべき内容は多い。
「まずは場所ですが、ロゼ帝国城跡となります。こちらにはギルドの金以上の冒険者数名が案内をしてくれます。クエスト自体は一人で行うことになりますが、無理だと判断いたしましたら彼らが入り口に待っていますのでリタイアして下さい」
必要無いとは思いますが、と付け加えソトは一旦説明を中断する。
スモモが質問する為の時間を作っているのだ。
「えっと・・・・・・帝国城跡って事は、その国は滅びてしまったんですか?」
「はい。お察しの通りロゼ帝国と言う国はもうこの世には存在していません。かつてこの大陸が戦乱の最中にあった時分、存在した国です。精強を誇ったと言われていますが各国に戦争を仕掛け、最後には戦の炎の中に散っていきました。200年ほど昔の話でしょうか」
「戦争・・・・・・」
かつて日本にも戦争があったと武蔵野猛は祖父から聞かされていた。
結局のところ戦いはどこの世界でも起こりうるものなのだ。
齟齬、軋轢、はたまた金
原因は様々である。互いに譲れないものがあるから戦う。
そこに善も悪も無い。残るのは積み上げられた死の山である。
(やりきれねえよな・・・・・・)
猛の頭の中に祖父の言葉が蘇る。
「生きていたからええんじゃ、死ぬ以上の哀しみは無いからのぅ。まぁあるかも知れんがな!ガッハッハ!」
彼は軽く語っていた。しかしその背には大きなものを抱えているのだと、幼き日の武蔵野猛には薄っすらとだが感じられていた。
(どこにも戦争が起きる。これは仕方が無いのかもしれない、ましてやココは別世界。価値観すらも違うんだ。起きても不思議じゃない、だったらせめて・・・・・・)
スモモは長い考えを終わらせる。少なくとも武蔵野猛の頭ではここまで考えるのが精一杯である。
せめて、死なないようにしよう
単純、これだけが辿り着いた答えだった。
「どうなされましたか?」
何かを必死に考えている様子のスモモを見かねてソトが声を掛ける。
まだ説明は始まったばかりなのだ。
「あっ、はい。すみません考え事しちゃって」
「大丈夫ですよ。それでは続きをお話しますね」
ソトは気を取り直し、話を再開した。
「場所については以上です。この地では、そのような背景から動く死体・・・・・・アンデッドが出没します」
「アンデッド・・・・・・!?」
スモモは驚愕する。死体が動くなどゲームの中での事にしか思っていなかった為である。
(アンデッドって、ゾンビとかそういうのを言ってるんだよな多分。噛まれて感染でもしたら俺はゾンビなのか!?怖ッ!)
彼女がこれまで見聞きしたゾンビと言うものは、噛まれただけで相手と同じようにゾンビになってしまうもの。その強大な感染力から幾度も世界中を滅ぼしていた。映画やゲームの中での話だが。
ゾンビは鈍重な動きで気を付ければ攻撃を受けることは無いだろうが、近頃は走るゾンビも現れるそうだ。世も末である。勿論これもゲーム等の知識である。
「あの・・・・・・アンデッドってつまり、ゾンビとかですよね?」
なんとも心配になってきたスモモは直接ソトに聞いてみることにした。
「はい、合っていますよ」
「えっと・・・・・・もしですよ?ゾンビに噛まれたり引っ搔かれたりして怪我をしてしまったら、私もゾンビになったりするんですか?」
スモモの問いに対し、ソトの表情は何を言っているのかと懐疑的な表情である。
答えに詰まっている様子が、スモモにも伝わってきた。
(もしかして、本当にゾンビ化しちゃうのか・・・・・・!?)
スモモの疑念は止まらない。彼女が答えに詰まっているのは明白。
もしかするとその類のウイルスは本当に存在していたのかもしれないと思わせるには十分であった。
「あの・・・・・・」
困惑したように口を開くソト。
彼女の口から何が語られるのか、気がかりで仕方が無いスモモ。
「スモモ様の仰られた、人をゾンビに変えるゾンビというのは聞いたことがありません。高名な死霊術士ならば、あるいは可能かもしれませんが、少なくとも普通のゾンビには不可能でしょう」
「そ、そうなんですか!?良かった~!」
テーブルに乗り出す勢いでスモモは喜びを表した。
これで安心できると言うものである。
「ゾンビは適切な処置を施されなかった死者の成れの果て。その体は死の臭いに呼び寄せられた闇の瘴気によって動いています。もしかしてスモモ様の生まれた地では、その感染するゾンビが当たり前だったのでしょうか?」
誰が広めたのかはスモモは知らないのだが、彼女が異世界から来たという話は何時の間にかギルドの誰もが知っている話になっていた。
大方、この世界に来て初めて話した門番達が噂を広めたのだろう。間違いでもないので、スモモは放って置いたのだが、ここまで周知の事実になるとは思ってはいなかったので少々面食らったが。
「そうですね、私の居た世界じゃそういうゾンビばっかりでしたね」
勿論、映画やゲームでの話。そんなものが実在したならばとっくの昔に人類は滅んでいるだろう。
話し終えたスモモは、ふと見るとソトが口に手を当て驚愕と畏敬の入り混じった表情をしているのが目に付いた。
(どうしたんだろう?何か変なこと言ったかな・・・・・・)
皆目見当がつかない。そんなに感染ゾンビが珍しかったのだろうか?と、スモモは的外れな見解をしていた。
「スモモ様は・・・・・・そのような地獄を生き抜いてこられたのですね・・・・・・」
もはや涙交じり、嗚咽と共に言葉を紡いだソト。
目の前で何事も無いかのように語っていた少女の、そのか細い背には一体どれだけの血の海が流れているのだろうか――――
スモモが語った言葉から察するに、彼女の生まれ育った地には傷を与えるだけで相手も眷族にしてしまうゾンビが跋扈していたのだろう。ソトの体を怖気が包み込む。
(恐ろしい世界です。そんな世界で気丈に戦い、一つの傷も付けられず生き残られたという事。それならば、これまでの冗談染みた力も納得できます)
彼女が背負っているものは、ソトが考えているものよりも数段大きいものであった。
(あのお方は、それでいてお優しい。信じられない・・・・・・。もしかすれば知り合いや肉親もその手に掛けたかも知れないのに、心が壊れてしまってもおかしくないのに!その心まで誰よりも強く気高いんだね。兄さんの言った通り・・・・・・)
悲しみを知っているから、優しく出来る。
痛みを知っているから、癒す術を手に入れた。
スモモという少女はそういう人物だ。
ロードガイアならば、スモモの痛みを消すことが出来るだろうか。
彼女にはせめてこの世界を心行くまで楽しんで欲しい。
ソトは初めて心の底からそう願ったのだった。
「それでは全ての説明を終わります。報酬は50銀貨となります。本当はもっとお渡ししたいのですが・・・・・・」
「いえ!お気になさらず」
クエストについての全ての説明が終了した。
スモモがゾンビについての話をした後から、信じられないほど態度が優しいものになっていたのは、何か原因があるのだろうか。
(口を覆って何か言ってたけど、泣いてたから良く聞こえなかったんだよなぁ~。もしかしたらあれが原因なのかもしれないな。なんだったんだろう?)
説明が足りなかった事に今になっても気が付かないスモモであった。
魔術の暖かな光に照らされた広間。煌びやかな調度品の輝きも、より一層にその場を演出する。
広間にある全ての物は毎日誰かが手入れしているのだろう。20人は卓を囲めるであろう長方形のテーブルや、大量に設置された椅子に到るまで埃一つ存在しない。
重厚な扉を開き、誰一人居ないその広間に進入する二つの影。
一つは黒いスーツのような衣装の中から、一対の蝙蝠のような骨ばった翼を背に生やし、顔には半分に割れた笑顔を象った仮面を装着した男、バエル。
彼の仮面に隠されていない部分からは切れ長な目尻と端正な顔立ちが覗き、綺麗に整えられた黒髪も相俟って執事の様な印象を周りに与える。
もう一つは――――
「ったく・・・・・・この衣装を着ていると嫌が応にも堅苦しい気分になってしまうな。部屋着でもイイんじゃないか?、バエル」
バエルへと呆れたように声を掛けながら入ってきた男。
黒色を基調とした全身鎧。それの上を血管のように走る、鈍く輝く深赤色の閃光。見る者全てを恐怖させるに相応しい禍々しさを持つ逸品だ。
肩鎧から伸びる落ち着いた柄のマントにより、その様は邪悪でありながら気品と威光を兼ね備える。素材はロード・ガイアでも最硬と名高い鉱石”竜石”。強大なモンスター、ドラゴン種の核に特殊な製法を施してのみ得られる鉱石でありその価値は計り知れない。
纏いし者は魔王、ゼルフェリオン
その若々しい顔には大いなる力を宿し、側頭部から伸びる一対の大角は天を穿つかのように上へと伸びる。
魔王は眉を顰め少々困ったように身に纏う鎧に手を当てる。
彼の懸念はこの格式高い鎧にあった。
「幾ら魔王様でも駄目です。それは王としての威厳を表す物、御自分の部屋に戻るまではそれを着ていなければなりません」
バエルは落ち着いた表情で魔王に答える。
昔からゼルフェリオンは形式に縛られる事が嫌いだったのを思い出す。
「分かった分かった。相変わらず堅いヤツだなお前」
観念した様子の魔王、彼は広間に入ると手近な椅子を無造作に引き、それに座った。バエルも続いて隣の椅子に座る。
「さて、魔王としてこれからの計画を伝えるぞ」
「ハッ!」
バエルに向き直り、話を切り出す魔王。その顔は先ほどの年相応の顔ではなく立場に相応しい引き締まったものだった。
「まず手始めにこの魔界全ての魔族諸侯をこの城へと招集する。西、東、南の城主も全てだ」
「畏まりました。目的は、これからの魔族の方針を固める為の会議ということでよろしいですか?」
「それはいいなバエル!その案を採用しようか」
手を叩き気分よさげに語る魔王、バエルにはその行動の意味が読めない。
目的を考えていないと言う事なのか。
「意味が分からないという顔だな」
「・・・・・・申し訳ありません」
「いや、謝る必要は無いさ。正直な所、魔王城に諸侯達を呼び寄せて行う事など最初から考えていない」
「それでは、何故・・・・・・」
ゼルフェリオンは陽気に顔を綻ばす。彼の癖である。
機嫌が直ぐに顔に出る、魔王軍参謀であるバエルを出し抜いた喜びが押さえ切れなかったのだろう。
「召集すること自体が目的と言えば、利口なお前なら直ぐに理解できるだろ?」
「・・・・・・!このバエル、感服いたしました」
この言葉で全てを理解したバエルは己の胸に手を当て目の前の男に敬意を表した。
「彼らの忠誠心を量るということですね」
「ご名答。目的が何であれ魔王の呼び出しは絶対だ。それに参加するならば最低限の俺に対する忠誠、恭順の意思は有ると見て良いだろう。この呼びかけに応じないのならば、ともすれば魔王の座を狙っている可能性がある。そいつを見極めてやる」
「魔王様は即位なされて間も無い。その上、今回の即位は伝統に則ったものでは無く、前魔王マリオン様の遺言に依る物。忠誠を誓わない不貞の輩が居ても・・・・・・不思議ではありません」
「ああ、魔族は力こそが唯一絶対の法。一番強い者が王となるっていう掟だったか?下らない・・・・・・」
吐き捨てるようにゼルフェリオンは掟を口にする。
魔族はモンスターが進化して生まれた種族である。
その本能は戦いを求め理性を得ても直、消える事は無い。
彼らを支配出来得る物は唯一つ。
純粋なる”力”だけであった。
「はっきり言うぞ、バエル。この掟に縛られている限り俺達魔族は戦いによって衰退し続け、近い未来に滅びる。勇者の手によってな」
「魔族を救う手立てをお考えでしょう?そのお顔は」
「お見通しだな。歴史に淘汰され続けた力無き智者を俺が掬い上げる。知恵を力とする者が魔族には必要なんだ」
「しかし、それを良しとしない者が現れたならば?」
「力づくで従わせるまでさ。”魔族は力が全て”なんだろう?」
ゼルフェリオンの言葉はここで終わった。それと程無くして魔界の各地へと魔王の勅命を携えた使者が飛び出した。
今後の魔族全ての命運を乗せて。
その地は国と呼ぶには驚くべき程に殺風景な景色だった。
恐らくは外界と国を仕切っていたであろう鉄の壁は土台のみを残し消え去り、中の様子が手に取るように把握できる。
辺りには瓦礫が積み重なり、民家どころか人の気配も無い。
城のような建造物は辛うじて確認できるものの、あらゆる煉瓦は崩れ去ってしまい城と呼べるものではない。
そして日中だと言うのに薄い霧に覆われ、立ち入る人の存在を拒み続ける。
静寂に沈んだ地。かつては”ロゼ帝国”と呼ばれていた。
それはスモモがクエストを請け負う場所である。
現地に辿り着いたスモモは身を包む薄ら寒さに体を縮こませる。
今はまだ昼時だと言うのにこの地の周辺だけは太陽の温かみを遮断しているとさえ錯覚してしまうほどだ。
「うう・・・・・・寒いですね・・・・・・」
スモモは隣を歩く冒険者に声を掛ける。今回のクエストには同行者として3名のランク金冒険者が同伴している。
ラ・ヴィガルド所属の中でも屈指の実力者達らしく、新人冒険者達の教育係も務めている。
「そうだな、この辺はアンデッドが出没する影響だろう。どの季節でもここだけは変わらず寒気が襲ってくる。スモモちゃんは初めてできついと思うが慣れてくれ」
スモモに答えた顔面に多くの傷を作っている男を含め、彼ら3人は平然としている。
(うっそでしょ・・・・・・根性有りすぎだって)
信じられないと言った風のスモモであるが心の中で愚痴を吐いても仕方が無い。
目の前のクエストに集中することにした。
「それじゃあこの先からは、君一人で行ってもらう。定期的に王国の兵士達がアンデッドを駆除しているから余り敵に遭遇しないかもしれないが、日没になったら戻ってきてくれ。それで君は晴れて銅だ」
城門が有ったであろう場所に到着したスモモ一行。既に門は無く、瓦礫となった枠組みが残されているだけだが。
金冒険者3人のリーダーらしき大斧を担いだ男がスモモに今回のクエストの最終確認を行う。
今の時刻は恐らく昼頃。
これから日が没する時までこの廃墟の中で目に入ったアンデッドを殲滅するのが仕事である。
アンデッドが大量に存在する地帯では稀に大きな力を持つ個体が生まれることがある。その個体が生者の空気に引き寄せられ都市を襲い、甚大な被害を出すことがあると言う。
定期的に国を挙げてのアンデッドの殲滅が敢行されるのはその為である。
強力な個体が生まれなければ他のアンデッドは脆弱な為冒険者の一人立ちとしても最適なクエストである。
現在、強力なアンデッドが出没したと言う報告はラ・ヴィガルドには届いていない。駆け出し冒険者のスモモでも十分可能だという判断だ。
「それじゃあ行って来ます!」
スモモは自らを鼓舞するように冒険者達へとクエストの開始を宣言し、霧の中へと足を踏み入れた。
残された3人の冒険者達は城の入り口前で思い思いに体を休める。
彼らに課せられたクエストは駆け出し冒険者の送迎だけではない。
もし死霊術士等の、鉄冒険者が敵わないアンデッドの反応があったならば即座に救出に向かう事である。
「なあ兄弟、今回のクエストも簡単に終わりそうだな。彼女なんだろう?噂の戦乙女ってのは」
リーダーの男は気の抜けた口調で二人に声を掛ける。
「そうみたいだ。まったく・・・・・・驚いたぜ、戦乙女だって言うんだからそれはもう威圧感に溢れた騎士が出てくると思ったのにな」
「現れたのは花も恥らう美少女!しかも聖職者の格好でだぜ?世の中何が本当かよくわかんねえや」
彼の仲間達も同様にリラックスした状態でクエスト挑戦者のスモモについて言葉を交わす。
「聞いたところだとな・・・・・・彼女は職業を三つ持っているらしいぞ」
「ハッハッハ!面白ぇ冗談だぜ!冒険者がどう頑張っても2つの職業を修めるのが精一杯だろ?それも天才って言われるタイプの奴が途方も無い努力の末に2つの職業持ちになるんだろうが」
「それがな・・・・・・どうも本当らしいんだよ。モヒカンのヤツだけじゃねえ、あの”刹剣”までが同じことを言ってやがる」
リーダーの男の一言に、破顔していた二人の冒険者も信じられないといった風に目を丸くする。
”刹剣”と言えば、ふらりと街に現れたと思えば何時の間にかランク銀の頂点まで上り詰めていた男、ミウズである。
剣に人生を捧げる男。彼が言うならば噂の信憑性は増す。
「あの”刹剣”が?信じられねえな・・・・・・。ってことはアレか?今のスモモちゃんの姿は一つの職業に過ぎないって事かよ?」
「らしいな。・・・・・・っと、お前ら気は抜くなよ?いつでも武器は抜けるようにしておけ」
「りょーかい。ま、近頃は強いアンデッドなんて現れた報告は無ぇし彼女なら問題無いと思うがね」
利き腕は常に武器に沿わせ、いつでも戦うことの出来る姿勢を執りながらも彼らの話は続く。
何事も無いだろう。確信に似た期待をスモモに寄せて。
見通せる距離は広くない。スモモはそう思った。
豪雨の次の日。仕事に向かった時の事を思い出しながらスモモは進む。
彼らと別れて十数分程大通りであった崩れた石畳を進んでみたが、奥の薄っすらと見える城まではまだ遠そうだ。
(結構歩いたけど誰も居ない。ゾンビも全く見当たらない)
目に入る民家や建物は軒並み崩れ去っていた。アンデッドの影が有るならば見逃すことは無いはずだ。周りにある背の高い建物は歩く先にあるロゼ帝国の城だけである。
「静か過ぎる・・・・・・。このままじゃ城に着いちゃうよ」
一応、いつでも戦闘に入ることが出来るようにその手には愛の杖が強く握られているがどうにも張り合いの無さをスモモは感じていた。
廃墟と化した城下町は不気味な雰囲気を醸し出してはいるが、これでは驚く箇所の無いお化け屋敷。ただただ進むだけである。
「着いちゃったよ・・・・・・」
更に数分無心で歩き続けたスモモ。特に何事も無く城下町最奥まで到達してしまった。目の前には聳え立つ廃城。入り口の門は崩れてしまい中に入ることは出来ないようだ。
スモモの左右にはもう水を出すことは無くなった噴水が鎮座し、城の周りには瓦礫の山が転がっている。
(確か城の中には入る必要は無いってソトちゃんが言ってたな。じゃあこれで取り敢えず端から端まで着いたって事か。何も無かったな~・・・・・・。廃墟フェチの時雨さんならココも楽しめたんだろうけど、俺はそうじゃないしな・・・・・・)
張り詰めた空気も遂には弛緩してしまい、取り敢えず城の周りにある瓦礫の辺りを捜索することにした。もしかしたら何か発見があるかもしれない。
瓦礫は何層にも積みあがりその高さはスモモの身長を優に超える。
時折風化した瓦礫の砂埃が流れ落ち、体に付着する。
瓦礫の傍を歩きながら気分は探検家のスモモ。映画に登場する考古学者になったような錯覚を覚えていた。
気が付けば城の裏手まで進んでいた。
「・・・・・・?これは・・・・・・風?」
不意に瓦礫の山の隙間から本来吹き付けることは無い風がスモモの顔に当たる。
目を細めてその隙間を覗いてみると、積みあがった瓦礫の間に何か空間がある事が確認できた。
其処に何があるのか、気になったことは調べなければ気が済まないスモモは瓦礫を撤去した。彼女の筋力ならば瓦礫程度ならば簡単に退かす事が出来た。
果たして瓦礫の中から姿を現す謎の空間。
此処だけ瓦礫が避けて積みあがったとしか言いようが無い不思議な空間だった。
「・・・・・・!うそ・・・・・・」
スモモは驚愕に言葉が出ない。頭は混乱し、力が抜ける。
彼女の視線の先、其処には瓦礫に体を預け座り込んだ全身に大鎧を着込んだ者の姿。
その出で立ちから察するに、その者は騎士。
重装備に身を包んでいる為、重騎士に類するだろう。
切り傷や殴打の跡、錆。様々な傷がその黒鎧の到る箇所に刻まれており、壮絶な戦いの跡を感じられずには居られない。
只の放置された鎧では無い。微動だにしないが、その佇まいは人間のものだと、直感的に感じ取る。
(し、死んでるのか・・・・・・?)
とても生きているようには見えない。この城下町と同じように相手の時間も停止しているように見えた。
しかし、もしも生きているならば救助することが出来るかもしれない。スモモはその鎧に近づく。
それは、近づくスモモに何も行動も起こさない。敵意のような物も感じられない。彼女が目の前に膝を着いてもである。
「あ、あの・・・・・・お体、大丈夫ですか?」
恐る恐るスモモは声を掛けた。
返事は、無い。
呼吸すらも。
それは俯いたまま。
動き出す気配も微塵に無い。ぶらりと地面に下がった手はそのまま大地に根ざしているかのようだ。
「そんな・・・・・!」
(本当に、本当に死んでいる・・・・・・!彼らに知らせないと!)
一刻も早く城下町入り口前に居る冒険者達に報告しなければならない事態だろう。
極度の緊張で心臓は小刻みに鼓動を打つ。早く、離れなければ。
急いでその場を離れようと立ち上がり振り向くと足を踏み出そうとした。
踏み出そうとした――――
「・・・・・・誰だ」
背に突き刺さる言葉。
聞こえる筈の無い言葉。
それは消え入るように小さく、くぐもった男の声
その哀しみを孕んだ声はどこか救いを求めているようで――――
スモモの足は歩みを止めた。