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姫!一日の終わりと魔王の一日 ループ4

ランプの暖かな光に薄く照らされた、多くの書物が乱雑に整理された書斎のような小部屋。本特有の匂いが部屋内を包み込み、外とは違う空間であることを認識させられる。

ポツンと一つだけ置かれた小さな木造のテーブルと椅子には簡素な部屋着を着た男が座り、必死に何かの書物を読み進めている。

彼は人間では無いようだ。その証拠に男の側頭部には、前方に向かって伸びる一対の雄山羊のような角が生えている。

コンコンと部屋の外からノックの音が鳴る。男は集中が途切れたのか本を閉じ、その扉を開けた。何者が到来するのか分かっていたような無用心振りである。

「来たか、バエル」

男の視線の先には扉の前に跪き頭を垂れるのは、二対の黒き翼を持ち、真っ二つに割れた笑顔を象った仮面を装着した者、バエル。

「はっ・・・・・・魔王様の命とあらば」

恭しく頭を上げ、魔王と呼ばれた男の促すままに部屋に連れ添った。


男は椅子に無造作に座ると、一つの本を掴みバエルに差し出した。

「これだバエル。先代魔王、我が父が遺した書物にパンドラの箱についての記述があった。苦労して探した甲斐があったな」

「流石でございます魔王様。しかし本の内容を調べるだけならば我々、(しもべ)達に任せていただいても良いのでは?」

「そうもいかない、我ら魔族も一枚岩ではないからな。魔王の座が俺の代になって間もない。あまり重要な情報に触れさせたくは無い訳だ。まあバエル、お前は別だ。昔からの付き合いだからな」

事実、新しい魔王の即位を良く思わない魔族もいる。

魔族と言う物は、力を至上の価値とする。前魔王の圧倒的な力に惹かれ恭順した者達はいつ裏切るとも限らない。

「私にはもったいなきお言葉です」

「昔からお前は畏まり過ぎだな」

男は軽く笑うと、本の目的のページを開きバエルに見せる。

そこには見開きいっぱいの文字の羅列。気が遠くなりそうな文量である。


「簡単に説明しようか。パンドラの箱は異世界から人間をこちらの世界に転移させる、調停の神”フォルセティ”が創造した聖櫃だ。奴め、余程人間が好きと見える。我ら魔族が世界に覇を唱えたと言われる200年前辺りから、人間が危機に陥るたびに異世界・・・・・・”チキュウ”と呼ばれる地から勇者を連れて来ては時の魔王を尽く討伐したという」

「先代・・・・・・マリオン様もその勇者に・・・・・・」

「そうだ。あのぼでぃーびるだーに正面から打ち倒され、魔王軍の敗北を余儀なくされた。世界征服まで後一歩だと聞いていたんだがな。・・・・・・話を戻そうか、そのパンドラの箱には弱点があるそうだ」


バエルは目を見開く。あの無敵の勇者達を迷惑にも魔族に差し向ける厄介な聖櫃に弱点があるなど信じられない朗報である。

「して、弱点とは?」

「ああ、ロードガイアには異世界と接触しないために見えない障壁が覆っているのは知っているな?」

この世界に住む者で知識がある者ならば知っている話である。

通称”網”と呼ばれる物で、これが無ければ全ての次元の世界が融合し、一つになってしまうため、何者かが創造したと言われる障壁である。いうなれば世界が独立して存在出来るのもこの”網”ありきなのであると聞かされていた。

「勿論存じております。我らもつい先日、パンドラの箱の力の残滓で異世界へのモンスター跳躍実験に成功致しました」

「箱は奪われてしまったがな。つまりはパンドラの箱はあの網を通り抜ける事が出来るアイテムだが、通り抜ける際に網を潜れない程に大きな力を持つ者は、能力を通り抜けられる基準まで削ぎ落とされるそうだ。盗賊が他人の家の鍵穴に合わせて金属を削り出すようにな」

魔王は悪戯っぽく笑うと続けて言葉を重ねる。

「気付いたようだな、バエル。勇者はレベル1の状態で送られてくる」

「我ら魔族が軍備の再編成をする時間は十分に残されていると言うことですね?」

露見したパンドラの箱の弱点、危惧していた勇者の台頭は先延ばし。バエルは安堵で胸を撫で下ろす。

「そうさ。だが軍備を万端にしても、その間に力を蓄えた勇者に勝てるとは限らないだろ?これまでの魔王が皆、敗北した事実は無視できない。奴らは血の気が多すぎたんだ。攻め込んでは、負けた。父も例外では無かった。だがなバエル、俺はああはならない。俺が魔王になったんだ、魔族を勇者の牙から守り抜く。魔王の歴史に革命を起こしてやるさ」

どこか遠くを見つめる魔王の赤い双眸には決意の炎が宿り、爛々と輝いていた。

挿絵(By みてみん)

「革命・・・・・・魔王・・・・・・ゼルフェリオン様・・・・・・!」

バエルは感極まったように絞り出す、己が主の名を。

若き魔族の英雄が此処に誕生したのだと歓喜の叫びをあげながら。



見上げるほどの巨大な壁に守られた都市、ラ・ヴィガルド。

そのほぼ中心に位置する冒険者ギルド内は現在、異様な熱気に包まれていた。

原因はただ一つ。恐ろしく強く、そして神に愛された可愛らしき美貌の聖少女が突如この地に現れたためだ。

クエストの供をしたと云う者の話では、彼女は古来失われた筈の魔法を自由自在に操る美しき女神であると話す者や、心まで盗み出す大怪盗、はたまた神の遣わした紅の戦乙女(ヴァルキュリア)と言う者まで現れ、その全てが同一人物であるなどと突拍子の無い夢物語を語り出すものだから余計にその場の者達には意味が理解できないのである。

今、その少女の周りにはギルドに居た大多数の冒険者が集まり、ギルド誘致以来の盛況となっていた。

少女の名は、スモモ。


(どうしてこんなことになった・・・・・・)

スモモは困惑を隠し切れない。

目の前には溢れんばかりの人の波。職員の説明が終わるが早いかギルドと2階酒場の冒険者達が我先にと集まってきては、怒涛の質問攻めとチームへの勧誘である。

「おい手前らァ!スモモさんが困っているじゃねえか!離れやがれ!」

「女神を(けが)すことは・・・・・・許さん!」

波を押し流そうとモヒカンの男とミウズは懸命にスモモの壁となるが多勢に無勢、焼け石に水のようである。

他の仲間たちは既に波に飲まれ、木の床に轢かれた蛙のように倒れていた。

「美しき姿とその力・・・・・・!ミウズが自慢していた通り、貴方様は女神であるのですね!」

「女神!女神!女神!女神ィ!」

冒険者達は素晴らしく暑苦しい礼賛の言葉をスモモへと投げ掛ける。

唐突に何処からか始まっていた女神コールも他者へと伝播し、男女問わず叫びを挙げる。

その場は混沌、熱狂。もはや誰も止めることは出来ない、スモモを除いては。


(ヤバイぞ!まさかここまで神格化されるとは・・・・・・クソッ!美しさは罪なのか!?)

武蔵野猛は自嘲気味に嘯く。スモモの容姿を褒められる事は内心嬉しかった。

この世界基準で見ても自身の力は通じるらしいと言うのも有難い情報だった。

しかし、目の前で起こる異常は流石のスモモでも予想外。L.Lでの集まりですら有り得なかった、恐ろしいほどの喧騒。

どうにか事態を収束しなくては、スモモは頭を巡らせる。

「あっ・・・・・・」

案外簡単に答えは出た。

しかしその答えの先は恐らく修羅の道。

ロードガイアでの生活に多大なる影響を及ぼしかねないだろう。

(マズイかもしれないけど・・・・・・なるようになれ!)

スモモは心を決めた。

「皆さん聞いてください!」

ギルド内に響き渡る鈴のような声。

皆は黙りこくり何を仰るのだろうか、と彼女の言葉に耳を傾ける。


「私は・・・・・・男なんです!」

静寂の世界を突き破るように、美しき声がこだました。



「え?ええええええええええええええええ!?」

「う、嘘ですよね!?」

熱狂は、狂宴へと姿を変えた。


「お、おい!・・・・・・それは本当なのか!?」

観衆を押しのけ、スモモの元へと駆け寄って来たのは、知らぬ間に床に伸びていた男ミウズ。この場に居る誰よりも動転している様で、目は焦点が定まらず揺れ動き、ゴブリンの猛攻にも引かなかった頑強な足腰は震えているようにも感じられた。

「スモモ様・・・・・・貴方はその美しさで男だと言うのか!?」

「ひぇッ!?」

その声色はもはや怒鳴り声、スモモもその迫力に気圧されそうになってしまう。相手は歴戦の剣士、片やスモモは数時間前までしがないサラリーマンをやっていたのだ。営業先でもここまで緊張はしないだろう。

しかしここは退けない。

武蔵野猛27歳、意地を張る。

「ええ!そうですとも!私は男なんですよ。ですから私の事なんかでギルドに迷惑掛けちゃダメなんですよ!」

言葉の後に訪れたのは悲鳴。男の、咽び泣き。

落胆、悲哀、一部では歓喜、様々な感情が男達を襲った。

「そんな・・・・・・こんな可愛らしいスモモ様にアレがあるなんて・・・・・・」

「さっきのスモモ様の痴態の記憶にお別れしないと・・・・・・うぅ・・・・・・」

「ふッ・・・・・・狩人の俺からすれば男でも狩猟圏内だぜ」

悲しみの言葉の中に怪しい台詞も聞こえるが、スモモは努めて無視を決め込む。あと少しすればほとぼりも冷めるだろう。


「ふぅ・・・・・・君達は本当にその御方が男だと思っているのかね?」


唐突に二階の酒場からギルド内に響き渡る、凛とした青年の声。

若い様でいて深みを感じさせる、言うなれば声だけで心を掴む。

スモモにはそう感じられた。

名も知らぬ青年は仰々しい身振り手振りをしながら、酒場の階段を降り始めた。

その姿は、眼鏡を掛けた高貴な雰囲気を纏った青年。華奢な体を薄黄色のマントが覆い、綺麗に切り揃えられた銀色の髪が体の動きに合わせ揺れていた。

(・・・・・・なんだあいつ?パッと見た感じ秀才のオーラが出まくってやがる)

スモモがそんなことを考えていると突然に、倒れていたはずのモヒカンの男が立ち上がり、子供のように目を輝かせながら――――

「あ、兄貴ィ!」

心の底からの響く感情を声に乗せて放出した。


青年は降り立つ、ギルドの観衆の前に。誰一人として動けない。

そのまま軽い足取りで人の波を抜け、スモモの正面へと対峙する。

スモモに彼との面識は無い。しかしあのようなことを口走り、今度は自身の目の前に現れたのだ。恐らくは無関係ではないのだろうと考えた。

「えっと、あなたは・・・・・・」

「突然の無礼、失礼致しました。しかし貴方様の先のお言葉の真の意味を理解せぬ者が余りにも多く、いても立ってもいられなくなりました」

青年は優しく諭すように語り掛けると、スモモの前から男達へと向き直る。

「い、インの兄貴ィ!どういうことなんだ!?」

「ふぅ、モヒカン君・・・・・・あまり僕を失望させないでくれ。そしてこの場で馬鹿騒ぎしている阿呆達に教えてやろう。スモモさんの先の言葉の真の意味を・・・・・・」

インと呼ばれた青年は眼鏡の位置を直した後、語り始める。真実を。

(何を言う気なんだ・・・・・・?コイツは)

先の発言の張本人であるスモモも、インが何を言い出すのか少し気になっていた。真の意味とは何なのか、スモモにも理解できない。



「結論から述べてやろう。スモモさんは女性だ」


またしても、割れんばかりの声がギルド内を覆い包む。スモモはこれで何度目の轟音かと辟易とするが、今はそれどころでは無い。目の前でどこか誇らしげに佇むインに詰め寄る。

「ちょ、ちょっと待ってください!私・・・・・・いや、俺は本当に男なんですよ!?」

「スモモさん、慣れない男言葉を使うのはお止めください。分かっております。分かっておりますとも!このイン・テーリには!」


インはマントを翻し、装飾された眼鏡を忙しなく人差し指で弄りながら高らかに宣言する。対してスモモは訝しげな表情が更に深まってゆくのだが。

(はぁ?インテリ?ふざけんじゃねえぞ!見た目そのまんまじゃねえか!)

考えていることをおくびにも出さず、スモモは追求する。彼がその優秀そうな頭からどのような言葉を吐くのか一抹の不安を抱きながら。

「えっと・・・・・・インテリさん、分かってるってのは何なのでしょうか?」

「おお!フルネームで私の名を読んでくださるとは・・・・・・!やはり私が非凡であることを見抜いて・・・・・・」

「早く教えてくれませんか?」

「これは失礼、貴方はご自分を男だと言いました。それは先ほどのゴブリン討伐クエストで男達に守られていたと感じられたからだと私は考えます」

「あれ?インテリさんはクエストに参加されていませんよね?」

あのクエストにインは参加していない。スモモ自身、同行した男達の全員の顔を覚えたわけではないが彼ほど特徴的な外見をした者は居なかったはずである。

「そうです。私はクエストの進捗を確認するために遠くより戦いを拝見していたギルドの者ですからね」

「ああ、そうなんですね~」

「話しを続けますが、スモモさんはあくまで仲間達と自分は対等であり、守られることを好ましく思わなかった。・・・・・・そう、女として扱われたくなかった。貴方は戦場では女であることを拒否したのです!」


まるで歌を歌うかのように彼の演説は続く。耳障りの良い声は皆の耳に吸い込まれ、先ほどの落胆、そしてスモモに対する認識を洗い流してゆく。

思わずスモモも彼の類まれなる話術に、反論を止めた。

彼が語るのは現世に降臨した御伽噺。

その身に竜の牙を宿し、女神の如き慈愛に気高き英雄の魂を持った少女の物語、第一章。

敢えて題名を付けるならば”煌きの聖少女スモモ”と、インは語った。

「・・・・・・で、あるからして高嶺の花という言葉では足りない大輪の花でありながら、スモモさんは仲間のためならば戦いの中で散ることすらを厭わない”戦場の徒花(あだばな)”である、女は捨てたと語ったのだ。自分が男だという言葉の中にはこのような意味が隠されていたのだよ諸君。私ですら及ばぬ大器。このイン・テーリ・・・・・・感服致しました」

インは己の胸に手を当て、キラキラと輝く翡翠の瞳でスモモに臣下の礼をとる。

それと同時に男達からは今度は歓喜、感動の咽び泣き。

「す、スモモ様ァ~!!俺、感動しましたァ!やっぱり女神!女神だったんだァ!」

「ああ・・・・・・!そこまで気付けなかった、俺もまだまだだな。イン、流石はラ・ヴィガルドの誇る天才とまで言われるだけはあるな」

「俺達の勝利の女神!女神!女神ィ!!」

またしても始まる女神コールにスモモは我に帰り、止めるように口を開こうとしたが、先に口を開いたのはインだった。

「お前達、騒ぐな。あの言葉にはな、自分のせいでギルドに迷惑を掛けたくないという願いもあるのだよ。分かったなら受付の前で大人数で喚くのを止めるんだな。お前達の女神を困らせるなんて本末転倒だとは思わないか?」

喧騒はすぐさま止まる。それはまるで訓練された兵士のように皆が一様にインの言葉に従った。


(ガタイの良い男達が、ヒョロヒョロのコイツの言葉に従っている。一体何者なんだ・・・・・・)

この男はどのような人物なのか、スモモはそれが疑問だった。

先ほどはミウズが彼を天才だと語ったのだがそれだけでは無いと感じていた。

単に頭の良いだけの男に荒くれ達、力で己を立てる者達は従うはずが無いだろう。

「インテリさん・・・・・・貴方は一体?」

スモモが訝しげに訪ねると、彼は得意げにマントを翻す。

「はい!この私、イン・テーリ。ギルドの作戦立案役で、クラスは白金(プラチナ)の冒険者であり、荒くれ者達を束ねるリーダーでございます」

「そうなんすよ!インの兄貴はこの街の至宝!俺達、普通の冒険者がこの仕事で生きていけるようにクエストの斡旋やらギルドへの俺達の報酬の交渉、果ては戦闘では軍師までしてくれるお方なんです。(シルバー)以下の冒険者の大半は兄貴のチームに加入してるほどでさァ!」

「説明ありがとうモヒカン君。スモモ様、私は戦う為の力は持ち得ていませんが、この頭には魔物を飼っています。」

インは己の頭を指差し、柔和な笑みを浮かべる。

自分で言うからには相当頭脳には自信があるのだろうとスモモは思った。

(さっきの推理は間違ってるんだけどなぁ)

心の中で溜息を吐く。こうなってしまっては最早、反論しても意味は無いのだろう。

男達は、スモモに心酔しているのと同じようにインを信じきっているようだ。

これ以上はこの件に口を出さないことをスモモは決めた。

頭が上手く働かないほどに今日のスモモは疲労が溜まっていた。少なくなってしまったMPをほぼ全て使い切ってしまっていた為か、体中を倦怠感が襲う。

今日はもう休もう。

スモモは宿を探す事にした。


「インテリさん、分かりやすく説明してくれてありがとうございました!」

「いえいえ、当然のことですよ。貴方様の深謀遠慮・・・・・・私では及ばないでしょう」

「そ、そうですか?嬉しいな~。・・・・・・えっと、それじゃあ私はこの辺で失礼しようと思うのですが何処か宿とかありませんかね?」

「そうですね・・・・・・この街には冒険者向けの宿が3軒ございます」

提示された宿屋3軒の中からスモモは最も宿泊代が安い店を選んだ。所持金は少ない。無駄遣いは出来ない。

(金はあまり無いけど・・・・・・あと一つだけ必需品を買わなくちゃな)

「えっと・・・・・・変な質問かもしれないですけど、こう・・・・・・口に咥えるような嗜好品ってこの街に無いですか?」

スモモは自分の口に指を近付け、煙草を吸うジェスチャーを皆に見せる。

武蔵野猛だけでなく、愛煙家にとって煙草は無くてはならない物だった。

この世界に召喚されて約半日。

彼女の我慢は最早限界だった。

(口が、寂しい!ヤニが足りねぇ・・・・・・。思えばさっきから考えが妙に纏まらないのは煙草が無かったからなんだよ!)

心の中で猛は叫ぶ。

要望を聞いたインは少し考え込むと、何かを閃いたように手を打つ。

「あぁ・・・・・・ありますよ。”ドライアド”と言うのですが、乾かした薬草に火を点けてその煙を口から吸引する嗜好品です。確か・・・・・・スモモ様が行く宿の近くに売っていたはずです。これで良いでしょうか?」

「ありがとうございます!早速買いに行ってみます。」

スモモはギルドの出口に向かう。出口から出る前に振り向き、

「それでは失礼します。皆さん!また明日、ギルドで会いましょうね~!」

一礼すると宿に向かい、ギルドを後にした。


スモモが居なくなったギルド内に再び、いつもの喧騒が蘇る。

皆の話題はもっぱらスモモについてである。

「兄貴ィ・・・・・・スモモさんをあんな安いボロ宿に行かせて良いんですかい?」

「モヒカン君、それにも理由があるのだよ。あのお方は優しいお方さ、君達と報酬を山分けにしたことでもそれが分かるだろう?」

「は、はぁ・・・・・・」

「スモモ様は他人に優しくする余り、自分の幸福に対しては無頓着のようだ。素晴らしい博愛の精神だが、僕はそれが少しばかり心配だね。だから僕は影ながらあのお方のサポートをしようと思う。力も頭も敵わないが、今の時点では地位は僕が上だ、出来ることはあるはずさ」

モヒカンの男だけでなく、その場に居た男達は彼の慧眼に対し、畏敬の感情を露にする。

この男には何処まで見えているのか・・・・・・恐怖する者まで居た。

「俺達とは見てる景色が違うんだろうな・・・」

智謀、神算。携えるは静かなる剣

光の英雄スモモ、影の英雄イン・テーリ

ラ・ヴィガルドにて、両雄並び立つ。



人々を煌々と照らしていた太陽の光は夜の宵闇に吸い込まれ、薄暗い空の幕が下りていた。

街を四つに区切る大通りには、昼間の盛況は何処へやら商品の置かれていない無人の屋台が立ち並ぶ。道行く人の波もまばらである。

レンガ造りの街並み。窓の中からは暖かな光が外へと漏れ出し、街灯要らずとまでは言わないが街の要所要所を照らし出す。

スモモはギルドを出た後、インに渡された地図を頼りに宿へと向かっていた。

夜の到来と共に装いを変えるラ・ヴィガルドの風景は疲れたスモモの心と体を癒す。帰り道だった駅前のネオン街とのギャップは凄まじいものだ。

(夜だから酒場以外は全部閉店店じまいか。俺の居た日本じゃあ夜だってのにコンビニやら店の明かりで何処もかしこも目眩がするくらいに明るかった。昼も夜も無かったんだよな・・・・・・)

ふと、溜息を漏らす。

武蔵野猛が現代の生活に慣れきってしまい、夜は暗いという当たり前の事にすら気付かなかったことに対する自嘲の溜息。

彼の体が丸ごとスモモに換わってからおよそ半日、およそとは言っても今のスモモに時間を知る術は無いのだが。

そもそも時間の概念があるのかも分かっていない。

ある種、原始的なライフスタイルに切り替わることを余儀なくされたスモモだったが、この不思議な温かみを持つ街並みを見るとそれでもいいか、と思えていた。


「えーっと・・・・・・ここかな?」

地図を頼りに西側大通りから入った路地を抜け、少しばかり開けた場所に出ると程無くして目的の場所は見つかった。

周りの民家より少し大きな木造の家屋、民宿のようだとスモモは思った。

外観の所々に経年劣化の為か、黒ずんだ汚れが目立つ。昼頃に見たら更に多くの粗が見えるだろう。

スモモの目の前にあるのはどう見ても普通の家屋の扉だが小さな看板がぶら下がっており、この場所が宿屋であることを雄弁に語っていた。

「安いだけはあるね・・・・・・」

自分の所持金が入った皮袋を開き、しっかりと金が入っている事を確認すると目の前の扉を恐る恐る叩くのだった。


「あらあら、ようこそ朗らか亭へ」

しゃがれた声で、玄関を潜ったスモモを出迎えたのは腰が曲がり年老いた女性。

不思議と、その声はスモモの体を包みこむ。

「あの、ここに宿泊したいんですけど・・・・・・、部屋は空いてますか?」

「はぁい、空いてますよ。可愛いお嬢さん」

女将の老婆はカウンターの帳簿を取り出し、空き部屋があることを確認するとにこやかな笑顔で言う。

確かに年は取っているが、若いころはさぞや美人だったに違いないとスモモは思った。

「そうですか!ちなみに一泊幾らなんですか?」

「ええっと・・・・・・すまないねぇ。年をとると記憶が飛んでしょうがないわい。・・・・・・あぁ思い出した!一泊で50銅貨で、一ヵ月丸々なら本来15銀貨の所を13銀貨でいいよ」

スモモの現在の所持金はおよそ17銀貨。行動の拠点が欲しかった矢先に願っても無い話だが、一ヶ月分宿屋に払うと残りは心もとない。

生活の危機だが、この状況においてスモモ――――いや、武蔵野猛は至って冷静である。

良くない意味で。


(おいおい・・・・・・願ったり叶ったりたぁこの事よ。30日泊まれば2銀貨安くなるんだろ?つまりは1万円払えばガチャ一回辺りの単価が減り、多く引けるのと同じ理論!・・・・・・ッカぁー!ついてるぜ!これしかねぇ!)

武蔵野猛という男はL.Lの重度の廃人である。その課金額は一月毎に約10万円。

給料の殆どが消えていた。

そんな男が貯蓄などと言う行動に至るわけが無い。

宵越しの金は持たない男、武蔵野猛。

貯金は0円。

勿論、女将に二つ返事で一ヶ月宿泊を頼むスモモ。

見た目は変わっても中身は少しも変わることは無い。

「一ヶ月ですねぇ。今は豊穣の月の10日ですから、来月の(にしき)の月10日までこの部屋でごゆっくりどうぞ」

女将は金を受け取ると、スモモに向かって古びた鍵を差し出した。


ラ・ヴィガルド南西に位置する地区、庶民街。その一角にひっそりと営業している風呂屋。

その名も”銭湯びるだー”

かの勇者にあやかって名づけられたこの銭湯には、夕方頃には仕事を終えた大工や冒険者が集い、風呂を浴びながら情報交換をする隠れた集会所である。

勇者が風呂上りに必ず飲んでいたという飲料を再現した”こーひー牛乳”はこの店の名物であり、強い男を目指す者は必ず買っていくと好評である。

時はもう夜半の頃。賑わっていた店内も客足が落ち着き、元のひなびた風情に包まれていた。

そんな頃、入り口の引き戸を開け中へと入ってきたのは、揺れるネクタイが可愛らしいツインテール髪の美しい少女、スモモである。

彼女は受付に料金を支払うと、風呂へと続く廊下に消えてゆく。

それは、何事も無い日常の一コマのように終わるはずだった。


「な、なにィィィィィ!?スモモさんだとォォォォォ!?」

彼が休憩所からスモモを見ることが無かったならば・・・・・・。



「う~ん・・・・・・どっちへ行くべきか・・・・・・」

廊下を進んだ突き当たり。スモモの目の前には、男湯を表す青い暖簾と女湯を表す赤い暖簾

二つの目印を前にしてスモモはその足を止めた。

彼女は迷っていた。どちらへと赴くべきなのかを。

勿論、この体ならば女湯を選択するのが正しい。が、心の中の武蔵野猛の良心はそれを押しとどめる。

(俺はスモモとして女湯に行くのが正しい判断・・・・・・実際、行ってみたい。だけどよぉ・・・・・・それでいいのか武蔵野猛27歳!いい年こいた男が女湯に入るなんてタブーもいいところ、俺のプライドが試される場面・・・・・・)

葛藤は自己判断を鈍らせる。それは戦いと一緒である。

一瞬の迷いで全てが終わってしまうこともある。

彼自身、即断即決を是として生きてきた。

しかしこの場面、彼は動かない。いや、動けない。

(そもそもあの宿に風呂が無いのがいけなかった。安いものには安いなりの理由があるって事か・・・・・・。違う!今はこんなことを考えてもしょうがない。ああ~!どっちに行くべきなんだ!?)

スモモは頭を抱え考え込む。風呂に入らないと言う選択肢もあるが、スモモの体を汚すなど武蔵野猛には耐えられない事態なのだ。

「あっれ~?キミは噂の冒険者、女神スモモちゃんじゃ~ん!こんばんわ~」

力の抜けるようなゆるい声が、スモモの背中に振りかかる。

慌ててスモモが振り向くとそこには緩くウェーブがかった赤色のショートヘアに、やけに露出の多い装備で惜しげもなく魅力的な肢体を見せ付ける長身の女性が立っていた。

装備を見るに、恐らくは盗賊、またはハンター系の職業とスモモは判断する。

しかし面識は無い。彼女は何者だろうか。

「こんばんわ。え~っと・・・・・・お姉さんはどちら様でしょうか?」

「キャ~!お姉さんって呼ばれたの初めて~!やっぱりスモモちゃん可愛い~!」

謎の女性は心底嬉しそうにスモモの頭を撫で回す。

くすぐったい上に恥ずかしくなったスモモは振り払おうとするが、その手は空を切り、更には彼女に掴まれる。

「一緒にお風呂は~いろ!」

「え!?いや・・・・・・あの・・・・・・」

「ご~!」

抵抗する間も無く、スモモは女湯に引きずり込まれたのだった。



いい香りがした。

えも言われぬ芳醇な香りがした。

それはまるで世にある素敵な香り全てを混ぜたような・・・・・・

そこは女の園

許されざる禁断の聖地

女風呂――――


脱衣所へと無理矢理連れ込まれたスモモ

いつの間にか謎の女の手によって全ての衣類を剥き取られ、生まれたままの姿を晒していた。

この世に生を受けたのは武蔵野猛であるため生まれたまま、と言うのは少々語弊があるかも知れないが、有り体に言うならば”すっぽんぽん”である。

「ああ・・・・・・うわぁ~」

煌びやかに輝く相貌で、スモモはまじまじと己の体を見つめる。

結局、女風呂へと入ってしまったという懺悔の念は何処かへ消え、自身の体に釘付けとなる。

正直なところ、武蔵野猛がスモモの裸を見たのはこれが初めてだった。

L.Lは全年齢対象のゲームである。

没入型のゲームであるそれでは、全ての装備を解除したとしても無地のTシャツとハーフパンツがデフォルトで衣装として設定されるため、誰もキャラクターの裸を見ることは出来ない。L.Lの公式サイトでは倫理コードと呼ばれ、18禁行為に当たる行動は取れないようになっていた。

しかし、今のスモモは全裸。

この事実は彼女に、この世界が現実であることを強く思い知らせた。

スモモは自身の体を軽く撫でてみる。

隣の女は不思議そうにその行動を見守っていた。

(汚れ一つ無い透き通った柔肌・・・・・・ぷにぷにしてて、いつまでも触っていたい。ゲームじゃ流石に肌の柔らかさまでは表現出来なかった。そしてこの起伏の少ない、完成されたスタイル。ああ・・・・・・!嗚呼!)

「最高・・・・・・!」

武蔵野猛の寂しい語彙ではこれ以上の表現は出来なかった。

己の持てるありったけをその一言に込め、解き放った。

「ん、どしたの~?もう死んでも悔いは無いって顔してるけど~?」

「男で、良かった・・・・・・」

感動と情愛の全てが万感の思いとなって唇を開かせる。

女が何か言っているようだがスモモの耳には届かない。

今、スモモの全ての神経が己の体に意識を向けていたのだ。

「ん~?・・・・・・あ!もしかしてあの酒場の男宣言の話!?インさんが皆に言ってたよ~あんなこと考え付くなんてすっごい天才だって~!凄いんだよ?インさんが人を褒めるなんて滅多に見られないんだから!続きはお風呂の中でしよ!」

未だに恍惚を顔面に貼り付けたままのスモモ

隣の騒がしい女に促されるままに、風呂場への扉を潜り抜けた。



敵は強ければ強いほど、壁は高ければ高いほど良い。越えたときの達成感は何物にも勝る。

己の筋肉を見るたびにこの言葉を思い出す。

それはまだ子供だった頃に一度だけ見た勇者が聴衆に放った言葉。

心まで貧民に染まりきって諦めていた俺を変えてくれた一言――――

男はひた走る。全ては脳裏に映し出された楽園の為、まずは仲間を集めなければならない。

あれほどの剛の者に見つかれば、目の前に漂うは死の一文字。

しかし代償に見合う価値はある。壁は高いほど良いのだ。

一人で行動に移すには危険が大きすぎるだろう。彼は部屋の中に居た全ての男に声を掛ける。

存外簡単に仲間は集まった。男達の意思は今この時をもって一つとなったのだ。

男は己の中の恐怖を掻き消すように、自慢のモヒカン頭を丁寧に撫でる。

覚悟は決めた。

集まった仲間達に向かい、大きな図体に似合わない小さな声で作戦の開始を告げた。

「行くぞてめぇら・・・・・・!スモモさんの風呂を、覗くぞォ・・・・・・!」

モヒカン、本日二度目の入浴である。


「素敵だ、まさに理想・・・・・・って、うわッ!?」

大浴場に連れられて来たスモモは漂う空気の変化に驚き、我に帰り顔を上げる。

彼女の目に映るのは、裸の女に彩られた桃源郷であった。

スモモは思わず素っ頓狂な声をあげる。

冒険者が多く集まる銭湯であるが故に、年齢層も若い女ばかりだ。

(お・・・・・・おおおおおおおおおおお!これが楽園か!)

目の前を横切っていく豊かな胸の女、浴槽でリラックスしている様子のスレンダーな体の女、その全てが武蔵野猛が見たことの無いレベルの美しい女性ばかりだった。

「広いよね~ここのお風呂!スモモちゃんが見渡しちゃうのも無理は無いよ~!露天風呂もあるんだよ!体洗ったら行こ!」

スモモが裸の女性を見つめ続けている事を露とも知らない隣の女は、洗い場へと彼女を促し、スモモは挙動不審な様子で付いて行く。

(さっきから俺に絡んでくるコイツも良く見れば滅茶苦茶美人じゃないか・・・・・・まるでモデルみたいなプロポーションだ)

日本の銭湯によく似た洗い場でスモモは体を洗い流す。シャワーは無いようだが、お湯が出る蛇口は席の一つ一つに常備されていた。

「どこもあまり変わらないんだなぁ」

日本での生活がスモモに思い出される。

実際にはロード・ガイアに来てから一日と経っていなかったが、まるで一ヵ月はここに居たかのような錯覚に襲われていた。それほどに、この街で起きた全ての事が印象的だったのだ。


「そういえば私が何者か言ってなかったね~。マオだよ~、冒険者やってるんだよ!」

慣れた手つきでスモモが体を洗っていると、隣に座っている先ほどの女が頭を洗いながら話しかける。

「マオさんですね、よろしくです。私は――――」

「知ってるよ、スモモちゃんでしょ~?ギルドじゃ君の噂で持ちきりなんだから~」

「えっ、そうなんですか?」

「異国からやってきた麗しのお姫様!パスカル君が自慢げに言ってたよ~。勇者様の再来って言う人だって居るんだから!」

「そ、そんな~姫様だなんて・・・・・・恥ずかしいですよぅ」

恥ずかしがる素振りを見せるが内心、スモモは歓喜の感情に包まれていた。

当然である。手塩に掛けて磨き上げたアバターであるスモモの容姿には絶対の自信があった。それをこの世界でも認められたのだから。


体を洗い流し終えたスモモは、先ほどのマオという女と露天風呂で疲れを癒していた。

どの方向を向いても裸の女しか居ない楽園のような場所。しかしスモモは奇妙なことに興奮を余り感じなくなっていた事に気付く。

(こんなにあられもない姿を見ているというのに、俺の心は入ったときより揺れ動かない。何故だ?)

物思いに耽っていると、マオが何事かと近づいてくる。

「どしたの~?元気ないみたいだけど~」

スモモの目の前で揺れる二つの桃が、自己主張をしている。

それを見てもなお、感動は小さくなっていた。

(ああ、恥じらいか・・・・・・恥じらいが無いから、興奮しないのか。悲しい話だぜ、裸が重要じゃないんだ。シチュエーションが大切なんだって27年生きてきて今更気付くとは・・・・・・)

心の中で深く溜息をつく。女風呂の感動がこうも簡単に失われてしまうとは、武蔵野猛という男の琴線には触れなかったのだ。

「いえ、なんでもないですよ」

努めて普段どおりにスモモは振舞う。先ほどのことをマオに話すわけにはいかないのだ。

「そう?・・・・・・ねぇ~ねぇ~スモモちゃん?」


釈然としない表情のマオだが、すぐさま別の表情に変わる。

ころころと、よく表情の変わる奴だとスモモは感じた。

意外なことに、今度は餌を前にした肉食獣のような表情だ。何処にそのような顔にさせる要素があったのか甚だ疑問を感じざるにはを得なかった。

彼女の手も謎の挙動をしている。

「えっと・・・・・・どうしたんですか?」

「スモモちゃんは、綺麗な体してるよねぇ~」

「え?」

「さ~わ~ら~せ~て!」

「キャ!?ちょ、ちょっと!」

猛獣はスモモの体に狙いを定め、その双腕を伸ばす。

避ける事も敵わず、敢え無く正面から絡め取られるスモモ。

(俺はこのまま食われるのか・・・・・・)

実際には、マオがスモモの体をベタベタと触り続けていただけだが、その表情の鬼気迫る物にスモモは命の危険を幻視したのである。

「ん!・・・・・・んはぁ・・・・・・!」

「やばいよスモモちゃん!その声はやばい!今ならマオさん、女の子だってイケちゃうかも~!」

まさぐる手は勢いを増し、その快感にスモモはもはや無抵抗である。

女の気持ち良い場所を知り尽くした者の指先はこうも劇的なのか。

快感を知らぬスモモの体は指の一つさえ動かすことが出来なかった。

「や、やめッ・・・・・・」

「よいではないか~よいでは・・・・・・何だ?」

突然、マオは責めの手を止め、それによりスモモは開放される。

彼女の顔は、先ほどとは打って変わって鋭い顔つきである。

「どうしたんで・・・・・・」

「しっ・・・・・・!」

マオは素早くスモモの言葉を押し留め、更にはジェスチャーで耳を澄ませと告げる。

(な、なんだ・・・・・・!?)

彼女の言葉に従うのが正しいと判断したスモモは言葉を潜め、耳に意識を集中する。何が起きたというのか。


おい、早く壁を登れ・・・・・・ここを越えれば先には露天風呂だぞ・・・・・・楽園だ・・・・・・

男達の野太く小さな唸り声が、スモモの耳に届いた。


銭湯びるだーが誇る大露天風呂。

中心を巨大な岩の壁が分ち、その片側を女風呂、もう片側を男風呂として配置されている。

壁の高さは大人5、6人分程、ほぼ垂直に鎮座するその壁を越えようとする者などこれまでの銭湯びるだーの歴史に於いて誰一人居なかった。

しかし歴史は塗り替えられるためにある。開拓者の手によって――――

今、此処に挑戦者が多数現れたのだ。

全裸の男達は、巨大な岩に点在する小さな出っ張りを利用し牛歩の速さではあるが、踏破への道を歩んでいた。

「お前ら、あまり大きな声を出すんじゃねえぞ。気付かれたらお仕舞だからな」

「もちろんです。失敗は許されませんからね。このパスカル、初めて冒険者の方々と心を通わすことが出来ました。礼を言います、モヒカンさん」

「パスカル、喋りすぎだぞ。・・・・・・ほら、手を掴め」

「ああ、すまないゴリス。お前とならこの作戦も上手く行きそうだよ」

点在する突起は必ずしも目的地の最短距離にあるわけではない。

急ぐ余りに、手を滑らせるなど愚行の極みである。

落ち着き、時には仲間と助け合い長い回り道をしながらも先へと進む。

モヒカンのこの作戦に同調したのは休憩所で過ごしていたおよそ20人ほど。

少数精鋭と言ったところか。少しばかり人数は少ない。

首謀者たる男は口を歪め、ニヤリと笑みを浮かべた。

(よくもまあこんな無謀な作戦に乗っかってくれたぜ。男だからな、思い浮かべる楽園は一緒ってコトだ。こいつ等となら、上手くいくかも知れないぜ・・・・・・!)

行軍の最前列で、指揮を執るモヒカンはこの作戦が成功することを夢想の中に確信していた。

策の進行は上々。壁を登っている事が相手に知られない為に、半数の男は風呂の中でこれ見よがしに大きな声で世間話をさせている。この雑音の中では、凄腕のハンターでも居ない限りこちらの行進は止められない。

先を行く壁踏破組が無事に女風呂を堪能し終えたら、役割を交替しこれで皆が報奨を得ることが出来る。

(インの兄貴ィ!少しは俺も成長したことを見せてやりますぜ!)

最早、頂上は目と鼻の先である。


旅の行程は必ずしも楽なものではない。時に魔物は牙を剥くのだ。

「へへっ、楽勝だぜ・・・・・・」

モヒカンに遅れ列の真ん中を登っていた男は、昔の経験を生かし軽快に壁を進んでいた。

目の前の突起に手を掛け、もう少しで踏破というところだった。

「えっ・・・・・・」

風呂場の湯気に湿った手は、その突起に滑ってしまった。体重を掛けたその重心が崩れてしまえば、重力の働くまま堕ちて行くしかなかった。


「おい・・・・・・!」

モヒカンは落ちていく男を見ていることしか出来なかった。代わりに口を吐いて出てくる言葉も、隣の男に抑えられる。

「てめ・・・・・・!」

「ここでばれてしまっては元も子もない。彼は落ちながらも自身の口を押さえ、声を挙げなかった。この策を俺達に託した」

「ゴリス・・・・・・!クソッ、すまねぇ兄弟・・・・・・」

狂信の如き信念に支えられた群れは、進む。

見えてきた頂、楽園への招待。

(アイツの分まで、俺は堪能してやる!スモモさんの・・・・・・入浴シーン!)

最後の一手。頂上に掛けられた右手。

遂に制した、この巨大な壁を。

「来た・・・・・・!」

モヒカンは注意深く、しかし大胆に緩みきった顔を女風呂へと覗かせる。

(おおお、おおおおおおお!!)

少しずつ見えてきた女達の肉体、皆タオルを巻いているようだ。

(おっかしいなぁ・・・・・・風呂で女はタオルを巻くのか?まあいい、スモモさ~ん!)

モヒカンはスモモを探す。あの容姿だ、見つからないはずが無いだろう。

目に映るのは、揺れるツインテール髪。小さな体。すぐに目的の女性を見つけ出すモヒカン。

最早有頂天。少々気になることがあったのだが。

(キターーーーー!!スモモさん!!・・・・・・ん?どうしてタオルを巻いているんだ?おかしい・・・・・・なんで皆して風呂にすら入っていないんだ・・・・・・)

疑念。壁の頂から顔を出したまま思考に耽るモヒカン。

「どう?楽しんだかな~?」

突然に、女風呂の方向から声が響いた。



「すみませんでした・・・・・・」

スモモの目の前に広がっているのは土下座する男達の姿。

彼らを見据えている女達の姿。皆、服は着ている。

スモモの隣で腕を組みながら佇むマオ。先ほどの緩い雰囲気ではなく、猛禽のような鋭い眼光を男達に浴びせている。

「ふ~ん?スモモちゃんが風呂に向かうところを見て覗きを決心したと?」

「はい・・・・・・。一生に一度のチャンスだと思っていた」

モヒカンのこれまでの覇気は何処へやら、今ではすっかり意気消沈して声までも縮こまっていた。

「どうして見つかったと思う?」

悪いことをした子供をあやすように、優しい声色で問いかけるマオ。しかし目は笑っていない。

「まさか・・・・・・お前ぇが居るとは思わなかった。ランク(ゴールド)、”美獣”のマオ」

「そういうこと。よりによってハンター系上級職、”不可避(アンステルス)”の私に嗅ぎ付けられるなんて運が無かったねぇ?」

彼女の正体を知って一際驚いたのはスモモである。

ハンター系の職に着いているとは薄々感じていたが、まさかそこまでランクが高い冒険者だとは思ってもいなかった。認識を改めなければならないだろう。

「マオさんって、凄い冒険者なんですね」

「ん?えへへ~君ほどじゃ無いよ~!まあこの街じゃ(ゴールド)冒険者は10人しか居ないし、大体の冒険者よりは強い自信はあるね~」

現在のスモモは冒険者における最低ランク(アイアン)である。

マオの(ゴールド)とは3ランク離れていることになる。

恐らくは彼女をこのランクに引き上げているのは素晴らしい探知能力によるものなのだろうと考える。

(金でこの能力・・・・・・更に上はどんな力を持っているんだろうな?インテリは除外で考えても相当な力を持っているに違いない)


さて、これから始まるのは男達に対する措置である。

女達は口々に、袋叩きや冗談交じりであろうが死刑を口にする者も居る。

その行く末を戦々恐々として見つめる男達、気が気ではないだろう。

「みんな~、ここはあいつ等お目当てのスモモちゃんに決めてもらうってのはどうかな?」

一向にまとまりが無い会議にうんざりした様子のマオは、この決定を隅で他人の振りをしていたスモモに託すことを提案する。わざわざ目立たないように視界の外に逃げていた筈なのに、目敏い女であるとスモモは辟易とする。

「賛成!」

「噂のスモモちゃんがどう裁くのか気になるね!」

「と、いうわけで私達は満場一致だよ~スモモちゃんよろしくね~!」

「え・・・・・・は、はい」

半ば強引に頼まれてしまうスモモ。どうにも人の頼みを断れない性格の彼女は渋々それを引き受ける。

男達の前に向き直るスモモ。彼らの顔はまるで子犬のように弱弱しい。

「スモモさん、俺が全て悪いんです!全ての罪を引き受けますがな!」

突然目の前に進み出て仲間達の放免を願うのはモヒカンだった。

「おいモヒカン!お前が全て被ることは無い!皆で償うんだ!そうだろ?皆」

「もちろんです!私達は兄弟!そうでしょう?」

「ヘマかました俺のために泣いてくれたあんたを見捨てるはずは無いだろう!」

「テメェら・・・・・・この馬鹿野郎共がァ・・・・・・・!」

目の前で始まる、青春ドラマのような展開。

この事案が覗きによるものでなければ幾分か感動できたのかもしれないとスモモは思う。

(まあ覗いた気持ちは正直分かる。スモモみたいな美少女が風呂に入る所を見れるなんて滅多に無いはずだ、覗いても不思議じゃない。俺だって覗く筈だ・・・・・・あいつ等は、俺だ)

彼等は自分と同じ。それが答えだった。

無罪放免がスモモの答え。しかしそれでは女達が納得しないだろう。

審判の時。委ねられた罪状、大きく息を吸い込む。

「決めましたよ」

「スモモ裁判長、答えを教えてくれるかな?」

「はい。モヒカンさん達がしなければいけないことは・・・・・・」

男達が唾を飲む音がスモモの耳にも届く。それは緊張の証。

「今後覗きは絶対にしないこと、それと皆さんにこーひー牛乳を奢る事です!」

「・・・・・・へ?」

男女双方から間の抜けた声が挙がった。


「そ、そんなんでいいんですかい?」

最初に口を開いたモヒカン、言葉の意味は余りにも罪状が軽いことに対する問い。

「皆さん、お風呂上りで多分喉が渇いていると思うんです。私も一度こーひー牛乳を飲んでみたいですから、これじゃダメですか?」

誰もが開いた口が塞がらない。しかし当事者であるスモモがそう言ったのだ。決定は絶対である。

「め、滅相も無いですがな。しかしスモモさんはご自分が覗かれそうになったのに、何故そんなにやさし・・・・・・っハ!?」

モヒカンの頭を酒場でのインの言葉がよぎる。

それは己よりも他者の幸せを優先してしまうという慈愛。それがスモモの性格であると。

(俺は・・・・・・馬鹿だ、救いようが無ぇ。スモモさんの性格を考えれば分かることじゃねえか!それでも、悪い奴は罰するしかない。そんな、悲しませるような事をしてしまった!)

モヒカンは深く己の行動を省みる。

軽率だった、余りにも衝動的だった。

この様をイン・テーリが見たならば何を言うのか、これでは少しも追いつけない。

「スモモさん!そして皆!本当に申し訳ない!こんな事は二度としない、この身に掛けて誓う!」

彼はスモモだけでなく、その場に居た全ての人間に向かって全霊の感情を込めて謝罪の意を示す。

さしもの女達もこれには面食らったようで、怒りの空気も何処かへと霧散してしまった。何故かスモモの課した罰も不思議と妥当なものだと感じ始めていた。

「まぁ・・・・・・もういいわよ。なんか怒ってるのも馬鹿らしくなっちゃったよ」

「あ!でもこーひー牛乳忘れないでよねっ」

怒りの値を指し示していた心の天秤は少しづつ傾き、遂にはその場を笑顔が包み始める。

「ありゃりゃ?皆ちょっと笑ってない?」

マオは正直なところ最初から怒ってなどいなかったが、女性陣の変化には少々面食らわざるを得なかった。

誰かの笑顔が、他者に伝播し場を包み込む。それは不思議な空間であった。

(スモモちゃんの一言が、モヒカンの心と殺伐とした雰囲気を変える切っ掛けになったって事?凄いな~。あれを無自覚でやってるとしたらそれはもう、生まれながらの先導者、皇帝の才・・・・・・)

「・・・・・・優しい皇帝様か~。アリかもね~」

己の心に浮かんだ言葉が直ぐに口に出てしまうマオ。

彼女が口にした言葉は沸き起こる笑いの喧騒で誰にも聞こえてはいなかったようだ。反応するものは居ない。

優しい皇帝に治められる国を夢想しながら、マオは一人で納得したように頷くのだった。


「それじゃあ乾杯しましょうか!お兄さん達の奢りですしね~」

スモモは悪戯っぽく笑う。女性達の手にはそれぞれ銭湯びるだー名物の、細長い瓶に詰められたこーひー牛乳が握られている。

「いいんですか?俺達も参加しちゃって・・・・・・」

何故か男達の手にもこーひー牛乳が握られている。勿論彼らの自腹であるが。

「いいんです!ごめんなさいはもう終わりましたよ、これからは仲直りの乾杯なんですから!」

スモモはあっけらかんと答える。男達を快く許せる、この空気になったのは有難い誤算だった。重苦しい空気が苦手な武蔵野猛の心は気苦労から限界寸前であった上に、これ以上男達に罪悪感を抱かせるのは同じ男として心苦しいものがあった。

「す、スモモさん・・・・・・!貴方様は本物の女神様です!」

「もう!モヒカンさん言い過ぎですよ~!」

「ねぇ~もう待てないよスモモちゃ~ん!」

「あ、そうですね!それじゃあみなさんグラスをあげて~!」

スモモの言葉で一斉に静かになる休憩所。L.Lの酒場での事を思い出しながら、いつものように音頭を執る。

「えーっと・・・・・・何に乾杯したものですかね~。祝い事って訳でもないし・・・・・・まあいいや!みんな、せ~の!」

「かんぱ~い!」

賑やかに夜は過ぎてゆく――――



すっかり夜も深くなってきた頃だろうか、ようやく自分の部屋にスモモは戻ってきた。

朗らか亭の二階に位置する202号室。そこが彼女の仮の居城である。

部屋の内部は窓にベッドと、椅子が備え付けられた小さなテーブルが置かれただけの簡素な部屋、広さも元の世界での部屋より幾分手狭である。

総評すると古臭いビジネスホテルというところか、しかしスモモとしてはこれで十分だとも思っていた。

「荷物なんて殆ど無いしなぁ」

自分一人だけだからか男口調に戻ったスモモは無造作に衣服を投げ出し、神の揺り篭というネグリジェ一枚の姿となる。

下がスースーするなどと独り言を吐きながら、宿に来るまでの道中に買った品物を紙袋から取り出しテーブルに置いた。

小さな木箱に入った20本ほどの棒の束。

夕方、インに教えてもらった嗜好品”ドライアド”である。

「似てんなぁ・・・・・・」

木箱から一本取り出して見ると、それは現代に於ける煙草と姿形が良く似ていた

。違うところといえば薄い木の皮で包んでいるためか全体的に赤茶けた色をしているくらいだ。

(ここを咥えるんだよな)

先端の少し色が薄い箇所を咥え、棒の反対側に、一緒に買ってきた”火魔柱(ファイアボウ)”で火を点けた。

(優れモンだなこのファイアボウってヤツ。見た目にはただの小さな鉄の棒なのにほんの少し魔力を込めるだけで先っちょに火が点いてくれる。ガス切れの心配も無いとかライター完敗だな)

火魔柱の便利さに感動した後、スモモは早速口に咥えているドライアドの煙を吸い込んだ。勿論、部屋の中には吸殻を捨てる為の皿が置いてある上、女将に確認をとったので部屋で吸うのは問題無い。

「スウウゥゥ・・・・・・ふああぁぁぁ・・・・・・いいかも、メンソールみたいだ」

スモモの口の中をミントに似た香りが包み込む。

それは現代でのメンソール入りの煙草に感覚が似ており、爽やかな吸い心地である。煙を堪能するとそれを排出し、それを繰り返す。

薬草を調合して作られたこのドライアドから出る煙は、吸った人間の凝り固まった筋肉を弛緩する効能のほか、少量だが体力を回復させる作用を持つ回復アイテムと似通った部分も多い嗜好品である。回復アイテムとしては回復量が少なすぎるのもあり嗜好品としてしか、しかも若い者には人気の無い不遇の品である。


「ふ~。旨かった」

ひとしきり吸い終え満足するとスモモは吸殻を皿に押し付け、布団に潜り込む。

「これからどうなるんだろうな俺・・・・・・」

この世界での自分の生活、元の世界への帰路について、人づてに次第に大きくなるスモモという存在。

様々な心配を噛み殺し、武蔵野猛とスモモは眠りに落ちた。




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