夕があり、朝があった
「一日の始まりが朝だと、思う人ー?」
と、ある日、小学校の先生が5年生の生徒達に聞いた。
「はーい!」
クラス全員が手を挙げた。
「じゃあ、夕だと思う人ー?」
先生がまた聞いた。
「シーン」
1人の生徒がふざけて言った。
「答えはねぇ……夕なんです! みんな外れ! 残念でした」
先生は少し嬉しそうに言った。
「うそだ~! そんなわけないよ! 朝が始まりに決まってるよ!」
生徒達のブーイングが始まった。
「じゃあ、みんなはどっちか選べるとしたら、どっちにする?」
先生が生徒達に聞いた。
「そりゃあ、朝が始まりを選ぶよ」
「そうだ。そうだ」
生徒達は、口々にそう言った。
「そうなの? 先生は、夕が始まりのほうを選ぶけど」
と、先生はまたしても少し嬉しそうだ。
「どうして?」
と、生徒達が先生に聞いた。
「それはねぇ、暗い夜から一日が始まったとしても、次に明るい朝が必ず来るって思えるからよ。みんなは、どう思う?」
と、先生が答えた。
「ふ~ん、そうかぁ……
じゃあ、やっぱり僕達も夕が始まりの方を選びま~す!」
と、生徒達も今度は先生と一緒に嬉しそうに言った。
「良かった! それじゃあ、みんなにこれから辛くて苦しい夜のような時がきたとしても、必ず明るい朝が来るって信じてね。それに、これは本当の事なのよ。先生が責任をもって断言します!」
と、先生が生徒達に強く語った。
その時、雲が晴れて明るい光が差し込んできた。すると、浮かんでいるほこりまで目に見えて、それがまるでとても細かい花吹雪のように、教室中を幻想的に彩ったのだった。
『神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけた。夕があり、朝があった。第1日。』 聖書 創世記1章5節より
神様は、私達人間をただ神様のいう事を黙ってきく、ロボットのようには造られませんでした。私たちには、意思と選択権をお与えになられました。
” 神に従うか? or 逆らうか?”
” 祝福を選ぶか? or のろいを選ぶか?”
あなたはどちらを選びますか?
『私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ』
聖書 申命記30章19~20節より