生涯唯一人の“心友”
「変ですか?」
階段の踊り場、すれ違う際の「お疲れ様」の言葉のあとに続いた台詞。一瞬、何を言っているのか分からなかったが、目の前の女性が真面目な表情でこちらを見ている事でなんとなく意味を察した。
「私たちの関係は変ですか?」
中々答えない私にしびれを切らしたのか、似通った質問を投げかけられる。
彼女が気にしているのは友情にしては仲が良すぎる看護師と女性との関係。憶測でしかない噂は変な尾ひれまで付き二人の関係は同性愛者のカップル。
付いた尾ひれはどこまでも長く、そして悪意あるものに変化する。それに耐えられなくなったのか?
「どうしてそれを私に訊くの?」
「西山さんならきちんと答えてくれそうだったので」
信頼してくれていると思ってもいいのか。ただ思い悩んでいた時にタイミングよくすれ違ったのが私だからなのか。
まぁ、その事を気にかけてもしょうがない。私は思っている事を彼女へ告げる。
「あなたが気にしているのは同性愛者のカップルだと噂されている事? 気持ち悪いと陰口言われた? それともからかわれた?」
「全部です」
全部か……。
悪意にまみれた陰口に慣れてない者には相当堪える。しかも相手に相談せずに私に相談してきたという事は、相手に知られたくないという事。心配させたくないという事。
私の気持ちを率直に答えてやるのが、彼女の心配事も減るというもの。
彼女より数段下にいる私は彼女を見上げ、彼女もまた私を見下ろしている。困ったように眉が垂れ下がっているのは相当誰かに聞いてほしかったのか。
彼女の求める答えは分からないけど、今私が言える事は唯ひとつ!
「気持ち悪くないよ」
ニコリと微笑み付で述べると、ポカンとした間抜けな顔を拝めた。何を言われるか、気が気ではなかったのだろう。
私の言葉に固まってしまった彼女をそのままに、私は自分の気持ちを声に出す。
「気持ち悪くない。だってあなたの“好き”は友達の“好き”みたいなものでしょ?」
「はい」
「仕事中は適切な距離を保っていても私生活はほとんど一緒。半同棲に近い事してたら“付き合ってる”と思われても仕方がないね」
「はぁ」
少し落ち込んでいると分かる返答に気付かないふりをして最後まで話を進めた。
私が経験した中で、これに近しい事があったのだ。
「友愛だと言い切れないほど相手が好きなんでしょう?」
「!!」
「友達なんて軽いものじゃない。親友と呼ぶにはいささか物足りない。じゃあ、その人に恋しているのか? それも違う」
私の言いたい事が伝わればいいな。
「出会ってすぐに『この人と仲良くしたい!』っていう気持ちが働き、相手の事を知っていく度にどんどん仲良くしたいっていう気持ちが強くなる。仲良くなれば今度は相手の事をもっともっと知りたいと思う。私はねそんな人の事を心の友と書いて“心友”だと思うんだ」
「心友ですか?」
「そう心友!」
“親友”とはまた違う“心友”。
一緒にいるだけでホッとする存在。悩み事があっても、相談せずに傍にいてくれるだけで解決してしまったと思ってしまうほど安らぎを与えてくれる存在。
「何か悩んでいるのに、何も相談してくれない。それは相手も同じ気持ち。あなたも相手には相談しないでしょ? 心配かけたくないから」
「はい」
「相手にはいつも笑っていてほしい。傍にいるとホッとしている自分がいる。疲れた身体が嘘みたいに軽かったりした事は?」
「膝枕で寝てたときに」
「……何やってんの」
膝枕って……それだけ仲がいい証拠なんでしょう。
なら私に言える事はたったひとつ。
「大切にしなさい。今を楽しみなさい。時間が許す限り、遊びに行ったりしなさい。相手が悩んでいるなら何も聞かず傍にいればいい。変な噂? そんなもの無視すればいい。悪意でしかないもの! あなたが信用する人たちの意見を大切にしなさい。その人たちが『見苦しい』というならひかえなさい。まぁ、見苦しいと言う人はいないと思うけどね」
演説のように語る私に、彼女の目が徐々に見開かれていく。
「我慢しては駄目。プライベートの時間になれば存分に楽しめばいい。周囲の反応なんて無視よ。無視! それで呼び出してくるようなら見限ったらいいのよ。あなたたちの問題だもの。2人で解決なさい。でもこれだけは覚えておいて、後悔するような付き合いはしては駄目」
「後悔するような付き合い?」
意味が伝わり難いか。
「相手を思って遊びを控える。我がまま言わない。イラッときても我慢しないで言いたい事は言い合う。喧嘩しても次の日には元通りになるから」
そう、数日も開けずに元通り。何もなかったように普段通り。
「目があった瞬間『あっ! この人と仲良くしたい』と思ったでしょ? すべてを知りたいと思ったでしょ? 友達なんて言葉では納まりきらない気持ちがあふれたでしょ?」
「なんで分かるんですか?」
「私も経験者だから」
私も経験した。この人とは絶対最後まで一緒にいるだろうと思える女性が。
2人とも恋人ができ、結婚し、子供を産んでもずっと続く関係を持てる女性がいたんだ。
仕事終わりにはお酒を飲んで、上司の愚痴を言い合って、長期の休みが取れたら旅行に行って――…
「後悔したくないなら今を大切にしなさい。悪意ある言葉は無視しなさい。私はあなたたちの味方。そういったモノから守ってあげる。悩み事があるなら聞いてあげる。だから何も考えずに今を楽しんでほしいの」
「西山さんの相手はどんな人?」
彼女の質問にニッコリと微笑んで答えた。
「とても優しくて心が強くて、綺麗だったよ。――亡くなってしまったけどね」
「……え?」
だから私のように後悔してほしくない。亡くなって初めて気付いた感情。2人でしたかった事はたくさんある。親友と呼べる友人はいるけど、彼女のように目と目が合うだけで心休まる存在には出会えていない。
大切な、大切な私の一部。
貴女はもうとっくに生まれ変わっていますよね?
仲が良すぎる事で悩んでいた職場の人にかけた言葉。
勝手な憶測で相手を傷付ける人は多いんです。